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萩尾望都 聞き手・構成 矢内裕子 『私の少女マンガ講義』試し読み

2021年7月27日

萩尾望都 聞き手・構成 矢内裕子 『私の少女マンガ講義』試し読み

「どんなふうにマンガを描いているのでしょうか?」 ――「私の創作作法」を語る。

著者: 萩尾望都 , 矢内裕子

デビューから50年余、今なお現役であり続ける作家が、日本独自の文化である少女マンガの「原点」と「未来」を語る『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)。本書は、イタリアでの講演やロングインタビューをもとに構成され、マンガ家自身が語る少女マンガ史から、自作の解説や創作作法までを語る貴重な一書です。その文庫化を記念して、「どんなふうにマンガを描いているのでしょうか?」という質問から導かれた、「少女マンガの神様」自らが語る創作の舞台裏を公開いたします。

萩尾望都『私の少女マンガ講義

2021/06/24

公式HPはこちら

描くペース

 ―次にイタリアでの講演後に行われた質疑応答の中から印象的だった質問を念頭におきながら、萩尾さん御自身のお話を伺おうと思います。まずは日本の講演でも多い質問ですが、「どんなふうにマンガを描いているのでしょうか」。

萩尾 原稿を描くペースはデビューした頃はまだ自分のぺースがつかめなかったので、一枚に一日かかってしまったり、四、五枚まとめて描いたり、と非常にランダムでした。だんだん自分のペースがわかってくると、若い頃は一日に五、六枚くらい、同じペースで描けるようになったんですが、不思議なことにうまくいかない日もあるんです。なぜなんでしょうね。人間のやることだから、ぶれが生じるんでしょうか。

―デビューしてから今に至るまで、たまにそういう日があるんですか?

萩尾 はい。デビューから最初の十年間くらいはわからなかったんです。なぜ描けないのか(笑)。アマチュアの頃は他のことでいろいろ忙しいから「描けない日があっても明日にすればいいや」くらいの感じでスルーしていたんですが、プロになってからは「今日、〇枚描かないと間に合わない」と考えるから、スルーできない。それで「今日の予定は五枚だ」と言いながら、二枚しか描けなかったりで、そういう四苦八苦がありますね。

―手で描いていることの、不思議なところですね。

萩尾 細胞の入れ替え期になっているのか、脳の入れ替え期になっているのか、原因がわからないんです。ただ不調は一日くらいで終わりますね。何日も続いたらスランプになってしまうので(笑)。昨日はなんだったんだろう、今日はちゃんと描けるなって感じで。

―調子が悪い日も「今日は描けない日だからやめよう」ではなく、やれることをやっておくのが大事なんでしょうか。

萩尾 仕事でなければ、やらないと思います。ペース配分があって「来週、月曜日までに全部描かなきゃ」と考えると、「今日一枚でも描いておかないと、あとがキツイ」とか思う。描いているうちに、ひょっとして描けるんじゃないかとか思いながら、消しては描き消しては描きやっていきます。まあ、そんなふうにして、ずっと描いてきました。体力があった三十代の頃は、一日に八枚ペースなんてこともありましたけど、それをやるとあとでバッタリ倒れてしまう(笑)。大体一日四枚ペースでずっと続けていたんですが、五十歳を過ぎたあたりからは体力や目が衰えてきて、描くペースが落ちてきました。イタリアの講演で例にあげた『柳の木』を描いた当時(二〇〇七年)は、一日三枚くらいのペースでした。 

創作の秘密その1―『柳の木』

 ―『柳の木』は、マンガにとってすごく大事な要素であるコマ割りを、あんなにシンプルな中に収めてしまう大胆さにびっくりしました(以下、Ⅰ章7192ページ参照)。

萩尾 ああいった実験的なコマ割りは、石ノ森先生も手塚先生も楳図先生もやってらしたので、自分のなかにストックがありました。先にやっていた方の作品はヒントになりますね。マンガも豊富な歴史がありますから。

―『柳の木』は途中から謎めいてきます。読者からすると、「なぜ、ずっと同じ場所にいるのか?」「彼女は誰だろう?」とか。

萩尾 はい、登場する女の人の服も変わらないし。

―どうやら男の子だけが成長していくので、作品の枠組みそのものに引きこまれていきます。そういう流れも一気に思いつかれたんですか?

