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私、元タカラジェンヌです。

2023年8月31日 私、元タカラジェンヌです。

特別編 妃海風(後篇) 「私らしさ」を貫いて、心にいつもトキメキを

著者: 早花まこ

あの人気連載が帰ってきました! 元宝塚雪組の早花まこさんが、元タカラジェンヌたちにインタビュー。彼女たちの宝塚時代の喜びや葛藤から、卒業後の「セカンドキャリア」までをレポートした、「私、元タカラジェンヌです。」。同連載は、『すみれの花、また咲く頃 タカラジェンヌのセカンドキャリア』と改題、2023年3月に刊行されました。そのヒットを記念して、元星組トップ娘役の妃海風さんをゲストにお迎えした、特別篇を公開いたします。

前回の記事はこちら

 宝塚歌劇と聞くと、大きな背負い羽根を思い浮かべる方は多いだろう。公演の最後に出演者全員が大階段を降りてくるパレードのシーンで、トップスターは大きな羽根飾りを背負う。

 開演前、薄暗い舞台袖にはその背負い羽根が吊るされている。妃海さんは下級生の頃、誰もいない時間に舞台袖に行って、自らの背中に大羽根をこっそり当ててみたことがあるそうだ。

 「触らないように気をつけながら、おお、こんな感じか! ってトップさん気分を体験してみました」

 まるで悪戯を告白するように語る彼女を見ていると、胸を高鳴らせながら大きな羽根の前に立つ姿が思い浮かんだ。

 「いつか私が、あの大きな羽根を背負えたら」

 そう願うようになった彼女は、子供の頃から変わらない宝塚歌劇への憧れを持ち続けていた。

 妃海さんが初めて宝塚歌劇を観劇したのは、小学校2年生の冬だった。父がたまたま招待チケットをもらって、月組公演「バロンの末裔」「グランド・ベル・フォリー」を観に行った。初の宝塚観劇は、少女に大きすぎる衝撃をもたらした。

 「両方の鼻の穴から鼻血が出始めて、止まらなくなっちゃって」

 両隣に座った祖母と母に左右から鼻の穴をティッシュペーパーで押さえてもらい、なんとか観劇を続けたという忘れられない客席デビューとなったわけだが、おばあ様とお母様の驚きと苦労を思うと笑ってはいられない状況だ。

 宝塚歌劇の何がそこまで、彼女の心を揺さぶったのだろうか。言葉にするのは難しいと首を傾げながらも、「華やかさとか美しさだけではなくって、宝塚の世界観にすごいショックを受けたのかな」と呟いた。

 宝塚歌劇と衝撃的な出会いを果たした頃、妃海さんはクラシックバレエを習い始めた。「娘の猫背と内股を直したい」という母の願いがきっかけだった。

 「自分の足を踏んで転ぶくらい、内股でしたからね!」

 親に促されて始めたバレエはあまり好きになれなくて、「上達して宝塚に入りたい」とは考えてもいなかったという。

 再び宝塚観劇に行ける機会はなかなか訪れず、妃海さんの憧れは募るばかりだった。家族に宝塚ファンがいなかったため、一人で早朝に起き出しては、録画した宝塚歌劇の舞台映像を見るのが唯一の楽しみだったが、

 「子供心にも、ラブシーンはなんだか見ちゃいけない気がして。どきどきしながら見ていました」

 待ちに待った2回目の宝塚観劇は、彼女が小学校3年生の時の雪組公演「(しゅん)(おう)()」「LET’  JAZZ―踊る五線譜―」だった。初観劇の演目とは全く違う日本物公演の幽玄な美しさに、またしても魅了された。

 それからはタカラジェンヌのお稽古や公演の入待ち、出待ちを見に出掛けていたというから、もう立派な宝塚ファンだ。大好きだった元月組トップスターの真琴つばささんの写真を生徒手帳に挟み、学校で眺めてはため息をつく日々。

