ときどきTVでラグビーを観ます。ザッピング中にたまたまやっててほかに観るものがなければ程度の興味ですが。というか正確にはラグビーを観るのではなくラグビー選手を観ている。いや〝ウホッ〟な目で眺めているわけでは(ほとんど)ありません。造形的にきれいだなあと眼福を味わっているのです。犬や川獺やウォータードラゴンの美しさを愛でるように楽しんでいる。
ラグビーは力と力がぶつかりあうスポーツ。けれど格闘技みたいに力を競っているのではない。だからこそピッチに斃れる選手の姿は、それこそ野生動物の狩りを撮ったドキュメンタリーみたいな興奮を感じます。こないだも欧州杯TV観戦中、芝上にドラマチックに昏倒するフォワードの姿に「おお!」とか叫んでいたのですが、ふと気になって一緒に観戦していたツレに尋ねました。
「日本では、こういうとき薬缶の水を顔にぶっかけたりしたんだけど、こっちでもそう?」
「いや、ケトルは使わないねえ。大きなスポンジに水を含ませて、それを絞りかけたりしてたかな」
脳振盪はある種、脳の外傷みたいなもの。なるべく安静を保つ必要がある。だから水で無理やり意識を回復させないのは正しい。でも、あの水には何か特別な力が宿っていた気がしていました。だからこそ【魔法の薬缶】【命の水】と呼ばれていたのです。薬缶に「薬」の字を充てるようになったのには意味がある。ぶっかけなくなっても、スポーツドリンク全盛の現代でも、日本のラグビー場から薬缶が消えることはないでしょう。
命の水の薬缶は、ずいぶん長いことわたしの欲しいものリストの上位にありました。もっとも溜めるのは番茶。京番茶。これこそが京都人の命の水なのです。大袈裟でも何でもなく番茶なしに彼らは生きられません。甲子園なんかでもあまり活躍しない、蹴鞠を除いてはスポーツに縁遠い土地柄ですが、高校ラグビーはそこそこ強かったりするのは命の水に番茶を使っているからです(嘘)。
愛媛では水道のハンドルを捻ると蛇口からポンジュースが、香川ではうどん出汁が迸るという冗談がありますが、この伝で行くと京都では間違いなく番茶。そのくらい切っても切れない関係にある。ただ嗜好に合っているから、特産品だからといった理由を越えて番茶が命の水足り得たかというのにも確たる理由があります。
まず「番茶も出花」とはいうけれど、番茶はあつあつでも、なまぬるくても、冷めても美味しい全温度に神対応なお茶であることがひとつ。旨いお茶の決め手は茶葉以上にお湯の温度。お茶が飲みたい! いま飲みたい! という欲求を叶えてくれるのは〝御つくりおき〟の番茶だけなんです。喉がからからに渇いているときだって薬缶入りなら好き放題いただけます。一晩おいたって全然イケる。なんてエライやつでしょう。
そして番茶はカフェインが少ない。煎茶、焙じ茶の半分。紅茶の3分の1。加えてカテキンが豊富。茶畑で最後に摘まれる番茶は日光をたっぷり浴びているからです。なので時間を選ばず飲める。就寝前でも大丈夫。お年寄りやお子さんにも弊害が少ない。むろんカフェインゼロではありませんけれど、昔は赤ん坊にでも京都では番茶を与えていたくらい。番茶は煮立てて抽出するプロセスを経ているので殺菌されていて安全ですし。
さらには言うまでもなく安価。経済的です。
茶処の宇治を擁する京都で、お茶席やお客様用の茶葉を収穫したあと豊富に採れる番茶を始末の精神で大量消費してゆくうち、長い歴史のなかで京都人の味蕾深くにその味わいが染みていったのは想像に難くありません。かくて番茶は水以上に大事な命の水として生活に定着しました。それはロンドン在住京都人にとっても同様。
いいことづくめのお番茶が、しかして洛外では命の水になっていないのは、おそらく癖の問題でしょう。こちらは慣れてしまっていて癖のある味を指摘されてもなんのこっちゃなのですが。味は苦手だけど利点は魅力的ねと逡巡されている方には「柳桜園茶舗」さんの刈番茶などがおススメでしょうか。わたしなんかには美味しすぎて(笑)ちょっと物足りないんですが。
その柳桜園にして東京に催事出店されたとき買われたお客さんから「腐っている」とクレームがついたとかで坂東在住京都人のために持ってはゆくけれど表には出しておられないと聞きました(尋ねると念を押されたうえで京都人以外にも売ってくださるようです)。そういえばウェブショップのラインナップにも見当たりません。
さあ、これで命の水を溜めておくための薬缶がどれだけわたしにとって重要だったのかがなんとなくでも判っていただけたでしょう。この気持ちはロンドンに居を移して自宅を購入してからというものさらに強くなりました。けれど強くなればなるほどハードルも高くなる。ここまで待ったのだから妥協できない。――帰国するたび、かなり真剣に安寿恋いしや捜し歩きました。
