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小さい午餐

 休日に市内を歩いていたらたくさんの人が並んでいるのを見かけた。なんだろうと思ったらタピオカ屋の行列だった。折りたたまれたような四角形を成していて、最後尾には警備員がプラカードを持って立っている。広島にもブームが、そうかそうかと思った。それまでもタピオカ屋はあって若者が並んでいたようだが、場所が1本奥まっていて、通りすがりの田舎者がおお、ブームと思うほどではなかった。それが、少し前に広島の目抜き通りや地下街、大きなデパートなどに複数のタピオカ屋がほぼ同時にオープンしたため、なんというかいよいよ広島にも上陸しましたねという空気になった。並んでいるのは若い人ばかりでは全くなく、中年、高齢に見える人も多かった。店の前で自撮り、物撮り、「ちょ、今の。ストーリー消せって!」「えーええじゃーん」若いカップルが巨大な透明カップとスマホを手にじゃれている。男の子のは薄茶色、女の子のは白から抹茶色のグラデーションの液体が入り、底に黒い丸い粒が沈んでいる。タピオカだタピオカだ。カップが大きい。ストローは明るいオレンジ色をしている。女の子は艶のない濃い赤いリップ、男の子は頬にニキビが見える。高校生だろうか。「消せってー」「ストーリーじゃけ、ええじゃー」「今消せーやー」「えー、じゃーあー、今の消したらまた撮ってええ?」「はー。ええけど?」ええのか。そうかそうかそうかと思いながらその日は帰った。9月初めのことだった。
 その翌週も市内で仕事があり、平日昼前に件のタピオカ屋の前を通った。この前の行列が嘘のように5人くらいしか並んでいない。お、と思った。これなら全然並べる。とはいえ昼食を食べたばかりで、あまりお腹が空いていない。この前見た巨大なカップ、いまあの量の冷たい甘い液体を飲んだら用事中に体調が悪くなりそうだ。帰りにもここを通る。そのとき飲んでみようかなと思って通り過ぎ、用事を済ませて戻ってみると大行列になっていた。ざっと数えて30人、さっきいなかった警備員も出現し真顔でプラカードを掲げている。ほほうと思った。人がいなかったのはたまたまだったのか。その日は諦め田舎の自宅へ帰宅した。なんだかすごく悔しかった。タピオカが飲みたいのかと言われるとよくわからない。味の想像もつく。最初に行列を見た時点では別に飲みたいとすら思っていなかったのに、行列→空いてる→スルー→行列という流れが悔しい。次こそは、と思った。そしてそれから約1ヶ月後10月末日、平日、市内で用事ができた。またあのタピオカ屋の前を通る。
 その日の用事は2件あった。午前中から打ち合わせしつつ昼食、移動して夕方から別の会議、時間と動線からすると用事と用事の間にタピオカを組みこめる。ちょっとくらいの行列も多分大丈夫だ。1件目の打ち合わせが済み、コーヒーを飲みつつ話していたカフェでランチを食べた。パンとサラダ、キッシュ類、結構ボリュームがあった。食べ終え、挨拶をして店を出る。満腹だが時間にはまだ余裕がある。腹ごなしに少し歩いてからタピオカに並ぼう。私は平和記念公園へ行った。川があり木々が紅葉している。もちろんさまざまな慰霊碑もある。秋晴れの平日、道路には修学旅行のバスが並んで駐車され、小学生、中学生、高校生、制服姿や私服の子供たちがたくさん歩いていた。昔ながらの首元スカーフに小さい帽子姿のバスガイド、小旗の後ろをぞろぞろ歩いている高校生は制服姿で、紺色ブレザーに紺×濃緑色チェックのスカートかズボン、その日の広島は好天で気温も高く、暗い色の冬服は暑そうだった。スタンプラリーでもしているのか、5人くらいの班になって修学旅行のしおりらしき小冊子を持ってうろうろしている小学生がいた。私服で、男女ともにパーカー姿が多い。関西弁だ。全員ナップザックを背負っている。家庭科で作ったやつだろう。男子の大半がEDWINのロゴの入ったキルティング生地のだった。私も小5か小6の家庭科でナップザックを作った。いくつかの生地から選ぶのだが、私のときも男子は同じ1つの布に人気集中していた。女子のナップザックはいろいろだった。キャラクターもの、動物、お菓子柄、ロゴ、公園には外国人の観光客も目立つ。高校生の冬服と対照的に、緩めのタンクトップに短パンサンダルサングラスだったりする。ベンチで座って休んでいる家族、手をつないで歩く2人、碑やその説明文の写真を撮っている人、肌の白い人黒い人褐色の人黄色い人、様々な年齢の人がいる。