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私、元タカラジェンヌです。

2022年10月5日 私、元タカラジェンヌです。

最終回 咲妃みゆ(前篇)自分自身でいるよりも、「誰か」を演じていたい

著者: 早花まこ

故郷の自然が育んだ感性

 あなたにとって、宝塚とは何ですか。これまで元タカラジェンヌの方々にそう質問するたびに、宝塚への思いが形となった一言が返ってきた。たとえ同じ言葉でも、それぞれの生き様から生まれた一言はどれも異なる意味をもっていた。

 彼女が語ってくれた、この問いかけへの答えは、彼女が宝塚にかけた歳月と情熱そのものだった。咲妃(さきひ)みゆさん。あなたにとって、宝塚とは何ですか。

 「ゆうみ」の愛称で親しまれる咲妃さんは宮崎県児湯郡高鍋町出身で、2010年に宝塚歌劇団に入団した。情感豊かな演技と楽器の音色のような輝きのある声は早くから注目され、月組から雪組へ組替えした後に、早霧(さぎり)せいなさんの相手役としてトップ娘役に就任。2017年に宝塚を卒業してから俳優として活動を続け、2021年には第46回菊田一夫演劇賞「演劇賞」を受賞するなど、その演技は高く評価されている。

 幼い頃から何度か転居した咲妃さんは、街中や山間、そして海の近くと、色々な場所で暮らした経験がある。いつも大自然が身近にある環境で、視覚や触覚、そして嗅覚を刺激されながら育った。たとえば…と、彼女は目を伏せ、懐かしそうに記憶を辿った。

 「稲刈りの時期の土のにおい。荒れた海の香り。雨が降り出す瞬間のにおい」

 こういった彼女の記憶と感性は、後の舞台で大いに活きることとなる。

 「自然に触れさせる。芸術に触れさせる。礼儀作法を身につけさせる。それ以外は好きなことをやらせる。その4つの教育方針が、ずっと揺るぎなくある家庭でした」

 小学校1年生の時に劇団四季の公演「美女と野獣」を観劇した咲妃さんは、生まれて初めて知ったミュージカルの世界に憧れを抱いた。小学校4年生で再び劇団四季の公演「ライオンキング」を観た時、彼女の気持ちはさらに熱くなった。

 「これだー!!って、心が燃え上がりました」

 子役が演じる「ライオンキング」のヒロイン、ヤングナラになりたい…いや、なるんだ! と情熱の赴くまま、すぐに全ての曲を歌えるようになった。だが当時は情報が乏しく、どうすればミュージカル俳優になれるのか見当もつかなかった。そこで咲妃さんは、観劇したミュージカルの公演プログラムに掲載されている全キャストの経歴を読んだ。芸術大学を卒業した人が多いと気が付いたが、彼女の周りに芸術系の学校へ進む人は1人もいなくてそれ以上の情報には辿り着けず、なかなか進む道が見えてこなかった。

 それでも熱い気持ちを捨てられなかった咲妃さんは、小学校5年生の時の「将来の夢を書く」という授業で、「ミュージカルスターになりたい」と書いた。それは、彼女が初めて夢を表明した瞬間だった。でも彼女に出来ることといえば、手に入れたミュージカルのCDを繰り返し聴いて、全曲を歌えるようになることだけだった

 中学校に進んで少人数の合唱部に入ると、歌うことがどんどん楽しくなった。当初は弱小クラブだった合唱部だがコンクールで良い成績を残すまでに成長し、「みんなで歌い、ひとつのものを作り上げる楽しさ」を彼女に教えてくれた。けれどやっぱり、ミュージカルに出るのは遠い夢のままだった。

 その頃には、得意だった英語を活かして、将来は通訳やツアーコンダクターになりたいと考えるようにもなっていたが「心底、その職業に就きたいのか」と考え込むこともあった。そんな咲妃さんに、父が突然、ある提案をした。

 人生の目標をしっかりと定めて欲しいという思いから、「同世代の女の子たちが夢を叶えようと必死に努力している姿を見れば、刺激を受けるのでは」と考えた父は、大学受験の1年前に宝塚音楽学校を受験してはどうかと勧めたのだ。

 「宝塚音楽学校がどんな所か、父自身も詳しく知らなかったそうです。それが、まさか本当にそこに進むことになるなんて…」

合格するはずのなかった宝塚受験

 宝塚音楽学校の合格倍率は平均して約25倍、宝塚歌劇団への唯一の入り口だ。全国から集まる15歳から18歳までの女性が、最大4回まで受験できる。受験のためのレッスン期間は少なくとも1年ほど、中には小学生の頃から家族一丸となってレッスンに励む少女もいる。