 格好良い男役さんに寄り添う娘役さんは、いつも綺麗で可愛い存在でいて欲しいと、まるで恋敵のように見つめていたという。その目線は、後々、妃海さんを支えることになる。

宝塚パワーで人生が激変

 子供の頃の妃海さんは人見知りで、家から出たがらないほどシャイだった。

 「それなのに、宝塚に出会ったその日から、ぱん!と性格が変わっちゃった」と、まるで魔法にかかったように人前に出ることが得意になった彼女は、中学生の頃にはクラスいちのお調子者になっていた。記憶にあるのは、学園祭の時に、映画「美女と野獣」を元にした小さなミュージカルを上演したこと。参加して欲しいクラスメイトに声をかけて練習し、彼女自身は堂々と主役ベルを演じて皆の拍手喝采を浴びた。

 自分で考えた即席コンサートで、お気に入りのアイドルの歌を熱唱することもあったという。そんな自作のショーの構成や演出を考えるのは、とても楽しかったそうだ。

 宝塚歌劇の舞台に立つためには、宝塚音楽学校の入学試験に合格しなくてはならない。毎年春になると、その合格発表の様子が報道されるほど狭き門だ。受験資格があるのは15歳(中学3年生)から18歳(高校3年生)までの女性で、クラシックバレエと声楽、面接などの試験がある。妃海さんが宝塚の舞台に立ちたいと考えたこともなかったのは、宝塚音楽学校を受験できるのは特別な人たちだけだと思い込んでいたからだった。

 「なんというか、貴族みたいな、特別な人たち…そんなの、いないですけど。とにかく私みたいな『普通の人』は受験できないと思っていたんですよ」

 大笑いしながら必死に説明する彼女だが、その気持ちは分からなくもない。

 「私でも受けられる」と分かれば、宝塚受験へ一直線! と思いきや、彼女の熱意に待ったをかけたのは母だったそうだ。

 いつまでも宝塚に熱中している娘を見て業を煮やした母から、「恋をして、もっと高校生活を楽しんで」とロマンティックな説得をされ、中学3年生での宝塚受験は見送った。高校に入学すると、仲良しの友人たちと過ごす楽しい毎日が待っていた。

 「宝塚のことをすっかり忘れて、高校生活をエンジョイしちゃったんです」

夢の舞台へまっしぐら

 彼女が再び宝塚歌劇への情熱を思い出したのは、高校生活の終わり頃だった。友人たちがそれぞれの進路を決めていく中で、彼女は進みたい道がなかなか見つからない。そんな時にふと「大好きだった宝塚を、もう一度観てみようか」と思い立った。

 月組公演「パリの空よりも高く」「ファンシー・ダンス」を観劇した後、遠ざかっていた夢の世界がぐっと彼女の心に迫ってきた。両方の鼻の穴から血が出たほどの、あの衝撃的な感動が蘇ると、「宝塚の舞台に立ちたい」という意気込みがふつふつと湧いてきたのだ。彼女はすぐに、行動を開始した。しばらく休んでいたバレエのレッスンを再開し、声楽も習い出し、宝塚受験への挑戦が始まった。

 夢への純粋な憧れとは別のところにも、宝塚受験に燃えた理由があったという。子供の頃から大好きなアーティスト、歌手の及川光博さんが宝塚歌劇を好きだということを知って、妃海さんの心はさらに熱くなってしまった。思い余った彼女は、及川さんへこんな手紙を書いて送ったという。

 〈私が宝塚に合格したら、芸名をつけてください〉

 とんでもないファンレターを書いたものだと、妃海さんはため息をつく。及川さんからのお返事と芸名は、いまだに彼女の元へ届いていないそうだが、

 「もしもこれからお返事が来て新しい芸名をもらったら、私、改名するかもしれません」

 そして高校2年生の時、妃海さんはついに初めて宝塚受験に挑戦した。

 懸命にレッスンしてきたバレエと声楽の課題は落ち着いてこなしたが、彼女は思いがけない窮地に陥ってしまった。リズムダンスの試験があることを、受験当日まで知らなかったのだ。宝塚受験のためのレッスンに通っていた人たちは皆、予備知識があった様子。どうしよう…と戸惑った時、ぴんと閃いたことがあった。いつも歌い踊っていた、得意な曲があるじゃないか。

