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インドの神話世界

2019年1月9日 インドの神話世界

5 神話学からみる『バーフバリ』3

著者: 沖田瑞穂

 前回は、マヒシュマティ王国の王権を掌握するシヴァガミと、神話の王権の女神との関連について取り上げてきました。
 今回のテーマは、シヴァガミの嫁、デーヴァセーナの結婚です。
(以下、映画『バーフバリ』についての重要なネタバレが含まれています。ご注意ください。)

映画『バーフバリ2 王の凱旋』より。
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自ら花婿を選ぶ王女

 クンタラ国の誇り高き王女・デーヴァセーナ。アマレンドラ・バーフバリに連れられてマヒシュマティ王国に嫁いでいきました。ところが、集会場でシヴァガミが発した言葉は、「そなたの夫はバラーラデーヴァです」というもの。デーヴァセーナは怒りました。シヴァガミの前で堂々と「王族の女は自ら夫を選ぶ。知らぬのですか」と言い放ちます。
 このように王族の女性が自ら夫を選ぶというのは、おそらくは叙事詩における王族の女性の婿選び式「スヴァヤンヴァラ」を念頭に置いているものと思われます。スヴァヤンヴァラとは、サンスクリット語で「自ら選ぶ」という意味で、叙事詩の王女たちの主要な結婚形態となっています。

 スヴァヤンヴァラでは、国王が各地から呼び集めた王や王子が一堂に会す中、全く自由に王女が夫を選びます。たとえば、こんな話があります。

 ヴィダルバ国のビーマ王に、ダマヤンティーという美しい娘がいた。彼女はニシャダ国のナラ王に恋患いし、嘆いてばかりいた。これを見たビーマ王は、娘のスヴァヤンヴァラを催した。スヴァヤンヴァラには諸国の王が集ったが、その中にはナラ王の他に、インドラ、アグニ、ヴァルナ、ヤマという神々も来ていた。ダマヤンティーはナラ王を夫に選ぶことを心に決めていたが、諸王が集うスヴァヤンヴァラの会場で彼女が見たのは、五人のナラ王だった。四柱の神々がそろってナラ王に変身していたのである。ダマヤンティーは慎重に神々と人間との相違について考えを巡らせ、神々に祈りつつ、正しくナラ王を選んだ。彼女はナラ王に近づいて彼の衣服の端をつかみ、彼の肩に花輪を投げかけた。神々は二人に贈物を与えて祝福した。(第3巻第50章~54章)

 このように全く自由に夫を選ぶのがスヴァヤンヴァラの基本形態ですが、その発展形として、『マハーバーラタ』の女主人公ドラウパディーのスヴァヤンヴァラでは、夫の選択に弓の競技という要素が加えられています。次のような話です。

 パーンチャーラ王は、娘のドラウパディーをアルジュナ王子に嫁がせたいと考えていた。そこで彼は娘のスヴァヤンヴァラを催し、アルジュナにしか引くことのできない剛弓を作らせ、集まった王や王子たちに、その弓を引いて的を射た者に娘を与えると告げた。諸王は次々に弓を射ようとしたが、誰もそれを引くことができなかった。しかしバラモンに変装したアルジュナは弓をやすやすと引き、用意された的に命中させた。ドラウパディーは微笑みながら白い花輪を持ってアルジュナに近づいて行った。(第1巻第174章~179章)

 インド神話で頻繁に語られるスヴァヤンヴァラは、ギリシャ神話の女主人公・ヘレネの夫選びの場合と比較できるところがあります。

 ヘレネの女神のような美しさは諸国に名高く、王や王子たちがヘレネの父テュンダレオス王のもとに群がり求婚していた。そこで父王は選択をヘレネに任せ、そして誰にせよ選ばれた者の権利を、他の全ての求婚者たちは尊重しあうようにと取り決めたという。

 このヘレネの結婚は、数多くいる求婚者の中から自由意志で夫を選んでいるという点で、ダマヤンティーの場合と共通しています。

 ギリシャ神話には、インドのスヴァヤンヴァラのもう一つの形態、「弓矢の競技を伴う夫の決定」という要素を含む話も見られます。英雄オデュッセウスのトロヤ戦争後の冒険物語『オデュッセイア』に記される、次のような話です。

 オデュッセウスの妻ペネロペイアは、夫の長い留守の間に多くの求婚者が屋敷に押しかけては酒宴を行ない、夫の財産を使い果たしていくことに耐えられなくなり、ついに再婚を決意し、夫の剛弓を持ち出して求婚者たちに弓の競技を持ちかけ、その弓を引いて的を射ることができた者の妻になると宣言した。求婚者たちは誰もその弓を引くことができなかったが、汚い身なりをしてひそかに自分の館に帰っていたオデュッセウスが、この弓を引いて見事に的を射て、妻ペネロペイアを取り戻した。

 この『オデュッセイア』の話は、王女ドラウパディーの婿選び式において、アルジュナ王子が弓の競技に勝利して彼女を得たことと似ています。さらに、アルジュナがバラモンに変装していたように、オデュッセウスも、女神アテナの計らいによってぼろ布をまとった老人の姿に身をやつしていました。この点でも、二つの神話は奇妙な類似を示しています。

 身をやつすという点で、これらの話はアマレンドラとデーヴァセーナの出会いの場面につながります。アマレンドラは身分を隠し旅人に身をやつしてデーヴァセーナと出会ったのでした。

