「これから、日本に来る機会が増えると思います」
そう語り始めたゲルハルト。その理由のひとつは、先日ご紹介した『Steidl Book Award Japan』だろう。ほかにも、企業の仕事や「ロバート・フランク」展などが続くそうな。まずは、「近況」を聞いてみよう。
――おひさしぶりです。お会いするのはインタビューをゲッティンゲン(シュタイデル社があるドイツの町)で行った2013年3月以来でしょうか。
お元気そうでなにより。『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅 DVDブック』はすばらしい一冊になりましたね。
――ありがとうございます。最後にお会いしてから3年が経ちます。この間の変化についてお聞かせください。以前に、全体に会社をスリム化したいというお話をされていましたね。
会社の事業規模をダウンサイジングしているわけではありません。書籍の品質を高く維持することを優先に考えているので、単に会社を大きくするという考えはそもそもありませんでした。会社としてもそうですし、産業としても大きくするだけのことにはあまり意味がありません。刊行できる点数などのアウトプットにも会社の規模にも自ずと限界はあります。シュタイデル社は製造業ではなく産業(インダストリー)を担っていると考えているので、美的要素と機能を調和させた製品の生産をしていく、という意味です。
私がいま目指しているのは年間のヴィジュアルブックの刊行点数を現状のおよそ120冊から80冊に下げることです。それにより一冊に割ける時間が増えて良い本を作れますし、品質を高められます。シュタイデル社の読者や支援者たちは、高いお金を払ってでも質の高い本を手にいれたいと考えてくれる人たちなので、ビジネスの観点からいっても、今までと同等の収益を得られますし、クリエイティブな面での満足度も高くなります。
――シュタイデル社の本の価格を上げていく、ということでしょうか?
そのとおりです。常に、本の素材になるものを世界中で追究しています。より質の高い紙、手作りのインキ、あげればきりがありませんが、もちろん、納得のいく仕上げをしてくれる製本業者もヨーロッパ中で探しています。ときには品質向上のための投資も必要です。
とはいっても、シュタイデル社の本の80%はドイツ国内で製本しています。長い歴史があり、大型本の専門業者や、ハードカバーのうまい業者、柔らかいボール紙や厚紙を得意とする業者、と特別なノウハウを持つ製本業者が数多いからです。
チェコとポーランドにも良い業者がいます。EU加盟国なので、いっしょに仕事をするのも楽ですし、共産主義の恩恵もあるんです。共産主義の時代にこの2国の製本業者は国営だったがために、発展がゆっくりしていてマイナス面もあったのですが、一方で、大量生産の波にとらわれず知識や伝統がそのまま保存されたともいえる。私はその恩恵に浴しているわけです。
また、製本は、物流システムと輸送の問題でもあります。紙は重く、本はいとも簡単に20、30パレット(製本した本を積む、保管や輸送のための台)という大容量にもなりますからね。
おまけに紙にとっても本にとっても、低温や高温、湿気は天敵ですから、それを避けるために、製紙工場や製本業者とシュタイデル社の間で紙や本を運ぶ際には特別なトラックを使っています。このトラックは、生花の輸送と同じように、冬は温めて、夏は冷やすような、温度や湿度を一定に保つことのできるエアコン付きの特別な仕様です。
同様に、紙と本の保管庫も特別です。製紙工場から入荷したばかりの紙をすぐに印刷に回すことはけっしてありません。まずは2、3ヶ月、乾燥熟成肉と同じように会社の保管庫で熟成させてからです。
私が調子を時々見て、適切な温度と湿度になったと判断したところで印刷に回していきます。このケアをするだけで、印刷時の出来映えはかなり変わるのでぜひやってみてください。生肉と乾燥熟成肉の味が違うのと同じことです。その判断は紙ごとに、それぞれ管理の上で判断しなくてはなりません。
昨今の印刷業では、多くの貴重な知識が失われてしまい、すべては「より速く、より効率よく」一辺倒になってしまいましたが、出版社や印刷業者には違う考え方を徹底させることが必要です。質を担保するためには、ゆっくり、個別にケアをすることが大切なんです。世の中の多くがファストフードと同じ「ファスト」になっており、印刷もその潮流から逃れられていませんが、「シュタイデル」が印刷した本は永久に残るものでなければならない。コレクターの手元や信頼できる図書館で「宝物(「treasure」と表現していた)」として残されるものでなければならないと思っています。
――シュタイデル社を訪問した際に、「とにかく本の匂いを嗅げ」と言われて、文字通り嗅ぎ回りました(笑)。インキの良い香りも特別なものだとか?
そうでしたね(笑)。とにかく五感を駆使しなくてはね。
シュタイデル社ではインキも特別に調合しています。特定の業者に頼んで、一冊一冊の本ごとに、香水と同じように配合を考えるのは楽しいものです(大まかに言えば、印刷のインキには3つの要素が必要となる。色をつける顔料、紙になじませる油や樹脂、溶剤などの「ビヒクル」、そして、特性を調整する補助剤である。石油系から植物系に溶剤を変える動きは、環境保護のためにも近年進んでいる。シュタイデル社では、すべて植物性のものを使用しているそうだ)。
紙とインキの組み合わせでも、ある種の良い香りを生み出せます。インキは、200年以上同じ場所で操業している歴史あるドイツ国内の業者から調達しています。一部、イタリアやイギリス製のインキも使っています。
市場では、1キロ5ドルの印刷用黒インキも買えます。でも、印刷を経て紙面に置かれると光の90%を吸収するような値段の高いインキには、1キロ30ドルくらいするものもある。安くあげようとするならば、3000部の本を印刷するのに500ドル分のインキがあれば足りるけれど、質の高いもので印刷しようと思えば、インキ代は5000ドルになるかもしれません。けれども、その質の差は一目瞭然です。一冊の本にとっては、お金の差以上に、美しさにおいて格段の違いが出るのです。
食べ物でも同じでしょう。レストランで、質の高い新鮮なおいしいものを食べたければ、ひとつひとつ丁寧に野菜を育てる農家から調達したものか、ファストフード用の大量生産業者から調達したものか、答えは明らかです。
高級レストランの食事はファストフードより高いけれど、たまにおいしいものを食べたらあとは節約して自炊すればいいだけの話です。せっかくならおいしいものを食べる方がいい。
それを本の市場にあてはめると、節約してときどき質の高い本にお金を使うか、ファストフードのようにキンドルやiPadで電子書籍を読むかの違いといえます。身体に触れる本という存在に対しては、少しお金を費やしてでも、質を考えないといけないと私は思います。
To be continued
(text by Kangaeruhito,Maho Adachi, photographs by Kenji Sugano)
「DVDブックの装幀は見事でしたね、一級品だ。おめでとう! ゲッティンゲンに来てくれる人への贈り物にしていて、購入した100部はもう使い切ってしまいました。日本語もきれいですし、もっと入手しようと思っています。製本も完璧だし、外側の手触り、箔押しもすばらしい。なにより、箔押しがDVDブックに使われるのは見たことがありません」
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考える人編集部
2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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