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御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

2018年4月25日 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

12 茶心あれば水心。三室戸「利招園茶舗」にテムズの水を持ち込んで抹茶を調合仕る

著者: 入江敦彦

 あまり目鼻立ちの整った美形には興味がありません。スタイルもよくなくていい。モデル体型とかむしろ苦手。ひさうちみちお画伯曰く「表情のあるからだつき」が好きです。顔も身体も個性が大事。バランスが健康的であれば性格同様キャラの立った容姿がいい。
 これは食べ物だって同じです。つきあうならば観賞用や量産型には食指が動かない。個性やキャラ、すなわちクセやアクのある味覚に惹かれます。
 あっさりしているようで奥深いところに旨味が眠っていて、噛んでゆくうちにそれがむっくり目覚めてゆくような料理。優しい風味なのに舌の上に残って語りかけてくるようなお菓子。そういうの。むろん単純な味わいならではのよさ、ジャンクな美味さがあるのは知ってます。けどそれならそれでなにか"ひっかかり"が欲しい。体に悪そーなフレーバーとか(笑)。
 お茶もそうですね。わたしにとって旨い茶、とりわけお抹茶というのは清水の淡白さと火酒かしゅ強靭きょうじんを持ち併せたものであってほしい。「上善は水のごとし」と申しますが、このたとえは自分的には酒ではなく茶にあてはまる表現なのです。
 水のごとしといっても単に「あっさり」「さっぱり」ってことではありません。味わいが爛漫と(せめ)ぎあっているのだけれど、それがするすると喉をすべってゆく茶がわたしにとっての上善という意味。

