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御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

2018年5月29日 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

13 二条城前「SONGBIRD DESIGN」で余生を過ごすに相応しい椅子をオーダーする

著者: 入江敦彦

 ロンドンの我が家にある最も高価な調度は皮張りのソファでも御年150歳のダイニングテーブルでもなく、毎日座って仕事をしているドイツ製の椅子です。アート作品のなかには、もうちょっとするものもありますがそれは買ったあとに値段が上がったせい。購入時はヴィーゲ社「ウィルクハーン(Wilkhahn)」のONチェアのほうが高かった。円安の影響もあって15年前で30万円以上しました。
 もちろん躊躇はしましたとも。けれど泣く子と地頭と肩凝り腰痛には勝てません。「なにしろ一日に12時間くらい腰かけているのだから」と自分を納得させました。さすがにファブリックはやつれてきましたが、いまでも''ええ仕事''してくれています。
 それは、いわゆる人間工学に基づいたハイテクチェア。「身体の動きに追随」し「背中と腰のムーヴに三次元的に連動」し「身体の重心が常に椅子の回転軸の中心にとどまる」椅子だそうで、日々「人の無意識な動作を自然に促し」て「椅子が柔軟にサポート」してくれているらしい。わたしのはかなり初期のモデルですが、使い始めてあまりの違いにびっくりしたのは事実です。理屈はよー解りまへんけど、お世話さんどすなあ。おーきに。ウィルクハーン様様やわ。
 だがしかし、この子に限らずこうしたハイテク椅子にも欠点があります。それは見た目。オフィスならいいんでしょうけどね。さして統一感のないしっちゃかめっちゃかなマイルームですら違和感ありあり。宝塚の舞台に男優が紛れ込んだみたいな。
 もちろんわたしはこの椅子に満足しています。もはや愛着もある。しかし、これからさき歳を喰って少しずつ仕事の量もセーブしてゆかざるを得なくなって、いつまでONに座っているのだろうと考えたとき、蟷螂みたいな黄緑色のハイテクチェアに腰かけているじいさんの図はあまり嬉しい絵柄ではありません。年寄が似合うような仕事椅子が欲しい。そう思いました。
 あまり真面目に終活と向き合ったことなんてありませんでしたが、もしかしてこれが第一歩? ふともの悲しい気分になって窓へと首を巡らせたとき、まるで大丈夫だよ! といわんばかりのビッグスマイルと目が合いました。
 それはインテリアと収納グッズのお店「イレモンヤ」で買ったティッシュケース。もうずいぶん昔になりますが、ここの顔のついたカラフルなボックス類は京都で一世を風靡。流行モンに弱いわたしもほいほい購入してロンドンに持ち帰ったものです。丈夫で機能的、かつユーモラスなこちらの商品がすっかり気に入ったわたしは、以来、大きな鞄の内径に収まるハードケースを始め折につけ「御つくりおき」していただくようにまでなりました。
 その瞬間、閃いたのです。徳田さんに頼もう!
 プロダクトデザイナーの徳田正樹さんは、イレモンヤの顔ボックスの生みの親。いまは独立されて二条城の斜め向かいで「SONGBIRD DESIGN STORE.」というカフェが併設されたご機嫌なワークショップを開かれています。

SONGBIRDのデザインは個性的なのに、不思議とどんなテイストの部屋にもマッチする。 それは徳田さんが作家的エゴを押しつけず、かつ常にユーモアを忘れないからだろう。

 彼が集めてくる細々としたグッズや、旨いカレー、そして蠱惑的なスイーツ(いまはバター羊羹!)に惹かれて帰国するとたびたび訪れているのですが、自分にとってこちらの最大の魅力は椅子。徳田さんの椅子に落ち着いてコーヒーを飲むためにわたしは顔を出しているようなところがあります。本当に居心地がいいんですよ。つい長っ尻してしまう。

