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小さい午餐

2019年12月11日 小さい午餐

ブライアントパークでピタサンド

著者: 小山田浩子

 11月末にアメリカへ行った。小説が英訳されアメリカで出版されたのを記念して国際交流基金という団体が招いてくださったのだ。成田から約12時間半でボストン、2泊してニューヨークへ移動後4泊して14時間半で羽田という旅程で、ボストン大学で1回、ニューヨーク大学で1回、ニューヨークの書店で2回トークイベントをする。普段ほとんど他人と話さない生活をしているのに外国で人前で話すなんて不思議だと思う。アメリカは2度目で、前回とても楽しかったから今回も楽しみだし、やっぱり緊張もする。英語がほぼ話せない不安、現地では国際交流基金の野崎氏が随行してくれるという話だから安心、そこまでしてもらってイベントがあちゃらかな出来だったら申し訳ない、1週間子供と離れるのは寂しい、1週間ご飯作らなくていいのはうれしい、出版されたのはデビュ−作である「工場」の英訳『THE FACTORY』で、書いたのは10年近く前になる。仕事を終えた夜と休日にこつこつ書いた小説が私を世界に連れて行ってくれる、当時の私は聞いても信じなかっただろうし今もちょっと信じられない。雲が見たいので窓際の席を頼んだ。
 イベントではお客さんを前に話をする。翻訳者のBoyd氏や編集者のKogane氏が対談相手になってくださる。野崎氏はじめ基金の方も後ろで微笑みつつ聞いてくださっている。予定は無事進み、私が認識する限り大失敗や大失笑のようなものも多分なかったように思う。本を出してくれた出版社であるNew Directionsも訪ねた。事務所のベランダに大きな鉢植えが並んでいて「私たちの菜園です。これは桃でこっちはブドウ」葉を落とした枝が景色を区切るように伸びて光って影になっている。室内にはコケを育てているというガラス容器があり、中には灰色や黄緑、深緑のコケがふかふか生えて内側がかすかに蒸気で曇っている。空き時間にはボストン美術館とメトロポリタン美術館(本館と分館)に案内してもらった。平日だったためか館内は空いていて、小学生くらいから高校生くらい、あるいは大人のグループが講師に引率されてやってくる。「この絵は有名な人を描いたものですね。誰かわかる人?」講師の声に子供たちが手を挙げ「ジョージ・ワシントン!」よくわかりますねえと言うと野崎氏が「あれは有名な、ワシントンが凍った川を渡っているシーンを描いているんですよ」と教えてくださる。「では、この絵からジョージ・ワシントンのなにがわかるでしょう?」「勇敢さ!」「そうね、その通りですね」「おしゃれさ!」「まあそれもいいですね! この服はかっこいいものね」講師は多分そんなような意味のことを言って小さく手を叩いた。もっと大きな、10代に見える子たちは少しけだるげにメモを取りながら絵を見ては、時折顔を寄せてつつき合い笑ったりしている。全体的に日本の美術館よりも穏やかな空気だ。うるさくはないが携帯電話が鳴ったりすると普通にみんな出て話す。「ここは公園じゃないんだから静かにね!」と幼い子供たちに告げる先生の声もそれなりの音量だ。いいなあと思う。日本では小さい子供を連れて美術館に行くと本当にびくびくする。ほとんどの作品は写真撮影可で、女性たちが絵の脇に立って写真を撮ってはスマホの液晶を見せっこしている。
 昼食と夕食は基金や出版社の皆さんと一緒に食べた。今回最後のイベントは帰国前日の土曜日14時からニューヨークの紀伊國屋書店で予定されていた。「13時半にお店に着けば十分ですから、午前中どこかへアテンドしましょうか」と野崎氏は申し出てくださったのだが、1回くらい1人でお昼を食べようと思って現地集合にしてもらった。ホテルから紀伊國屋はグーグルマップによれば頑張れば徒歩圏内だし、地下鉄のカードも1週間有効のやつを買っている。グーグルマップと相談し、朝ごはん、セントラルパーク、セントラルパーク動物園、グランドセントラル駅という有名な駅、その駅構内にあるマーケットでお昼を買い紀伊國屋のすぐそばのブライアントパークという公園で食べてからイベント、という計画を立てた。全ての移動を徒歩ですることも可能だし地下鉄に乗ってもいい。時間には相当余裕を見たつもりでアラームをセットして寝た。