萩尾 一回だけ二人が会って、そこで「お母さん、こんなところにいたんだ」と男の子が言うと、女の人がパッと消えるという八ページの短編も考えたんですが、「とりあえず出て来る男の子を大人にしちゃえ」と、子どもの成長を見守るお母さんという設定にしました。

―最後に来るまで台詞がないのに、すごくドラマティックです。実は、イタリアの講演で説明をうかがったときに、「自分は細かい部分を見落としているな」と、つくづく思いました。背景の護岸が時の経過とともにコンクリートに変っているとか。

萩尾 そういう部分は見落としても全然かまわないんですよ。

―無意識のうちに入っているのかもしれないけれど。

萩尾 そう、きっと無意識のうちに読者には伝わっているんだと思います。

―こういうシンプルな作品だと、何を丁寧に描きこんでいくのかもポイントなんでしょうか。

萩尾 何をどう描くのかという面白さもありますね。歳月が過ぎていくのをどうやって表すのかとか。たとえば柳の木は二十年経つあいだに大きくなるだろうから、幹もだんだん太くしていって、枝を描かなきゃとかね。

―二十枚というページ数は、アイデアを思いついた時に、これがベストだと決めたんですか。

萩尾 そうですね。コマ割りがシンプルだから、予告の前に頭の中でコマ割りしてみて、「あ、十六じゃダメか」というので、四ページ増やしました。二十二、二十四でも考えたんですけど、そうなるともうひとつ年代を付け加えることになりますよね。中学校時代とか高校時代とか。そうすると微妙にもたつくんですよ。だから前振りは最低限でなるべく短いほうがいい。といって短すぎるのはダメだけど。そうなると二十枚くらいかな、と。
 結局、男の人がお母さんと目を合わせて、土手を下りてきてからが長いでしょ?

―はい、たっぷり。贅沢に。

萩尾 最後をあの配分で見せるには、前のページが十三、四枚くらいがちょうどいいんです。

―最後の見せ場までは、一コマが数年ペースくらい、どんどん時間が過ぎていく。

萩尾 そう。説明がないから読者としては「なんだろう?」と思いながら読むでしょう。そのときに、なんていうかな、ヒントを与えられないで見ていくのは十五枚くらいが限界だと思うんです。五十枚、台詞無しで見せられたら「なんじゃこりゃ!」って、途中で投げだしますよね(笑)。

―読者の生理的な問題もあるんですね。

萩尾 うん、呼吸というか。

―なるほど、だから二十枚なんですね。二十枚って不思議なページだなと思ったんです。十六枚や十八枚だと二コマずつで見せていくにはちょっと短い、そのたっぷりなところが出ない?

萩尾 そうそう、最後の会話の部分がちょっと詰まっちゃうなと。

―そうした感覚が手の内にあって、自在に操ることができる。

萩尾 老眼になった分、ちょっと頭を使って(笑)。

―ページ配分の感覚は、何年目くらいからつかめたんでしょう。

萩尾 なかなかつかめずにすごく苦労しました。わりとまとめるのは得意だったんですが、それでも三十枚の作品のネームを作ってみたら六十枚くらいになってしまって、「ひぇ~どうしよう!」って言いながら、どこを削ればいいんだろうとか。削れるならいいけれど、『ポーの一族』の連載のときなどは、描き始めてから「しまった」と思うことも。まるまる外したページをあとで追加で描いて、単行本に収録したこともありました。

―エピソードがあふれてしまうということですか?