ついと、1人のナップザックを背負った小学生が、ピンク色の肌に明るい茶色い髪の毛の両親と金色の髪の5歳くらいの子供という3人家族に近寄ってハローと言った。聞こえなかったのか家族は行き過ぎた。女の子は立ちすくんで班の他のメンバーを見た。別の小学生が走って家族の前に回りこんでハロー! と叫んだ。家族は止まった。小学生はさらになにか言った。家族はなにか答えている。班の他の子たちが近寄って、家族をとり囲みしおりになにか書きこみ始めた。どうもインタビューをしているらしい。私の前を同じ学校の生徒とおぼしい、別の班の集団が通った。手に持ったしおりに『インタビューミッション』という文字が見えた。「どうやったら話しかけれるんー」インタビューを終えた班に、まだらしい班員が質問した。「えー、めっちゃ元気にな、ヘローって言ったらええやん」「さっき無視されたしー」「ちゃんと顔見て言わんと気づかれんで」「でもー」「言わな終わらんでー」言わな終わらん、ということはこれは課題、修学旅行生に、外国人観光客に話しかけてインタビューさせるという課題を全員(というか全班)やらないとだめなのか。見ると、同じようなインタビューを試みている修学旅行生はたくさんいて、服装や持ち物から2、3校が同時に行っているように見える。「原爆の子の像のとこ外国の人多いんちゃう」「いってみよ」私はベンチに座った。しばらく眺めていた結果、彼らはそういう指導なのか自己判断なのかアジア系の人や肌の色の濃い人には話しかけない。さらに気難しそうな顔をした老人とか、腕からタトゥーが見えている黒レザーベストのパンクロック風おじさんにも話しかけない。欧米系に見える、気さくそうな優しそうな家族連れとかカップルにばかり話しかける。しかし、いくら多いと言ってもそこにいるそういう外国人観光客の数には限りがある。結果、児童たちは繰り返し同じ人を捕まえてインタビューをしている。あそこを歩いている、優しそうな顔にカジュアルなファッションの赤と栗色の髪の2人組なんてもう2歩3歩歩くごとに違う班の小学生に捕まって顔を見合わせて苦笑している。いやこれはよくない。観光客の人はわざわざお金と時間を使ってここに来ているのだ。自分たちが見たいものを見て知りたいことを知るために、その時間を日本の修学旅行生が奪う権利なんてない。無報酬だろうし、と思ったら1人がセンキューと言ってなにか小さいものを渡した、模様の入った紺色のもので、おそらく折り紙で作ったなにかだと思われた。中に金一封入っているとも思えない。笑顔で受けとっている観光客の人、そりゃまあ、現地の子供と会話できて嬉しい人もいるかもしれないが、でもそれが次々次々現れて、あの人いけるぜってなったら違う学校の子も寄ってきてキリがない。耳を澄ますと子供たちは1番好きなスポーツはなんですかとか聞いている。聞かれた方も聞き返している。え? スポーツ? 私の1番好きなスポーツ? 広島もなにも関係ない。好きな日本食はなんですか。好きな歌はなんですか。日本に来るのは何度目ですか。「平和公園インタビューの結果、アメリカの人は野球よりフットボールが好きだそうです、一方イギリスから来た人は…」とか発表させたいのか。その時間、子供たち自身も平和公園の碑を見たり資料館をじっくり回ったほうが広島に来た意味があるのではないのか。私は腹が立ってきて、彼らを引率している先生がいたらどういうつもりでこんなことを子供らに課しているのか尋ねてみたいと思って目で探したが、子供の近くにいる大人はカメラマンらしき人ばかりで、これが彼らの先生だと断定できる姿が見えない。隠れてるのか。それとも先生同士集まって次の打ち合わせをしているのか。生徒が頼れないように遠くから見ているのか。ハロー! メイアイアスクユーサムクエスチョンズ? マイネイムイズナントカ、ワッチュアネイム?
