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土俗のグルメ

2024年4月12日 土俗のグルメ

第26回 志村けんの水割り――酒とコントは定位にあらず

著者: マキタスポーツ

書を捨てよ、メシを食おう――。有名店を食べ歩くのでもなく、かといって大衆酒場ばかりを飲み歩くのでもなく、たとえ他人に「悪食」と言われようとも、あくまで自分の舌に正直に。大事なのは私が「うまい」と思うかどうか。情報や流行に背を向けて、己の「食道」を追究する――これ即ち、土俗のグルメである。自称「食にスケベ」な芸人が、「美味しい能書き」を存分に垂れるメシ論。

ただ「酔っ払いたい」だけ

 なぜ酒を飲むのか―。 

 そんな本質的なことを考えないまま、日頃から私は酒を飲んでいる。問いの答えは、強いて言えば「酔っ払いたいから」。それが一番しっくりくる。酒の味が好きとか、みなでワイワイとやるのが好きとか、そういうことでもなくである。

 「酔っ払いたい」。

 あゝ、なんてダメな取り組み方なんだろう。であるからして、若い頃はかなりの失敗をしていた。

 だいたいにおいて、意識が無くなるまで飲まないと飲んだ気がしないというのは、ハッキリ言って病気である。私はつまり“そのようなもの”だった。過去形で語るのは、年を取り、体力が減退して、無理が効かなくなったからである。年は取ってみるものだ。しかし今でも、ほぼ毎日のように飲む。「じゃあ、治ってないじゃないか!」と思われるだろう。大丈夫、自分なりの「ちょうどいい境界線」を引くことができている。

 晩酌でやるのはもっぱらハイボール。ハイボール派になって丸4年が経つ。それまではしばらく「里の曙」や「れんと」などの黒糖焼酎だった。日本酒はどうか? あれは“食べ物”だと考えているので、「酔っ払いたい」にフィットしない。料理に合わせて飲むことはある。あるが、大抵酔いの回りが早いのと、その酔いの質がスピリッツ系(蒸留酒)と明らかに違うのであまり飲まない。

 ビールは“飲むパン”である。それゆえ、たまにしか飲まない。それにビールはまったりしている。昨今はクラフト系ビールが人気だが、こちらの凸とそちらの凹をペアリングさせるのは面倒くさい。といって、アサヒのスーパードライやキリンの一番搾りやラガーなどのゼネラル系ビールでも、そもそもビールはなんだか濃く感じるのだ。酸っぱいし、苦いし、甘みも感じるし。味のレーダーチャートのバランスが均質的なので、他の食の要素のどこかしらに障り、当たり、擦れる。なので、飲んでる最中から胸焼けをしてしまう。

 そう感じるようになってから、「とりあえずビール」はなくなった。その代わり、ビールや日本酒といった醸造酒系は、他の食べ物の個性を抑えていただくか、あるいは「餃子vs.ビール」というような、食と酒の互角な対決を“興行”としていただく感じだ。

 でも、そうした神経質な作業が億劫なのだ。味の五大要素(甘味・塩味・酸味・苦味・うま味)を五角形として、やれマッチングだの、マリアージュだのとやっていると、あっという間に一日のタスクが押し寄せてくる。大抵酒を飲むのは夜なのだから、そんなことをやっている暇はない。歯を磨かないといけない時間になる。

 俳優の仕事も、音楽制作の仕事も、私にとってはどちらも「レコーディング作業」。素材同士をバランスよくつなぎ合わせ、どこを立たせて、どこを引っ込ませれば効果的かを考えているのである。他はどうか知らないが、私はそういうタイプだ。それをなぜ家で酒を飲む際にも、似たような作業をしなくてはいけないのか。私はただ「酔っ払いたい」のである。

私のハイボール、その流儀

 愚痴が過ぎた。が、一応、素面だ。 

 ハイボールが良いのは、「味」といった繊細さと無関係に存在しているところだ。否、もちろん、上等なウイスキーとナチュラルウォーターで作った自家製炭酸水のハイボールなどもあろう。しかし何度も言うが、そういうのは「ただ酔っ払いたい」私には邪魔なのである。

 私だって、例えばマッカランやグレンリヴェットの25年ものとか高級なウイスキーを、“大人の水飴”よろしく舐める時はある。でも、そこは家だ。もうひとつ雰囲気に欠ける。家という場所は、野生の男子が私の股の間をすり抜け、顔にパックをした野生の娘が通り過ぎる「生活サファリパーク」なのだ。そんなところで落ち着いて飲めるか。挙げ句「私もそのお酒ぐらい大事に扱ってもらえないものかね?」と宣う、食物連鎖の頂点に立つ野生の妻までいる。