 咲妃さんがレッスンを始めたのは、宝塚受験のわずか2ヶ月前のことだったので、合格の望みは薄かった。

 小学校高学年から妹と2人でクラシックバレエを習っていたが、咲妃さんはそれに加えて宝塚受験コースのある教室で、歌やダンスを基礎から習い始めた。教室の先生から「今年は不合格だと思うけれど、来年も受けるならその練習になる」とアドバイスを受け、咲妃さん自身も合格するとは思っていなかったそうだ。試験会場の宝塚市へ向かうために飛行機に乗るということだけで、大冒険の気分を楽しんでいた。

 彼女が初めて宝塚歌劇を実際に観劇したのも、この時だった。演目は月組公演「ME AND MY GIRL」、明るく楽しいミュージカルに咲妃さんの心は踊った。

 「宝塚って、なんて素敵な世界なんだと思いました。それで受験を頑張ろうって、心が熱くなりました」

 宝塚歌劇についても宝塚音楽学校についても、予備知識がほとんどなかった咲妃さんにとって、この受験は驚きの連続だった。宿泊したホテルでは、早朝4時頃から他の受験生の発声練習の声が聞こえてきた。試験会場で気合の入った人たちに圧倒され、その上、ダンスの試験で見かけた元男役の振付家・(しょう)すみれ先生を、格好良い男性だと勘違いしてしまったという。当時のことを振り返った咲妃さんは、「有名な先生なのに、なんてこと」と顔を赤らめた。

 そんな咲妃さんだったから、合格発表で自分の番号を見つけた時の率直な気持ちは、「どうしよう、受かってしまった…」。

 思いもよらない合格に「喜びより、『目が点』状態」だったが、手が届かないと思っていた「舞台の世界」への道が開けたのだ。

 彼女の合格に、一番衝撃を受けたのは父だった。娘が精神的に成長してから大学に進めるようにと提案した宝塚受験だったのに、突然、関西地方に1人で行かせることになってしまったのだから無理もない。それでも両親は、高倍率の試験を突破した娘の進路を応援してくれたという。

 音楽学校への入学準備のために帰宅した咲妃さんが、祖父母の家へ宝塚合格の報告に行った、その時のことだった。咲妃さんの家族や親族の多くは公務員の道を歩んでいて、咲妃さんもそうするべきだと考えていた祖母が、烈火の如く憤ったのだ。孫の幸せを願う愛情ゆえのことだったが、それまで一度も声を荒らげたことのない優しい祖母が初めて見せた激しい怒りに、咲妃さんは驚いた。それでも彼女に、宝塚音楽学校への入学をやめるという選択肢はなかった。

 「知識は少なかったけど、とても貴重で有難い合格だということは分かっていましたから」

 こうしていよいよ宝塚音楽学校に入学すると、2年間の寮生活が始まった。

母からもらった太字の言葉

 「宝塚音楽学校の受験の時期って、まだ自我がきちんとは確立していませんでした。あの時に、宝塚とは何かっていう絶対的な考えを刷り込まれた感じですね。私にとってそれは良い結果に繋がったので、最良のタイミングで宝塚と出会えたんです」

 身につけるべき知識や技術を学ぶことで精一杯だった彼女は、全くホームシックにならなかった。辛くても、本科生や同期生の前で泣くことは決してしなかった。その理由は忘れてしまったそうだが、涙を流すよりひとつでも多く学ぼうとする強さと前向きさを感じる。

 「冷静だったわけではなく、ただ夢中だったんです」

 宝塚音楽学校2年目の本科生になると、本格的な芸事の練習がますます楽しくなっていた。それまで演劇経験はほとんどなかったものの、演劇の授業の成績は良かった。この頃から、彼女のお芝居の才能は発揮されていたのだろう。

 「いやいや! でも確かに、あの時から、お芝居が好きだったんですよね」

撮影中、「新潮社のイメージって?」というリクエストに応えてお芝居モードに入って下さった咲妃さん。

 そんな2年間の日々のなかで、咲妃さんは、宝塚音楽学校に送り出してくれた母の言葉をしばしば思い出すことがあった。

 「ゆうみは根性がある。お母さん、それだけは自信を持って自慢できるわ」

 「可憐な宝塚の娘役」になろうというのに、根性!? とびっくりしたが、娘の本質を見抜いた流石の一言だったと振り返る。

 「墨で太くデデンって書かれたみたいに、『根性』が心に残ったんです」

 華奢で愛らしい外見の内側に太字の「根性」を秘めて、憧れの舞台に立つため、咲妃さんは第96期の娘役として宝塚歌劇団に入団した。

お芝居が楽しかった頃

 2010年、月組公演「THE  SCARLET  PIMPERNEL」で初舞台を踏んだ後、咲妃さんはそのまま月組に配属された。お稽古と公演で大好きなお芝居に夢中になれる毎日を、彼女はただただ楽しんでいた。だが、宝塚に入団してすぐに重要な役をもらうようになると、「必ず良い演技をして責務を全うしなくては」という責任感が芽生えた。

