嶋田俊平に聞く、地域をワクワクさせるには? 前編
数々の住宅や公共施設を手がけてきた建築家・堀部安嗣さんが、「つくることありき」の建築の世界を抜け出て、文学、医療、経済、政治……など、建築外のジャンルの人々に、「いま、なぜ建てるのか?」という根源的な問いをぶつけます。より有機的な、持続可能な建築や住まいのあり方を探るヒントがここに――!
若松英輔さんと中島岳志さんがコロナ禍のときに行った対談をまとめた『いのちの政治学』は大変興味深い本でした。世界中の人々が無力を感じ、困惑し、苛立ち、悲しみ、苦しんだ禍であったからこそ、命とは何か、そして人類共通の課題に向き合うときのリーダーの資質とはどういうものか――二人の訴えが迫るように響いてきました。
同書の中で若松さんは、「人が弱さを自覚するのは、誰かに『助けられた』 ときだと思います。自分が助ける側に立っているときは自分の弱さは見えなくて、助けられる立場になったときに初めて世界が違って見えてくるし、自分が助けるべき人のことも見えてくる。今、人を助けることも大事だけれど、『助けられる』ことも私たちにはとても大切な経験だと思うのです。…(中略)…本当は、リーダーこそ『弱い』人、『助けてもらう』ことのできる人でなくてはならないと思うのです」と話しています。
私も当時、命を数値に置き換える報道や日本のリーダーの発言に違和感を抱いていたので、この対談を読み、その違和感がこういうことに起因していたのかと気付くことができ、自分がこの禍にしっかりと向き合えるようになったことを思い出します。
いま、都市と地方の格差はますます深刻化し、地方創生や町おこしが至る所で行われています。もちろん、その活動はとても大切なことですが、それを主導するのは都市の〈強い人たち〉で、深刻な現状や成果を数値で表したり、問題を可視化したり、定量化の傾向が見られます。そこにはリーダーの強い考え方や論理によって改革が間違いなく進んでゆくという設計主義的な強い姿勢も感じます。
しかし、今回対談する嶋田俊平さんは日本の地域創生を担うリーダーであるにもかかわらず 、そういった意味での〈強さ〉が感じられません。嶋田さんは、強い主体からのトップダウンの方式をとるのではなく、気がついたら色々な人が同じ時間と場所を共有しているような、公平に助け合っているような、主体も客体もないような関係や環境を自然につくってしまう人と言えばよいでしょうか。教える側の教師が、実は多くのことを生徒から学んでいるという話をよく聞きます。同じように助ける側のリーダーも、実は多くの人に助けられている。地域のコミュニティやそこに関わる人々を、そんな関係に着地させ、持続させる力を持っているのです。
誰よりも粘り強く、かつ科学的に課題に立ち向かってゆきながら、困難を困難とも感じない、辛酸を舐めても気付かない、そんな不思議な魅力を放つリーダーにお話を伺うことは、これからのリーダー像を考える上でも多くの重要なヒントが得られるのではないかと思います。
弱い人々が手を取り合って
堀部 嶋田さんとは、〈沿線まるごとホテル〉というプロジェクトで、ご一緒しています。
嶋田 JR青梅線沿線地域を活性化するためのプロジェクトでして、堀部さんにはレストランや宿泊施設の設計をお願いしました。
堀部 はじめてお目にかかった際に5つもの会社を運営する、地域創生事業のトップランナーとは思えない、普段着な感じにすごく親近感を覚えたんですよ。私もカリスマ性がなくて悩んでいたので(笑)。
嶋田 私も緊張しながらプロジェクトの説明にうかがったら、「おもしろそうだね。僕、鉄っちゃんなんで」とおっしゃって(笑)、親近感を持ちました。
堀部 でも本当にすばらしいリーダーって、カリスマ性を持った、トップダウン型ばかりでなく、人々と弱さを共有しながら物事を進める方が多いようなんです。嶋田さんもそういう方向を意識されているのでは?