 そろそろ時間的に移動した方がいい。私はしょんぼり立ち上がった。タピオカ屋まで歩きながらいろんな思いが去来した。悔しさ、悲しさ、申し訳なさ、私の子供も小学生になって修学旅行に行ったらあんなことをさせられるのだろうか。タピオカ屋には誰もいなかった。やはり平日の昼ごろなら空いているのだ。店の前には若い女性がメニューを持って立っている。呼びこみをするとかでもなく微笑みを浮かべてただ立っている。黒いポロシャツの制服、私が近づくと「こんにちは」と言ってメニューを差し出してくれた。メニューにはいろいろな文字が印刷してある。こんにちは。メニューいっぱいありますね。「そうですね。ゆっくりお選びください」タピオカミルクティー(紅茶、ジャスミン茶、ウーロン茶、ほうじ茶)それぞれMサイズ480円、Lサイズ540円。タピオカなしのお茶はM280円L340円、ということはタピオカ1杯分200円か。あとは黒糖タピオカミルク(M530円L590円)とか宇治抹茶黒糖タピオカミルク(M560円L620円)、トッピングとしてナタデココ(60円)とかオレオ(60円)とか仙草ゼリー(60円)とかがある。店員さんにお勧めはどれですかと尋ねると「えーと、これですね」と黒糖タピオカミルクを指差し、「お客さんは抹茶味は好きですか? もし好きだったらこちらもおいしいです」と宇治抹茶黒糖タピオカミルクを指した。ミルクティーじゃないんですねと言うと「ミルクティーももちろんおいしいですよ」店内の、路面から少し奥まったところに注文カウンターがある。入っていって、カウンターの中の男性店員さんに紅茶タピオカミルクティーMサイズを頼んだ。「甘さどうしますか」甘さ? 見ればメニューには甘さ0%、30%、50%、70%、100%と書いてある。その下に氷なし、少なめ、普通、多めという選択肢もある。甘さ100%が普通の甘さでそこから減らせるという意味なのか。それとも標準は50%で、それより多いか少ないかなのか。ええと、甘さ、お勧めはどのあたりですか? 「お勧めは70%ですね」じゃあそれで。氷は少なめでお願いします。「甘さ70の氷少なめですね。すぐ飲みますか?」はい。すぐ飲みます。「では少々お待ちください」注文カウンターの脇に、路面からは見えなかったが壁がボコっと凹んだようになってゴミ箱が置いてある。壁際には細いカウンターもある。ここで待って、そのまま立って飲んでもいいようだ。注文カウンターの向こうはそのまま厨房になっている。注文を受けた店員さんではない女性店員さんが奥から出てきて、男性店員さんが私の注文を伝えた。日本語ではなかった。というか、外でメニューを見せてくれた人もレジの人も皆おそらくアジア系の外国の人だった。タピオカだから台湾だろうか、観光客だけじゃなくて、日本はすでにたくさんの外国から来た人が暮らして働く国になっているのだ。その彼らをちゃんと歓迎しも受け入れも下手したら感謝しもしていない報道が絶えない状況で、いろいろな差別が消えないどころかどんどん目立っているこの国で、子供たちに見た目が欧米っぽい観光客だけ選んで英語でインタビューさせる意味ってなんだ。だいたいその人の話す言葉なんて見た目じゃわからないのだ。変なルッキズムみたいなのを培養するだけじゃないか。意外と提供時間が長い。大行列だったときは大変だっただろう。今は厨房に1人だけど、ここにマックス、例えば10人くらいスタッフが入ったとして、甘さが何%だ氷がどうだトッピングだなんだというオーダー通りに調理することを想像しただけでドキドキする。私の分の飲み物を作ってくれていた女性がカウンターにカップを置いた。白い蓋がついている。男性が「お待たせしました」と言って、太いオレンジ色のストローを刺してこちらに差し出した。Mサイズだが相当大きい。ずっしり重い。どうもと言って横のカウンターにもたれて一口飲むとぬるい。氷少なめってぬるいのか、容器を横から見ると上に四角い氷が浮かんでいる。ストローで上下に攪拌してから吸うと少し冷えた。甘さは、これが70だと言われたらそうかと思う、ペットボトルのミルクティーよりやや甘さ控えめくらいだろうか。これより甘くなかったら物足りないんじゃないだろうかという、まさにお勧め濃度だった。そしてタピオカ、口に入ると見た目よりかなり大きい。噛みでがある。全部で何粒くらい入っているのか相当数沈んでいる。むぎゅむぎゅ、若干こきこきした歯ごたえがある。噛んでいるとタピオカは想像より甘い。もっと薄甘いような、甘いといえば甘いけどくらいの甘さかと思っていたが、食べた印象としては広島県庄原の和泉光和堂の乳団子くらい、甘ったるいわけではないけれど十分甘い。50代に見える男女がやってきた。手をつないでいる。「ええとねえ、宇治抹茶黒糖タピオカミルクのL!」ショートカットの女性が注文した。「わしはね、普通の紅茶のタピオカ、Lね」「紅茶はミルクティーでよろしかったですか?」「うん? そうミルクティー」「ミルクティーは甘さはどうしますか」「甘さ? ええとねえ、じゃあ50%で」「氷の量はどうされますか」「普通かね」「普通じゃろうね」「はい普通で。