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土俗のグルメ

2023年7月14日 土俗のグルメ

第13回 土俗な寿司マニフェスト

著者: マキタスポーツ

 はっきり言って私は、寿司にコンプレックスを感じている。そのコンプレックスをタイムカプセルに詰めて、未来へのメッセージとしたい。

 メシに上等だの下等だのと言いたくないのが、この連載の趣旨ではある。が、寿司だけはそうもいかないような気がする。明らかに低価格のそれと、高級店のそれとは違うのであり、タッチパネルで注文したり、寿司だけじゃなくハンバーグやエビフライが回っていたりするような店と、値段が書かれていないカウンターだけの店とでは、雲泥の差があるのは事実である。

 かてて加えて、「金持ちの食い物」というイメージがあるのも厄介だ。しかも、一代目の成金とかではなく、安定期に入った二代目の金持ちの倅あたりじゃないと、「寿司をどうの」と語ってはいけないような、そんな気がするのだ。

 「大将とは、祖父の代からのおつきあいで、全てお任せでお願いしています」

 そんな母乳代わりに寿司をついばんで来たような者らが語るべきものという気がして、腰が引けてしまう。私なぞは山国生まれなのだ。

内陸県出身者の複雑な寿司観

 私は山梨県の出身である。だからなのか、寿司に対して「全面的に好き」という気持ちがある一方で、複雑な思いも確かにあるのだ。

 こんなデータがある。

 山梨は人口10万人あたりで割り出すと、29.52軒の寿司店があるのだそう。この数字をどう見るかが問題だ。

 ちなみに、石川県は28.24軒、東京は24.42軒。北陸のお魚天国より、寿司発祥の入江の戸口より、人口比で言えば山梨の方が寿司店の数が多い。

 実はこれ、「総務省経済センサス‐基礎調査」寿司店舗数ランキング(2016年)。石川、東京を抑えて山梨が1位なのである。私はこの数字になんとも言えない気分を抱えてしまう。だってそうだろう。「ある括り」でデータを摘むとこうだ。岐阜(11位)、栃木(13位)、群馬(19位)、長野(24位)、埼玉(37位)、奈良(39位)、滋賀(45位)となるのだ。

 「ある括り」とは、いわゆる内陸県における寿司店舗数だ。

 思わず、「何をやっているのだ、内陸よ!」と叫びたくなる。一緒に戦っている仲間だと思って振り向いたら、みんなサボっていた感じというか。

 握り寿司の発祥は江戸で、故に東日本に寿司店が多く、西日本に行くに従って数が減少するのはわかる。しかし、群馬あたりが「寿司? 普通に好きですが何か?」と、何やら余裕をかましているように見えて、なんと言えばいいだろうか、要するに、こちらとしては恥ずかしくなるじゃないか。

 このデータ、ご丁寧に偏差値まで出していて、山梨は78.34とダントツに高い。この偏差値の高さ=「寿司の田舎者」な感じがしてしまうのだ。まるで、みんなが普通に出来ることを、がむしゃらに頑張ってようやく人並みにしている感じ、と言えば僻みすぎだろうか。

 さらに問題なのは、ただただ寿司を食えばそれで満足してしまう、その「低寿司歴(・・・・)」な体質だ。山梨県民は、そんなに美味くない寿司でも満足してしまうのである。それはまるで、寿司と精神的な恋愛関係にまでは至らず、肉体関係ならぬ「寿司体(・・・)関係」だけで満足してしまう感じであり、「寿司欲」の処理だけで終わるようなものと思うのだ。

 実際に山梨県民の寿司や鮮魚に関する「スシラシー(寿司のリテラシー)」は低い。それが証拠に、山梨のスーパーに行けばわかるが、鮮魚コーナーはマグロだらけ、ほぼ赤身で占められている(マグロ消費量全国第2位。内陸県ではもちろんダントツ1位)。「生魚=マグロ」と思っているのが山梨出身者なのだし、現に私は、いくら高級店に行けるようになった今の自分でも、その出自からは逃れられず、せっせとマグロをいただき、満足している。

 そもそも「磯の香り」に郷愁を感じない。寿司屋に漂う磯臭い香りにも慣れない。ずーっとあの香りの中にいるのは辛いのだ。

 世間は海沿い生まれに優しい。良いイメージを持っている。その者が「やっぱり魚は新鮮な白身だよね」とか言うと、こちらは「本物を知らない人間」という感じに見えてしまう。47都道府県中、海有り県は39都道府県だが、その者らは単に数の上に胡座をかいているだけなのに、いかにも海を知っている、即ち「高寿司歴」に見えてしまうのも納得がいかない。

 と、悶々とこんなことを思っていると、脳内に「概念としての石原良純」が出てきた。「高寿司歴」で金持ちの二代目だ。

 「わかってないな〜、寿司っていうのはね、シャリなんだよ!」

 話が通じない。魚と話をしている気分だ。もうこの切り口は止めにしたい。

土俗な寿司マニフェスト

 美味い寿司を食えるようになってまだキャリアが浅い私。しかもその出自から、すぐに満足してしまう。「寿司」のほんの僅かを齧っただけでも達成感を覚えてしまう。こんな自分に自信が持てない。それはわかっていただけたと思う。でも、である、こんな私でも立派に寿司は好きなのだ。その「好き」は誰にも否定出来ない。

 そんな私が考える、「聖域なき寿司改革」を提案してみたい。

 

―ビール問題

 

