第24回 私のモスバーガー物語――土俗の料理の原点(2)
著者: マキタスポーツ
書を捨てよ、メシを食おう――。有名店を食べ歩くのでもなく、かといって大衆酒場ばかりを飲み歩くのでもなく、たとえ他人に「悪食」と言われようとも、あくまで自分の舌に正直に。大事なのは私が「うまい」と思うかどうか。情報や流行に背を向けて、己の「食道」を追究する――これ即ち、土俗のグルメである。自称「食にスケベ」な芸人が、「美味しい能書き」を存分に垂れるメシ論。
帰郷してすぐに副店長
モスバーガーで働いていたことがある。
今から30年前のことだ。
前回に引き続き、「自分の料理遍歴」のようなものを書こうとしている。ファストフードで「料理遍歴」も何もないんじゃないかと訝る向きもあろうが、自分の「食歴史」、あるいは「食癖史」において大変貴重な体験をしたのは間違いないので、ここに記すことにしたい。
大学を卒業し、一旦故郷の山梨に帰ることにした私は、親戚が始めるモスバーガーで働くことになった。しかも、いきなり「副店長」になるらしく、周囲がやたらニコニコと私を出迎えていたことが思い出される。
「頑張ってもう一店舗ってことになったら、その時は任せるから!」
とも言われていた。どうだろう、周囲の私に対する期待がお分かりかと思う。しかし、私はモスバーガーで働くことはおろか、故郷に骨を埋めるつもりなど全く考えてはいなかった。
「金を貯めに一時的に帰ったので、またすぐに東京に帰るからね」
と、度々言ったのだが、親や親戚には「わかった、わかった」と、まるで子どもをあやすように去なされ、挙げ句に彼らは「車も買ってやるし、家も用意する。良い縁談だって……」と景気の良い話を毎回するのだった。
つまり、私は全く本気じゃなかったのである。
すでに、現在やっているような「芸事」を目指そうと構想していたのだし、そのための一時帰省ということを表明していたのだが、周囲はそれをなし崩し的に無効化させようとしていたのである。それは私が「やりたいことがある」という、非常にぼんやりしたことしか言わなかった(言えなかった)からだと思う。それに対して、彼らは「新規オープン」「副店長」「車」「家」という具体的な夢を提示してきた格好だった。今から考えると、明らかに私に非があるような気がするが、当時は大人たちが全員「悪」に見えた。おまけに当のモスバーガーもそう見えていた。
「マキタくん、君の考え方は間違っている」
まず本社へ社員研修に行かされるところから始まった。
元々モスは好きだったが、食べるのと働くのとでは大分違う。しかも、前回書いたように私は、それまで結構デタラメな飲食店でのバイト経験しかない。ましてや社員となると、経営のことなども学ばなければならず、異様に骨が折れた。骨が折れたというか、いきなり鼻っ柱を折られた。
「マキタくんだけ、残りなさい」
と、毎回のように教官に個別指導をされた。
「レポートを書けと言っているのに、なぜ君はエッセイのようなものを書くんだ?」
お恥ずかしい話だが、トンチンカンにも、私はただのレポートではなく、面白おかしい文章で教官らを嵌めようとしていたのである。「私はなぜ君のエッセイのようなものを読まなくてはいけないんだ? 君はここに何をしに来てるんだ?」と言われた時に出た冷や汗をいまだに忘れられない。そして、また少しだけモスバーガーのことが嫌いになりそうになった。
技能試験やペーパーテストは、それなりに楽しかったのを覚えている。
モスバーガーのミートソースは常に85°Cで保たれていること、フィッシュバーガーのマヨネーズは親指サイズを二個分とか、またそれらの作業を人力で正確にやること。
他には、仕入れ値に売値に掛け値、粗利に純利益、サイドメニューの利益率などを把握しなければいけない。なぜドリンクの利益率が高いのか? 客単価と回転率、先入れ先出し理論、差別化とは? 注文後生産と功利とは?