 王女が自ら夫を選ぶという神話は、女神が王を「選択」するという観念を反映しています。これに関して、次のような神話が『マハーバーラタ』に記されています。

 バリはかつてアスラたちの支配者として権勢をきわめ、神々をも凌駕するほどに繁栄していた。しかしある時それらの全てを失ってしまった。インドラがバリのところにやって来て、バリの今の落ちぶれた境遇について話をしていると、バリの身体から繁栄の女神シュリーが輝かしい姿で現れた。彼女は言った、「バリはあらゆる徳を失ったので、私は彼を離れて、インドラの中に住みます」。(第12巻第216-218章)

 王権と繁栄の女神シュリーが、悪魔であるアスラ王を捨てて、神々の王インドラを選んだという話です。これと似た話は、『マハーバーラタ』の別の箇所にも記されています。

 ナーラダ仙とインドラが川のほとりで話をしていると、第二の太陽のように光輝く女神が、ヴィシュヌの車に乗ってアプサラスたちを従えて現れた。彼女は言った。「私はシュリー・ラクシュミーです。私はかつてアスラとともに住んでいました。彼らは以前は徳高かったのですが、今は反対の性質になってしまいました。インドラよ、私は彼らを離れてあなたと共に住むことを望みます」。インドラは彼女を受け入れた。それ以来、天地の全ての生類は幸福と繁栄を享受するようになった。(第12巻第221章)

 この神話の最後の部分では、インドラがシュリーを受け入れたことによって世界が正しく動き始めたことが記されています。その様子は次のように描写されています。

 インドラは正しい時期に畑に雨を降らせた。法の道から外れる者は誰もいなかった。大地は多くの宝石の鉱脈によって飾られた。誉れ高い人間たちは正しく祭式を行い、喜びに満ち溢れた。人間、神々、キンナラ、ヤクシャ、ラークシャサたちは、繁栄と幸福と栄誉を得た。果物や花は、たとえ風に吹かれた時にも、時期を逸して木から落ちることはなかった。如意牛は甘露のような乳を出した。誰の口からも不快な言葉が語られることはなかった。(第12巻第221章第90-92詩節)

 シュリーが王権の女神としてインドラを神々の王に「選んだ」ことにより、世界に秩序と繁栄がもたらされたのです。これは、女神シュリーの「スヴァヤンヴァラ」であったと考えることができます。

 映画では、デーヴァセーナはシヴァガミの前でアマレンドラを結婚相手に選び、彼の方へ歩みを進めました。これがデーヴァセーナのスヴァヤンヴァラだったのです。これによって彼女は「王権の女神」として彼を王に選んだことになります。しかし『バーフバリ』にはもう一人の王権の女神の化身が存在しています。言うまでもなくシヴァガミです。デーヴァセーナとシヴァガミは「二人の王権の女神」として物語の中で対立し、シヴァガミが王位継承を宣言したバラーラデーヴァと、デーヴァセーナが夫に選び、その後王位奪還を求めたアマレンドラの対立がさらに明確になります。
 シュリーがインドラを選んだように、王権の女神が正しく王を選べば、世界に吉兆が生じます。ところがバラーラデーヴァの即位の場面では、「バーフバリ・コール」が生じ、地面が震動する天変地異が起こりました。不気味な予兆を感じさせる場面です。このことは、シヴァガミが王の選択を間違えたこと、そして二人の王権女神の並存が神話的には不可能であることが表現されているように思います。

 アマレンドラは道を過った王権女神に殺害されました。しかしシヴァガミはすべての過ちに後から気づきます。そしてアマレンドラとデーヴァセーナの息子を「マヘンドラ・バーフバリ」と名付け、次の王であると宣言しました。アマレンドラとは、アマラ・インドラで「不死なるインドラ」の意、マヘンドラはマハー・インドラで「偉大なるインドラ」の意です。どちらもインドラ、「神々の王」です。従って、マヘンドラはアマレンドラの生まれ変わりなのです。シヴァガミは自らの命を捨ててこの子を守りました。川に流されながら必死でマヘンドラを掌で持ち上げた、最初の場面です。

 「シヴァ神よ!命が欲しければ、持って行くがよい。ただし、この子の命は見逃せ。帰りを待つ母のため生きねばならぬ。マヒシュマティ王国の王座につくため―マヘンドラ・バーフバリは、生きねばならぬ!」(引用:劇場パンフレット『バーフバリ 王の凱旋 「完全版」』より)

 こうして、王権の女神は命と引き換えに本来の姿に立ち戻ったのです。もう一人の王権の女神、デーヴァセーナは、25年もの長きにわたり鎖につながれた屈辱的な状況を耐え忍び、夫アマレンドラの生まれ変わり、息子のマヘンドラに救われ、最終的に彼を王位に就けることになりました。そして、その先にはアヴァンティカがいます。マヘンドラの恋人として登場した美しき女戦士です。次はアヴァンティカが、王権の女神として王を守ることになるのでしょう。

※3回から5回までの『バーフバリ』についての分析は、「インド文学史」科研の中間報告書に掲載されたものを元に、大幅に加筆修正したものです。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

沖田瑞穂

おきた・みずほ 1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専門はインド神話、比較神話。主著『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『インド神話物語 マハーバーラタ』(監訳、原書房)、共編著『世界女神大事典』(原書房)。

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