 朝ご飯はセントラルパークのすぐそばのホテルの地下にあるフードコートへ行った。朝から営業していて宿泊者以外も利用できるのだと前日教えてもらった。立派なホテルで、近づくとドアに「この出入り口は宿泊者のみ利用可」みたいなことが英語で書いてある。ドアはつぎつぎ現れるものの同じことが書かれた札が立っている。本当にここに誰でも入っていいフードコートなんてあるのか、建物の角を曲がるとようやく札のない回転ドアがありエスカレーターを降りるとフードコートがあった。サンドイッチにスープシーフードパンお菓子、いろいろな店があるが開店前の店もあって、既にオープンしている店はどこも結構混んで見えた。店のカウンターで食べている人、歩きながら品定めしている人、自由に使えるテーブルに持ち寄るようにしている家族連れ、なににしようかうろうろして1軒のカウンターに座る。そこはオープンサンドの店で、カウンターには皿とナイフとフォークと布のナプキンがセットされている。ブレックファストメニューとしてアボカドサンドやサーモン半熟卵サンドなどと書いてある。私の隣には10代に見える女の子が2人並んで座っていて、大きな透明カップに入ったジュース(オレンジ色と赤)と薄茶色の紙にくるまれたサンドイッチ、ナイフとフォークが添えられたパンの皿を前におしゃべりしている。パンの上にはスモークサーモンが載っている。茶色のボアコートを着てメガネをかけた女の子がぱくりと口に入れる様子が魅力的だったので私もそれを頼む。頼むったってサーモンサンドプリーズと言いながらメニューを指さすだけ、そして、そう言って指さしたのに「アボカドサンド?」と聞き返される。いえこっちのサーモンの。「サーモンね」あとラテも。「ラテね。すぐできますよ」髪を紺色のネットでまとめた女性が調理を始める。カウンターの内部には大量の殻つき卵が水に浸かっているコンテナやコーヒーマシーン、刻んだ生野菜が入った巨大な四角い容器などが並んでいる。カウンターの私の真正面にはジュース絞り器がある。上に透明な太いパイプがあってそこにオレンジをつっこむと私から見て右のノズルからジュースが、左のノズルから絞りかすが出てくる。ジュースはじわっと出てきて、絞りかすはズボッと出てくる。ジュースだけ持ち帰る人もいて、3人いるスタッフの1人はずっとジュースを絞っている。1人が、生野菜でいっぱいの四角い容器を持ち上げて、同じサイズの空容器に中身を移動させようとしている。あまりにぎっしり詰まっているのと同じ大きさの容器は少しずれると中身が溢れるために作業は難航し、容器を傾けるのを途中で諦めたスタッフは容器を作業台に戻すと何事かヘアネットの女性に笑いながら言って台上に落ちた野菜を手で示し、ヘアネットの女性も笑って答えた。サーモンのオープンサンドは薄切りパンの上にスモークサーモンと硬めの温泉卵状の卵、刻んだ緑のハーブ、傍に四つ割レモンが添えてある。パンにはバターかサワークリームと思しき白いものが塗られている。私に皿を出してから、彼女は私の隣の2人連れに「お味はいかが?」と尋ねた。おしゃべりしていた女の子が「すごくおいしい! このサンドイッチ(と紙に包まれたサンドイッチを示す)は全然ダメだったから」「どこのサンド?」「あっちの(とフードコート内の別の店と思しきあたりを示す)」「あらそーお。ゆっくり楽しんでね」「ありがとう! ほんとなにこのサンドまじ最悪なんだけど」(多分)穀物の粒入りパンはトーストしてあってほの甘く、サーモンの薄切りが何層にもひらひら重なって柔らかく程よく脂っこく、ラテよりシャンパンかビールが飲みたい、女の子たちはしばらくおしゃべりしてからサーモンサンドは平らげ紙包みサンドは席に残し会計して去った。不評のサンドと下に沈殿した繊維が残ったジュースカップをスタッフが下げた。あらかた食べ終えた頃にヘアネットの女性が「お味はいかが?」とてもいいです、あの、あとホットチョコレートを持ち帰りでひとつください。それからお会計お願いします。「ホットチョコレートね? すごくおいしいやつね」彼女はそう言うと大きなスプーンでチョコレート色の粉を掬って紙カップに入れた。ラテを飲み終え、そういえばこういう店はチップはどうなるのか、席まで持ってきてくれる店では会計の20パーセントくらいのチップが必要でファストフードとかセルフサービスはチップ不要と習ったがこういう、カウンターから直に飲食の場合はどちらだろう。フードコートだけどナイフとフォークは金属製だし…迷ったがまあ一応と思っていると、ヘアネットの彼女に電話がかかってきて彼女がそれに出たため彼女が作ったホットチョコレートを出して会計してくれたのが別のスタッフで、本当は多めに出してお釣りはいらないですと言おうと思っていたけどこれじゃあ誰にあげたのかわからないしなと思って定額支払ってお釣りももらってから紙幣をカウンターの外に出て会話中のヘアネットの彼女に渡して店を出た。携帯を耳に当てたまま彼女は手を軽く胸の前に当てて会釈してきた。これでよかったのか、むしろ会計してくれた人に、あるいは両方渡すべきだったのか、カードで払って上乗せすれば済んだのか、慣れないせいかチップを渡すとむしろなにか悪いことをしているような気になる。
