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土俗のグルメ

2023年8月25日 土俗のグルメ

第15回 土俗のラーメン論(1)――余は如何にしてラーメンを語ってきたか

著者: マキタスポーツ

 「みんな! ラーメンについてちょっと真剣になりすぎ!」

 と、注意したい気分なのである。何故、そんな優等生の学級委員みたいなことを私のような人間が言わなくてはいけないのか。今回はそのようにしてラーメンを考える回にしたい。

ブームの最終地点

 ネットの無秩序状態を指して、「先生のいない学級会」と言ったのは、ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔氏だったか。ラーメンにも同じことが言えると思う。しかし無秩序だからこそ、様々な主観や情熱が衝突し合って“熱”が生まれているのであって、そのことをあながち否定出来ない。

 縄文時代、いや地球誕生のその時から、様々な事象は栄枯盛衰を繰り返してきた。そのものが持つ未知の可能性が花開き、隆盛を極め、それが極点まで行った時、全ては終わり、そして始まる。諸行は無常なのだ。

 私の好きな音楽、例えばロックンロールもそうだった。エルビスがいて、チャック・ベリーがいて、ビートルズがいて、難解なプログレが来て、粗野でスノッブなパンクが来て、テクノ・ニューウエーブがあって、飽和して、ヒップホップに取って代わって、いつの間にか「バンド」という単位はオワコン化した。それよりも、かつてのロッカー的資質を持ったスティーヴ・ジョブズは、コンピューター界隈でそれに似た革命を起こし、今や誰もがパソコンで音楽を製作する時代になった。

 お気づきだろうか? もう「かつてのロック」は、「ロックじゃない場所」で起こっていて、その“力”はとっくにそちらに移行しているのだ。

 今や、ラーメンは爛熟の極みにある。上は一杯数千円の高級志向、下はチェーン店系のものと、ラーメンだけでも外食マーケットの獲得面積が広くなっている。

 ラーメン職人の作家性を信頼して、難しい顔で食べるラーメンなんて、まさにプログレを聴くインテリと同じじゃないか。一方で、「それより町のラーメン屋だ!」という向きには「これからはフロアのオーディエンスが主役さ」と、主客の天地をひっくり返した90年代のブリットポップ勢のような慧眼性も感じる。

 しかしだ、「〇〇より、今は〇〇」というどうでも良い背比べが出来ているうちが花だったと、いずれ気づくだろう。その時がもうそこまで来ている。トレンドでラーメンを語れていた時代が終わろうとしているのだ。今は、その相対化の最終地点まで到達している。つまり「今が一番良い時代」なのだ。だから、悲しいのである。それは終わりの始まりだから―。

俺がむかし「ラーメン評論家」を気取っていた頃

 私がラーメンに夢中になったのは、上京したての頃のこと。今から35年前。

 初めにショックを受けたのは四谷にいまもある「一心らーめん」である。当時はなんとなく安岡力也に似た店主がやっていた店で、「エリマキらーめん」という、ドンブリの縁を海苔で覆った珍奇な絵面のラーメンが売りの店だ。

 フジテレビがまだお台場に移転する前の河田町にあった頃で、そこからほど近いため「一心らーめん」へ行く度に芸能人がいて、それにも興奮した記憶がある。細麺で、醤油ベースの濃い味は、田舎にいた頃に食べていたラーメン観を覆すには十分すぎる味だったと記憶している。

 「ラーメンって面白いかもしれない!」

 そんな感慨を胸に、当然の成り行きとして、私のラーメン屋開拓は始まった。

 次に行ったのが千駄ヶ谷の「ホープ軒」。ここで生まれて初めて背脂の存在を知った。流れで、恵比寿の「らーめん香月」、「らーめん弁慶」をスタンプラリーよろしく制覇した。

 その頃は行列も厭わず、それこそ週末となると、郊外の背脂を売りにしているラーメン店へと出向き、一日三食のノルマを己に課し、食べ終わった後はノートにリポートを綴るということをしていた。そうして勝手に、