すぐ飲みますか?」「うんすぐ飲みます」「お会計ご一緒ですか」「うん一緒ね」「1160円になります」私はストローを吸いながらスマホで「修学旅行 外国人観光客」と検索しようとした、すると「修学旅行 が」ですでに「修学旅行 外国人インタビュー」という変換候補が出た。「修学旅行で外国人にインタビューしよう」的なページがずらっと並ぶ。学校側が、うちの修学旅行ではこういうのをやりますよとアピールしているようだ。試しに1つ開くと「ねらい…修学旅行で外国人旅行者に自己紹介や質問する活動を通して使える英語を経験し英語でコミュニケーションすることの楽しさや達成感を味わう」云々と書いてある。だったら、例えばその学校の地元に観光で来る外国の人から希望者を募って、子供たちが無料で地元を英語でガイドするとか、そっちの方がよくないだろうか。それなら街の歴史とかおいしいお店とか、子供たちが外国の人に伝えられる情報だってあるだろうし。検索画面を下に行くと、インタビューされたよ、と外国の人側がYouTubeにあげているらしい動画もあった。ああいうのは迷惑だし非常識だ、やめた方がいいという意見もあった。そりゃそうだ。やっぱりもし私の子供の小学校でもこれやろうとしてたら苦情の手紙を出そう。英語力やコミュ力醸成よりも、損なってしまうものの方がきっと大きい。なんでタピオカ屋でこんな悲壮な気分にならなきゃなんないのか。いつの間にかさっきちょうどいい甘さと感じていたミルクティーが全く甘くなくなっていた。噛みしめるタピオカの甘さのせいか。甘さ0と言われてもそうかなと思いそうだ。そして、液体と比べて、タピオカの減りが悪い。どう考えてもミルクティーが先になくなる。どうしたらちょうどよく吸い終われるのか。容器を回してタピオカを浮かせてみたりストローを上下させてみたりしたがあまり意味がない。というか、タピオカが沈んでいる底にストローを刺すのが一番効率的であって、それで液体との比率が違うんだからあがいたほうが事態は悪化する。どうしたものか。待っていた男女連れにタピオカが来た。Lサイズだから大きい。2人は楽しそうに来た来たと言いながらカップを受けとり、代わり番こにそれぞれの写真(カップを顔の横に掲げてにっこり顏)を撮ると店を出て行った。歩きながら飲むのだ。どうやって吸いきれるのか。女子高の制服を着た女の子3人がやってきた。「無駄使いかなあ」「いいじゃん、いいじゃん」3人でLサイズの宇治抹茶黒糖タピオカミルクを1つ頼み(人気だ)「持ち帰りでお願いします」「620円です」「あ、すいません大きいのしかないんですけどいいですか」「はい5000円札ですね」とうとうミルクティーがなくなった。タピオカはまだ残っている。仕方なく、ぴったりはまった白い蓋を外し、カップにストローをじかに刺し、1粒ずつタピオカを狙って吸った。ミルクティーなしのタピオカはさらに甘い。私は満腹になっていた。ようよう全てのタピオカを吸い、容器をゴミ箱に捨て、店を出た。メニューを持って立っている女性にごちそうさまでしたと言った。帰宅して子供に今日お母さんはタピオカというものを飲んだよと言った。タピオカっていうのはね、丸くて黒くてね、「ええー! ずるいー! タピオカー!」え、タピオカ知っとるん?「しっとるよ! なんとかくんもなんとかちゃんもタピオカのんどるよ! いいないいなおかあさんずるい!」じゃあ今度、タピオカ売ってる店に行ったら飲んでみようね、なんかむぎゅってしてるから、飲むっていうかよく噛んでね。「うん! やったー」あと修学旅行でさあ、と言いかけて、いやでもまあ、本人はまだ保育園だしなと思って言うのをやめた。そもそもこの辺の小学校が修学旅行でどこへ行くのかも知らないし、この子の世代で修学旅行が普通にあるのかだってわからない。「タピオカ、おいしかったん?」うん、おいしかったよ、甘かった。

庭

小山田浩子

2018/03/31発売

それぞれに無限の輝きを放つ、15の小さな場所。芥川賞受賞後初著書となる作品集。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小山田浩子

1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『』『小島』『パイプの中のかえる』など。

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