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私、元タカラジェンヌです。

2021年3月30日 私、元タカラジェンヌです。

はじめに~私、元タカラジェンヌ見習いです~

著者: 早花まこ

 宝塚を目指すという将来の夢は、極めて限定的だ。
「ミュージカルや演劇をやる人になりたい」という夢ならば、様々なレッスン方法や経歴が達成に繋がる。だが、「宝塚の舞台に立ちたい」場合、その舞台に続く道はただ一本であり、それ以外のコースでタカラジェンヌになることはありえない。

 宝塚歌劇団は、創設から100年以上の歴史を持つ劇団である。生徒と呼ばれる劇団員は未婚女性のみで約400名、女性が男性を演じる男役と娘役とに分かれていて、特に男役スターは多くのファンを持つ。
 宝塚を目指す人は、宝塚音楽学校の受験に自らの全てを掛けて挑むものだ。宝塚歌劇団に入団するための学校はここしかないので、全国から志望者が集まる。
 応募資格は15歳(中学3年)から18歳(高校3年)までの女性。要綱にある「容姿端麗」という条件が、受験生の心を大いに不安にさせる。
 よく知られているように、宝塚音楽学校の入学試験はかなりの難関だ。3月の合格発表の様子が毎年ニュースで報道されるように、季節の風物詩ともなっている。受験の倍率は、平均して約25倍。私自身そんな「狭き門」を潜り抜けたわけだが、小柄で不器量な上、飛びぬけた特技がない私のような凡人は、とにかく運が良かったという一言に尽きると自分では思っている。
 宝塚受験とは確立されたひとつのジャンルであり、受験生とその家族のビッグイベントなのだ。

 2020年3月、私は宝塚歌劇団を卒業して、元タカラジェンヌとなった。
 2002年に入団してすぐ雪組に配属され、18年間宝塚の舞台に立った私も、はじめの一歩は宝塚受験から始まった。
 まれに「記念受験のつもりが受かってしまった」「宝塚を一度も観たことがなかったけれど、周囲のすすめでなんとなく受験したら合格した」という人もいる。だが受験生のほとんどは睡眠時間を削ってレッスンに励み、遠方の教室に通い、血のにじむような努力を重ねる。
 そして見事合格を勝ち取っても喜ぶ暇はなく、厳しい学校生活が始まる。2年間で礼儀作法を学び、歌、ダンス、演劇に加えて日本舞踊やタップダンスまで、舞台で必要な技術を身につける。もちろん、その2年の間には何度も試験があるので、同期内の成績順位争いも大変熾烈なものだ。

 そんな宝塚歌劇団を卒業するまでの18年間、私は実に様々な人と出会った。
 ひとつの舞台には、多くの関係者が存在する。出演者、演出家、スタッフさん、劇場関係者の方、それに報道の方など。おそらく、いまだに私が知らない職種の方も多く関わっているだろう。
 例えば、一口に舞台スタッフさんといってもその部署は色々だ。大道具、小道具、音響、照明、衣装係。舞台で使う靴だけを製作する方々もいる。
 舞台に関わる沢山の人たち、その中でも歌劇団の生徒は皆とびきり個性的であった。「ただものではない」という言葉がピタリと当てはまるような猛者ばかり、非常にバラエティーに富んでいた。
 豪快な失敗談が伝説として語り継がれている方。24時間お稽古場にいるのでは?と思われていたほど練習熱心だった方。舞台でもファンの前でも普段の生活でも男役のスタイルを崩さなかった方…。
 時には舞台について何かと考え、思い悩むこともある。劇団以外の人の客観的な意見を取り入れるのは大切だが、やはり宝塚の先輩に教えてもらうしかない!という類のことも多かった。
 宝塚は、女性が男性を演じることだけでもそうだが、受け継がれてきた伝統美や形式美が根底にある。だからこそ、他の演劇やエンターテインメントの常識だけではうまくいかないことも。ペアダンスの組み方、衣装の着こなし、時には役の心情まで…そんな悩みを抱えている時、宝塚の生徒ほど頼れる「アドバイザー」はいないのだ。
 上級生になってからも、下級生の人から教えられ、意見を言ってもらうことは多かった。そうして私は、実に沢山の生徒から多くの事柄を学ばせてもらった。
 前述した厳しい入学試験に耐え、日夜闘い続ける劇団での日々。10代で親元を離れ、青春のすべてを宝塚の舞台に捧げる―。特殊かつ過酷な環境の中で生き抜く彼女たちは、強靭な精神力を養っていく。だからこそ、その言動や信念には芯があった。

 それはトップスターをはじめ、スターと呼ばれる立場にいる人たちに限らない。
 花・月・雪・星・(そら)組の5組それぞれに約80人の生徒が所属しているのだが、そのうちの10人にも満たない一握りの人のみが「スター」で、その他大勢は「スターではない人たち」になる。
 そんな彼女たちが口にする「主役でなくても良い」「舞台の脇を締める存在でいたい」「群舞で踊ることは最高に楽しい」といった言葉を、スターになれなかった者の負け惜しみと言う人もいるだろう。
 そうなのかもしれない。スターになることを「勝ち」と表現するならば、それは負け犬の遠吠えだ。そう思われても構わない。 
 けれど決してそうではない。私自身も、脇役の一人に過ぎなかったから確信をもって言える。