 「大丈夫。私にはミッチーがついてる!」

 他の受験生がジャズダンスやモダンダンスのステップを踏む中、彼女は及川さんの「Shinin’ Star」をノリノリで披露した。最後は試験官の一人をばちっと指差してウインクを飛ばし、「絶対に受かった」と思ったそうだ。

 その手応えは確かで、1次試験に合格した妃海さんだったが、2次試験の会場で自信が大きく揺らいでしまう。1次試験を突破してきた受験生は、美しくてスタイルの良い人ばかりに見えた。控室では、そんな受験生たちが顔見知り同士で固まって準備に余念がなく、妃海さんはその雰囲気に圧倒されてしまった。しかし、ここで落ち込む彼女ではなかった。「一緒に頑張る仲間がいないなら、今から作ろう」と思いつき、自分と同じように一人で過ごしている受験生たちに声をかけてまわった。

 「初めて会った人と励まし合っていたら、なんだかすごく強い気持ちが生まれましたね」

 ともに受験を乗り切った友人たちは、妃海さんがタカラジェンヌとなってからもずっと応援してくれたそうだ。

 受験当時を明るく振り返る彼女の言葉を聞いていると、私が宝塚受験を経験したのは遥か昔のことだが、緊張感溢れる控室でも「お互い頑張ろう」という不思議な連帯感を抱いたことを思い出した。試験では蹴落とすべきライバルたちであるとしても、宝塚歌劇に憧れて頑張ってきた全国の同年代の人たちとの出会いだった。不安と緊張との孤独な戦いの最中、皆に明るく声をかけた妃海さんには、強さと優しさを感じずにはいられない。

 当時は、3次試験で初めて面接が行われていた。「特技は何か」「入団したらどんな生徒になりたいか」など舞台に関する質問を想定していたのだが、彼女が訊ねられたのは「何の食べ物が好きですか?」。

 「本当はポテトチップスが好きなんですけど、健康的だと思われたくて」

 妃海さんは元気よく「肉じゃがです」と返答した。

 「でも、好きな食べ物って、聞くことない時に聞くやつじゃないですか。あー、終わったわ…って思いましたよ」

 優秀なライバルたちを見た上に「肉じゃが事件」がダメ押しとなって、自信は全く持てないまま合格発表の日を迎えたという。それは母も同じで、「合格発表を見たら、カフェでお茶を飲んでからうちへ帰ろうね」と母娘でおっとり言い合っていたそうだ。

 「だから、合格者が発表されてからしばらくは、そんなに真剣に自分の受験番号を探さなかったんですよ」

 妃海さんが合格していると気がついたのは、発表の数分後。結果を知って泣いたり笑ったりする受験生たちの喧騒がやや落ち着いた頃に、「ぎゃあ〜! やったあー!!」という彼女の声があたりに響き渡った。

 「そしたら、取材に来ていた記者さんとカメラが一斉に、私を目掛けて集まってきちゃった」

 おかげで合格の記念写真がたくさん残っているのだと、妃海さんは笑う。そして、のんびりとカフェに寄って帰るつもりでいた母の驚きを思うと可哀想になってしまうと付け加え、また笑いを噛み殺した。

ノリノリで撮影する妃海さんと早花さん。「星組っぽいポーズ!」から一転、なぜか手を重ね合う不思議なポーズに。撮影中もずっと笑いがたえませんでした

「涙の予科生活」のはずが

 期待に胸を膨らませた妃海さんを待ち受けていたのは、予想もしなかった学校生活だった。

 宝塚音楽学校は当時、舞台に必要な上下関係や礼儀作法を叩き込まれる試練の場所だった。そんなことなど全く知らずに入学してしまった彼女は、本科生の本格的な指導が始まってから「とにかく必死で、生き抜かなくては」と青ざめたそうだ。