 「だから、私が本当に心から宝塚を楽しんだ時期は、すごく短かったんです。でもそれは、早くから宝塚をお仕事として認識出来たということで、私にとっては良いことでした」

 目立つ役をもらうようになり、周囲の期待を感じるようになっても、「トップ娘役になりたい」という思いはなかったという。

 「ただ、劇団が私という生徒を必要としてくれているのなら、その期待に応えなくてはという気持ちだけがありました」

 「この時までは、純粋に楽しい気持ちで舞台に立っていた」と振り返るのは、2012年の「ロミオとジュリエット」だ。宝塚歌劇団には、宝塚大劇場と東京宝塚劇場でそれぞれ1回のみ、入団7年目までの生徒たちだけで上演される新人公演がある。この新人公演で、咲妃さんは研3(入団して3年目のことで、宝塚では所属年数を研究科○年と表す)の若さでヒロインのジュリエット役に抜擢された。だが彼女はヒロインということより、憧れの役を演じられる喜びではち切れそうだったという。

 トップ娘役に就任する以前から、咲妃さんはいつも謙虚過ぎるくらい謙虚な姿勢で、特に上級生と言葉を交わす時には少しの隙もないほど礼儀正しかった。

 「反省している時は凄い勢いで『すみませんでした』って謝るから、顔の距離が近いって、さらにご注意を受けていました」

 そんな姿勢は入団当初から変わらないのだと、咲妃さんは恥ずかしそうに笑った。

 その誠実な態度は、しかし前向きな気持ちから生まれたわけではなかったそうだ。「両親からの教えの影響かもしれない」と、彼女は子どもの頃の記憶を話してくれた。

 咲妃さんの両親は共に教師だったこともあり、その教育は細やかなものだったという。たとえば、お小遣いは毎月もらうのではなく、必要な時に予算を考えて両親に説明してお金をもらっていた。また、学校の試験の結果が出ると必ず、父と反省会をした。それは高得点を取れという叱責ではなく、「目の前のやるべきことに、しっかりと取り組んでほしい」という考えゆえだったという。

 また、咲妃さんの言動が良くないと判断されると、父から「何が悪かったと思うか、言ってみなさい」と意見を求められた。宝塚に入ってからも、目上の人に自分の意見を述べるとなると、子どもの頃と同じように緊張感を抱いたそうだ。

 「私の癖なのですが、相手が求めている答えを予想して、正解の言葉を考えてしまって…。それがとてもしんどかったです」

 可愛らしい外見に似合わない根性と謙虚過ぎる姿勢のせいか、上級生からは「ゆうみは変わってる」「実は芯が強いね」と言われることが多かった。それは「娘役らしくない」という意味にも聞こえて、そう言われる自分が嫌いだったが、「人とは違うところがある、芯の強い自分こそ私」なのだと、自信を持って表明する勇気もなかった。

 「だけど、演技をしている間は別人になれるじゃないですか。だから、お芝居することが好きだったなあ」

 お芝居をしていると自己肯定が出来る上にたまらない高揚感が得られ、咲妃さんはますます舞台の世界にのめりこんでいった。

「春の雪」の思い出

 綾倉(あやくら)聡子(さとこ)役を演じると決まった時、どんな気持ちでしたか。この質問に、咲妃さんはしばし深く考え込んだ。沈黙の後で出た言葉は、「怖かったです」。

 「ロミオとジュリエット」の新人公演でジュリエットを演じたすぐ後、咲妃さんはバウホール・日本青年館公演「春の雪」のヒロインに選ばれた。東京での上演を含む作品でのヒロインを研3でつとめるのは、めったにない大抜擢だった。原作である三島由紀夫の同名小説を読んだ咲妃さんは、「この役が自分につとまるだろうか」と言葉を失ってしまった。聡子は、主人公である松枝(まつがえ)清顕(きよあき)よりも年上の気高い女性で、彼女の恋心が変化していく様が物語の要となる。しかも相手役は、後の花組トップスター・明日海(あすみ)りおさん。確かな実力と美しさを兼ね備えた男役さんで、清顕にぴったりだと期待されていた。その明日海さんと対等に向き合い、豊かな情感を繊細に見せていく難役に、まだ20代になったばかりの咲妃さんが挑むことになったのだ。

