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新しい「わかる」はどこにあるのか 『数学する身体』文庫化記念対談

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森田真生さん(左)、青木淳さん(右)

森田 近代の西欧数学は日本にとって外来の学問でした。日本には江戸時代に「和算」という独自の数学文化が発達しましたが、1872年に学制が公布されると教育の現場から一掃されます。1877年に東京数学会社という日本初の学会が生まれ、1880年に「訳語会やくごかい」が立ち上がると、急ピッチでまずは数学用語の訳語が決められていきます。

「関数」「写像」「複素」など、数学用語は仰々しいものが多いですが、対応する英語のfunction、map、complexなどはいずれも日常的に使われる言葉です。日本語の数学用語のぎこちなさは、文脈のないところに数学が急に入って来たことの止むを得ない帰結です。もちろん数学用語だけではありません。たとえばtruthは「真理」と訳されますが、これもかなり堅苦しい。英語でtrue or false?と言えば「丸かバツか」くらいの軽い調子です。そもそも「偽」という言葉は「人がす」と書きますし、漢字の「真」「偽」は英語のtrue、falseとはまったく違う発想から出て来ているのでしょう。

西洋の哲学では人が自由な意思に従って責任を持って何かを為すことは、基本的によいこととされますが、古代中国の哲学ではむしろ「無為」が理想とされますよね。数学の歴史は、人が何かを成そうとして、成し遂げられなかったことの連続です。西欧数学を貫いているのは「普遍」への情熱ですが、数学の普遍的な基礎を探り当てようとする企てはすべて未遂におわっています。普遍性って一体何なんだろうかと考えざるをえません。

普遍を意味するラテン語のuniversusは、unus(一つ)+versus(向く)と分解できます。普遍性への情熱は、「一つ」を目指すということでもあるわけです。

ヨーロッパの哲学や数学が普遍を目指し続けて来た背景にはヨーロッパ固有の歴史がありますが、根本には「わかる」という経験が個人的なものだということがあるように思います。「わかる」を目指す限り、それは最終的に一人の経験なので、「一つ」の像を結ぶことを目指さないではいられない。しかし、わかるという経験は本当に個人で所有するしかないのだろうか。私的に所有されない「わかる」というのはありえないのか。そういうことをぼくは考えています。

個人に回収されないようなわかり方。青木さんが美術館や小学校の設計でやっているように、場のあり方から出発するということにヒントがあるような気がしています。

青木 シェイクスピアの劇場であるグローブ座(※1)は六角形平面で、ぱっと見た感じではほぼ円形でした。なぜそういう形だったかというと、設計思想のベースに「記憶術」があったからです。劇場が一種の記憶装置なんですね。

森田 記憶術というのは、ルルス(※2)の「アルス・マグナ(大いなる術)」のようなものですか?

青木 そうです。役者が劇場のどこに立っていたかで観劇者に役柄を覚えさせた。記憶術というのは古代ギリシャ以来の長い伝統を持っていますが、簡単にいってしまえば記憶をトポス(空間)と結合させる技法です。美術史家のフランセス・イエイツ(※3)が『世界劇場』という本で書いていますが、記憶術と劇場空間が結びついて生まれたのがグローブ座なんですね。劇場をひとつの世界と見立てて、俳優が立っている場所と演劇内世界を連関させると「世界を知覚する」「わかる」ことができる。だからグローブ=世界なんです。シェイクスピアの言葉に「この世は舞台、人はみな役者」(All the world’s a stage. And all the men and women merely players)というものがありますが、グローブ座はまさに世界で、人生が通り過ぎていく場所の比喩、雛形なんですね。その形がプラトン立体(正多面体)だったのも面白いところですが。

森田 幾何学に対する考え方は19世紀にリーマン(※4)が登場してから大きく変わりました。リーマン以前の数学者に「幾何学って何ですか?」って聞いたら、ユークリッドを念頭に「最初に公理があって、論証を積み重ねていくもの」と答えると思うんですが、リーマンは「いや、まず広がりがあって、そこで長さが計れて…」と非常に素朴な子どもにもわかるようなアイディアから出発して、それをちゃんとした数学にしてしまった。それまで幾何学は確固たる足場の上に築かれた不動の建築だと思われていて、だからこそイエズス会のクラヴィウスなどはそれを神の秩序を体現する学問として重視したわけですが、リーマンは純粋な「広がり」に、あとから長さを決める「計量」を入れていくという仕方で、空間概念を根本的に変えてしまった。幾何学は確固たる不動の建築物ではなくて、探究とともに仮説的に生成していくものになった。シェイクスピアの時代にはまだ幾何学といえば不動のものと思われていたでしょうね。

幾何学からプロセスへ

青木淳さんの作品集「JUN AOKI COMPLETE WORKS|3|, 2005-2014」(LIXIL出版)

青木 ぼくたちがモダニズムと呼んでいる時代は、スタティックな意味での形態や幾何学というものが過去のものになっていく過程だったと思います。幾何学にとって代わったのは手続き=プロセスです。仮定としてのまず緩い全体像があって、そのなかをさまざまな要素が通過したりぶつかりあう。その動きを与えるのがプロセスとかルールですね。そんなプロセスの系が、仮説としての全体像を変容し続ける。とはいえ、建築と数学にはちがいがあって、目に見える建築は普通動かない。環境=世界がすでに現れてしまっていて、そう簡単には変容しません。というようなところから、目に見える建築そのままを「建築」と捉えるのではなく、環境を「整理」している、その環境と生成プロセスとの関係を「建築」と捉えたほうがいいかもしれません。雷という自然現象があって、かつて人間はそれを「神様が怒っている」と捉えていたわけですが、それと同じような意味で、環境を理解する、整理する、体系立てる、その枠組みが「建築」なんですね。仮説としての全体像と、それに変容を与える手はずがセットになっているのが建築です。