書いていて驚いたが、結構今でもよく覚えているもので、それはそれで面白かったのだろう。面白かったというか、新鮮だったのかもしれない。それだけに、これらのテストの成績はいつも良かった。
しかし……また教官に呼び出されるのだ。
「君はテストの成績は良いが、考え方が間違っている」
人格を否定されたようで、本当に悲しくなった。が、本心を見抜かれていただけだったのだと、今にして思えばわかる。だって私は、腰掛けのつもりでモスバーガーに来ていたのだから。同期の人間たちは、新卒採用の本社勤務、脱サラ組、再起をかけた中年夫婦、バイト上がりの本当のモス好きなど、皆本気の人たちばかりだった。
鬼のバイトリーダーに叱られる
本社での研修期間の最後は、実店舗での実地試験となる。
私は、「鬼のバイトリーダー」がいるという直営店に行かされることになった。どうしてその店舗に行くことになったかは、この差配を見た時に解った。
入店するや怒鳴られた。
勤務開始時には、まず裏で「モスバーガー基本方針」なるものを暗唱してから厨房へと入るのだが、それだけではなくアドリブで「本日の自分のテーマ」を付け加えるらしい。私は「今までやってきたことをふまえ、有終の美を飾るよう頑張ります!」と速やかに言ってみせた。
すると……、
「有終の美ってなんだ! 具体的に言え!!」
と言われてしまう。ちなみにその鬼のバイトリーダーは“妙齢”の女性である。想像するだけで怖くないだろうか。若さのあまりムッとしたが、本音は縮み上がったのを憶えている。
それからは何をしても叱られた。
裏での野菜洗いやもろもろの仕込み。12月の寒い時期の野菜洗いでは手があかぎれになり、どうしても手元がおぼつかなくなる。すると、「何をやっているんだ!」と厨房の前方から檄を飛ばされる。
専用の洗剤でレタスを洗い、きっちりその洗剤を落として、葉を規定のサイズに切り分け、バットに入れておく。もっとすごいのは、玉ねぎの仕込みだ。野菜洗い→洗剤落としは基本で、さらにこれを微塵切りとスライスにする。微塵切りされた玉ねぎは水に漬け込み、アク抜きをしたらそれを絞り機にかける。どれだけやっても終わらない作業だ。
案の定、混雑時にはすぐストックがなくなってしまう。だから常に一連の作業を続けないといけなくなる。
「戦争だった……」
モスバーガーは基本「作り置き」をしない。適時、ロスを出すことなく前線の売れ行きやその種類を頭に入れ、また、コントローラー兼パッカー(アメフトのクォーターバック的ポジション)の指示に耳を傾ける。
例えば……、
「モッチ(モスチーズバーガー)、テリ(テリヤキバーガー)、ポテト、ミネ(ミネストローネ)入りました! パテ2! バンズ2!」
外国にやってきた感じだ。この指示を受けて、セッター&グリル(バーガーを焼いて組み立てる人)、フライヤー(揚げ場担当)といった各セクションが動き始める。人手が足りない時は、こうした作業をレジ打ち兼カスタマーを入れて4人ぐらいで回すのである。それよりも少ない人数で回すことができれば、「生産効率」が高くなる、ということもここで覚えた。
実際目にした光景はまさに戦争のそれだった。
皆、無言で無心。鬼の形相で、次々と降りかかってくるタスクを、まるで「ハイパー音ゲー」のオタクみたいに捌いていく。同時に、在庫チェックやトイレチェック、裏にやって来る搬入業者への対応、機材メンテナンス、シェイク機の掃除と継ぎ足し……と無限に仕事がある。それなのに何が「有終の美」だろうか。「自分の今まで」が全て崩壊していったのがよくわかった。
そうして、入店2日で逃げ出した。
思い直して店に戻り、最初に会ったのが鬼のバイトリーダーだった。心臓がギューッとなりつつ、「モスバーガー基本方針」を必死に唱えた。
「引いていた風邪を吹き飛ばす勢いで頑張ります!」
と、ズル休みの言い訳を上手く混ぜた本日のテーマを言ったつもりが、すぐに「治ってないなら来んな!!」と叱られた。
常連による「通過儀礼」