嶋田 生まれてこの方こうなんですが、確かに組織運営をする上で意識的にしている部分もあります。工学者の金子郁容さんが著した『コミュニティ・ソリューション』という本に、世の中には3つの問題解決の方法があると書かれていて、それぞれ、大きな組織でトップダウン形式に物事を進めてゆくヒエラルキー・ソリューション、市場のニーズにあわせてゆくマーケット・ソリューション、弱い存在が手を取り合って問題解決してゆくコミュニティ・ソリューションという。このうち私はコミュニティ・ソリューションという考え方に大きな影響を受けて、地域にホテルや道の駅やアンテナショップをつくってきました。
堀部 ヒエラルキー・ソリューションではなくて、ということですね。
嶋田 ええ、コミュニティ・ソリューションはプロセスをきちんと踏めば必ず問題解決するという方策で、かつその際に弱い人々が連携して生まれる強さが大事で。私やある個人がリーダーシップやカリスマ性を持ちすぎない方がいいと思っていますね。
堀部 以前、兵庫県の城崎で仕事をしたのですが、すごく街づくりがうまくいっているんです。熱海や鬼怒川といった温泉街が衰退した原因の一つは、好景気のときに、個々の旅館が大型化して、大きなお風呂や飲食や遊興の施設を詰め込んで、旅館のなかですべて完結するつくりにしてしまったことにあるそうです。そうやって客を囲い込もうとすると、景気のいいときは派手にやれるけれど、不景気になったら大きな図体を支えきれなくなって、結局街全体が廃墟になってしまう。だから城崎の旦那衆たちは、お湯は独占せず、なるべく外湯に入りに行きましょう、いろんな飲食店に立ち寄りましょうと声を掛けあい、街に浴衣姿で歩き回る人が増えるような仕組みにしたんですよね。そこには独占しないことの豊かさが典型的に見えると思うんです。共存共栄をしてゆくほうが、時代の波にのまれず長くやってゆけるんですよ。
地域を主語に、地域を看板に
嶋田 すごく共感します。私も地域で事業をやるときには、社名の「さとゆめが」とか、「私が」ではなく、その地域を主語にして語ろうとよく言っています。
堀部 「城崎が」とか「小菅村が」ということですね?
嶋田 はい、そうです。地域を主語にすることは、ビジネスにおいても強みになります。私たちが三軒茶屋で運営する山形県河北町のアンテナショップや、山梨県小菅村のホテル〈NIPPONIA 小菅 源流の村〉は、コロナ禍でも売り上げが伸びたんですが、それは地域の名前を看板に掲げて商売をしていたからだと思う。その地域を愛する人々が、大変なときだからこそ、その地域を守ろう、支えようと思ってくれたお陰なんです。
堀部 すでに足元にあった歴史や風土、地名に積み上げられた認知や信頼を土台にできたということですね?
嶋田 ええ、いわば老舗の看板を預けてもらっているようなものです。そう考えると本当にありがたいことだなと思います。ただ問題は、地元の方々がその看板の意味や価値にあまり気づいていない点です。
堀部 瀬戸内海で仕事をしたのですが、世界に誇れるようなあれほど美しいところでも、意外や住民の方は地元を卑下していることに驚きました。確かに数十年前の瀬戸内は誰にも見向きもされない斜陽の地だったようですが、ベネッセアートサイトができたり、瀬戸内国際芸術祭が始まったりして、再評価も高まっている。しかしそれでもまだまだ地元の方々の意識は低いのです。
嶋田 地域に誇りを持ってもらうためにはひと工夫もふた工夫もないといけないと感じます。以前小菅村の小永田(こながた)という集落に古民家を改修したホテルを建てて、集落の方をご招待したのですが、彼女たちが窓からの風景を見て「わあ、すごいきれい!」と感嘆の声をあげた。
堀部 それこそフレームの力、建築の力ですね。
嶋田 まさに日常の風景を切り取りなおす、建築の力を実感する瞬間でした。小菅村のホテルもこんなふうにある種メディアとなって村自体のイメージを変えてゆき、村民の方々も運営にも携わりながら、外部からやってくる人の視点も得て、徐々に小菅村出身であることに誇りをもてるようになったと聞きます。
林業の現場から地域の仕事へ
堀部 そもそも嶋田さんはなぜ地方創生の仕事を始めることになったのでしょう? ご著書の『700人の村がひとつのホテルに』によると、帰国子女なんですよね?
嶋田 はい。インドには0歳から3歳までと、中学3年間の通算5年間 、タイには小学校3年生から6年生までの4年間滞在していました。
堀部 帰国時は浦島太郎状態だったとか?