 この、予科生(入学して1年目の生徒のこと)の生活とは、タカラジェンヌならみんな「家に帰りたい」と涙したと語る苦しい日々なのだが、ここでも妃海さんは持ち前の底力を発揮した。

 「極限状態の大変な生活だったけど、同期生と過ごす時間が楽しすぎて、毎日爆笑していました」

 どんな場所でも友情を築き上げる彼女の明るさには驚嘆してしまう。

 毎日ともにバレエや歌の授業を受けては比べられ、優秀な同期生と自分との差に落ち込み、羨ましく思うことはたくさんある。そんな競争相手である同期生のことを、彼女は迷いなく「友達」と呼んだ。人と繋がることで、妃海さんの宝塚での日々は豊かになっていった。

 「礼真琴ちゃんや(はる)()アキちゃん、猪突猛進な私を落ち着かせて的確なアドバイスをくれる()(さき)()(おん)ちゃん。仲良しの友達は皆、成績が良かったんですよ。それで、私も成績を上げるしかないっしょ!っていうノリになってしまって」

 そんなノリで成績が上がるなんて信じられないのだが、コツコツ積み上げた実力と、大好きな仲間と一緒に努力するエネルギーは、彼女にとって絶大だった。

 夢中で過ごした2年間の生活を終えて、妃海さんは5番という好成績で、宝塚歌劇団に入団した。

 初舞台公演は、2009年の宙組公演「薔薇に降る雨」「Amour それは…」。

 当時の宙組生は、妃海さんたち初舞台生を優しく迎えてくれた。組の規則や上下関係も緩やかな雰囲気だったので、「毎日ウキウキ」と過ごしたそうだ。その後、星組に配属された彼女は、あまりの違いに愕然とすることになる。

 妃海さんたち最下級生がお稽古に合流した時、星組は大劇場公演のお稽古真っ只中だった。その途中から放り込まれた彼女たちは、参加した途端に容赦なく鍛えられることになってしまった。

 「宙組の娘役さんは皆、パステルカラーのお稽古着にふわふわしたヘアアレンジでした。それが星組は皆、全身原色で、髪の毛一本縛り」

 大変アクティブで、格好良い娘役の方々だった。

 「こりゃあ、すごいとこに入っちゃったなーと思いましたよ…」

 当時の星組はパワフルな舞台を持ち味とした、活気のある組だった。熱いムードの中に飛び込んだ妃海さんは、彼女曰く「なんでもやるぞ精神」が上級生に歓迎され、星組生らしく熱意を持って過ごしていたそうだ。

 その中で、トップ娘役だけはプリンセスとして特別大切に扱われていた。さすがスターさんは素敵だなと見惚れていたが、その頃はまだ、可憐なお姫様は彼女にとってまだまだ遠い存在だったという。

あの頃の「私」がいる

 彼女がピンク色のリボンや花柄が似合うタカラジェンヌに成長し、星組の新進娘役として前進することができた日々には、どんな心がけがあったのだろうか。

 「それはもう、はっきり言えます。宝塚ファン時代の私がいたからです」

 瞳を輝かせて、彼女はその秘密を語ってくれた。

 宝塚歌劇に夢中だった頃、格好良い男役に寄り添う娘役には、「もっと綺麗に」「もっと可愛く」と厳しい視線を送っていた。そのうちに、「理想の娘役像」がどんどん膨らんだという。

 たとえば、ファンの方とにこやかに接すること。自分の話よりも、男役さんの言葉を大切にすること。

 自分自身にも常に厳しい目線を送り、自然と自らを客観視していたことで、冷静かつストイックに努力を続けることが出来た。

 その気持ちはこんな助けにもなったと、妃海さんは付け加えた。

 「宝塚の大ファンだったから、下級生の頃でも経験の全てに感動していました。どんなお衣装を着ても、何をしても幸せな気持ちで頑張れました」

 「ロミオとジュリエット」を経て演技の幅を広げた妃海さんは、次のシアタードラマシティ、日本青年館公演「日のあたる方へ―私という名の他者―」でもヒロイン役をつとめ、続く「眠らない男・ナポレオン―愛と栄光の涯に―」では2度目となる新人公演のヒロイン役に選ばれた。その活躍が認められ「阪急すみれ会パンジー賞」を受賞するなど、いよいよ娘役スターの道を歩んでいった。