萩尾 頭のなかで考えていたときには「これだけのページで収まるだろうな」と思っていたのに、描いてみたら「入らない」という感じですね。

―アイデアの時点ではエッセンスだから、流れのある物語に起こしていくと「このエピソードの前後にはこれが必要よね」と、追加要素もあるんでしょうね。

創作の秘密その2―『残酷な神が支配する』『バルバラ異界』 

 萩尾 『残酷な神が支配する』(一九九二~二〇〇一年)を描いたときには、主なストーリーができていたので、編集部に「二年くらいで終わる話です」と言っていたのに、実際には九年かかってしまいました。
 何故かといえば、グレッグという困ったお父さんを描き始めたら、意外と悪役を描くのが楽しかったんです。グレッグという人はヒール(悪役)ですから、原稿に取りかかる前は「この人を描くのはつらいかな」と思っていたんですが、実際に描いてみると、別の視点から見られるせいか、ものすごく面白くて。ついつい主人公イジメに力が入ってしまいました。

―『残酷な神が支配する』のグレッグは、主人公のジェルミに執着して、わざわざ彼の母親と再婚までする人物です。ジェルミの母親や社会に見せる表の顔と、ジェルミを性的に虐待する裏の顔がある。徹底した悪人ですから、描くのが大変なのでは、と思っていましたが、面白かったとは! 悪意を描くというのは、物語にとっても大切なんですね。でも悪役が魅力的に見えるのは、どういうことなんでしょうね。自分の好きなようにふるまうからなのか(笑)。

萩尾 そうかもしれない。ある意味、悪役が何かを解放してくれるんじゃないでしょうか。自分の中に抱えこんでいたものが、全部出てくるというようなものかしら。
 人間にはやられたことをやりかえす習性があるといいますね。強い人に殴られたら「畜生!」と思って、自分より弱い人を探して殴るという。だから親切にされたら誰かに親切をかえすという、よい面もあるんだけれど…。
 育っていく中で、我が身に受けたいろいろな理不尽なこと、主に親をはじめとする大人、教師などから受けた抑圧、納得できないと思いつつも我慢してきたいろいろなことが、グレッグを描くことによって、不思議なことにどんどん解放されていったんですね。
 だってグレッグってすごく都合のいい人で、自分が悪いにもかかわらず全部、誰かのせいにする。「私がこんなことをするのはおまえが悪いからだ」とか、他人のせいにして自分は反省しない。だから描いていると、自分が受けてためこんでいた負の感情を吐きだすことができたんでしょうね。カタルシスがあって、こんなに気持ちがよいのかと思いました。びっくり。

―そういうキャラクターはグレッグが初めてだったのですか? 

萩尾 彼ほどあからさまな悪人を、完全に意図して描いたのは初めてですね。悪人だからどんなに悪くしてもいいし、どんなにわがままなことを言ってもいい。

―それにしても二年の予定が九年に延びたとは相当長くなりましたね。同時に、物語が育っていったところもあるんでしょうか。

萩尾 それもありますね。『残酷な神が支配する』を描く前は、悪夢を見る時期がちょくちょくあったんですけれど…。

―さしつかえない範囲で、どういう夢だったんでしょうか。たとえば続き物の夢を見る人もいますよね。毎日、連続ドラマのように同じ話が続くとか。

萩尾 いろいろなんですが、非常に理不尽な怖い目にあっているとか。何かのことで、ずっと叱られているとか。たぶん怒っているのは親だと思うんですけどね。自分は説明したいのに、全然しゃべれないとか。
 追い詰められるシーンも何度も夢に見ていたんですが、『残酷な神が支配する』を描いている途中から、まったく見なくなりました。リハビリになったんじゃないかな(笑)。それまでは怖い夢を見るのは当たり前だと思っていたんですが、「あ、見なくなるんだ」とわかった。自分の中のドロドロを全部出しちゃったら、悪夢を見なくなったのが面白かったです。