 私が現在到達している最良の飲み方はこうだ。

 仕事が終わり、家族が寝静まってから、ひとり「お疲れさん」の乾杯をする。

 ツマミは電子レンジでチンした温奴、もしくは、油揚げに岩下の新生姜を刻んだ物を(まぶ)したようなモノでいい。そして、氷を入れたグラスに強い炭酸水を、できるだけ炭酸を飛ばさぬように、あたかも皇室を扱うメディアのように慎重にグラスに注ぎ入れ、そこに廉価なウイスキーを、これまた慎重に優しく、昔遊び人だった紳士が初めてできた娘を扱うように注ぐ。

 しばらくは手を加えず、「なすがまま」とする。ゆらゆらと、アルコール成分がグラス内で溶け始める。水分とアルコール分が完全に混ざる前がチャンスだ。刹那、空きっ腹にハイボールを流し込むのである。

 喉が内側からしばかれた感じになる。そうなったらようやく「私」の店仕舞い、もう誰の電話にも、LINEにも応えない。

 二杯ほど飲むと、胃袋が焼けるようにカーッとなってくる。頭がポーッとなり、目の前にベールのようなものがかかってきたら「酔っ払いたい」は完成だ。炭酸水500mlを二本が目安である。これ以上飲むと翌日に支障が出る。歯を磨き、適当に読書などをして眠りにつく。ちなみに、私は外で飲んで帰ってきても、必ずこの儀式のような飲み方をする。

 この飲み方が決して褒められたものじゃないことは知っている。また、酒に詳しい人から見たらいくつか「?」が付くことも想像できる。まず「炭酸水→ウイスキー」という注ぐ順番、そして「混ぜない」のが気になる人がいるだろう。これはある人の影響でそうするようになった。

酒もコントも定位にあらず

 その人とは志村けんさんである。

 一度だけ志村さんと共演した時のこと。打ち上げの席で、さまざまなお話を聞くなかで、芸にもつながる酒の飲み方を教えていただいた。

 酒席で私は、志村さんの空いたグラスを見逃してはならないと、神経を研ぎ澄ませていた。…空いた。すぐさま私はそのグラスを手に取り、「お作りします!」と言いながら氷を足し、焼酎を入れ、水を注ぎ、マドラーで混ぜようとしていたその時だった。

 「おい、混ぜないでくれ」

 きょとんとした。志村さんは続けてこう言うのだった。

 「味の変化が良いんだよ、混ぜたら同じになっちゃうだろ」

 毎日毎日、儀式のように酒を飲んでいた志村さん。本来は酒に強くないタイプと思われ、それでも痛飲せざるを得ない理由があったのだろう。「最後の喜劇王」として唯一のリラックスタイム、それが酒だったのではないだろうか。

 死ぬまで生真面目にコメディを作っていた人が、生真面目に酔うことを探求した結果、水割りの焼酎と水を「混ぜない」という方法にたどり着いた。そのことに私は痺れた。

 よくコントで人間のスケベさをスケッチしていたが、志村さんにはもっと本質的な、芸道に一意専心することのスケベさを感じるのだった。また、水割りを混ぜることを拒否するその姿勢は、全てが均質化してしまうことへの批評のようにも思えた。一般化してしまうことに対するクリティカルな警鐘とも言えよう。

 「コントはな、練習しちゃダメなんだよ。おまえ、段取りの時の方が良かったぞ。でも、カメラマンの言う通りに動きを固めちゃったろ? おまえの動きにカメラマンを追わせるんだよ、コントはドキュメントなんだから」

 酒もコントも、定位にあらず―。常に「揺れ動いている」ということを言いたかったのだろう。

 その日私は、コントのリハーサルで精一杯に面白いことをやろうと演ってみせ、それが上手くいくと、その空気感とは別にある「カメラマンの撮りたい画」に寄せるやり方に演技の方向を変えたのである。

 カメラマンは言った。「そういう動きするのね! そしたらこっちから撮った方が面白くなるからセッティング変えるね!」と。そして私はそのセッティングチェンジを待った。一見、演者とスタッフの良いやりとりと思うだろう。でも、この段取り変更に20分を費やした。その間に「おもしろ」の神様はどこかへ行ってしまったのである。そのことに対する、志村さんのダメ出しなのだった。

 「面白い」はいつだって不確定で、作り込んでも良い結果は得られない。解ってはいたことだけど、まさか酒の割り方によって、その真理を教えられるとは思ってもいなかった。要は「毎回違う(定位にあらず)」をどう自分で楽しむかということ。私はそう解釈した。それ以来、酒の飲み方は明らかに変わった。

 酒は己の一日のピリオド。そもそも人類に与えられた究極のサブスクは「命」であり、死ぬまでの期限付き肝臓ならば使い切った方が良いと考える。

 もちろん労わりながらではあるけど、「私」が終わるまでこの飲み方を続けようと思う。

 

*次回は、5月10日金曜日更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

マキタスポーツ

1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。

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