そして、とうとう我が物としたのが打ち出しもすがしいWESTSIDE33の真鍮薬缶です。
ご主人の寺地茂さんは鍛金師。鍛金というのは金属を槌で打って形を整えてゆく技法。英国にも、おもに錫を打って面を取ってゆく装飾伝統があって、アート&クラフトの時代に大流行しました。わたしはこれが大好きで集めてもいたので初めてお店に伺ったときはそりゃあもう大興奮。
そこにあった道具たちはごく小さなものでも機能美を備えていました。無駄がないのです。人間の手で作られているのに自然物のよう。そして能く鍛えられている。刀鍛冶はじめ熱した金属を打って強くすること、鍛練することを「鍛える」といいますが、まさにその表現そのままに鍛え上げられているのが、くっきりと見て取れました。惚れ惚れしましたね。
そうです。それらはちょうどわたしが共鳴する、野生動物ではないのに自然の優美を失わない犬という動物や、ボディビルとは異なるモチベーションで鍛えられたラグビー選手の肉体に宿る美に似ているかもしれません。
寺地さんが包丁と並んで「有次」の看板商品だった行平鍋を制作されていた職人だというのは連れて行ってくれた「開化堂」の現主人・隆裕くんから教えてもらっていました。それらはいつでも息を呑むほど蠱惑的だったけれど、しかし自分には関係ないもののような気がして、ついに手を出すことはなかったのですが寺地茂という枠組みの中で観ると、もっと気を許した雰囲気がありました。
この親しみやすさもWESTSIDE33の道具に共通する佳さ。どれも台所で、食卓で、骨身を惜しまず働いてくれそうな性格のいい付き合いやすい道具に見えます。いかにもスタイリッシュだったりするとまず使い勝手を疑ってかかりますが、実直そうでも働いてもらうと存外気難しい道具ってのもありますから。その点、寺地さんに鍛えられ性根の入った筋金入りならきっと大丈夫という確信がありました。
本来ならば、もう少し互いに気心が知れてからお願いすべき御つくりおきをその場で切り出してしまったのは、きっとその確信ゆえだったと思います。そうです。店頭には見当たらなかった薬缶を注文できないかと手を合わせたのでした。この機を逃すと次の帰国まで待たねばならないという切羽詰まった気持ちにも後押しされて。
寺地さんは一瞬、厭な顔をなさいました。「これまでもそういう注文を受けてきたけど、たまーにいはるんですわ。いざ受け取る段になって高いていわはる人が」。
御つくりおきというのは客と店(主人・職人)との信頼関係の上に成り立っています。ボッたりズルしたりしないと知っているから値段を訊かずに発注するし、バッくれたりケチったりしないと知ってるから前金も貰わない。そりゃあ場合によっては高価だと眉が曇ることもあるでしょう。しかし値段が嵩むだけの根拠が必ずどこかに隠れている。その場では隠れ場所が不明でも、それを疑うのは御つくりおき最大のタブーです。
そのへんの事情は重々承知してますと念を押し、隆裕くんという紹介者があって一見さんでなかったわたしは、かくしてお初にもかかわらず薬缶の御つくりおきをお願いできたのでした。ちなみに後日お支払いした金額は命の水のいれもんとして、ちっとも高額ではありませんでした。ただ単に薬缶が欲しいというだけなら、けっこう〝する〟と感じられるかもしれません。が、こちらの行平の値段を知っていれば決して驚かないでしょう。
ずっと憧れていたラグビー場で使われている丸い金色の蓚酸アルマイト製とはずいぶん違った結果になりましたが、これほど満足した御つくりおきも稀。わたしはこれを磨いたり磨かなかったりして極めて大切にしています。なぜ磨いたり磨かなかったりなのかというと、ぴかぴかの晴れがましい風情も、油滴天目めいて味わいのついた風格もどちらも捨てがたいから。
食卓テーブルの左端、春夏秋冬、朝から晩まで、病めるときも貧しきときも、いつも変わらず命の水を充たしてそれは置かれている。まるで我が家の文鎮です。
関連サイト
鍛金工房 WESTSIDE33
〒605-0943 京都市東山区大和大路通七条下る七軒町578
電話 075-561-5294
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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