研修が始まって何日目だろう。あることに気づいた。それは毎朝決まった時間に来るお客さんの存在だ。
その客はいつも同じものを注文する。決まってモスバーガーとコーヒーだった。気になって他の店員に聞いてみた。なんでも平日はほぼ毎日やってきて、同じものしか注文しないそうで、それを何年も続けていると。曰く「あの人に認められたら本物」と言われているらしい。やって来るのは平日の早朝、通勤ラッシュが始まる直前だという。
ついにその日がやって来た。私がかのメニューを作る日である。ドキドキしながら作業に取り掛かった。
その紳士はいわゆるサラリーマン風情。襟足と眉毛がいつも同じクオリティをキープしていて清潔感もあり、とても神経質で気難しそうなタイプ。いかにも余計なことはしないミニマリストといった感じだった。だから、私の作るモスバーガーの寸分の違いをnレベルで検出してしまいそうで、とても緊張した。
決められたことを規定通りに行えば、一定の美味しさが約束されている――そう信じながら作った。忙しい時間帯でないことが良かったと思う。他のことに邪魔されず、全ての工程をきちんとふまえて作る。
パテを焼く。表、裏、表と5分かけてだ。合間に適時バンズも焼く。焼き上がったバンズにパテを載せ、マスタードを塗り、その上からマヨネーズをコーティングするように塗りたくる。そして玉ねぎの微塵切りを大量に載せる。そこから事前に温度計でチェックしたミートソースをレードルでかける。手にかかって熱いが我慢だ。最後はトマトスライスを載せて、蓋を閉じるように上バンズを載せたらパッキング。完成した。
紳士は、文庫本のようなものを読んでいたはずだが、オープンキッチンなのでこちらの様子を感じていたはず。向こうも、これが大事な「通過儀礼」だと認識しているに違いない。鬼のバイトリーダーがいなかったことも功を奏したと思う。上々の出来だ。コーヒーもトレイに載せて、紳士までお届けした。
それから彼のことが気になってしょうがない。でも、ジロジロ見るのも違う。なんとなく他の仕事をしながら、様子を見守っていた。
奥の方で野菜仕込みを始めた時だった。店の前線から「ありがとうございました!」という声がしたので、慌てて前方まで移動すると、ちょうど紳士が去っていくのが見えた。追いかけるように「ありがとうございました!」と言うと、紳士がやや振り返るようにしたのが見えた。そんなリアクションなど取らなさそうなクールな人だったので、なんだか嬉しかった。
ふと紳士の去って行ったテーブルの上を見てみる。そこには全て食べられたモスバーガーのパッキング用紙が綺麗に畳まれて置いてあるのが見えた。「やった!」と思わず声が出た。後ろからやって来た店員が声をかけてくれた。
「全部食べてくれた? 良かったね、おめでとう」
しばらくして皆研修を終えたが、私だけ卒業させてもらえなかった。
「なんでだ!」
と思ったが、途中でズル休みをしたことがいけなかったらしい。やはり、モスは、否、社会は甘くない。
結局、モスバーガーでは一年も働かずに、宣言していた通り再上京をした。さまざまなことはあったが、今ではこんな感じに「エッセイ」も書いているのだからありがたいもんだ。モスには人間修行をさせてもらった。
最後に、モスバーガーを食べるなら午前中、しかも早朝一番がおすすめだ。ピュアな味がすると思う。
*次回は、3月8日金曜日更新の予定です。
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マキタスポーツ
1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- マキタスポーツ
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1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。
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