花卉より木に咲く花が好きです。木の花なら椿より山茶花、山茶花より茶の花が好き。

 実際、京都にいるとしばしばそういう一服に出会うことができます。お店や茶席でなくとも、あっと感嘆の息をもらしてしまうような濃茶、薄茶に巡り合えたりする。シチュエーションやしつらいもあるのでしょうが、きっと目をつむってすすってもそれらは美しい衝撃を味蕾みらいに与えてくれるはずです。
 わたし自身そんな茶を点てたいと思うし、そんな茶を囲みたいと考えてはいるのですが、これがロンドンではなかなか難しいんですよねー。己の不調法ぶちょうほうを棚に上げてなにをいっとるのかという気はします。実際、朝日焼十六世の松林豊斎くんが我が家で点ててくれた一服はまさに上善でしたし。
 しかし彼はプロです。真剣に茶と対峙して生きている人。付け焼刃ではいかんともしがたい。それにわたしだって京都でならそれなりに悪くない一服を点てることができたりするんですよ。それがどうして英国では一段劣った茶になってしまうのか。なにか輪郭がぼやけていて「そこそこ」で終わってしまっているの。
 わたしの出した結論は水、でした。
 単純に水がいい、悪い、ではない。硬い柔らかいというだけの話ではない。もっとなにか根本的な問題を水がはらんでいると考えたのです。日本でも土地によって水の性質はかなり異なりますから当然ながら同じ問題があるはずですが、そこは豊斎くんが冴え冴えとした茶をロンドンでも可能にしたように、茶人が水をねじ伏せる、あるいは意のままに操って茶碗の中に昇華できるのだと思われます。
 そもそも日本でなら揃っている茶の種類がいくつもあるわけで合わなければ変えればいいだけ。その土地に根差した茶、その土地で愛されている茶を発見するのも容易でしょう。が、ロンドンではそうはいかない。
 最近の欧州はまさにMatchaブームで、どこのカフェに行っても抹茶ラテが楽しめます。高級食材店「フォートナム&メイソン」でもオリジナル抹茶を発売しました。北九州市の日本茶専門店「辻利茶舗」が出店したスイーツショップTsujiri Matcha Houseは大繁盛。冷やかし半分にお薄を頼んだら、どう見てもアングロサクソンな兄ちゃんがわたしよりよほど慣れた手つきでお点前されていてけっこうショックでした。
 だから日本食材店にいけばそれなりの種類が入手できるようになってはいるのです。京都の茶舗だと宇治「丸久小山園」がいくつかラインナップされていて京都人のナショナリズムが高揚したものです。しかし、それらを一通り試した結果いえるのは、わたしのような素人が美味しく点てられるような抹茶は見当たらないというリアリティ。さて、どうしたものか。
 南無三。浮かんできたのは神様でも仏様でもなく利田くんの人懐こい笑顔でした。宇治は明星山の裾、紫陽花や石楠花しゃくなげ躑躅つつじなどの群生で知られる「三室戸寺」にほど近い小さく家庭的な茶舗「利招園りしょうえん」。ここの跡継ぎさんの利田直紀くん。彼には以前にもヘンなお願いをして助けていただいた経験があります。
 ここにも書いた「Kaikado Café」でのイベントに桂の老舗菓子舗「中村軒」で特製のおまんじゅうをこしらえていただいたときのこと、お菓子に合わせてお抹茶を調合してくださったのが彼でした。《梢葉しょうよう》というエッジの効いた利招園のブランドに、さらに味わいを重ねて線を太くしてもらった《シン梢葉》は実に実に佳き抹茶でした(それを証明してくれたのは千宗屋くんでしたが)。
 水の味わいに根源的な問題があるのだとすれば、テムズの水―水道水ですよ。おなか壊しますやん―を京都へ汲み帰り、それを基に抹茶を構築してもらえば異国の我が家で点てたときに真価を発揮する抹茶ができあがるのではないか? あまりにも単純すぎる考えかもしれないけれど、メーテルリンクの昔から青い鳥はすぐそばでいていると相場が決まってます。
「じゃあ、まずお煎茶で試してみましょう。水に対するお茶の反応がストレートに出るはずですから」
 やってきた利招園の居間でわたしたちはさっそく実験にとりかかりました。居間といっても応接セットが置かれているわけではありません。隣の部屋では抹茶の袋詰め作業中。こちらは販売店舗ではないのでそれらしいインテリアがあるわけでもなく、淹れるお道具もひたすら実用的プラクティカルなものばかり。ただただお茶を愛する人同士がしばし対面して試飲して選んで買ってするだけの場なのです。
 丁寧に温度調節されたお湯を慣れた手つきで茶葉にそそげば煎茶器の底で孵化するようにふっくらと鶸萌黄ひわもえぎはねを広げる宇治の冠茶かぶせ。たっぷり旨味をふくんだ手摘み手揉みの緑茶はさながら深窓の令嬢といった味わい。気品があって楚々そそとしています。かすかに緑のかかった金の水色すいしょくも奥床しい。ふっくらと豊かで、でもきりっとした味覚が喉を潤してくれます。
「つぎはロンドンの水で同じお茶を淹れてみますね」
 …ご令嬢が身を持ち崩してしまわれた。

博覧強記の人と話していると次々に知見が零れてきて、どうしていいか判からないような悦びを感じることがある。利田くんとの茶実験もそれに似た感動におたおたしました。

 数秒後にはあきらかでした。美しい金緑は赤錆を溶かしたように変色し、香りもくすみ、口に含むと嫌な苦みが舌を刺しました。この味、知っています。ロンドンでうまく点てられなかったときのお薄の味。
「硬水では旨味が出にくく渋味が出やすいのは分ってましたが、これほどとは。ただ硬いだけじゃないですね。これがロンドンの水の味なのか」
「けどね、茶のアクを引き出してくる水だからこそ、英国で淹れる紅茶は美味しくなるんです。英国でミルクティに使われるお茶を日本の水で淹れると見事に頼りない腰抜けみたいな味になってしまう」
 住んでいる町の肩を持つわけではないけれどわたしは言い訳しました。
「つまり渋味やアクを夾雑物きょうざつぶつとして切り捨てるんやなく個性として活かしてこそ美味しくなんのかな」
 それから2時間たらず、いったいなんばいのお薄をいただいたことでしょう。おなかの池で魚が釣れそう。
 とかいいながら、ちっとも飽きなかったのはこの実験がとても面白かったのと、それぞれの抹茶の個性が口に楽しかったからでしょう。ロンドンの水が抹茶と馴染みあい、しだいに仲よくなってゆくプロセスは真にエキサイティングでした。
 仲よく。はい。そうです。まさにそんな感じでした。
 魚心あれば水心という言葉がふいに浮かびます。賄賂を暗示する言い回しとしても利用されますが、本来は相手が好意を示してくれたら、ほだされてこちらも好意を抱くようになるという意味ですね。水と茶がいい関係になってゆくラブストーリーをわたしたちは味わっていたのでした。さしずめ茶心あれば水心といったところでしょうか。
 人間同士の恋愛はどんなに条件が一致していてもままならぬものですが、お茶の世界の名仲人・利田直紀くんはかくてわたしが帰国するまでに見事に抹茶を完成してくれました。おりしも新茶の季節。宇治ならではの天蓋てんがいを配した手摘み茶畑風景が目に浮かぶよう。