 寿司屋で出されるビールは、寿司に合わない。あまり言う人がいないので率先してここに記させていただく。

 大手ビール会社の営業努力の賜物か、それとも寿司屋の怠慢か、ほぼ自動的に寿司屋のビールはメジャー系ビールで占められている。客も「そんなもんだ」と躾けられている感じだ。甚だトンチンカンだと思う。

 ビールは醸造酒である。昨今、一応はクラフトビールの類を用意する店もあるにはあるが、未だメジャー系ビールが基本。他の醸造酒のワインや日本酒なら、やれペアリングがどうの、マリアージュがどうのと言うのに、寿司&ビールとなると途端に解像度が低くなる。解像度というか、異性との交遊でたとえると、相手が目の前にいるのに「壁を熱心に愛撫している」ぐらい見当違いなことをしているのだ。

 そんなことを知り合いのクラフトビール家に言うと「まさに!」とのこと。いわく、生魚に合うクラフト系のビールもあるという。

 寿司業界は「とりあえずビール文化」の域を脱しないといけない。他の要素は神経質に批評→見直し→再構築が出来ていても、“そこ”には全く手がつけられていないのは(いびつ)だと思う。デコとボコがしっかり噛み合う、クラフトビールを各々探していただきたい。

 

―アラカルト注文より、セット注文

 

 板前のお任せやコースも良いが、一番は食べたい物を食べたいだけ注文するアラカルト注文で行きたい。しかし、名店ほど財布のことが心配だ。基本、鮮魚を扱う業界である寿司屋は、その独特すぎる仕入れ(コネクション)によって勝負は決すると言われている。そこには一朝一夕にはいかない、不確かで非合理の世界が確実にあるのであり、その蛇の道を通り抜けた者のみが獲得出来る栄誉が、あの高級寿司の特別な「値段」や「ホスピタリティ」に表れている。また、客もその「信頼性」に対してお金を払っている、という独特の価値観がある。

 そこで「セット注文」をお薦めしたい。

 これはインサイダーに聞いた話なので、間違いないと思われる情報だ。

 例えばにぎりのセットに「上」「中」「下」とあった場合は、「中」を狙う。ほぼ同じ品目ならば、アラカルトで注文するより明らかにお得とのこと。中には食べたくもない「玉子」が入っているかもしれない。しかし「コスパ」を考えると、明らかにそちらの方がお得らしい。

 それなりの寿司屋において、我々はいつだって「弱者」である。弱者は強者に貢がなければならないのが世の(ことわり)。先ほど述べたような「独特すぎる仕入れ」や、生魚を捌いて握る技術もそうだが、どうしても寿司屋に対して畏怖や敬意の念を抱いてしまう。その念がある限り、弱者と強者の関係は変わらない。ならばせめて、「コスパ」という面で我々弱者は抵抗すべきではないだろうか。だからこそのセットである。いわば「節税寿司」とでも言えようか。

 

―もう一個寿司を作る

 

 しかし、誰しもが常に上等な寿司とがっぷり四つに組むことは難しい。それほど寿司は特別でラグジュアリーな物ということになっている。しかし、そうではなくても寿司を楽しむ方法をここに記しておきたい。

 「もう一個寿司を作る」が、それである。

 高級店ではまず無いが、「ネタのデカさを売り」としている店がある。例えば海沿いの店、あるいは北海道のような海産物が豊富な地域にありがちだ。

 私はネタがあまりデカイと、生魚をそのまま齧るような気分になり、気持ちが悪くなる。シャリから大きくはみ出したブリとかは、それを見るだけでお腹いっぱいになってしまう。そんな私が編み出したのが、そのネタを自分で半分に切ってしまうという術だ。

 例えば、カジキを一貫頼んだとする。まずは大ぶりのカジキのネタを二等分して、ひとつはお造りとしてそのままいただく。そして残りの半分をシャリに載せていただく。つまり、一貫でお造りと寿司のふたつを楽しめる。そのようにして、少しずつ味変していけば、同じ値段で微妙な味の違いを楽しめる。

 もちろんこれはカウンターだけの高級店では出来まいし、する必要もないだろう。しかし、そんな寿司体験は滅多にないのが庶民だ。ならば、こうした工夫によって、寿司に対する変な誤解を解きほぐすのもアリだと思うのである。

 最後に。

 その店の「実力測定」が重要だ。これは寿司屋に限らず思うことで、町中華ならチャーハンに付いてくるあのスープ。あれを私は「実力スープ」と呼んでいる。焼肉屋ならば「チョレギサラダ」だろうか。そして寿司屋ならば、「サラダ巻き」であり「干瓢巻き」だろうと思う。

 「干瓢巻き」はともかく「サラダ巻き」がメニューにある時点で、「大した店」じゃないのはおわかりだろう。つまりはそのレベルの寿司屋で見つけていただきたいラインと考えられたい。しかしそこには確実に、その店の癖やあるいは哲学が隠されている。ぜひ「干瓢巻き」や「サラダ巻き」で実力測定をしてほしい。

 と、待てよ。提案しておいてなんだが、干瓢とサラダって、魚が入ってないじゃないか?ちょっと山梨過ぎる結果だ。

 2023年、寿司に対する内陸県生まれの私のコンプレックスは未だ潰えない。それを乗り越えるのは、おそらく、私の孫の代ぐらいからだろうか。未来に期待したい。

 

*次回は、7月28日金曜日配信予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

マキタスポーツ

1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。

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