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小さい午餐

2020年7月30日 小さい午餐

スタッフによるビュッフェ

著者: 小山田浩子

 用事があり人と会った。「あーどうも! ご無沙汰してます」あ、え、4ヶ月ぶりとか?「久々ですよねー」彼女も個人事業主、新型コロナウイルス感染症の影響で2ヶ月くらいはほぼ無収入だったと言う。それは大変だったですね。「ほらあの持続化給付金、あれがもう振りこまれてるんで精神的には、まあ…でもね。私より先に申請したのにまだもらってないって人もいてなんだかね」それひどいですね、困ってるのに。「しかも持続化給付金、来年の確定申告で課税対象なんですって」そう、それ、変ですよね。「変ですよー。みんなに10万円配ったでしょうったってね、税金だの国民健康保険だの払ったらもうあんなの全然」みんな言いますね、残らないって…お互いマスクのまま話すのは初めてで、表情がわからないのもあり軽い愚痴なのか深い怒りなのかはかりかねるところがある。前に選挙の話題になったとき彼女と私の考えにはかなり隔たりがあるらしいことも露呈しており、「広島も感染者がまた増えてますし怖いですよね」本当ですよね。「カープも情けないしねえ」そりゃあ調子出ないですよね…「ところでオヤマダさんおでこどうしました?」一昨日くらいから、吹き出物と呼ぶには大きな、しこりというか薄赤い膨らみが額から生え際、頭皮にかけていくつかできている。痛い痒いはなく、ただ、今朝起きたときから、断続的にちょっとちくちくするような感覚がある。あーこれ、虫刺されでもなさそうだしにきびでもないし、単に疲れが出たとかそういうやつかなと思うんですけど。彼女は心配そうに「なんか、会って話し始めたときより、それ、多分おっきく赤くなってますよ」
 彼女と別れると昼時になっていた。「現在地 ランチ」でグーグルマップを見ると聞いたことのないレストランがすぐそばと出た。見回すと確かに小さい看板がある。2階にある店らしい。他に出た候補はチェーン店ばかりだし暑いし歩きたくないしとそこに入った。蝉の声もそろそろ聞こえようかというような、街路樹がすでに焼け始めているような暑さの路上から入ったエントランスは薄暗く静かだった。エレベーターも、大きな花瓶に活けられた生か造花かわからない花も、いま自分が踏みつつある絨毯敷きの床もなぜかとても遠くにあるように見える。レストラン入り口に本日の日替わりランチの生サンプルが置いてある。ポークピカタと白身魚ポワレが1皿に盛り合わせてある。スタッフに指示をしつつこちらにすたすた歩いてくるベストにネクタイ姿の男性が私を見て立ち止まり「いらっしゃいませ」と言った。あ、1名なんですけど。「こちらへどうぞ」男性はレジ脇に置いてあったアルコールスプレーの容器を手に取ると私の手に優雅に吹きつけ、私が両手に馴染ませるのを待って再び「こちらへどうぞ」さっきなにか指示されていた女性2人が順にお辞儀しいらっしゃいませと言った。多分当たり前なのだが全員マスクをしている。
 予想より広い店内にテーブルがゆったり並んでいる。大きな窓の外に緑が見える。もう濃い緑、まだ薄い緑、2階だから木の葉が茂ったあたりがちょうど見え、陽光にぎらついているのがわかる。蜘蛛の巣がある。フロア真ん中に大きな長い台があり、なにかを覆うように白い布がかけてある。「こちらのお席へどうぞ」示されたのは窓際のテーブルだった。店内には2人連れの女性客が私の背後に1組、あとは女性が1人私の前方に、男性が1人私の斜め前に座っている。13時過ぎ、オフィスの昼休憩は終わっている。メニューを見た。ランチはさっきの日替わりが1200円、ミニフィレステーキと魚料理の特製ランチが1400円、あとは牛肉メインのよりぜいたくなものが2000円超えでいくつか、1000円前後のパスタやカレーもある。すべてランチタイムビュッフェつきとある。