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村井さんちの生活

2026年9月30日 村井さんちの生活

実はまた入院してました

著者: 村井理子

 最初に書きますが、心臓病に関する記述を読むと不安になる方は、読まない方がいいかもしれないです!(怖いことは書いてないけど) ここで引き返してください!

 私自身、書くべきかどうか、若干迷ったのだが、書くことにする。

 実は9月初旬、3泊4日のスケジュールで入院して、不整脈治療であるカテーテル・アブレーションを受けてきた。カテーテル・アブレーションとは、カテーテルという細い管を足の付け根などの血管から心臓まで入れて、不整脈を引き起こしている異常な電気信号の回路を焼く治療のことだ。読んだ印象は非常に恐ろしいとは思うが、実際はなんの問題もなく治療は終了し、退院し、普通の生活をしている。大変、ありがたいことでございます。血液をさらさらにする薬を飲んで治療に挑んだため、右半身が派手に内出血しており(特に鼠径部)、トラックに軽く轢かれたような見た目だが、それ以外はまったく問題ない。生活になんの制限もない。退院後に一度、徐脈(脈が遅くなる)になって、減薬になったが、それ以外は本当に普通に暮らしており、仕事もいつも通りやっていて、犬の散歩にも行っているし、夕方はスーパーに出没している。

 一年以上前からだったと思う。時折、脈が乱れるような感覚があった。毎日、血圧と脈拍をチェックしているが、特に目立った異常はなく、あまり気にもしていなかった。しかし3月になり、突然、頻脈気味になった。これははっきりとわかる程度に頻脈で(140回/分)、座っていても、寝ていても頻脈の状態だった。しかし、5分くらい待つと普通の状態に戻ってしまう。そんなことの繰り返しだった。さすがに心配だったので病院に行くと、主治医が「頻脈気味ですね。今まで順調だったのに、どうしたのかな。ちょっと薬を出しますね。……続くようなら、カテーテル・アブレーションを受けると止まりますけどねえ……」と言ったのだった。

 今にして思えば、主治医はこのときすでに「これは再発パターンや」とわかっていたのではないか! 結局、3月の頻脈は薬で治まったのだが、いやーな感じの頻脈が再びスタートしたのが8月初旬だった。

 朝、いつものように血圧を測ったのだが、なぜか朝っぱらから脈拍数が100回/分だった。これは軽くジョギングしている感じの脈拍数だ。「あれ? なんで?」と、その時はなんとも思わずに軽く受け流した。翌日、再び血圧を測ると、血圧は正常なものの、脈拍数が106回/分。「え? どゆこと?」と思い、この日は1時間ごとに脈拍をチェックした。そして、午後になって諦めた。これはもう、間違いなく頻脈になっている。それも今回は100回/分前後という微妙な状態だが、間違いない気がする! 不整脈が出ているときに心電図を取ってもらわなければならないと焦った私は、病院にすっ飛んで行った。

 その日、主治医はいなかったが、別の先生に診てもらった。その先生は「これは頻脈ですねえ〜」と残念そうに言う。私も大変残念だった。

 「不整脈の専門医がここにはいませんから、元の病院(2017年に僧帽弁閉鎖不全症の診断を受けた病院)に一旦戻りましょうか?」と言われ、素直に納得した。この時点で私はすでに「アブレーションは避けられまい」と観念していた。最終的に、不整脈専門治療部門のある元々通っていた病院で、最短のスケジュールでカテーテル・アブレーションを受けることになった。

 驚くべきことに、100回/分前後という微妙な頻脈は、入院当日まで約2週間、休むことなく、私が眠っている間も継続していた。ずっと100回。なにそれ、怖すぎる。

 先天性の心疾患に加えて、47歳で弁膜症にもなったということで、普通の心臓ではないという自覚はあったのだが、今回、担当医によるアブレーション前の説明で、「そもそも左側にあるべき血管が右側にあった」、「過去に心臓に対して様々な修復措置が施されている」などなど、私の心臓履歴を詳細に聞かせてもらったことで、私は完全に、良い意味で「萎え」の状態となった。この「萎え」には覚えがある。子どもの頃から繰り返し感じてきた、この妙に温度の低い、しかし、がんじがらめの催眠状態。不安スイッチを完全にオフにするという防衛本能だ。おかげさまで、心静かにアブレーション当日を迎えることができた。

 カテーテル・アブレーションが、実際にどうだったかというと、憶えていないのでわからない。先生たちが笑顔で「きれいに終わったからね!」と言ってくれたのは、キラッキラの記憶として残っている。それ以外は全身麻酔だったので、正直、ほとんどわからない。術前の検査も鎮静をかけてもらったので、全然憶えていない。アブレーション後は、目を覚ましたら病室に戻っていて、4時間の安静後には歩いていた。翌日も普通に過ごした。痛みがなかったかと言われれば、そりゃ少しはあったが、鎮痛剤が必要というわけでもなく、とにかく静かにしておけばよいという状況で、たぶん私は病棟内で一番元気だったと思う。

 退院前に担当医に、「(不整脈を防ぐために)何かできたことってあったんですかねえ」と何気なく聞いてみたら、「村井さんの場合、個人の努力が及ばない部分も多々、あろうかと思います」と言っていた。この担当医の言葉をどう受け取るかは患者にもよると思うが、私は優しさのこめられたエールと受け取った。仕方がないじゃん、人と違うんだもの。

 そして肝心の不整脈だが、止まっていると思う。数か月は不安定な状況が続くとは思うが、早めに決断したことは間違っていなかったはずだ。またもや心臓をバージョンアップしてしまった。これからもちゃんとバージョンアップしていかなくては。

 しかし、久々に入院して思ったけれど、やっぱり家がいいですね。どれだけ看護師さんや先生が優しくて、ごはんも美味しくて、病室がきれいでWi-Fiが速くても、やっぱり家がいいと思うし、自分の部屋で、一人で過ごす時間は最高だと思う。それを考えると、義父母は施設でどのようにして時間を潰しているのかが気になってきたりして……。 

 付き合いにくい心臓で苦労も多いのだが、それでも私の一部であることには変わりない。なるべく仲良くしていくしかないですね!

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎


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