 でも常にライバルは多く、いくら努力しても次の公演はどうなるか分からないと、毎日ひやひやしていた。公演の配役などから、「組替えになるのではないか」「私はトップ娘役にはならないだろう」と感じることも多かったそうだ。

 自力で変えられない現状を前にして彼女が思いついたのは、「どういう自分になりたいか、より深く考えよう」ということだった。多忙な生活の中の休日さえも、自分を知るための時間だったと言い切る。宝塚ファン時代に見ていた宝塚歌劇の映像を見返すのも、単なる娯楽ではなかった。

 「映像を見ると、『昔、憧れていた世界に、今、私はいるんだ』って再確認できる。それが、お稽古や公演を頑張る原動力になっていました」

 ノートを片手に、一人で海を眺めに出かけることもあったという。

 「海を見ながら、思いついたことを書き留めて。それもやっぱり、いつか夢を叶えるために自分と向き合う時間でしたね」

 将来への不安に心が揺れ動くたびに必死で気持ちを立て直し、全力で舞台をつとめていた妃海さんは、とうとう夢にまで見た言葉を告げられた。2015年の「ガイズ&ドールズ」で、彼女は北翔さんの相手役として宝塚大劇場と東京宝塚劇場でのトップお披露目を果たした。

夢が叶った2年間

 トップ娘役は、華やかな舞台姿の裏で大変な苦労を伴う立場だ。トップスターさんの魅力を引き立てながら、自らも美しく輝かなくてはならない。舞台以外に公演の宣伝などのお仕事をこなし、他の娘役と同じように舞台で使う髪飾りやアクセサリーを手作りすることもある。妃海さんも、夢を叶えた喜びよりも「星組を代表するにふさわしい娘役でいなくては」という責任をひしひしと感じたという。

 そんな彼女を支えてくれたのは、またしても星組の仲間だった。どんな時もすぐに手を差し伸べてくれる人がたくさんいたことに、深く感謝しているという。

 そして、トップ娘役としての自覚を持ちつつものびのびと舞台に立つことができたのは、未熟な自分を大きな心で受け止めてくださった北翔さんのおかげだったと、力を込めて語った。自分だけが褒められるよりトップコンビを応援してもらえると、北翔さんと作るあたたかい気持ちが循環しているようで、とても嬉しかったという。

 トップ娘役という立場になっても、新たな作品に取り組む時の試行錯誤は変わらない。そんな妃海さんが、「唯一、全然、悩まなかった公演」と語るのが、東京国際フォーラム、梅田芸術劇場公演「LOVE&DREAM」だった。ディズニーの楽曲と宝塚歌劇がコラボレーションした、ファンタジックで素敵なレビューだった。子供の頃からディズニーが大好きだった妃海さんにとって、それはまさに夢の公演。いつもは悩み苦しむお稽古も、この時だけは毎日楽しくて仕方なかったという。

 「憧れの、ディズニーのプリンセスになって、素敵な王子様がいて…この公演、一生ロングランしてもらえますか!?って本気で思いました」

 ディズニーと宝塚歌劇のコラボレーションは、それぞれを応援する人たちの間でも大きな話題となった。そのどちらも心の底から「大好き!」と言える妃海さんが演じたからこそ、観客は夢の世界に浸ることができたのだろう。

 トップ娘役に就任してから大きく変化したのは、「妃海風」という人物が、多くの方々によっても作られていく感覚があったことだった。

 「それまでより、とても生きやすい環境になったと感じていました」

 その言葉に、私はとても驚いた。知名度が上がると、表に出ている情報だけが周知され、人物像が一人歩きしてしまうことがある。それを苦痛に思う人もいるけれど、妃海さんは違ったのだ。