『パン・ご飯・スープ・サラダ・ミニピザ・オムレツ、デザートをお好きなだけどうぞ』メニューとは別にラミネートされた紙も置いてあり、そこには『ただいまランチタイムビュッフェはスタッフによるサービスとさせていただいております。お気軽にお申しつけください。デザートとお飲物はビュッフェ再開しました。』あの布をかけられた台は休止中のビュッフェ台で、見ればその奥に透明な蓋つきケースに入った果物らしき色と大きなポット類カップ類が見える。日替わりより200円高い特製の写真の方がおいしそうに見えたので水を運んできた女性に頼んだ。「かしこまりました。お肉の焼き加減はいかがしましょう」えーと。年に1、2度あるかないかの、牛肉の焼き加減を聞かれる間合い、答えるときいつも無性に恥ずかしいというか身の置きどころなく感じる。中までしっかり焼きとほとんど生焼き間のグラデーションは、どれだけ丁寧に焼き分けてもらっても私には多分感知できない領域で、だからそちらがやりやすいようにしてくださいという気持ち、どんな焼き方だって牛肉はそれだけでなんというか牛肉なのだし…普通でとかおすすめの焼き方でとか答えたこともあるが、店員さんにかえって困った顔をさせてしまったり、レアっていうのがあってウェルダンっていうのもあってその真ん中が、と説明させたりしてしまったこともある。えーと、ではミディアムで。「ミディアムですね。こちらパンがつきますがプレーンとバターとガーリック、どれになさいますか」以前ならパンはカゴかなにかに盛ってあって自由に好きに取ればよかったのだろう。プレーンでお願いします。「こちらご飯もつくんですが」え?「白いご飯と炊きこみご飯はどちらになさいますか」えーと。パンとご飯、ビュッフェならパンもご飯もなんて普通のことだ、あさりご飯とか新生姜ご飯とか、そういうなになにご飯、ではなく単に炊きこみ、と呼ぶということは薄い醤油色でしいたけとか人参とか油揚とか入ってるやつだろうか。では白ご飯を。「スープが、ポタージュとお味噌汁とありますが」ポタージュで。「サラダとオムレツとミニピザもお持ちしてよろしいですか」はいお願いします。一礼し彼女は去った。四角い大きな氷が入った水を飲む。スタッフによるビュッフェとはパンやらサラダやらがたくさん載ったワゴンが来てあれを1つとこっちもちょっと、とか頼むのかと思っていたのだがそうではないようだ。ビュッフェらしいビュッフェの場合、パンの種類も炊きこみご飯の内容もポタージュの濃度も味噌汁の具もサラダの陣容も一目瞭然だし、量も種類もどれをいっぱい食べてどれはそもそも食べないかも…もちろん、すいませんご飯いらないですパンを3倍くださいとかポタージュも味噌汁も両方欲しいですとか、言えば聞いてもらえたはずではあり、それをしなかったのは私だ。
 先ほどとは違う女性がワゴンを押してきた。ミニピザが盛られたカゴと大皿の大きなオムレツが載っていた。オムレツは大きな紡錘形の1つを大スプーンでざっくり取り分けた後、という感じで、保温皿なのか薄く湯気が出ている。女性は「オムレツお取りしてよろしいですか?」はい。「オムレツにソースおかけしてよろしいですか?」お願いします。彼女がオムレツをお皿に大きく1さじ載せ、そこにトマトのソースを深い小さいおたまですくって添えた。卵から流れ出た黄色いまだ液体のところに少し果肉が残っている赤いソースがにじんだ。「ミニピザお取りしてよろしいですか?」はいありがとうございます。「いつでもお代わりお申しつけくださいませ」ありがとうございます。マスクを取り、卓上に置いてあったカトラリーカゴから個包装の紙おしぼりを出して手を拭いていると最初の女性が来て小皿に載ったフランスパン、白いご飯のお茶碗、カップに入ったポタージュ、サラダ、を私の前に真ん中が空くように並べた。「すぐにメインのお料理お持ちします」ありがとうございます。私はとりあえずスープを飲んだ。バターの味がする濃いポタージュ、ふむおいしいな、本当にすぐメインが来た。白身魚と小さいステーキ、焼き野菜が皿上に三角形を作るように盛りつけてある。皮をこんがり焼いた魚は茶色い艶のあるソースを敷いている。肉には紫を含んだ黒光りするソースがかかり、野菜はインゲンときのことじゃがいもだった。女性にお礼を言い、スープを飲み終え、えーと、と思った。
