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インドの神話世界

2018年12月26日 インドの神話世界

4 神話学からみる『バーフバリ』2

著者: 沖田瑞穂

 今回は、前回に引き続き、映画『バーフバリ』の神話的な読み解きを進めましょう。
(以下、映画『バーフバリ』に関するネタバレが含まれています。ご注意ください。)

映画『バーフバリ2 王の凱旋』より。
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シヴァガミ、息子を盲目的に愛する(『バーフバリ』)
盲目の王・ドリタラーシュトラ、息子を盲目的に愛する(『マハーバーラタ』)

 アマレンドラ・バーフバリとバラーラデーヴァの「母」として、そして「国母」として、強大な権力を握るシヴァガミ。このシヴァガミのイメージは、実は『マハーバーラタ』に登場するクル族の盲目の王・ドリタラーシュトラと深い関係にあります。両者は性別も違います。一方は盲目の王、他方はカッと目を見開いた演技が特徴的な国母。しかし両者は、息子に対する「盲目の愛」というテーマを共有しているのです。
 まず両者は、「王位継承できない息子」の親です。ドリタラーシュトラの場合は、息子のドゥルヨーダナが従兄弟のユディシュティラ(パーンダヴァ五兄弟の長男)より後に生まれたため、生まれながらにして王位継承権から離れていました。『マハーバーラタ』にはこんな記述があります。

ドゥルヨーダナが生まれると、ドリタラーシュトラ王は顧問らを集め、先に生まれたユディシュティラが王国の第一継承者であることに異論はないが、ドゥルヨーダナは次の王になるか、聞きました。するとジャッカルなどが唸り、恐ろしい前兆が生じました。王弟ヴィドゥラがその子を捨てるよう進言しましたが、ドリタラーシュトラは息子に愛着して従いませんでした。(第1巻第107章第27-33詩節)

 一方シヴァガミの方は、息子のバラーラデーヴァが従兄弟のバーフバリよりも先に生まれましたが、カーラケーヤ族との戦争の後、シヴァガミ自身が、息子よりも徳高いアマレンドラを次期国王に指定しました。これによってバラーラデーヴァは王位継承から外されました。
 このようにしてドリタラーシュトラもシヴァガミも、「王位継承できない息子の親」となったのです。

 『マハーバーラタ』では、ドゥルヨーダナが父王に「ユディシュティラから息子、さらにその息子に王位が受け継がれる」と不満を漏らします(第1巻第129章第15詩節)。同じような場面が『バーフバリ』にもあります。ないがしろにされてきたシヴァガミの夫であるビッジャラデーヴァが息子のバラーラデーヴァに、「そなたが継ぐべき王国。バーフバリとその子孫に王位を奪われる」と漏らすのです。どちらも、自分や息子が王位につけないだけでなく、王位が恒久的に従兄弟や甥の血筋に奪われることを嘆いています。

 ドリタラーシュトラとシヴァガミの共通点はこれだけにとどまりません。細かいところも似ています。たとえばそれぞれ、王家の嫁(ドラウパディーとデーヴァセーナ)が登場する場面です。
 ドリタラーシュトラ王は、弟の言葉を勘違いして、自分の息子ドゥルヨーダナが婿選び式(スヴァヤンヴァラ)で王女ドラウパディーを妻に得たと考えて喜びました。さらにドリタラーシュトラはそのドラウパディーに、多くの装飾品を与えるよう命じています(第1巻第192章第19-20詩節)。
 一方シヴァガミも、バラーラデーヴァが妃に望んだデーヴァセーナに、多くの装飾品を贈るよう命令しています。「装飾品を嫁に与えようとする」というモチーフが、ドリタラーシュトラの場合と共通しています。
 さらにシヴァガミは、アマレンドラが連れ帰ったデーヴァセーナは、自分の息子の嫁になるものと思っていました。「甥の嫁を息子の嫁と勘違いする」という細かいモチーフも、ドリタラーシュトラとシヴァガミで共通しているのです。

 最終的に、運命の輪を回すのもドリタラーシュトラとシヴァガミです。両者は、「死と戦争」につながる命令を下すという共通点があるのです。
 ドリタラーシュトラは息子ドゥルヨーダナにそそのかされ、『マハーバーラタ』の大戦争の原因となる運命の骰子賭博を行うよう命令します。この骰子賭博でいかさまが行われ、賭けの対象にされたドラウパディーがひどい辱めを受けたことが、後の大戦争の原因となったのです。
 シヴァガミもまた、アマレンドラ殺害をカッタッパに命じるという絶望的な運命の決定を下すことになります。これによりアマレンドラが死に、やがて息子マヘンドラによる敵討ちの戦争が行われるわけです。