 「私が作り上げてきたのは嘘の自分ではなく、いつも本心を出していたから。本当の自分自身を、大好きな皆さんに知ってもらえていました」

 世間に認知される「妃海風」と、本当の自分に、違いがない。それはとても難しいことに思えるが、実現している彼女を目の前にすると、その率直な良さに心を打たれた。

 有名になると、本来の自分でいられる時間が削られたり、他者から心ない言葉を浴びせられたりするのが怖くなることがある。しかしトップ娘役になった妃海さんは、人と関わることが以前よりもっと好きになったという。「今の私があるのは、自分一人の力ではなく、出会った全ての人たちのおかげだ」と強く感じていたからだった。

 「お稽古期間は悩んでも、舞台に立つと『うまく演技できているか』とか『私は綺麗かな』なんて考えられませんでした。ただただ、お客様と向き合える幸せが爆発してた感じ」

 その幸せは、2016年に北翔さんとともに宝塚歌劇団を卒業するまで、変わることはなかった。

 「桜華に舞え―SAMURAI The FINAL―」「ロマンス!!(Romance)」東京公演の千秋楽、宝塚歌劇団の正装である紋付袴姿で、妃海さんは大階段を降りた。その瞬間、彼女の心には、ここにいる皆とそれまで出会った全ての人たちへの感謝と優しさが満ち溢れた。

 「舞台から見守ってくれる星組の皆と、客席のお客様の顔が見えたんです。あんなにあたたかな顔、見たことがなかった」

 そして最後の舞台で語り出した、率直で飾り気のない挨拶に、観ている人は「ふうちゃんらしさ」を感じた。どんな時でも偽りのない姿で舞台に立ち続けた彼女だからこそ、伝えられた言葉だったのだろう。

 舞台の上の彼女はいつも幸せそうで、楽しそうで、その明るさが観る人の心にも灯りをともしてきた。その小さな、でも強く輝く光を舞台上にそっと残して、「娘役・妃海風」は宝塚を卒業した。

カルチャーショックを乗り越えて

 宝塚歌劇団を卒業してから1年間、妃海さんはときめきを感じるものを探し続けた。様々な芸術や音楽に触れ、その楽しさに夢中になった。

 高校を卒業してすぐに宝塚歌劇の世界に飛び込んだ彼女にとって、エンターテインメントは仕事だった。タカラジェンヌではなくなってから初めて純粋にエンターテインメントに触れてみて、その必要性を実感したのだと語る。

 「たとえばお芝居を観るとか、歌を聞くとか、そういうことはこんなにも日常生活の中に彩りを与えてくれるものだって。もう一度『ああ、舞台がやりたい』と思いました」

 妃海さんは2018年、三谷幸喜さんが演出を手掛けた舞台「江戸は燃えているか」に出演した。そこで出会った驚くほど個性豊かな役者さんたちに、宝塚歌劇以外の世界の広さを思い知らされることになる。

 「たとえば、タカラジェンヌが全員ピンク色、その中で濃いピンク、薄いピンクという違いだとしますよね。この時出会った方たちは黒、黄色、ゴールド…」

 お稽古場からカルチャーショックの連続で、しばらくはその環境に順応出来なかったという。

 「役者の志の持ち方や思考、夢の描き方まで、今までの世界にいた人たちとは全く違いました」

 トップ娘役になるというたったひとつの夢を追い続けてきた妃海さんが気づいたのは、「夢の追いかけ方って、ひとつだけじゃないんだ」ということだった。目標をひとつに絞ると、他の可能性は消えてしまう。色々なことに挑戦する人たちとの出会いに、彼女は大いに影響を受けた。

 「心がときめくものは、いくつ持っていても良い。そう教えられました」

 2018年から4年間、朝日放送テレビ「朝だ!生です旅サラダ」のレポーターをつとめたことも貴重な経験だった。レポーターとしてのテレビ出演も海外ロケも初めてだったが、学びが多いお仕事だったと振り返る。そこで感じたことは、彼女にある確信をもたらした。