―夢そのものは見るけれど。

萩尾 はい、追いかけられ責められる怖い夢を見なくなりました。
 この連載が続くあいだに、父親の心理についても踏みこんで描けるようになりました。そのおかげで、「大人対子ども」の関係を描く時に、以前よりも大人の心理について考えられるようになったんです。
『残酷な神が支配する』が終わったあと、『バルバラ異界』(二〇〇二~〇五年)を描いたときに、初めて父親の立場の人(渡会(わたらい)時夫)を主人公にしました。『バルバラ異界』は父親と息子の話です。それまでは子どもの立場からでないと、父親は描けなかったんですよ。

―作品を通して、御自身のなかで引っかかっていたことが表現されると、次の作品にも影響を与えるんですね。『バルバラ異界』には、神楽(かぐら)など日本の古来の伝統芸能が登場する一方、コンピュータやインターネットなどのITも、未来的なイメージで描かれます。

萩尾 インターネットが日常生活に深く入ってきて、誰もが携帯やスマホを持つようになった。マンガそのものの世界も電子化されました。阪神淡路大震災の頃は、まだみんな携帯を持っていなくて、臨時に設置された公衆電話に長蛇(ちょうだ)の列ができていましたが、東日本大震災のときにはみんな携帯からSNSにアクセスするようになりましたね。マンガにも、そうした影響は入ってきます。

―私にとって『バルバラ異界』は、この本の企画につながる、特別な作品です。『バルバラ異界』では、今おっしゃった、親の目から見た物語が語られるのと同時に、「永遠の命」「見捨てられた子ども」「子どもたちのサバイバル」「未来を選ぶ」といった、『ポーの一族』からつながる、それまでの萩尾作品の重要なモチーフがたくさん登場します。物語はこの数十年に描いてきた作品が重層的に見えるような、円熟した描かれかたで、いわば螺旋階段をあがるように、それまでの作家生活があってこその高みで描かれた作品だと思いました。
「これは、勇気をだして、萩尾さんにお仕事をしたいと申し上げねば」と、決意させてくれた作品なんです。おかげで萩尾さんにとって初のコミック・エッセイ『夢見るビーズ物語』(ポプラ社)を出し、本書につながりました。

萩尾 『バルバラ異界』で父親を描くことができたので、その次に生方(うぶかた)さんという小説家を中心に置いた「ここではない☆どこか」シリーズ(二〇〇六~一一)を描けるようになりました。「一家の物語」で、父親を主人公にしたのは、母親を描くのが苦手だったということもありますね。男性だと、自分の好みに変えて描けますが、母親は生々しくて。

―「ここではない☆どこか」シリーズは、SF的なトーンを下敷きに、スフィンクスやオイディプスなど神話的なモチーフを扱った作品もあり、自由にお描きになっている印象でした。いろいろなお話が出てくる、玉手箱のような。 

物語のつくりかた

―せっかくなので、物語のつくりかたを聞かせてください。短編と長編では発想やまとめかたは違うものですか。

萩尾 違うと思います。短編の場合は、「ここで落とす」というか「これについて話す」といったポイントがきちんとあって、そこに向かって作品を構成します。そうなると短いページ数だからこそ言いやすくなります。
 長編の場合は少し違います。言いたいことも複数あって、その集合体が物語になります。立体構造になるように、登場人物も増やしていったほうが、ドラマとして面白くなる。

―立体として考えると、物語の構造が考えやすくなります。

萩尾 アイデアを思いついたときに、「ああこれは短編向きだな」とか「これは長編向きだな」というのはわかります。でもね、本当のところを言うと、その二つを具体的にどうやって区別しているのか、自分でははっきりしていないんです。長編の場合は登場人物が多いほうが題材として面白くなるだろうとか、たぶん、そうした発想から来ていると思うんですけど…。
 古今東西の短編小説を読んでみると、短編ではある時間を切り取って、「短い時間の中のポイント」を話している。もしくは、現在過去未来の時間があっても、何かの切り口を押さえて話をまとめています。ドストエフスキーは長編をたくさん書いていますが、複雑な人間関係がこれでもかこれでもかと登場して、その絡みの中でストーリーが進行している。

