改めて指折り数えてみると、なんだか怖くなる。たぶん「一澤帆布」さんは、わたしが一番長くお付き合いさせてもらっている京都のお店です。いまは〝いろいろ〟あった末に「一澤信三郎帆布」さんだけれど、新しいアイテムが登場しても古いものが淘汰されることはほとんどないので、そしてものづくりの姿勢が変わることも決してないので、どうしても旧名が口に親しみます。
いまでこそ京都ブランドの代表として真っ先に名前が挙がるお店ですが、わたしが最初に購入したころは木造の倉庫といった風情でした。住んでいたのは西陣で、自分の生活圏にあったわけではないのに、どうしてここに辿り着いたのかといえば15歳で美大を目指すようになったからです。画塾に通い始め、日常的に画板を持ち運ぶようになって、クラスメイトに教えてもらいました。というか当時は石膏デッサンのための木炭紙が挟める500×650mm以上のカルトンがすっぽり収まる鞄といえば選択肢は少なかったのも事実ですが。
そういわれて教室を見回すと確かに半分以上の人たちが分厚い帆布生地を用いた一澤トートでした。残る半分は手作りか、カルトンに特化したキャリーバッグ。うーん、どうしようかな? と腕を組んだわたしの耳元に一澤のことを教えてくれた子が囁きます。
「あんた五美大か多摩武蔵クラス狙ってる? そうなんやったら一澤にし。そういうとこ行きたい京都の美大志望はみんなそうえ!」
受験生というのは藁にも縋りたいものですから、いちもにもなくその週末に東大路を下がって一澤さんをめざしました。うちからは直通のバスがないので百万遍で乗り換えていったのですが、それだけでものすごい遠くに出かけた気分になったのを覚えています。ほとんど霊験アラタカを求めてお札を貰いに神仏を詣るような心持ち。
クラスでは黒の子が目立ったので、グレーか青ねずか迷って結局グレーを選びました。レジにそれを持ってゆくと、すごくしゅっとしたおじいさんが「ぼん、美大行くんか? きばりや。これあげよ」と飴玉をくれました。ジンクスの真偽はともかく美大・芸大に進学したい子供たちがそのカルトンサイズを買いに大勢訪れているのは事実のようです。ちなみに飴玉のおじいちゃんは先代の一澤社長でした。それを知るのはずっと後のことですが。
カルトントートは17Gという品番で、通称を「道具袋」。その名の通り職人さんが道具を入れて持ち運ぶために作られました。本当にシンプルなスタイルなんですが、とにかく何でも入る。正確には何でも入れてしまえる。仕切りも内ポケットもないので中がごちゃごちゃになりそうなもんですが、そういったものをバラで納めるのではなく、道具の納まったケースなり箱なりを丸ごとぽんぽん収納してしまえる度量があるからついた名でしょう。
文筆を仕事にする前、撮影のロケーションコーディネーターをしばらくやっていました。フォトグラファーやスタイリストさんの手伝いもするのでとにかく雑多な荷物が多い。この鞄はそのときも大活躍。何でも出てくる魔法のポケットみたいね! と笑われ、ドラえもんバッグ(ソニア・パークさん命名)と頼られていました。
ともあれお目当てのバッグを手に入れてから、わたしはちょくちょく一澤帆布さんを覗くようになります。もちろん楽しい店だったからですが、きっと参拝感・神頼み感があったからでしょう。でも、ついぞ買うことはなかった。むしろ買い物を頻繁にするようになったのはジンクスが働いて美大生になってからです。
わたしは大学時代の長い夏休みをほとんど京都で過ごしました。クラブの仲間や同級生が謳歌するバイトとコンパと旅行のセーシュンに背を向けて洛中に籠ってごそごそしてた。しかし退屈する間もあらばこそ、けっこうな数の友人たちが旅の目的地として京都へ来てくれましたので、みんなを案内して碁盤の目を徘徊する日々でもありました。そんなとき、どこいく? のリクエストをすると必ずや挙がったのが一澤の名前です。
どうやら東京でも地方でも、美大生、美大受験生の間では80年代前半にはすでに全国区だった模様。かくて氷屋さんが氷の延べ板を運ぶときのために生まれた「氷袋」だの、牛乳瓶を20本入れて持ち運べる「牛乳屋さん袋」だの次々と帆布鞄は増えていきました。
はっきりいって現在でもわたしが所有している鞄の8割方は一澤製です。理由はふたつ。まず、どんな服にも合わせられるユーティリティ。いっときナオミ・キャンベルはじめスーパーモデルの面々が争うように一澤鞄を提げていたのは伊達ではありません。ハイファッションからカジュアルまで何でもござれ。さらには経年による質感の変化が新たな美を出現させてくれる。ちょうど京都の町屋がそうであるように。