嶋田 ええ、海外に住んでいる間に日本への幻想が膨らみ続けまして。というのも私の父は日本語教師で、私は現地の生徒の方によく遊んでもらっていたのですが、彼らが口々に日本はすごいところだ、美しい自然と四季があって、歴史と文化があって、人々も立派で、だから自分たちは日本に行って勉強するんだというのです。そんな環境で育ち、1993年、高校1年生のとき についに帰国することになりました。
堀部 ちょうどバブル崩壊後ですね。
嶋田 帰国してまず驚いたのが、日本人が全く自国に誇りをもっていないということ。また7年ぶりに戻った千葉県柏の街が、様変わりしていたこともショックでした。小学生のときに遊んでいた田んぼや神社の境内がなくなって、国道沿いにチェーン店が立ち並ぶ、いかにもな郊外のベッドタウンに変貌していたのです。
堀部 大学では林業を学ばれたそうですね。
嶋田 原点はタイにあります。タイってジャングルに覆われた国土のイメージがあると思うのですが、バンコクからちょっと郊外に出かけても、ひたすら赤茶けた大地が拡がるばかりで緑がまったくないのです。その光景に違和感を抱き、帰国してから色々調べたら、日本も含む先進国の木材会社や製紙会社がタイの熱帯雨林を切りまくって、元来国土の90%くらいが森に覆われた木材輸出国だったのに、もはや木材も輸入せざるをえない状況であることを知りました。当時ナショナリストになっていたのもあり、日本企業が悪いことをしたのなら、私がタイの熱帯雨林を再生しなくてはと思い、林業を学ぶために京都大学の農学部に進学しました。
堀部 日本やアジアで歴史の分断や地域風土の破壊が起こってきた時代に直面されたということですよね。
嶋田 はい。学生時代は、森林づくりを学ぶために、京都の北、雲ケ畑の林業の現場に通いました。そうしているうちに、日本の林業の課題が見えてきて、興味が熱帯雨林の再生から、日本の林業の復興へと拡がってきたのです。
堀部 日本の林業にはどのような課題や可能性があるのでしょうか。
嶋田 林業は、森林のそばの農山村に現役世代の人が住まないと、成り立たない産業です。日本は国土の67%が森林で、資源量は豊富なのですが、現地で伐採や運搬や加工をする人々が少ない。ですから林業自体をどうにかする以前に、どうすれば若い人たちが農山村に希望と誇りをもって暮らせるようになるか?という課題があるのです。
堀部 地域の振興とつながってきますね。
嶋田 ええ、大学院卒業後は、環境系シンクタンクへ就職しました。そこでは地域振興の計画策定や調査の仕事をしていましたが、コンサルティングのその先にまで関わりたいという思いが強くなり、やがて独立し、気づいたら日本各地の道の駅やホテルの運営をするようになっていました。いまでもベースには林業があって、新しい施設をつくるにあたっては、なるべく国産の木を使いたいという思いがありますね。
(後編はこちら)
-
-
堀部安嗣
建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』『堀部安嗣作品集Ⅱ 2012–2019 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。
-
-
嶋田俊平
1978年、大阪府生まれ。幼少期の計9年間をタイ・インドで過ごす。京都大学大学院農学研究科森林科学専攻修了後、環境系シンクタンクに勤務。2013年、仲間とともに株式会社さとゆめを設立。「ふるさとの夢をかたちに」をミッションに、地域ビジネスの事業化を支援。地方創生の戦略策定から商品開発・販路開拓、店舗の立上げ・集客支援、観光事業の立上げ・運営支援まで地域に伴走するコンサルティングを実践している。山梨県小菅村〈NIPPONIA 小管 源流の村〉を運営する株式会社EDGE、山形県河北町の地域商社・株式会社かほくらし社、JR東日本との共同出資会社・沿線まるごと株式会社等の代表も兼務。
この記事をシェアする
「堀部安嗣「建築の対岸から」」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
-
- 堀部安嗣
-
建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』『堀部安嗣作品集Ⅱ 2012–2019 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。
-
- 嶋田俊平
-
1978年、大阪府生まれ。幼少期の計9年間をタイ・インドで過ごす。京都大学大学院農学研究科森林科学専攻修了後、環境系シンクタンクに勤務。2013年、仲間とともに株式会社さとゆめを設立。「ふるさとの夢をかたちに」をミッションに、地域ビジネスの事業化を支援。地方創生の戦略策定から商品開発・販路開拓、店舗の立上げ・集客支援、観光事業の立上げ・運営支援まで地域に伴走するコンサルティングを実践している。山梨県小菅村〈NIPPONIA 小管 源流の村〉を運営する株式会社EDGE、山形県河北町の地域商社・株式会社かほくらし社、JR東日本との共同出資会社・沿線まるごと株式会社等の代表も兼務。

ランキング





ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら



