毎年、年末になるとたくさんの友人が「暮れの元気なご挨拶」を日本から送ってくださいます。そのなかの何人かはいつも箱の中に和菓子を同梱してくださる。それらはとりわけ嬉しいものです。自分でも作るけど、やはり正月くらいは餅は餅屋でちゃんとしたものを食べたい。
 郵送時間の問題があるので賞味期限が短い上生や練り切りは難しい。まして英国の郵便事情は悪名を轟かせています。でもね、彼らもクリスマスシーズンは頑張るんですよ。なのでたいがいは1週間前後で到着します。だから探せばなんとか美味しいうちに食べられる半生の甘いものが届けられるのでした。
 ふだん出不精で〝パリピ〟でもないわたしとツレは、ゆく年の罪滅ぼしとくる年の先払いを兼ねて、ちょっとした新年会を開きます。子どものころから祖母を手伝って覚えたお節料理を振舞うのです。そりゃあもう古臭い京都の町衆の味ですが、みなさん珍しさも手伝ってけっこう楽しんでくださっているみたい。
 会の〆はお抹茶。到来した和菓子を世話になっている英国のみんなとシェアをするのは、お裾分けならぬお福分け。とても豊かな気持ちになります。早めにいただかないと値打が下がるお菓子が少々重なってもほぼ心配はありません。ここ数年は体調のせいもあって人数が減ったとはいえ30人くらいは集まるので。
 この日はわちゃわちゃで、部屋の隅に陣取って配給みたいに茶をてますので、落ち着いて一服するのは翌日です。これがうちのお抹茶始め。前日の片づけ物、洗い物を済ませ、食卓を拭き、すっきりした食卓でお節の残りをあらためて祝い、あらためてご挨拶を交わし、同じお茶碗でお薄をいただくのです。
 お菓子ももちろん会の残り物。お節もですが、わたしはお招きをしたあとの残りでする食事が好きです。お客さんをもてなすのがお福分けならば、その残りはお客さんから頂戴する福だと信じているからです。文字通り「残り物には福がある」ですね。

〈福ハ内〉は松林家でも愛顧されているらしく「升に入った風情がとても好きなお菓子です」とのことでした。こういう偶然をこそ京都人は〝ご縁〟といいます。


 そんな今年の福菓子は「鶴屋吉信」さんの〈福ハ内〉でした。ふっくらした蚕豆そらまめかたどった山吹色のお菓子はおめでたい席にぴったり。鶴屋さんは全国のデパートにも卸されている有名店ですが、わたしにとっては毎日の通学路にあったご近所さん。うちの母が髪結いをやっていた時代、先代の奥様がお得意様だった繋がりもあって、幼少時より馴染んだ味でもあります。そんな店の和菓子で新年を迎えられるなんて、こいつぁ春から縁起がいいわえです。ほくほく。
 さあ、しつらえは如何にせん。と、悩む間もなく、まず選んだのが「朝日焼」さんのお茶碗でした。なにしろ銘が残福のこんのふくなんですから。冴え冴えとした月白釉の青と菓子の黄金こがね色が揃ったところで、お皿も自ずと朝日焼さんの燔師はんしに決まりました。はんなりとした東雲しののめ色に乗った〈福ハ内〉は目出度めでたさも一入ひとしお
 それにしても「残福」とは奇妙な名前だと思われるかもしれません。由来についてちょっとお話ししましょう。
 この茶碗を作陶されたのは現在「朝日焼」十六世を継がれている松林豊斎氏。彼が襲名する前、本名の松林佑典時代に英国西南部先端、セント・アイブス村のリーチ窯で焼かれました。柳宗悦とともに民藝運動の担い手であったバーナード・リーチと濱田庄司が1920年に設立したこのリーチ窯で、松林くんの曾祖父の弟さんにあたる松林鶴之助が登り窯の建設を助けた縁から2015年の春に長期滞在されていたときの仕事です。
 遠い親戚のようにお付き合いさせてもらっている茶筒の「開化堂」さん現当主、八木隆裕くんの紹介で顔馴染みだったことから、松林くんが帰国する前に我が家に寄ってくださったんですが、このときに見せてもらった茶碗たちの印象をわたしは未だ鮮明に想い出すことができます。お抹茶を点てるための碗はひとつの世界を内包しているといわれますが、それを証明するかのよう。
 松林くんがコーンウォール地方の美しい風景のなかに佇んで、くるりと〝ぐるり〟を搔い巻きとって掌にまとめたような、そんな風情。
 関係者以外で初めて人目に触れるということでしたが、それがわたしなんかで申し訳ないような気がしたものです。それほど端正な、調和のれた世界でした。
 手にとって顔前に碗を傾ければ、鮮やかな釉色はあたかもイングランドに降る小糠雨のごとし。嫋々じょうじょうとあわだつ茶の緑はさしずめ涵養かんようされたエバーグリーン。ずずと啜る音さえも野分渡る風のざわめきかと聴こゆ……。柄にもなくそんな叙景を幻視してしまうほどに。