そしてこちらは傷んできたら原価のみで修理してくださることが増加に拍車をかけます。だってなくならないんだから! わたしを美大に現役合格させてくれた40歳の道具袋はすでに取っ手を3回も交換。もう、見るからにテクスチュアが違う。底も2度オペを受けているので、そのたびに小さくなってもしかしたらもうカルトンは押し込めないかもしれません。
「入江さん、つぎ穴あいたらもう諦めなはれや」と一澤現社長にも因果を含められています。でも、絶対に捨てられないな。めでたく冥途へレッツゴーと相成ったときには、これを棺桶に入れてもらいまひょ。なにしろドラえもんバッグなので、なにかと重宝しそうです。奪衣婆にちょうだいといわれても、これだけはあげまへん。
この【修理】こそが一澤さんの誇りでもあり、京職人の矜持ともいうべき技術であり哲学なのは間違いないとして、こちらはこれもまた京都ならではのお客様との交流をもしっかりと維持しておられます。すなわち【御つくりおき】をお願いすることが可能なのです。これだけ有名になっても人気が上がっても、そこらへんを絶対に忘れてしまわれないのは寿ぐべきことですね。
ウェブサイトに行って、メニューから別注品ギャラリーに進んでください。ここに載っている写真は、いわば一澤さんがやってきた御つくりおきの歴史。で、2段目にあるでしょ?「引出物・内祝い」のサムネイル。つまり、こちらでは普通にオリジナルのバッグを作ってくださるのです。既製のものにワンポイント入れるだけとかなら、かなり気軽にできてしまうらしい。
残念ながら、まだ機会がなくて入江鞄は作れていないんですが、いつかは目出度い席で配ってみたいものです。だって、すごくすごく幸せなんだもの。いままでいくつか一澤御つくりおきバッグを貰ったけど、めっちゃテンションあがりますよ。和菓子舗「中村軒」さんの手提げ、茶筒の「開化堂」さんのポーチやスタッフエプロン。「麩嘉」さんプロデュースのレストラン「Kokage」のオープン記念トート(猫村さん……じゃないや、ほしよりこさん画)。どれもハピネスを入れて運べそうな鞄でした。
もっともわたしがこれまで一澤さんにお願いしてきた御つくりおきがなにもなかったというわけではありません。御つくりおきというよりは、むしろ我儘――よけいと迷惑――かもしれませんが。でも、どれも頻繁に活躍してくれているので我儘いってよかったなあとも思うのです。それらはおもにわたしの日本においては規格外の体格に関係した注文でした。
さきほどマイ道具袋が二回りも縮んでるという話をしましたが、その持ち手の長さは優に15センチは長くなっています。胸板が異様に厚いうえ荷物ぎゅうぎゅうがデフォなので伸ばさないことには肩にかけて歩けないんですよ。これまでに修理していただいた鞄は、これに倣ってすべて延長してもらっています。
あ、エプロンの腰紐もぐんとエクステしていただきました。胴回りも36インチありますんで、まあ、足りなくはないんですが普通の人ならアゲハチョウに結べるのがシジミチョウくらいになってしまう。これは格好悪い。それとね、わたしはできるならエプロンは後ろで交差させて前で結びたいんですよ。とりわけ膝前掛けのカフェエプロンはそうであってほしい。ということで倍くらいにしてもらいました。もしかしたら現在は仕様が変わってすべて前結びになっているかもしれませんが。
大きな我儘も聞いていただきました。既存品ではあるけれど普段はHPには掲載されていない「引っ越し鞄」を作ってもらったのです。これは一澤さん最大の鞄だと聞きました。340×620×250mm(私物を測りましたので正確ではないかもしれません)。なぜ、これが最大なのかは使ってて解りました。様々なものを取り混ぜて適度にいっぱいにしてやると、ぎりぎり人が持ち運べる重さにこれはなるのでした。具体的には25㎏足らず。
いえいえ。そんなにしょっちゅう引っ越してるわけじゃありませんよ。これはわたしのスーツケース。日本への帰国は、2年に一度、いつも2ヵ月半くらい滞在します。それに対応するにはこのくらいの容量が必要なのです。預けられるのは二個。ひとつは割れ物対策としてハードタイプを余儀なくされますが、もうひとつがこれというわけ。フレキシビリティも有り難いけど、なにより重量超過の目安になる。肩に提げたとき鞄が「オーバー気味でっせ」と教えてくれるのです。
わたしの一澤鞄はすべてヘビーデューティー。なのでどれも最初に買ったグレーや黒、紺ばかり。むろんそういうのが好きなのですが、よしんば道具袋が役目を終えて、どうしても冥土の首途までに次の一荷が欲しくなったら同じサイズで、でも派手なやつを、というのが次の我儘の予定。はてさて如何なりますやら。
関連サイト
一澤信三郎帆布HP
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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