 宝塚音楽学校時代からお芝居が好きだった私は、通行人でも市民の一人でも、宝塚の舞台で役を演じていることが楽しくて仕方がなかった。スターさんを羨ましがる暇もないほど、「その他大勢」にはお稽古することがたくさんあった。
 とあるお芝居のパーティーの場面で、お客さん役の男役がグラスを落としてしまった。お芝居が終わった後、周りにいた上級生に謝りに行った彼女は、真ん中にいた主役に謝らなかったことを叱られた。
「脇役は、スターさんを敬いなさい」ということではない。グラスの落ちた音が誰かのお芝居の邪魔になっていなかったか、考えるべきだったのだ。
 些細な物音が、その場面の雰囲気を壊してしまうことがある。台詞や役名のない人でもお芝居を作る役者としての意識を持つように、という注意であった。

 もちろん、スターになれない自分への葛藤は誰にだってあるだろう。新たな可能性を求めて、入団早々にやめていく人もいる。けれど、その葛藤にそれぞれが立ち止まり、迷った先に自分にしかないやりがいを見つけて独自の芸風を確立していくのも、宝塚の面白いところだ。

 タカラジェンヌに必要とされる能力の中に、自己プロデュース力がある。
 宝塚では、舞台化粧も髪型も、毎公演、生徒各自で行う。
 例えば男役さんは髪質や頭の形に合わせて、最も美しいリーゼントを作る技術を研究するし、娘役は1回の公演でいくつものアクセサリーを手作りする。舞台化粧は、自分の欠点(と自分で思う部分)をカバーする技がちりばめられ、とことんコンプレックスと向き合い続ける。
 このように一人のタカラジェンヌとして芸名を掲げ、自分自身を表現していくのが生徒の仕事だ。その上でひとつの歯車となり公演に参加するのだが、こんなにも個性的な人物が集まっても劇団や組としてまとまることが出来るのは、何故か。

 それは、誰もが自分の意志でここにいるから。そして、「宝塚の幕を開ける」という揺るぎない目標が間違いなく一致しているからだ。
 その思いにズレが生じたり、真剣であるがゆえにぶつかり合うこともある。しかし、上級生から下級生まで全員が苦労を積んで辿り着いた舞台の初日。ライバルとともに何ヶ月間も全力を注ぎ込んだ公演の千秋楽。ここにいる誰が欠けてもこの日は来なかったのだという実感が、心の底からこみ上げる。そんな瞬間が、在団中には何度もあった。

 ひとつの舞台を仕上げるまでには沢山の困難があり、その作品によってぶち当たる課題も様々だ。ベテランの上級生だって、未知の難問に挑むこともある。

 入団15年目に出会った作品「ドン・ジュアン」では、出演者全員がフラメンコに挑戦した。これまでもフラメンコの振付けを受けたことはあったが、本格的に踊るのはほとんど初めて。振付け家は、それまで宝塚とは関わりのない方だった。つまり、「この人はダンスが得意なスター」「この人は下級生だからできなくて当然」…など、全く通用しなかった。
 厳しい練習でくたくたになり、先生に叱られる毎日。気づけば全員で朝も夜も集まり、ひたすらお稽古をしていた。足が痛くてステップが踏めなくなった時には、床に寝転んで練習した。上級生も下級生も、分け隔てなかった。苦しいお稽古が、楽しかった。
 劇団の廊下に寝転がって足を動かし続ける人たちは、他の組の人たちにとってとてつもなく邪魔かつ不気味な存在であった。だが劇団ではたまにこのような奇異な練習をする人たちが現れるので、日常の一コマとして受け入れられていた。
 生徒は全員ライバル同士。だが、そんな人たちが一致団結した時のパワーはものすごく熱いのだ。そうして作り上げた舞台に立つ生徒は、スターでも脇役でも同じように輝きを放っていた。

 誰もが羨む立場にいるスターさんだって、他人には打ち明けられない苦しみを抱えていることもある。宝塚の生徒は立場や役柄など関係なく、自分と向き合い孤独な闘いを続ける人たちなのだ。
 その闘いの最中でも、仲間と面白いことを企てたり、子供のような悪戯に真剣に取り組んで叱られたり、常に笑いがたえない仕事場。忙しいほど、困難な状況にあるほど、宝塚の人は笑うことを忘れない。

 宝塚を卒業することが決まった私は、その頃、何人もの元タカラジェンヌの方々にこんな質問をしていた。
「退団の心構えを教えてください」
 先輩方からの答えは、実に様々だった。私が知っている方々だけでも、本当に沢山の「生きるための極意」を教えてくださった。
 お話を伺うたびにとっていたノートを何度も読み返すうちに、私は思った。現役生徒にはない広い視野、築き上げた感性と磨かれた着眼点。もっと、もっと、沢山の卒業生の皆さんからお話を聴きたい。
 宝塚という世界で生き抜いた人たち。めまぐるしいスケジュールの中、孤独や嫉妬と向き合い続ける「タカラジェンヌ」を仕事としながら、現実の中で確かに夢を見せ続けたその精神、技術、器の大きさは計り知れない。
 かつて舞台に懸けた思い、これまでの歩み方、自分と他者との向き合い方。卒業した方々が、宝塚で培ったものとは何か。
 元タカラジェンヌ見習いである私の、これからの歩みを照らし、叱りつけ、笑い飛ばしてくださる、そんな言葉をもっと聴きたい。

 宝塚を卒業した私を待っているのは、どんな現実なのだろう。
 18年もひとつのことにだけ目を向けていた、正統派「井の中の蛙」である。
 不安でいっぱいのこの世間知らずには、挑戦を続ける元タカラジェンヌ先輩方の頼もしい背中が、光り輝いて見えるのだ。

※4月6日公開予定の連載第1回目は「早霧(さぎり)せいな」さん。ご期待ください!

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana

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