 脚本、演出を担当した生田(いくた)大和(ひろかず)先生の高度な要求に応えられない自分が情けなくて、お稽古が終わって帰宅すると毎晩涙が溢れた。明日海さんは優しく、演技の技術や感情表現について手取り足取り教えてくださったが、

 「不器用な私はちっともついていけなくて…ご期待に添えず申し訳ありませんといつも思っていました」

 聡子役は、咲妃みゆで大丈夫なのか。おそらく周囲はそう思っていたはずだが、当時はそんな声を気に掛ける余裕もなかったと語る。

 初日の幕が開いてからも、咲妃さんにとっては苦労の連続だった。着物姿で舞台に出るのも初めて、舞台メイクも(かつら)の被り方も試行錯誤を続けたが、最後まで満足のいく仕上がりにはならなかったそうだ。それでも舞台に立てば、物語の世界に集中した。結果、咲妃さんの演技は好評を博し、彼女を実力派の新進娘役スターに位置付ける作品となった。「春の雪」は小作品ながらいまだに名作と語り継がれている。

 だが咲妃さん自身は、この公演を「力不足を痛感した作品」と浮かない表情で語る。「でも、観客から称賛されていると知った時は、達成感を得られたのでは?」と訊いてみた。彼女はうーんと眉間にしわを寄せ、「達成感」と繰り返した。

 「達成感は、今まで一回も、感じたことはないですけど…お褒めいただくと、少しだけ安堵しました」

 「ヒロインじゃなくて残念だったね」

 取材中に何度も感じたのは、彼女は褒められた時に「やった!」ではなく「ほっとする」ということ。観客の反応を見ても「私は良い演技をしたんだ」と満足することはないんですと、彼女はため息まじりに微笑んだ。

 その言葉を裏付けるのは、「春の雪」を含め、今まで出演した作品の映像は、ほとんど見返したことがないという事実だ。自分自身の演技を見ることは今後の舞台に役立つと理解してはいるが、どうしても出来ない。

 「自分が想像している演技の出来栄えの、半分以下の演技を見ると、心の底からがっかりしちゃうから。映像を見ることは、私にとってはプラスにならないんです」

 それに彼女は、あまりにも褒められると、過大評価をされている気がして不安になるという。

 実力派と評価される彼女だが、自分の演技を見るとがっかりするという言葉に、咲妃さんがめざす領域の高さが窺える。

 そんな彼女が、周囲の過度な期待を感じた出来事があった。「春の雪」の次作の大劇場、東京宝塚劇場公演「ベルサイユのばら」の新人公演で、咲妃さんは民衆の女・ジョアンナ役をもらった。大勢の民衆で作り上げる迫力あるシーンを演じてみたかった彼女は喜んだが、周囲の人たちからは「ヒロインじゃなくて残念だったね」と慰めや励ましの言葉を掛けられてしまい、困惑したそうだ。

 「私の思いはみんなの期待とは違うんだな…と。でもそれで良いんだ、私は好きな役に全力で取り組もうと思ったんですよ」

 怒りや悲しみを跳ね除けて自由を求める市民ジョアンナを演じられたことは、大切な経験として今も心に残っている。どんな役にもまっすぐ丁寧に取り組む咲妃さんに、再び大きなチャンスがやってくる。

衣通姫の「言葉」

 2013年、バウホール公演「月雲の皇子(みこ)」で、後の月組トップスター・珠城(たまき)りょうさんの相手役を、咲妃さんがつとめることになった。脚本と演出を担当した上田久美子先生は、人物や風景を細密に描き、凛とした世界観を舞台に打ち出す演出をされる。そのためには一切の妥協を許さない、厳しいお稽古をする方だった。

 「先生からハイレベルな要求をされるお稽古は、すごく難しかったです。でも、演じれば演じるほど役の理解が深まっていくのを経験出来たことは大きな学びでした」

 咲妃さんが演じる衣通姫(そとおりひめ)は、物語の前半ではほとんど言葉を発しない。お芝居が進むにつれて抽象的な台詞を重ね、その生き様で物語の本質を表す役だった。うわべの雰囲気や勢いでは掴めない役柄を、どのように作り上げたのかと尋ねると、上田先生の思い描く衣通姫を追求するのに必死だったと彼女は答えた。

 「自分がどうしたいかは、私にとっては二の次、いや、三の次くらいなんです。だから…すごく時間がかかります。まず演出家さんの要望を理解するところから始めるから、どのお役を演じるのも、大変」

