シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

村井さんちの生活

 先日、覚えのない荷物が届いた。とても大きな箱に梱包されたそれは、送り状を見ると、どうも自分で注文したらしい。しかし、まったく記憶にない。恐る恐る箱を開けてみたら、中から巨大なやかんが出てきた。なんなんだ、この大きさは! 野球部のマネージャーでもあるまいし、なんでこんなものを注文したのだ、私は!?

 急いでデスクまで戻り、発送元ショッピングサイトの購入履歴を確認してみると、確かに私が買っていた。容量約6リットルの立派過ぎるやかんだ。注文した日付を見てはっと気づいた。ははぁん、久しぶりにやってしまったか。実は私には、仕事終わりの一杯で酔った時に、わけのわからない買い物をしてしまうクセがあるのだ。そういえば注文をした日の晩は、一人寂しく飲んでいた。酔っ払いの私からシラフの私へのプレゼントだとあっさり納得して、ありがたく使うことにした。

 それにしてもこんなに大きなやかん、どうしたらいいのだろうと考えたが、とりあえず水をたっぷり入れて、石油ストーブの上に置いてみた。大きい。見れば見るほど大きくて、滑稽だ。こんなに大きいやかんがある家庭って、この辺りでもうちだけじゃないだろうかとクスクス笑っているうちに、あっという間にお湯が沸き、注ぎ口から湯気が出てきた。なんだかとても懐かしい光景だ。小学校の職員室に置いてあるような、そんな雰囲気だ。うん、気に入った。これはいいよ。グッジョブ、酔っ払いの私!

 大きなやかんで沸かしたお湯を使って、大好きな和紅茶をたっぷり淹れ、愛犬ハリーとソファに座った。しゅんしゅんと小さな音を出すやかんとストーブの火を眺めていると、ついついゆっくりしてしまう。翻訳原稿がスケジュールから遅れ気味だし、連載原稿の締め切りも迫っている。でも、少しだけだったらいいよねと、買ったばかりの心理サスペンスのページを開いてみる。最初のページから引き込まれてしまう。たぶんこれは、傑作だ。寒い冬の日、ストーブの火に当たりながら愛犬を撫でつつサスペンス小説を読むなんて、これ以上の贅沢があるだろうか。

 中学生の頃から、時間があれば本を読んでいたように思う。休み時間は図書館が私の居場所であったし、実家の書棚は冒険への入り口だった。なかなか最後まで読めなかった純文学だって、本を手にしていれば、何となく理解できた気分になったものだ。意味はわからなくても、それでも大人に近づけたような気がした。

 高校生になると時代小説に夢中になり、テレビで時代劇を必死に見るようになった。あっという間に、好みの男性は長谷川平蔵と大岡越前という残念な女子高生が出来上がった。やがて女性作家による恋愛小説に胸を高鳴らせるようになり、いつしかハーレクイン・ロマンスに手を伸ばし、脳内に妄想をたっぷり抱えたまま、大学生となった。

 大学生になると、今度はノンフィクションに夢中になった。翻訳ものを意識して読み始めたのはこの頃だ。貧乏学生だったので、常に大学図書館にはお世話になっていた。朝から晩までいたと言っても間違いではない。髪を後ろに一つで束ね、黒縁の眼鏡をかけた司書の女性は、通い詰める私を覚えてくれ、いつも優しく接してくれた。

 大学をかろうじて卒業して働くようになると、経済的に余裕も出て、週末の本屋通いが趣味になった。その頃暮らしていた京都には素敵な本屋が多くあって、電車やバスを乗り継いでは本を物色しに行ったものだった。残念ながら、同じ本に手を伸ばして劇的に巡り会った男性(願わくばヒュー・グラント似の大学教授)と、そのまま恋に落ちるといった、当時夢見ていた展開は一切なかったわけだけれど、本は思う存分買うことができた。帰り道は両手に提げた紙袋いっぱいに、買ったばかりの本を入れて満ち足りた気分だった。今であればインターネット通販であっという間に家まで配達してもらえるけれど、当時、本は本屋で買うのが一般的だったし、それはそれでとても楽しいことだった。思えばこの頃が、なんの制約もなく、思う存分本の世界に浸ることができた時期だった。

 結婚して、独身時代に買った大量の本は、思い入れのある大切なもの以外はすべて処分したはずなのに、今、私の二台の書棚には、再び本があふれかえっている。デスクの上にも山積みで、iPadには電子書籍が山ほどダウンロードされている。次から次へと買う生活が今も続いているからだ。すでに未読の本は百冊を超えているはずだが、未読が何冊に増えようが一向に構わない。万が一私が読めなかったとしても、いつか誰かが読むだろう。

 私にとって本を読むことは、これ以上ない楽しみであるし、学びでもある。素晴らしい作家の紡ぎ出した文章から、ほんのわずかであっても盗みたい。完璧なまでの翻訳文に触れて打ちのめされたとしても、なんとかして食らいつきたい。読めば読むほど自分のなかに蓄積されていく、類いまれなる作家や翻訳家による文章が、いつか、ほんの少しでも自分のものとならんことを。やかんの神様、お願いします!

 

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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