 いま、私の目の前にはメインの皿、パン皿とサラダ鉢、ミニピザとオムレツの皿、ご飯茶碗、飲み終えたスープカップ、グラスに入った氷水、紙おしぼりと割り箸とナイフとフォークが入ったカトラリーカゴ(スプーンはもう使った)、がある。まずカップを脇にどける。ご飯は私が家で食べる1食弱くらい、約5センチ厚さのフランスパンは軽くトーストしてある。なにからどう食べよう、目移りともちょっと違う、もしこれらがビュッフェ台で目の前に並んでいたら、私は現時点でご飯は取っていないかもしれない。オムレツはメインを食べ終えお腹が空いてたらにしよう、とか思うかもしれない。パンとご飯とミニピザを一度に並べたりしないかもしれない、したかもしれない。通常のセットメニューとも少しずれている、かといって自分で選んだとも言い切れない内容の料理を目の前にして、なにをどうしていいのか、どれもおいしそうなのだが、静かな混乱というか、カゴから割り箸を取りご飯茶碗を左手に持ちオムレツを箸で持ち上げ食べた。オムレツは熱々ではないが温かく、甘いトマトソースと合う。火の通った卵のいい香りがご飯にも合う。ご飯茶碗を片手に盛ったままサラダも食べる、レタスが主体で、あとはきゅうり、トマト、さらし玉ねぎ、野菜はぱりっとしてドレッシングもまろやかでおいしい。ときどき、味もそっけもなく栄養もあるんだかどうだかというようなサラダに遭遇することがある。そんなではない、ちゃんとした野菜料理感のあるサラダだ。白身魚を箸でほぐしソースをまぶす。洋風に油で焼いてあるがソースは甘辛い醤油風味、身は厚く、またご飯を食べてから茶碗を置き、指先を拭ってパンをちぎって食べまた手を拭いてカゴからナイフを出し牛肉を3つに切り箸に持ち替えて食べた。中心がピンクで柔らかい。ソテー野菜も焦げ目がカリッとして焼きたてなのがよくわかる。
 1000円超えのランチでも、出来合いをあっためたのかなとか、こじゃれてりゃいいってもんじゃないぞとか思ってしまうことがある。ビュッフェだとなおさらだ。ここはそういうのとは全然違う、魚も肉も野菜もソースもパンもご飯もスープも全部、温度も味つけも配慮され手がかけてある感じ、つまりとてもおいしい、でもどうしてか、食べながらどんどん落ち着かなくなってくる。ミニピザは、オムレツのとは違う風味のややスパイシーなトマトソース、おつまみみたいな、ぴりっと額が痛んだ。新しい紙おしぼりで手を拭き触れるとまた膨らみが大きくなり中心に硬いかさぶたみたいな感触がある。目立つ場所だし、病院に行った方がいいのか、でも面倒臭い…私の背中側の2人の女性は夫方の親族の愚痴を言っている。私の前方の女性は黙々と食べている。男性客はカップでコーヒー(か紅茶)を飲んでいる。私がここに座ったときから何度か立ち上がりお代りを注ぎつつずっと、勤め人風の服装だが遅い昼休みだろうか。
 皿の上のものを全て食べた。お代わりするなら片手を上げてすいませんとか言えばなんでも多分持って来てくれる、でも、まあ、デザートにしておこうか、立ち上がりビュッフェ台の奥へ行き『デザートビュッフェご利用の方はこちらをお使いください』と書いてある使い捨て手袋をはめ透明なプラスチックの蓋を持ち上げトングで生のパイナップルとオレンジを取る。オレンジは皮が繊細な飾り切りにしてある、わらび餅2切れ、ポットからお茶を注ぐ。角切りにされ粉糖が振ってあるケーキとヨーグルトかなにからしい白いものが入った小容器もあったが取らなかった。『使用済み手袋こちら』というカゴに脱いだ手袋を入れ席に戻ると女性店員さんたちが私の皿を片づけてくれている、ありがとうございます。「ごゆっくりどうぞ」座ってフルーツとわらび餅を食べる。お茶を飲む。また痛みを感じた。ぴりぴりっとごく狭い範囲に電気が走るような、はっとした。私はこの痛みを知っている! 突然思い出した。これはあれだ、何年か前にやった、めちゃくちゃ痛くなるやつ、帯状疱疹だ。