―長編には複雑さが必要なんでしょうね。

萩尾 構成の複雑さに耐えきれる、強いキャラクターも不可欠です。だから長編はキャラクターがすごく強いですよね。

―たしかにそうですね、短編だったら、さほど濃くない登場人物でも、ある一瞬を切り取ることができれば成立する。長編を支えていくには、登場人物にも何か濃いものがないと。となると長編を描くためには気力と体力が必要ですね。長編に比べると『柳の木』などは収束点が見えている。

萩尾 登場人物のみなさん、名前もありませんしね。
 走り幅跳びとか、そんな感じですよね。スタートして、きれいなフォームで跳んで、ちゃんと着地するという。長編はフルマラソン。あの山を越えて坂を越えて、橋を渡って─となると、箱根駅伝かしら。短編はあまり持続力がなくても描けます。

―短編は、逆に発想が問われたり、鮮やかに切り取らなきゃいけない難しさもあるのでは。

萩尾 アイデアがうまく出てくると、自分でもすごく嬉しいです。
 きっとね、悪夢を見ているというか、何かこうずっと違和感を抱えているという気持ちが、基本にあると思うんです。それこそ「ここではない☆どこか」を望んでいて、現実の居心地が悪いというか。腎臓結石や胆石ができるように、抱えている違和感から、何かがポロッと出てくるんじゃないか。違和感が結晶するというのかな。   
 たとえば新聞を読んでいて、「学校で飼っていたウサギが殺された」という記事がヒントになったり。もしくはある実験で、閉じた部屋に人を入れて、音や刺激のない、昼も夜もない状態にしておくと、一日のサイクルが二十五時間になってくる─ということを何かの本で読みました。「だとすると、もともと地球は二十五時間で回転していたんじゃないか」という仮定が生まれます。
 そういうことがものすごく不思議で、「一日が一時間長い地球ってどんなものだろう」と、ずっと考えてしまう。だから科学の新説にすぐ頭を持っていかれます(笑)。「こう考えたほうが、座りがいいんじゃないか」とか、ずっと考えています。

刺激のない部屋にいるとどうなるかという実験は『スロー・ダウン』(一九八五年)に出てきますね。短編のアイデアになるのは、今までとは全然違う常識や価値観がそこにはあるのではないか、という疑問でしょうか。

萩尾 そうですね。私は未だに世の中を理解できていないんだと思うんですよ、本当に。ねえ、素直に「世の中はこういうものだ」と思って生きていけたら、それはそれでいいなと思うんですけれど、台風はくるし地震は起こるしね。

―以前、脳科学者の茂木健一郎さんがホスト役のトークイベントで、物語の構成をネックレスにたとえていましたね。ぜひ描きたいと思うエピソードを、ビーズのように並べて、そのあいだを埋めていくという発想法です。

萩尾 どうしたら描きたい場面につながっていくか、という視点から、物語を考えていくこともありますね。

(つづきは本書でお楽しみください)

萩尾望都『私の少女マンガ講義

2021/06/24

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萩尾望都

1949(昭和24)年、福岡県生れ。1969年、『ルルとミミ』でデビュー以来、SFやファンタジーなどを取り入れた壮大な作風で名作を生み出し続けている。1976年、『ポーの一族』『11人いる!』で小学館漫画賞、1997(平成9)年、『残酷な神が支配する』で手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年、『バルバラ異界』で日本SF大賞ほか受賞多数。2012年には少女マンガ家として初の紫綬褒章を受章。2017年、朝日賞を受賞。2019(令和元)年、文化功労者に選出。

矢内裕子

矢内裕子

ライター、編集者。1965(昭和40)年、東京生れ。書籍編集者として出版社勤務後、独立。日本の伝統文化、古典芸能を中心に幅広く執筆・編集を手がける。著書に『落語家と楽しむ男着物』。企画編集した本に、萩尾望都『夢見るビーズ物語』、中島京子『ハブテトル ハブテトラン』等。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
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