いわばベッドでの睡眠と草原に寝っ転がる心地よさの違い。ハイテクの快適さは、ときに体が求める休息を逓減させる。人はもっと肉体の指示に従うべきだ。

 あれこそ余生を過ごすに相応しいコンフォタビリティではなかろうか。ちいさな思い付きは想像力を餌にむくむくと育っていきました。が、この思い付きには大きな障害があります。椅子は大きい! 重い! 鞄に詰めて、あるいは背負って気軽に英国に持ち帰るわけにはいかない! のです。どこでもドアが欲しい。心底そう願いました。助けてードラえもーん。
 ともかくも、わたしはSONGBIRDへ向かいました。徳田さんの「無理ですね」とか「難しいですね」という言葉を期待して。もしかしたら客にドラえもんが混じっているかもしれませんし。賢明な読者の皆さんはもうお判りでしょう。諦めるために行ったようなものなのに結果は真逆でいよいよ彼の椅子が入手したくなったのはいうまでもありません。
「なんでここのチェアってこんなに楽ちんなんでしょう? ハイテク系と違って見た目はすごくシンプルなのにこの収まりのよさは何?」
「人間工学に基づいた椅子って、椅子のほうが人間の体に添ってくるようなデザインでしょう? うちのはね、人間の体のほうが椅子に馴染んでくるんですよ」
「ああ、いわはる意味わかります。【人馬一体】ならぬ【人席一体】みたいな。不思議な心地よさ」
「実はぼくらの肉体ってすごくよくできているんです。預けられたシチュエーションに絶妙に慣れてゆく。だから体が''ええな''と感じてくれる環境を与えてやれば自然に体のほうから快適になる」
「なるほど。テクノロジーによって創り出された自然な快適さとは本当は不自然なものなんですね。対してSONGBIRD謹製は、なんというか人間が本来持っている自然治癒能力を活かすわけだ」
「ハイテクもひとつの手法ですが全てやないので」
 徳田さんの話を聞けば聞くほどセールストークされているわけではないのに注文したくなっていきます。
「いま座ってもらっているカフェの椅子は平均値をとっていますが御つくりおきは使われる方に合わせて徹底的にサイズにこだわって製作しますから座り心地は折り紙つきです。普通に眠れる」

徳田さんの考えや態度の「しなやかさ」はまさに京男。
京都造形大学非常勤講師も務める。

 ほとんど困ってしまって窓へと首を巡らせたとき、ティッシュケースの笑顔があったらわたしはその場で発注していたかもしれません。けれどフレームの向こうには二条城を取り巻くお濠の並木の鮮やかな緑がラメみたいにちらちらするばかり。しかし、そのちらちらが問題でした。まるで金箔を織り込んだ西陣織みたいだという連想が新たな妄想を喚起したのです。
「あのう、もしかして椅子に張るファブリックってこちらが選んだものでなく家具用に使われる強度さえあれば持ち込むことも可能なんでしょうか」
「当たり前ですよ。御つくりおきなんやから」
 この新たな思い付きのおかげでわたしは、とりあえずその場での御つくりおき依頼をなんとか踏みとどまれました。けれどその晩には「細尾くんひさしぶりー。ちょっと相談したいことがあるんやけど時間取れる?」とさっそく連絡。善は急げ。日本滞在時間は短いのです。

"西陣"が創造するラグジュアリネスを象徴する大店。
美意識を横糸に歴史を縦糸に革新が紡がれゆく場所。

 細尾くんとは元禄創業の織屋「細尾」の若主人、細尾真孝くんのこと。この連載で紹介してきた「金網つじ」の辻くん「朝日焼」の松林くんらも参画するGO ONなる職人集団の一員で、顔なじみはありました。が、親しいというほどではなかった。でも同じ西陣出身という親近感も手伝って声をかけることができました。…いや、正直な話、わたしはわたしの余生椅子のアイデアに夢中で我を失っていただけかもしれません。だってだって、いま細尾が作っているテキスタイルときたらサイコーなんですよ!