 ホットチョコレートを飲みつつセントラルパークを歩く。甘くて熱い。いい天気で、造花で飾られた観光馬車がポクポク進んでいる。木と木の間を灰色のリスが走っている。散歩中の犬がたくさんいる。狼みたいな犬やチャウチャウ、毛がクリクリで大きな犬、ゴールデンレトリーバー、白いの黒いの茶色いの、皆穏やかで礼儀正しく、リスを追いかけるとか他の犬にケンカをふっかけるとかせず楽しそうにしている。サークル活動なのか大人数で走っている老若男女、黒っぽいどんぐり、小さいギンナン、寄付した人の名前のプレートがはめこまれた木のベンチ、期間限定らしい白いスケートリンク、池に対岸の木々が映っている。開園直前に動物園に行く。チケット売り場には短い列ができている。基本的にカードで支払うことが多かったがもう明日帰国で、いくらか両替してきた分はこちらで使ってしまいたい。それもつい大きめの紙幣で払うため財布に小銭が溜まっている。セントの桁まで払おうと思って掲示されている金額分の小銭を数えてから、大人1枚、4Dシアターなしのチケットでと頼むとなにか聞き返される。聞き取れず聞き返し繰り返されても全くわからない。チケット担当の人は私の様子を見て肩をすくめるとじゃあいいですみたいな仕草で金額を言った。私が数えておいた金額とはどうも違って聞こえた。私は出していた小銭をしまってカードで支払った。動物園は小規模だったが面白かった。熱帯鳥園では頭に飾り羽を立てたきれいな鳥が2羽、突然私のすぐ目の前に降り立って蹴り合いを始めたのでびっくりした。ハキリアリがいて、葉っぱを切って輸送している行列が見えた。グリズリーが大きかった。雪豹がいないなと見回していると孫らしい幼児を肩車している男性が指さして教えてくれた。雪豹はこちらにお尻を向けて寝ていた。動物園は丹念に見て回っても1時間半もかからなかった。時間に余裕があったので地下鉄に乗ることにした。普通は多分時間に余裕がないから地下鉄に乗ると思うが不慣れなので逆に時間ギリギリだったら乗りたくない。現在地から検索しグーグルマップが指示する路線の地下鉄駅に降りて路線番号を探す。電光掲示板にどこそこ行きはあと何分、という表示が出ている。それによるともうすぐ来るやつに乗ればいい。そうかと思って待っているとやってきたのは別の路線番号を掲げた電車だった。あれ、と思ってやり過ごす。電光掲示板には件の路線は到着予定あと0分と出ているのに来ない。0分て、と思っていると急にその文字が13分に変わった。どういうことだ。このホームじゃないのか、不安に思ってグーグルマップを見る。ここから徒歩だと20分。13分後に正しい車両が本当に来るかどうかもわからないし、ホームが間違ってるならそもそもダメな話だ。また階段を上って地上に出て歩き出した。ニューヨークの地下鉄は出るときはカードを通す必要がない。
 グランドセントラル駅は巨大だった。天井には星座を模した壁画、いろいろな行き先の表示とあっちからこっちから大量の人、マーケットには生魚や果物やお菓子、スパイスの専門店が並んでいる。お昼はなににしようか、駅の中にはフードコートやオイスターバーもある。牡蠣いいなと思ったが混んでいたのでここでもフードコートを見る。中華、サンドイッチ、ベーカリーチキンドーナッツハンバーガー、店によって混み方が違う。ほどほどの混み方の店を見つけて並ぶ。中東系のピタサンドで、中身やトッピングを選んで注文する。チキンにラムに野菜と具が並んでいる。私はファラフェルという、焦げ茶の小さい(ピンポン玉よりやや小さいくらい)のコロッケ状のもののピタサンドを頼んだ。タヒーニソースと書いてある。タヒーニソースはねりゴマをどうにかしたようなものだ。ビニール袋に入れてもらったサンドを下げて外に出た。公園ではホリデーマーケットが開催中だった。いろいろな、屋台と呼ぶにはちゃんとした、屋根も壁もある小屋が並び、食べ物や雑貨やおもちゃなどを売っていてここにもスケートリンクがある。子供も大人も楽しそうに厚着して滑っている。空いていたテーブルつきベンチに座ってピタサンドを取り出し両手で持つ。白い紙とアルミホイルで包んである。とても重い。ほのあたたかく湿ってかすかなスパイスの香り、小型犬を両手で持ち上げ顔をのぞきこんでいるような気がした。ピタパンの開口部からレタスやほうれん草、千切りニンジンなどの生野菜と焦げ茶色のファラフェルがいくつも見えている。ピタパンは日本でも見るようなサイズだがぱんぱんに具が詰め込まれて横腹が膨れ上がっている。ファラフェルを齧ると中身は薄い緑色で、黒ゴマや刻みハーブなどが見える。