 そのときは腰から太もものあたりに赤いぶつぶつが並んで、服を着脱するたび動くたび泣くほど痛かった。まさか帯状疱疹なんて思わず、だってあれってお年寄りがなるやつという印象で、しかし徐々に増す痛みに耐えかね行った皮膚科で患部を見た医師に帯状疱疹っと指さされた。もっと早く来ないとダメですよ! あの痛さ、間違いない、他にあまり類がない、電気を発し細かく震える極細の針が皮膚に抜き差しされているような、いかにも神経の痛み、やばい、まずい、帯状疱疹という語が頭に浮かんだ途端痛みがくっきりした。幸い皮膚科はここからそんなに遠くない。もったいないがタクシーならすぐだし歩こうと思えば歩くことだって不可能ではない…お茶を口に含みながら立ち上がりレジへ行き会計し店を出る。右を見、左を見、タクシーはいない。歩くならこっちの方角だ、暑い、やっぱり歩くの無理かも、ここを通りあそこへ行く路線のバスはあるだろうか、向こうから日傘のおばあさんがゆらゆらしながら近づいてくる、痛みが増していく、タクシーがきた。
 多分、帯状疱疹がまた、顔にと言うと皮膚科医はカルテを見て「3年前にもですね」3年ですか、もっと前かと思ってました。「ええとですね、最近病気とか出産とかしました? 体力がガクッと落ちるような」いえ特に。「そうですか…いや、私初めてですよ、30代で2回も帯状疱疹になる患者さんなんて」医師はまじまじ私の顔を見た。「あなたの免疫はよほど鈍臭いんでしょうね」はあ…あの、これって人にうつるんでしたっけ? 私いま人に会ったりしちゃってて、あと家族とか。医師はカルテに書き入れながら「既に体に入っている水疱瘡のウイルスが、体力が落ちたり、ですから例えば高齢になったりしたときに悪さをして帯状疱疹が出るんです。ウイルス自体は誰でも持ってるんですね予防接種もあるし。ですから、予防接種がまだの小さい赤ちゃんとか以外にはうつりません大丈夫。では、はい、塗り薬と飲み薬と、あとは処置室で顔を焼いてもらってください」顔を焼いてもらって?「赤外線ね。炎症を鎮めますから」赤外線、3年前もやっただろうか、覚えていない。鈍臭い私の免疫、鈍臭いのは免疫だけでは多分ない。看護師さんが私をパーティションでいくつかの区画に分けられた処置室の椅子に座らせメガネを外し目を閉じるように言い、スタンドライト風の器具のスイッチを入れた。赤い、昔のコタツのような光が額からまぶたのあたりを照らす。「タイマー切れるまでそのまま目を閉じててね、開けちゃあだめですよ」彼女の気配が遠ざかる。患部に熱が当たるよう首をあちこち動かして適正な位置を探す。耐え難く熱いということはないがちょっと肌が乾燥するような感じというか匂いがする。「え、それ、痛いんですか?」処置室の別のブースから、若い女性のらしい声が聞こえた。「あなた大人でしょ。ほっとくともっと痛くなるんですよ」看護師さんがきびきび答える。「はいじゃあいきますよ」「え、でも、待って、どのくらい、痛いんですか?」「我慢してたら、すぐ終わりますっ」まぶた越しに赤い光が透け、その中に眼球の血管らしきものが映り脈打っているのを見た気がする。いたいっと女性が小さく悲鳴を上げた。私の額はいまやどうしてついさっきまで人と普通に話しランチを食べられたのか訝しいほど痛み震えじりじりあぶられている。

庭

小山田浩子

2018/03/31発売

それぞれに無限の輝きを放つ、15の小さな場所。芥川賞受賞後初著書となる作品集。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小山田浩子

1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『』『小島』『パイプの中のかえる』など。

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