 演出家からすれば手のかかる役者ですと笑った。

 咲妃さんは、儚く清らかな女性が運命に抗う様を演じ切った。衣通姫を通して、「人間には何層もの感情があり、表に出る気持ちはほんのひと(しずく)なのだ」と学んだという。

 下級生ながら着実に経験と実力を身につけた咲妃さんは、次の大劇場公演、東京宝塚公演「ルパン―ARSÈNE  LUPIN―」の新人公演では再びヒロインに選ばれ、月組娘役スターとしてますます脚光を浴びていく。

 CS放送の宝塚歌劇専門チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」では、生徒へのインタビューや公演の座談会が放映される。若い頃から主要キャストに選ばれていた咲妃さんは、スカイ・ステージの番組への出演機会が多かった。だが、上級生の中でカメラを向けられ、「あなたの役柄は?」「好きなシーンは?」などと質問されても、うまく答えられなかった。

 「まだ下級生ですし、お稽古場では叱られてばかりでご迷惑をかけている立場で、偉そうにお話しできないですよ。どうしようって思っていると、話すテンポがどんどんゆっくりになって…『時を止める達人』でした」

 当時の自分を振り返り、咲妃さんは声を上げて笑った。ただし、どれだけ時間がかかっても、嘘の気持ちを語ることはしなかったという。

 役が憑依したかのような演技で観客を圧倒する舞台姿と、カメラの前で口ごもり遠慮がちに話す咲妃さんの姿には大きなギャップを感じた。本人としては辛い仕事だったようだが、そこが可愛らしく魅力的だったと、視聴者の1人として伝えたい。

新たな一歩

 様々な役の経験を積み重ねた下級生時代、特に忘れられないのは、シアター・ドラマシティ、日本青年館公演「THE MERRY WIDOW」のヒロイン、ハンナ・グラヴァリ役だ。とあるシーンのお稽古で、演出の(たに)正純(まさすみ)先生が突然「咲妃、好きに動いてみろ」と指示を出した。それまで「こうやってみたい」と自ら動いたことなどほとんどなく、自分のアイディアに自信がなかった咲妃さんは大いに動揺した。だが「出来ません」とは言えないお稽古場で、彼女は腹を括った。

 とりあえず思いつくまま大きく動き回り、喋ってみると、谷先生が大笑いして喜んだという。気がつくと彼女のお芝居には、より豊かな感情が伴っていた。

 「時には、とにかくやってみるということが大切だと学んだお稽古でした」

 下級生の頃から今に至るまで、咲妃さんが目標にしていることがあるという。

 「演出家さんに、この人面白いなって思われること」

 ヒロインを演じる時も、メインキャストであることを意識するより、登場人物の1人としてうまい調味料でありたいと思って取り組んできた。「THE MERRY WIDOW」のお稽古場で自分の新たな一面を見出し、「面白い」と言われた経験は、またひとつ彼女を成長させた。そしてこの公演期間中に、咲妃さんは、雪組へ組替えになると知らされた。

 約4年間慣れ親しんだ月組を離れることは、とても寂しかった。自分は「迷惑ばかりかける下級生」だと思っていた咲妃さんだが、月組の皆さんは大いに別れを惜しんでくれて、その思いがけないあたたかな空気に驚いたそうだ。組替えの後も、月組の生徒と会えば楽しげにお喋りする彼女の姿が印象に残っている。

 そして、当時の雪組はトップスターの世代交代の時期を迎えていたが、咲妃さんの雪組への組替えは、「トップ娘役」の立場が約束されたものでは、まったくなかったという。それに咲妃さんは、どんな立場になるかというより、新しい環境で舞台に立つことが楽しみでしかなかった。雪組に馴染めるか、不安はあったが、咲妃さんは組替えをきっかけに、もっと積極的に人と関わろうと決心していた。

 「相手と関係性を築くことを恐れずに、人の言葉を心で受け止める。新しい環境で、そういう人になりたいって思っていました」

 それまで、他者から評価されることで自分の価値を見出していた彼女は、自ら「どういう人になりたいか」を模索し始めていた。

(続きは単行本『すみれの花、また咲く頃 タカラジェンヌのセカンドキャリア』でお楽しみください)

咲妃みゆ(さきひ・みゆ)
1991年生まれ。宮崎県児湯郡高鍋町出身。
俳優。元宝塚雪組トップ娘役。宝塚卒業後は舞台や映像、歌など幅広いジャンルで活躍している。
オフィシャルサイト https://sakihimiyu.com/
インスタグラム @miyusakihi

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana

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