 実家は髪結いで、こどものころからきものに囲まれていました。当時は今出川通り沿にあった西陣織会館で毎月開催されていたきものショウの着付けとヘアメイクをうちが担当していたせいもあってわたしは楽屋に入り浸り。やはり魅了されていたんでしょうね。いまにしてみれば「その疋田鹿の子には花七宝の爪織綴よりこっちの唐織正倉院文様のがええんちゃう?」なんていう小学生、相当に気持ち悪いと思いますが。
 ともあれ細尾の生地にはその当時の情熱を再燃させてくれるがごとき美しさが、まさに折り目正しく織り込まれています。しかも150㎝幅で。
 そうなんです。細尾は本来32㎝しか幅を出せなかった西陣織機を改良して洋装はおろかインテリアにも流用できるファブリックをものしたのでした。これによって古典柄は新たに蘇り、西陣が蓄積してきた様々なテクニックに再び光が当たり、想像もできなかった表現が可能になり、技術の壁に阻まれていた斬新なデザインが次々と誕生。まさに豊穣の様相を呈しています。

和服は分業。それゆえ優れたプロデューサーが必要。まるで細尾くんは伝統あるオケの 若き主任指揮者のごとし。『ミセス』にルポルタージュ「日本の美しい布」を連載中。

 知己を得てからというもの、三つ児の魂を騒がせているだけにとどまっていた、とどまるしかなかった細尾の織布を我がものとする千載一遇のチャンスが到来したのですから興奮しないほうがむしろおかしいというものでしょう。実家からすぐのショウルームを訪ね、一枚一枚見せていただきながらもSONGBIRDチェアにそれらが張られた姿ばかりが頭に浮かびます。
「ねえ、これって個人的にメートル単位で分けていただいたりできるの?」
 けっこうどきどきしながら訊くとあっさりYESの答えが返ってきました。柄によっては余り布があるので、それでよかったらお譲りしますよ、ということでした。と、ここは思案のしどころです。だって余生を腰かけるのだから「これぞ!」のものを選びたいじゃないですか。しかもそう遠くない未来、京都にファブリックショップをオープンさせるというのです。
 選択肢は多ければ多いほうがいい。次の帰国までにゆっくり案を練るのも楽しい。もちろんこのタイミングだってチャンスには違いないけれど、2年後にツレと一緒に店に行ってそれぞれが好きな生地を選び、余生を並んで座るのも悪くない。どうやって英国に送るかの算段もゆっくり立てられるだろう。早く欲しいのはやまやまだけど余生を延ばしてもらったと考えればいいじゃないか―。
 かくて無事にロンドンに戻ったわたしは件のONチェアに身を埋め、窓際のティッシュケースにそんなようなことを呟きかけて自分を納得させているのでした。視線を落とすとハイテク椅子の手すり部分はいよいよ窶れが目立ち、ああ、こいつも細尾の緞子に張り替えできたらなんぼかいいだろう? と空想したりするのはもはや病膏肓といえるかもしれません。
 ただ、たしかにこうは思うのです。クリスチャンディオールの室内装飾やディヴィッド・リンチのアートワークに使われるのもそりゃあ素敵だけれど、西陣織の優雅はテクノロジーに支配された乾いた世界を潤す慈雨であるべきではないか。ひいては最先端技術を駆使する人たちが座るべきは徳田さんが創造したような椅子なのではないか。
 きっとわたしの余生椅子は姿形の端正さゆえ、機能性の美がちらちらキラめく一脚となるでしょう。

関連サイト

SONGBIRD DESIGN HP

http://www.songbird-design.jp/webstore/

ヴィーゲ社HP

http://www.wiege.com/en/

IREMONYA [イレモンヤ] HP

https://www.iremonya.com

株式会社細尾 HP

http://www.hosoo.co.jp

イケズの構造

2007/08/01発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

入江敦彦

いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)

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