パン粉やてんぷら的な衣はついていないがこんがり揚がった外側は香ばしく、中身はしっとりふかふかした歯触り、ゴマの食感、生野菜、ピタパン、ソース、塩気や油っ気もあっさりして舌に馴染んでおいしい。体にも良さそうだ。検索するとファラフェルはひよこ豆もしくはそら豆を潰して作るらしい。ということはこの緑色はそら豆か、香辛料もきつくなく例えば辛味などはまったくない。おそらく、レジの脇あたりに置いてあった(ような気がする)ソースやスパイスで適当に塩梅するのだろうが私にはこれでちょうどいい味だった。隣のテーブルに、ホリデーマーケットでなにか買ってきたらしい男女2人連れがやってきて座った。紙容器のフタをあけると中はパンが丸くてツヤツヤのハンバーガーだった。ハンバーグは白いソースかとろけたチーズで覆われ、太いフライドポテトが添えてあって湯気が立っている。女性はプラスチック製のナイフとフォークでハンバーガーを切り始めた。男性は大きな紙カップをそれぞれの前に並べた。おそらく日本人らしい若い女性が、背の高い髭の生えた男性と寄り添ってやってきて私の正面のベンチに座った。正面なのに木が植えてあるため彼女の膝から下以外は死角になっていて見えない。どうして単なるアジア系の顔、というだけでなく日本人だと思ったのだろう、服装かメイクかなにかがどうにも日本っぽい。足を揃えて斜めに流した女の子は、ショートブーツの足首もぴったりくっつけてときどきそれを地面から浮かせてかすかに左右に揺らした。その仕草は顔も手も見えない彼女のうれしさや楽しさを示しているように見えた。豆の素朴な味、歯ごたえのある生野菜、もっちりしたピタパンとぺたっとしたソースの組み合わせは最高だが非常にお腹にたまる。食べ始めて中盤より前に、これは到底全部食べられないということがわかった。齧っても齧っても手に持っている方の重さが変わらないのだ。もったいない、でも、この後イベントがあるのに無理して満腹を超え気分が悪くなったらとてもまずい。足元を鳩が歩いている。雀もいる。どちらも、日本と同じ顔つきのと違って見える容姿のがいる。雀は特に顔の隈取りというか模様が薄い。食べ物が潤沢なのかよく肥えている。少し離れたところに座っている、ダウンにニットキャップの女の子たちがポップコーンを空中に投げあげたのを口で受け止めたら喉に入っちゃっておえぇ、というののジェスチャーをしては体を折り曲げてげらげら笑っている。誰も別にポップコーンを食べてはいない。全部食べきれないと決まったらあとはどこまで食べるかが問題だ。全部は無理だとしてもできるだけ、でも、できるだけのリミットとはどこか。刻みレタスがはらはら膝の上に落ちる。奥歯で黒ゴマが弾ける。口の端についたソースを舐める。もうやめようか、でももう少しもうちょっとあと1口、今のは野菜ばっかりだったから、いまこの食べかけのファラフェルは食べちゃおう、具が減らない。周囲のパン皮だけは減っていって、なんというかもうピタサンドというかファラフェルと野菜とソースをアルミホイルで包んでこぼさないように両手に保持しているような状態だ。もうここまでにしとこうと決めて1口、噛んで噛んで噛んで飲みこんで水を飲んだ。申し訳ない、と思いながら袋の口を縛り紀伊国屋書店に急いだ。いつしか時間ギリギリになっていた。
 その日のイベント後、野崎氏とBoyd氏とKogane氏にニューヨーク公共図書館(ワイズマンの映画が今年日本で話題になった)を案内してもらってから、さっき見たグランドセントラル駅のオイスターバーで生牡蠣をごちそうしてもらった。カキフライとトマト入りのクラムチャウダーも食べた。生牡蠣は砕いた氷と海藻の上に並べてあってケチャップ風のソースと酢とレモンとホースラディッシュが添えてあり塩辛くて甘くて柔らかくて歯ごたえがあってありがたくて泣きそうだった。さっき無理してサンドイッチを全部食べなくてよかったと思った。同時に胸も痛んだ。「ニューヨーク最後の夜ですね」本当にありがとうございました、お世話になりました。明日は9時にホテルを出て昼過ぎの飛行機に乗って機内食を2回と軽食を1回食べたら翌日の17時に羽田空港に着く。

庭

小山田浩子

2018/03/31発売

それぞれに無限の輝きを放つ、15の小さな場所。芥川賞受賞後初著書となる作品集。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小山田浩子

1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『』『小島』『パイプの中のかえる』など。

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