 「テレビのお仕事はすごく楽しかったけど、私はカメラを通してではなく、『目の前にいる誰か』と接することが好きだと再確認したんです」

人と関わって生きていく

 宝塚歌劇団を卒業してからの彼女は「人に会うことが職業みたいだった」と笑うくらい、毎日誰かと会っては言葉を交わしたという。

 さらに、2022年に発表した結婚をきっかけに、人間関係は変化しつつ深まるものだと体感し、人と関わって生きる楽しさをより強く感じるようになったと語る。

 宝塚歌劇団の生徒は若い頃から多くの人、それも世代も考え方もばらばらな個性溢れる人たちと一緒に舞台を作る。下級生の頃から人と語り合うことが大好きだった妃海さんは、気が合わないのではと思う人とも、少しの工夫で心を通わせられることが多かったという。コミュニケーションがうまくいかない状況の人を見て「ヒントをあげられたら」と思うこともあったそうだ。

 そうして始めたのが「妃海風 愛され♡コミュサロン」だった。毎日の生活の中で悩みがちな、人との関わり方、自分の気持ちを他者に伝える方法を、色々な人たちと共有していきたいという妃海さんの思いから生まれた活動だ。

 「宝塚で教えてもらったコミュニケーション術、私自身のスキルを活かして誰かに伝えていけたら良いなと思っています」

 実績を積んできたミュージカルや演劇の舞台から離れることに、不安が湧き上がることもあるという。そんな時に思い出すのは、理想の自分に近づくためイメージチェンジをした経験だった。「あの時みたいに、進むべき道がはっきりと見えていれば、不安も迷いもなくなるはず」と胸を張る。

 私がこれまで出会った元タカラジェンヌの方々に訊ねてきた、ひとつの質問を投げかけると、「そうですよね、この質問ですよね」と覚悟を決めたような表情で彼女は考え込んだ。

 妃海風さんにとって、『宝塚』とはどんな場所ですか?

 「夢なんだけど、夢じゃなかった場所。夢は現実になるんだって、気づかせてくれたのは、『宝塚』が初めてだったって思います」

 子供の頃に心底憧れて、客席から観ていた大階段。そこに、自分が立つ。そこで歌い踊る。そんなふうにひとつひとつ、信じられないくらい素敵な夢が叶っていった場所だった。

 「私が夢を現実にできた日々、それは幻じゃなかった。それが、『ディズニーランド』です」

 最後に最も大切な言葉を思いっきり間違えてしまうとは…どんなに真剣なシーンでも一瞬で大笑いが巻き起こる、これは彼女の才能と呼ばずにはいられない。

 「これから、夢へ向かう道は一本じゃなくて、いくつもの道を持ちたい。軽い足取りでたったか、たったか、歩んで行けたら良いな」

 宝塚で過ごした日々、妃海さんは一本の道を駆け抜けた。だからこそ到達できた夢だけれど、「今は自分のゆとりとか家族とか『帰る場所』を忘れないようにしたい」と語った。

 人生には夢が溢れている。

 そんな素敵なことが信じられなくなったり、綺麗事に思えたりする時もあるけれど、妃海さんの明るい笑顔が「全部、本当のこと」だと教えてくれる。年齢も立場も生きる環境も障壁にはならなくて、「私も夢を叶えることができるんじゃないか」と思えてくるのだ。

 思わず「ふうちゃんっぽい、なんだか感動する」と呟くと、彼女は小さな歓声を上げた。

 「それ、一番嬉しいんです。『ふうちゃんっぽい』っていうの、そういう私でありたい」

 たったか、たったか、軽やかな足音に耳を澄ませれば、私は私の人生を歩み出す勇気を受け取れる気がした。

(おわり)

 

妃海風(ひなみ・ふう)
1989年生まれ、大阪府出身。元宝塚星組トップ娘役。宝塚卒業後は舞台やテレビなど幅広いジャンルで活躍。
「妃海風 愛され♡コミュサロン」 https://lounge.dmm.com/detail/6100/
インスタグラム @fuhinami_official

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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著者プロフィール

早花まこ

元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
note https://note.com/maco_sahana

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