手に持つと実体感のある本。それをシュタイデルは「physical book」と呼んでいた。紙を熟成肉のように、インキを香水のように、と扱う手工業ぶりはすでに前回伝えたが、繰返して語る「身体的な本」とはいったいなんなのか? さらに話を掘り下げたい。
――「physical book」を私は「身体的な本」と翻訳したのですが、おおきな反響がありました。
私の言う「physical book」とは、ハードコピーのことで、紙の本を指します。物理的に存在するもの。そして、重みがあり、手に持つと実体のある身体的なもの。開くと自然光であれ人工光であれ、それが紙に反射する本。だから紙の表面がどう構成されているかで大きな差が出てきます。まず、インキによっても違います。これらすべてが、インターネットではもたらすことのできない、ユニークな体験をもたらすのです。ゲッティンゲンでのインタビューでもお話しましたが(『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅 DVDブック』に収録)、電子書籍やネットを否定するわけではまったくありません。ただ、人間は身体的な存在であり、常に身体的なものに餓えているのです。錠剤でも一日の必要な栄養を摂取できることはできるでしょう、ですが、食べるということの本質、そして暮らすことの本質は別のところにあります。人は、良質な食べ物、良質なもの、そして良き友と家族に囲まれていたいものなのです。
本は贅沢品だと言う人もいますが、化粧品、香水、腕時計、洋服など他の贅沢品と比べてみてください。安いものではないでしょうか。100ドル足らずですばらしいものが手に入れられます。しかも、良質なものを手に入れておくと、数年のうちに市場価格は上がっていきます。コレクター本で考えれば、値が下がっているものはまれです。日本でもドイツでも比較的本は安い。誰でも手に入れやすい、入手が平等なものであるという考え方が私は好きですね。本は贅沢品だけど、民主的でもあるのです。
――質より価格を優先して本作りをする傾向が世界中で見られますね。
世界のどこでも、出版社にはマーケティング部があり、出版をビジネスと考えて独裁的にふるまっています。たとえば料理本なら50ドル以下とか、売価50ドルの本なら制作費は10%までとか、枠を決めてしまうと高品質な本は作れません。それが問題だと思います。
――良質な本を作りながら利益を確保するシュタイデル社の存在は、多くの日本の出版人の励みになったようです。その点に反響が大きく寄せられました。利益や印税の話をもう少し聞かせてもらえますか?
もちろん何でも聞いてください。いまもすべてのアーティストに印税をきちんと払っていますよ。文学の世界では、書いた著者は印税で食べていかなければいけないので印税が支払われる事は当たり前ですが、ビジュアルブックの世界では少し事情が異なり、通常写真集が刊行されるだけで写真家は喜んでくれます。というのも、ビジュアルブックの制作費は非常に高くなるので、出版社の中には写真家やギャラリーに費用負担を頼むところがあるからです。ですが、私たちはそういうやりとりを好んでやりたいとは思いません。
私は自分の手で「シュタイデル」が刊行する写真家を選び出したいんです。根底に、写真家に対して抱く深い敬意があるからです。質の高い作品がなければ、質の高い本はそもそも作れないのですから、土台は本の中身で、そこから本作りは始まるべきです。
小説だろうが、ビジュアルブックだろうが、シュタイデル社では印税を払います。文学は制作費が低い分、印税は高くなります。たとえば、ノーベル文学賞受賞者のベストセラー作家、ギュンター・グラスのような人の場合は、15%の印税を払っています。いちばん良いと思う紙やインクを使い、製本にコストをかけたとして、文芸書の場合は700~800ページの本でも、一冊あたりせいぜい5、6ドルしかかかりません。もちろん本によりますが、それに比べて、ドイツの市場で考えればビジュアルブックは一冊あたり20〜30ドルはかかります。
――利益を確保するために、どうされているのですか?
会社は、利益を生まなければ破産しますが、それは私の望まぬところです。だからお金を生み出すベストセラーになる作品と、ベストセラーによって支えてもらう作品という分類が自ずと出てきます。シュタイデルは私の個人事業であって、株式会社ではありません。株式会社は株主に責任があるから、会計年度の終わりには株主に利益をもたらさなければならず、利益の計算は「シュタイデル」とはまったく違うものになります。ベストセラーがあれば、それから最大の利益を得ようとするでしょうし、利益を生まない本には投資しない、という選択も起こりうる。非常に良い作品であっても、売れそうもない本は排除されて、生き残るのは売れる本だけになります。
私はそれぞれの分類を考えて、条件の入り混じった計算をしていきます。シュタイデルの本は、確かに利益率が高いと言えます。というのも、デザイン、印刷、プリプレスなどはすべて社内で行われ、外注していないので外部に支払わなくていいからです。またシュタイデルが高級ブランド産業のカタログや本の印刷を請け負っていることは秘密でも何でもありませんが、ここでも利益が生まれます。すべての収入はひとつの壺にはいっていくわけです。そして、銀行や株主を気にすることなく、この壺から何に金を使うかはすべて自分で判断できるのです。
To be continued
(text by Kangaeruhito,Maho Adachi, photographs by Kenji Sugano)
<シュタイデル・ニュース>
この連載でも紹介した「Steidl Book Award Japan」は盛況のうちに幕を閉じた模様だ。白い手袋をつけて、来場者が次々に本を開く姿が圧巻だった。
賞の模様をルポするドキュメント本も来年以降には刊行される予定(河出書房新社より)とのこと。ゲルハルト・シュタイデル氏に触発されて、面白い本が日本でも増えそうだ。
次回は、シュタイデルのさらなる秘密を解き明かしつつ、日本への弾丸ツアーの様子など、レポートしたい。 (text and photographs by Kangaeruhito)
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考える人編集部
2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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