写真は京阪宇治駅の隣にある「福文製茶場」さん。さすが茶処。というか普通は駅前なら商店や住宅にするだろうに。きっと宇治にとって良質の茶畑は聖域と同じなのだ。

 ところがどっこい。ベースになるのは宇治からもっと奈良に近い、相楽郡和束町の碾茶てんちゃ(覆いを施して育てた生茶を蒸して揉まずに乾燥させた抹茶の材料)。しかも機械刈りだと説明されました。これは旨味に偏った上級茶にない力強さと、快い個性のある渋味を求めての選択。和束町のなかでもかなり山寄りにある湯船地区というエリアの茶だそうで、かなりミネラル質が潤沢な水で育っているのだとか。
「そこに宇治市内産の手摘みの最上等をいくつかブレンドして、まろやかな輪郭を味覚に加え、高貴な香りを与え、洗練された抹茶に仕上げてます」
 おー! まるで『ミー・アンド・マイ・ガール』みたい。『マイ・フェア・レディ』の男性版ともいえるこのミュージカルは、下町で育った貴族の落胤らくいんが屋敷に引き取られ、上流の教育を受けてゆくうちに一人前の紳士へと変身してゆく物語。主人公のビルはその"お育ち"ゆえにより魅力的な頼もしい男になってゆくのですが、まさしく! ですね。
 日本に帰ると、いつも大量に器を購入してしまうのですが、今回はとりわけ茶陶を数多く手に取りました。
 そのどれもこれもが、この抹茶を愉しむための道具立てになってくれそうなものばかり。野蛮なジェントルマンにお似合いのしつらえを整えるのは、これもまた愉悦に満ちたものでした。
 この抹茶の名は《倫敦ロンドン》。まんまです(笑)。
 利招園は近年、海外からのお客様が増えており、外国語を操れるスタッフを雇用しておられます。英国はとりわけ伸びが著しいとのこと。将来、我が御つくりおきの倫敦が抹茶市場を席巻してくれることを願ってやみません。そしていつか《巴里パリ》《紐育ニューヨーク》も完成していただきたいと心から願う次第。
 そうでした。肝心のお味について説明申し上げるのを忘れていましたね。けれど想像はついておられるはず。倫敦の味は「上善如水」のひとことに尽きます。

江戸末瀬戸の夏茶碗。菓子皿は幕末の朽木柿渋塗小丸盆。 棗は開化堂真鍮茶筒。柳桜園の煤竹茶杓。中村軒の柚子 羊羹《水尾の郷》。京の夏は遠くにありて想うもの。

関連サイト

利招園茶舗HP

http://rishouencyaho.com/index2.html

フォートナム&メイソン(fortnum and mason)

https://www.fortnumandmason.com/

Tsujiri Matcha House

https://tsujiri.co.uk/

丸久小山園

http://www.marukyu-koyamaen.co.jp/

Kaikado Café

http://www.kaikado-cafe.jp/

中村軒

http://www.nakamuraken.co.jp

イケズの構造

2007/08/01発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

入江敦彦

いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)

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