 「背脂の時代は終わった…」

 と、一方的にブームの終わりを宣言した。そんな私は一体誰だ?―今ではそう冷静になれるが、その当時は一端(いっぱし)のラーメン評論家にでもなったつもりでいた。

 ネット社会到来前だったし、ラーメン本もまだそれほどなかったので、自分の足で情報を集めているプライドはあった。

 次に始めたのが、伝統的な東京ラーメン店巡りだ。

 まず、荻窪の「春木屋」「丸長」「丸信」「丸福」の4店。さらに、ここからつけ麺の系統発生を調べるために、「中野大勝軒」、東池袋の「大勝軒」と流れ着く。「え? 永福町の大勝軒と、池袋の大勝軒って発生が違うの!?」なんて感じに、色々が分かって面白かった。そして…、

 「時代は伝統的な醤油ラーメンだ!」

 乾物系出汁に、濃い口のかえし醤油、澄んだスープに、具は、ネギ、チャーシュー、ナルト、めんまの4点、ギリギリほうれん草までは認めよう、それ以外は認めん! とか言い出した私。それが本来の東京人が食べるべきラーメンだ! とばかりに。私は山梨人だが、そう思っていた。

 「春木屋も良いが、ちと高い。それなら路地裏にある冨士中華そばの方が良い」

 「吉祥寺の〇〇は、蕎麦の研究をしすぎてラーメンじゃなくて日本蕎麦になっている」

 「トマトスープにデュラムセモリナ粉の麺って、それパスタじゃないか! 新しいことはするな!」

 「神保町の〇〇は美味いけど、鰹風味のほんだしの味だ」

 「中華系ラーメンは出汁と麺にかかわらず、具に逃げている」

 私の極私的ラーメン批評は、行き着くところまで行っていた。そんなところに現れたのが「中華そば青葉」の登場である。

 “ダブルスープ”と呼ばれた、魚系と動物系とを合わせたスープには心底撃ち抜かれた。同時期に、「麺屋武蔵」「くじら軒」と、後に“花のラーメン96年組”と呼ばれる革新的ラーメン店3店が次々とオープンした。

 その3店は、味だけじゃなく、店の構えやコンセプトまで革新的であり、後続するフォロワーたちに大きな影響を与えたことで知られている。

 私は当時のメモにこう記している。

 「青葉のスープはビートルズである」

 「武蔵のデザイン性はデビッド・ボウイ的だ」

 「くじら軒の挑戦は、クイーンの“Greatest Hits”と同義である」

 たぶん、私はラーメン界の渋谷陽一にでもなりたかったのだと思う。

 たしかに、これらのラーメン店の登場は画期的だった。その頃には、幾人かのラーメン評論家のような存在も出現していて、自分としては、彼らを頼りにはせずに己でラーメンを開拓していた気分であった。ひと頃などは、なんの情報も無しに歩いていて、店のダクトから漂う香りだけで「この店、出来るな」と判断、海原雄山のような厳しい面持ちで店選びをしていたほどだった。が、上記の3店には私もしっかり打ちのめされたのである。

 それ以降、私のラーメン評論家気取りは終わっている。どうしてか? 周りに自分と似たような人間が増えたような気がしたからだ。

 「まだあんなの食べてるの?」

 とか言う人たちが、96年組登場を境に実際増えたのだ。ラーメンをトレンドで語る時代の幕開けだ。

 途端に恥ずかしくなった。自分とて同じことを、少し前までやっていたくせに…。

 ラーメンが根っから好きと言うより、ラーメンを語ることが「自分語りの変化球」だったことが自分で解ってしまった感じだった。

 情報に踊らされて、上とか下とか、イケてるとかイケてないとかに落とし込み、差をつけてひとり悦に入る。否定することでしか「評価」出来ない軸の無さ。己の「観」の無さを知って、知識も見識も無しに語ることの情けなさを知ったのである。今でも思う。その時代にSNSが無くて良かったと。もしあったら脊髄反射的な批判ツイートばかりしていたろう。

 しかし…。

 時は2023年。この時代にあってもまだその状況は変わっていないと思うのである。

(次回につづく)

 

*次回は、9月8日金曜日更新の予定です。

 

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

マキタスポーツ

1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。

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