一台のフィルムカメラと二本のレンズで、この十二年間ほとんどの仕事をしてきた。ピントは手動で、ズームレンズは使わずに、体で寄る。

 全身で自然を感じ、シャッターを切り、フィルムを現像。プリントは暗室で生まれる。人間がものを考える速度と、フィルムから一枚の写真が仕上がるまでに流れる時間とは、とても相性がいい。僕は直感で捉えたものを、身体を通して制作し、そうすることで自分の経験をみんなに見てもらっている。だからいつもその土地に足を運び、手で掬い取るように光景をフィルムに仕舞い続けてきた。その始まりは少年期の山歩きにある。

 

 五歳になる頃から、僕は毎日早朝に家を出て、裏山に登っていた。暗いうちから犬を連れて山に出かけて、山道の中腹ぐらいでやっと空がほの明るくなり町が見えてきて、稜線の向こうから太陽が顔を出す。幼い僕は生命の力があふれる自然のなかを歩き回って、眺めては片っ端から触れていた。するとまわりにあるものがだんだんと自分のものになっていく。できるだけ自然界の実感に合わせたくて、ひたすらに歩いていた。神戸は百万都市ではあるけれど、郊外にはまだ自然が豊かだった。

 小学校に入学しても、学校が始まるときには山の上にいるものだから、もちろん大遅刻。その度に、何かを山から持ち帰っては遅れた理由を説明していた。たとえば「こんなにみごとなザクロの実を探して採るのに一時間かかったよ」とか。大きなつららを滝から折っては、溶けないように新聞紙に巻いて「すごい大きさだろう」と教室に持ち込む。好奇心を自ら押さえることができなかった。結局、小学校は十歳でドロップアウトしてしまうのだけれど。自分の生きる場所は山道の先や犬が探しあてるところで、学校にははまらなかった。合わないのなら合う場所を探せばいい。以来、身体感覚を頼りに行き先を見据え歩き続けている。

 

 東日本大震災が起こってから、今まで通りの生活を普通に送ることができなくなっていた。僕は神戸の震災を経験している。実家は全壊し、たくさんの友人を失ったけれど、あのときとは違う感覚だ。もう一度自然と向き合う必要があるんじゃないだろうか。大事な価値観をつかもうと思ったときに、たどりついたひとつが日本の南方の端、群島だった。琉球弧というあのエリアには、今でも自然と人間が対話し、自然に寄り添いながら暮らす人々の姿がみられる。生活のなかには命のやり取りや見送りのような自然と人間の神聖な儀式があり、木と人間、海と人間が日々話そうとする。狩猟採集民族が古来から受け継ぐ叡知に満ちた自然信仰。それに根ざした営みを送っていた時期のことが、まだ、ぎりぎり残っている証しと言える。そんな生き方に日々触れ合いたいとの思いから、一年前に居を九州へと移した。

 二〇一二年の暮れには、思い立って、沖縄本島最北端の安須森(アスムイ)御嶽を訪れた。そこは琉球開闢七御嶽の一つであり、沖縄最高の聖地と言われている。「そこに立ち、明日のことを見つめよう」と、直感的に足を運んだら、ちょうど新年に向けての神聖なお水取りの儀式が執り行われる日だった。ほとんど知られていない小さい集落の行事だが、琉球王朝ゆかりの伝統行事を十数年前に百二十年の時を超え復活させた儀式となっており、図らずも見届けることになった。

 うちなんちゅによれば「あなたが来ることは決まっていたさぁ」ということらしい。そういう偶然の結晶のような出来事や、聖域に引き寄せられることが、僕には度々起こる。以前、モンゴル北部を旅した日には、辿り着いた村で出迎えられ「あなたを私は何年待ったことだろう。来ることは知っていたよ」と出会い頭に告げられたことがあった。彼女はその土地のシャーマンだった。同じような、言葉では説明のできないような摩訶不思議な現象や出会いが、時折僕を導いてくれるのだ。こういうことが続くというのは、自分がとても小さな何かに気づき無意識に行動を起こしているからに他ならない。そこに大きな力が作用し、結果として膨らんでゆく。

 古代、人間が自然と深くやり取りをした時期には、そういう気づきの感覚を身に付けていたはずだ。人間には生まれながらに〝カン〟が備わっていて、それでかなりのものが成り立ってきたのではないだろうか。

 ここ数年足を運んでいる東北各地の縄文の遺跡や、五千年前の暮らしが息づくスコットランドの島々には、太古の時間が流れている。今でも、世の中の大きな歯車を回しているのはむしろそこで、僕たちはその外側に生きているのではないかと、あるとき、考えが逆転した。今の日常は、ほんの百年ぐらいのものなのかもしれない。そういう土地で写真を撮っているときは、とてもゆるやかに時間が流れていて、僕も現代社会ではなく、現地の時間を吸い込む。本来の時間を吸い込んでいるのだと思う。

 

 古代の時間に溶け込むからなのか、簡単にシャッターを切れないときもある。アイルランドでは五日に一度程度シャッターを切れば十分なときもあった。自分にとっての「撮る」という瞬間は、一人の人間のパワーを超えて、社会の構造やなにかに大きな影響を与えるものを作り出す瞬間であり、そう簡単には訪れてくれない。だからその瞬間を手にするために、土地を訪れてはとことん歩き回り、ねばり強く待たなければ前に進めないこともあった。といっても闇雲に歩き回っているわけではない。土地には踏んではいけない場所、これ以上進んではいけない地点、抜けてはいけない方向があって、その辺はかなり敏感になった。タブーを犯さないよう、敬意を払い、土地の名前を憶え習慣に従う。慎重に、慎重に。

 

 南方に吸い寄せられ、アジアに近づこうと九州に居を構え、早々一年が過ぎた。とはいってもかなり遊牧的(ノマディック)な日々を送っている(年の半分以上は旅に出掛けているのだから)。今年の一月には、ミャンマー北部で狩猟採集の生活を続けているナガ族に会いに旅に出た。このエリアは特別許可を取る必要のある地域で、この時期入域が認められたのはわずか十八人という管区だ。ナガ族は警戒心が強く、どこまで関わることができるか不安だったけれど、日本式に礼儀正しく接したら通じたらしい。現地では思いの他打ち解けることができ、別れのときには「君の中にはナガの精神がすでに宿っている」とまで言われてしまった。そんなことはないはずだが、もしかすると同じ東洋人としてのなにか、自然に対する敬意のようなものを直感で受け止めてくれていたのかもしれない。

 そんな彼らの暮らしぶりや生き方からは、縄文時代もそうだったのではないか、と感じる発見がいくつもあった。縄文人とナガ族の生活は、千年のときを超えて通底しているのではないだろうか。彼らと接しているとそんな想像が膨らんだ。そう思うと未来への手掛かりは案外と近い地域にまだ潜み、僕らが目を向けていないだけで、希望の原石は今日も森のどこかで磨かれるのを待ってくれていると信じずにはいられない。

(「考える人」2013年春号掲載)