松林くん曰く、もう少し落ち着いたらまたリーチ窯へ作陶しに来たいとのこと。そのときどんな作品が生まれてくるのか、残福の兄弟の誕生がいまからとても楽しみです。


 もともと朝日焼初代は作庭家としてもつとに名を馳せた江戸初期の茶人、小堀遠州の指導下に窯を興したといいます。南禅寺方丈や、その塔頭たっちゅうである金地院の庭、あるいは正伝寺「獅子の児渡しの庭」など、遠州作の庭園風景は区切られながら、区切られているがゆえにひろびろと視界を潤すのが特徴ですが、それゆえか朝日焼の茶碗も同様の眺めをたたえています。今回の松林くんの作品群はそんな傾向がより顕著でした。
 もっとも、そのときはそれらの品格ゆえに我が物にしたいとは思いませんでした。これはしっかりと茶の道を極めた人々が手にすべき茶碗だと考えたからです。どんなに欲しくても素人が持っていいものじゃない。自分が所有しないことが敬意の表し方だと感じました。
 しかし幾度かこのシリーズに触れる機会をいただき、松林くんが手ずから点ててくださった茶を喫する幸運にもめぐまれて、少しずつ気持ちが変わってきました。
 なぜならそれは京都(宇治)の土と、英国の土を重ねた磁土を面取りし、そこに現れた景色を生かした茶碗だからです。高台を見れば、リーチ窯と朝日焼の刻印が並んでいる。洛中に生まれ育ちロンドンで暮らし、京を綴り、日常生活を語り、同じ都市を共有する日本人と英国人を招待して茶を点てもてなして楽しんでいる、そんなわたしこそが持つべき、それは茶碗だといつしか(思い込みだとしても)かんがえるようになったのです。
 そこで一時帰国中に顔を合わせたとき、わたしは松林くんに「御つくりおき」をお願いしました。といっても自分のための作陶を依頼したわけではありません。それは無作為の御つくりおきとでも呼ぶべき誂え。
「セント・アイブスで焼かれたシリーズの最後に残った茶碗を買わせてください。それが、どんなものでも構いません。それらを購入された、購入されるべき茶人諸氏が選ばれ終わったあとの残りものを譲ってください」
 松林くんは、わたしのそんな御つくりおきの申し出を面白がって了解してくださいました。
 残福という銘は、そんなわけでごく自然に命名されました。松林くんに報告したら「ええ名前をつけてくださいました」と喜んでいただけたので些かも迷うことはありませんでした。
 この茶碗が我が家にきてくれて以来、わたしたちは本当にたくさんの福を与りました。まず最初の一服は「中村軒」さんのきんつばとともに。数ある京都の和菓子舗のなかで、とりわけ親しくさせていただいているお店の大好きな銘菓を、わたしもちょっと手伝わせていただいたロンドンの誇る茶舗Postcard Teasさんのイベントにかこつけて運んでいただいたのです。赤い小豆と白小豆。縁起のよい紅白の美味。こんな贅沢を英国に居ながらにして満喫させていただけるとは望外の幸せ。
 馴染みのカフェで絶品のバナナブレッドを焼いていた友人が、さらなる究極の味覚を目指してハワイのバナナ農園に旅立つときも残福で前途を祝しました。彼女が最後に焼いて残してくれた一棹の福ローフを切って再会を約束。ちょっと切なくて、でも胸躍るようなはなむけの一服になんて相応しい茶碗なんだろうと、稚拙な点前を恥じつつも我ながら感動したのを覚えています。
 毎年お節準備の皮切りは10月頭の渋皮煮作りなのですが、この重労働――なにせ30人分ですから――のご褒美に崩れたり皮が破けた栗を別の保存瓶に取り分けてシロップで満たしておきます。名目上は試食用ですが、これもあきらかに残りものの福といえましょう。となれば一ヶ月後の味見の席の茶碗はこれしかありません。手前味噌ながら例年よりもいい塩梅にできた気がしたのも残福のご功徳でしょうか。

わたしのお点前は茶室ではなく雑多な日常の卓上にどれだけ美しい世界を出現させられるかという実験でもあります。外国の不自由な環境でもお抹茶を愉しむことは可能です。
 

 前述したPostcard Teasイベントには八木くん、松林くんに加え昨年は「中川木工芸」の中川さん、この連載でも以前に書かせていただいた「金網つじ」の辻くんが参加して、それはもう賑々しくもハードな二日間となりました。【いれもん】というコンセプトに合わせ、わたしは骨董の菓子木型を使って100個以上の上生を拵えたのですが、アウェイである四人と采配された店主のティムさんの気苦労はそれどころではなかったでしょう。

明治期の菓子木型は京都の蚤の市、通称「天神さん」で発見。折も同じ時代の堺重。


 なにしろお菓子の数だけ茶を点てて味わってもらおうという無謀な計画。しかもほぼ茶席未経験の方ばかり。それでも、どうにかこうにか形になって、なによりも訪れたみなさんが愉しんでくださったのがひしひしと伝わってきたのがみな嬉しくて、戦い済んで日が暮れたあとも四方山話に花を咲かせていました。

日本茶、抹茶にかんしては英国で入手できる最高の品質が揃うポストカードティーズ。小さな農園から店主自ら買い付けてくる茶は日本でも希少なものばかり。


 そんなとき、その場にいた全員に茶を点ててくれたのが松林くん。勝手のわからないガイジンさんたちに百服点てたあとで誰よりも疲れていたでしょうに、乞われる声もあらばこそ、極々自然に茶筅を振るい染みいるようなお薄を供してくれたのです。
 それはまさに甘露。残り湯と残り抹茶で残った人たちが充足を共有するひととき。あんな素敵な残福に巡りあえることは、これからもそうそうないでしょう。

 


 

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