シヴァガミの宣誓(『バーフバリ』)
クンティーの言葉(『マハーバーラタ』)
――「母の言葉」

 シヴァガミは部分的に『マハーバーラタ』の主役の五兄弟の母・クンティーの要素も持っています。クンティーの発した言葉はダルマ「法」とされます。五兄弟が婿選び式(スヴァヤンヴァラ)でドラウパディーを獲得して帰宅すると、クンティーはそれを見ずに「お前たちで分けなさい」と言ってしまいました。お布施の食糧と勘違いしたのです。しかしながら母の言葉は絶対とされます。そこでユディシュティラは「母がそのように言いました」としてドラウパディーを兄弟で妻として共有することにしました(第1巻第182章)。
 シヴァガミの方は、「デーヴァセーナをバラーラデーヴァの妻とする」という宣誓をしました。これを実現させるため、アマレンドラにデーヴァセーナを捕虜として連れ帰らせます。しかしデーヴァセーナはアマレンドラを夫に選びました。シヴァガミは自らの法を曲げることはできず、次善の策として、バラーラデーヴァを王位につける宣誓をすることになったのです。
 クンティーの言葉が「母の言葉」として絶対的であったように、シヴァガミの「母の言葉」も絶対的であったのです。
 『マハーバーラタ』では、ドラウパディーの一妻多夫婚は「クンティーの虚偽を免れるため」と説明されます(第1巻第187章第28-30詩節)。シヴァガミの場合も「宣誓が虚偽にならない」ことが重視され、自らの宣誓を破らないための行動が次々に裏目に出て、最終的にアマレンドラ暗殺指令を下すまでに至ります。

王権の女神としてのシヴァガミとケルトの神話

 シヴァガミは「国母」として自ら王権を掌握し、次期国王の決定権も担っています。このようなシヴァガミと王権との結びつきは、アイルランドに残されたケルト神話と比較できるでしょう。アイルランドは、距離的にはインドと遠く隔たっていますが、同じ「インド・ヨーロッパ語族」という同系統の言語で、神話にも似ているところがたくさんあります。
 アイルランドには、王権と女神との深いつながりを示す神話が豊富に残されています。そこでは、王権のあらわれである女神は大地そのものです。老い衰えた王の悪政によって大地が豊穣を失った時には、女神は醜い老婆の姿で現れ、若い力ある王によって大地が豊穣を取り戻すと、女神は絶世の美女となります。王はこの女神と結婚することによって、初めて王たる資格を真に得ます。そのため、王妃は女神と同一視される存在でした。
 ケルトの神話によると、人間の王エオホズ・アイレヴがアイルランドの王位に就いた時、彼には妻がいなかったので誰も税を払おうとしなかった。この王はアイルランド一の美女エーディンを探し出して結婚することで、ようやく王として認められた、とされています。

 このような王と王妃の関係は、王と女神の関係によって説明されます。例えばケルトには次のような神話があります。

 ダーレ王には、ルギドという同じ名の五人の息子がいた。彼らのうち、黄金に輝く小鹿を得た者が王位を継ぐという予言がなされた。ある時五人の王子たちは従者を連れて、馬を駆って出かけた。小鹿を見つけて追っているうちに、濃い霧が出てきて、王子たちは従者と引き離された。ついにルギド・ライグデが鹿を捕らえて殺した。大雪が降ってきたので、王子の一人が避難場所を探しに行った。彼は火が焚かれ、食べ物とビールが豊富に用意された家を見つけた。そこには一人の醜い老婆がいた。彼女は、もし自分と床を共にするならば、ベッドを貸そうと言った。王子は拒んだ。他の王子たちも、次々とその家に行ったが、誰もそこで夜を過ごさなかった。最後にルギド・ライグデが家に入り、老婆についてベッドに行った。すると驚くべきことに、老婆の顔は五月の朝の太陽のように輝き、芳香にあふれていた。ルギドは彼女を抱きしめた。彼女は言った、「私は王権です。あなたはアイルランドの王位を得るでしょう」。(A. H. Krappe, “The Sovereignty of Erin” American Journal of Philology 63 (1942): 444-454.)

 インド神話にも同様の思想があり、ラクシュミー(シュリー)という幸運と王権の女神は、多くの文献で王の妻とみなされています。

 王妃を王権女神の体現であるとみなす観念は、神話の中だけに見られる過去の遺物では決してなく、現代のインドにも連綿と生き残っているようです。そのことを示すと思われる一つの記事を紹介しましょう。2003年6月8日付けの朝日新聞(朝刊)の、短い記事です。

「この国は、独身の(カラム)大統領と(バジパイ)首相が統治している。ヒンドゥー教の書物によると、これは非常に縁起が悪い。だから熱波と干ばつが広がっているのだ」/インド中部、マドヤプラデシュ州のシン州首相が選挙演説で語った、とタイムズ・オブ・インディア紙が報道。同州首相は国政では野党の国民会議派に所属する。

 指導者には配偶者=王権の女神の化身が必要であり、それが不在であれば天変地異が起こるという観念が、直接的に言い表されています。

 シヴァガミはこのような、ケルトとインドを含むインド・ヨーロッパ語族がもともと持っていた共通の神話に遡り、かつ現代インドにも命脈を保つ「王権の女神」の化身なのです。シヴァガミが映画の中で何度も高らかに宣言する台詞「この宣誓を法と心得よ」は、王権を体現する女神としての資格において発せられます。また彼女は王権の女神として次の王を選び、王の即位後も王権を担います。さらには死後なお力を保ち、最後のマヘンドラ即位の場面においてもその名が以下のように挙げられることになります。

 (マヘンドラ・バーフバリの台詞)「国母シヴァガミを証人に、布告を発す。民は勤勉と正義を信じ、正しき行いに努めること。これに反する行いをすれば、首を切られ、奈落に落ち業火に焼かれる。ここに国王が誓う。この宣誓を法と心得よ」!
(引用:劇場パンフレット『バーフバリ 王の凱旋 「完全版」』より)

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"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

沖田瑞穂

おきた・みずほ 1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専門はインド神話、比較神話。主著『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『インド神話物語 マハーバーラタ』(監訳、原書房)、共編著『世界女神大事典』(原書房)。

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