そこで20世紀の建築はグリッドというものを発明しました。グリッドというのは、実体としてのモノがいくつか置かれてそれが空間を生む、という空間観への反発で、モノが置かれるためには、まずその前にそこに空間があるからだろう、という感覚から生まれたものです。つまり、グリッドとは、「何もない」空間、「何でも入る」空間という、ぼくたちが生きている世界を捉える、その仮想の全体像なんです。その空間は、もはやシェイクスピアの時代のように、完結した人間的な世界ではありません。それは、どこまでも反復し無限遠まで均質に拡張し続ける、人間を超えたユニバーサルな空間でした。

森田 グローバルな原理を幾何学的に設計するか、あるいはローカルな計算というプロセスに託してしまうか。そのバランスはあらゆる分野で難しい問題だと思います。

たとえば経済学の文脈で言えば、人間が自力で考えた仕組みで世界を変えようとするより、マーケットという非人格的なメカニズムの計算に任せてしまった方が効率もよいし人間の自由も守られるというアイディアがありますね。

青木 「神の見えざる手」というやつですね。

森田 そもそもすべての資源が私有できるわけではないので、市場の計算に乗らないものがたくさんあります。人間の能力や大気や水まですべてを市場で取引することで現実を理論に近づけようという考え方もありますが、どうしたってそこからこぼれ落ちるものは残るでしょう。だから、市場による計算は「神の手」と呼ぶほど実際にはうまく機能しない。

計算のいいところは、一歩一歩が明晰で確実で、ルールさえ守れば、誰でも平等に遂行できるということです。しかし弱点は全体像を見失うこと。計算は隅々まで合っているのに、そもそもトンチンカンなことを計算していたというのでは元も子もありません。逆に、人間にはすぐに全体をわかったつもりになってしまう性急さがあるので、慎重な計算を伴わない直観だけで歩むのも危険です。

青木 免疫というのは全体意思というものが存在しないにもかかわらず、抗原・抗体のローカルな反応で成り立つシステムです。今ではイェルネ(※5)の「免疫ネットワーク説」は古びていることになっているらしいのですが、異物に対して抗原や抗体が刺激し合って、形を変えて攻撃を加えるネットワークというのは、理解しやすい考えでした。それが今、一対一のローカル・ルールが特定されてきていて、そこから全体を構成する緻密な設計図があることがわかってきているようですね。その全体像が「わかる」ということにつながるのかどうか、目が離せません。

 
 

数学する身体

森田 真生/

2018/4/27


 

※1.^1599年、ロンドンのテムズ川南岸に建設された劇場。シェイクスピアが座付き劇作家として長く所属した国王一座の劇場として知られる。
※2.^ライムンドゥス・ルルス(ラテン名)またはラモン・リュイ。1235頃-1316年。13世紀カタロニアの哲学者、神学者、神秘主義者。「大いなる術」は護教的な文献だが、諸学問を系統立て、基本的な学理を設定することに成功している。
※3.^1899-1981年。イギリスの思想史家、美術史家。アビ・ヴァールブルクの思想に影響され、ルネサンスの精神史を研究した。主著『記憶術』『薔薇十字の覚醒』『シェイクスピア最後の夢』など。
※4.^ベルンハルト・リーマン。1826-1866年。ドイツの数学者。主著は『リーマン論文集』に収められている。
※5. ^ニルス・K・イェルネ。1911-1994年。ロンドン生まれのデンマークの免疫学者。1984年ノーベル生理学・医学賞を共同受賞。

第3回へつづく)

森田真生

もりたまさお 1985(昭和60)年東京都生れ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。2018年4月現在は京都に拠点を構えて研究を続けるかたわら、国内外で「数学の演奏会」「大人のための数学講座」「数学ブックトーク」などのライブ活動を行っている。2015(平成27)年、初の著書『数学する身体』で、小林秀雄賞を最年少で受賞。編著に岡潔著『数学する人生』がある。

数学する身体

2015/10/19発売

青木淳

1956年横浜生まれ。82年東京大学工学部建築学科修士課程修了後、磯崎新アトリエに勤務。91年青木淳建築計画事務所設立。個人住宅をはじめ、青森県立美術館、杉並区大宮前体育館、潟博物館、大宮前体育館、三次市民ホールきりりに代表される公共建築やルイ・ヴィトンの商業施設など、さまざまな作品を手がける。99年日本建築学会作品賞、2004年芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。主書に『JUN AOKI COMPLETE WORKS』(全3巻)、『原っぱと遊園地』(全2巻)、『青木淳 ノートブック』、編著に『建築文学傑作選』など。最新刊『フラジャイル・コンセプト』。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

森田真生

もりたまさお 1985(昭和60)年東京都生れ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。2018年4月現在は京都に拠点を構えて研究を続けるかたわら、国内外で「数学の演奏会」「大人のための数学講座」「数学ブックトーク」などのライブ活動を行っている。2015(平成27)年、初の著書『数学する身体』で、小林秀雄賞を最年少で受賞。編著に岡潔著『数学する人生』がある。

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