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考える四季

2022年7月27日 考える四季

「慈母としての政治家」大久保利通

著者: 瀧井一博

憲法史や国制史を専門として、近代日本における「知」の形成を丹念に追ってきた瀧井一博氏が、新著『大久保利通 「知」を結ぶ指導者』(新潮選書)を上梓しました。明治新政府の大立役者でありながら、「独裁的」「冷たい」など、とかくマイナスイメージで語られがちな大久保利通。しかし瀧井氏は、今回の執筆で新たな大久保像を見出されたといいます。自身の日常と重ねつつ示される、大久保の新たな姿とは――。

瀧井一博『大久保利通 「知」を結ぶ指導者

2022/07/27

公式HPはこちら

旧君を裏切り、親友を見捨てた「冷酷なリアリスト」という評価は正当なのか? 富国強兵と殖産興業に突き進んだ強権的指導者像の裏には、人の才を見出して繋ぎ、地方からの国づくりを目指した、もう一つの素顔が隠されていた。膨大な史料を読み解き、「知の政治家」としての新たなイメージを浮かび上がらせる、大久保論の決定版。

ジェンダーの観点がないと歴史学ではない?

 2018年12月14日から16日の3日間、筆者の勤務する国際日本文化研究センター(日文研)において、「世界史のなかの明治/世界史にとっての明治」と題した国際シンポジウムが開催され、およそ15におよぶ国々から30名の研究者が登壇した。

 少し前まで、その時のペーパーをもとに『明治史講義【グローバル研究篇】』(ちくま新書)と題した論集を編纂していたのだが、その作業をしながら、当時のことをつらつら思い出した。そのひとつにこんなことがあった。

 このシンポジウムの後、意外なお褒めの言葉にあずかった。ジェンダー・バランスが良かったというのである。明治150年の記念イベントの調査をしているというアメリカ人の研究者からは、後日、アンケートの依頼を受け、「ジェンダーに特に配慮したのか」と質問された。

 確かに、パネリストやコメンテーター、基調講演をしてくれた人などプログラムに名前のある者のうち11名が女性だった。海外との研究協力がミッションの研究所であるから、特に欧米との関係ではジェンダーの問題は避けて通れない。女性研究者にも参加してもらわねばとのことは当然考えた。とはいえ、鵜の目鷹の目で女性の参加者を募る必要はなかった。このシンポジウムの母胎として2015年から開催していた共同研究会ですでに一定数の女性班員がいたし、アンテナを張っていると、面白そうな研究をしている女性研究者が自然とキャッチできたからである。

 告白すると、私はあまりジェンダーの問題に執心していない。この国際シンポジウムと同じ年にアメリカで開催されたアジア研究学会(AAS)で聴講したあるパネルで、「ジェンダーの観点がないと歴史学ではない」という趣旨の発言がなされて面食らい、違和感すら抱いた。とはいえ、これが今の国際学界の趨勢である。この声と真摯に向き合わなくてはならない。

 私自身は中学高校ともに男子校だったこともあり、女性はいまだに「異文化」である。家庭内ではこれまた小学校から高校まで女子校だった妻と毎日対話と交渉の日々である。共働きでもあるので、妻の差配の下、家事にも育児にも私なりに積極的に関わってきた(尻に敷かれているともいう)。おかげで、朝食と子供たちの弁当を作る妻の代わりに、ナイフでリンゴの皮むきもできない私が、家族の夕飯担当となった。

 しかし、これはこれで楽しい。色々なレシピをネットで物色して、仕事帰りにスーパーで食材を買い、厨房に立つ。いまだに料理の才などゼロだとわきまえている自分が、毎日の終わりに何がしかの食事を完成させて、みなにふるまう。その日何があっても、一日の最後には達成感が味わえる。何よりも、妻が夕食を作っていた時は、ひとり晩酌していると小言を言われたものだが、自分が料理する番になると、気兼ねなくビールが飲める(キッチン・ドランカーともいう)。足元から始めている男女共同参画と言えようか。

「独裁者」という通説を覆す新たなリーダー像

 このような家庭内での実践は別にして、研究の上でジェンダーを取り入れるというのはなかなか難しい。私の専門は日本近代史で、権謀術数渦巻く政治や国家をフィールドにしている。ましてや、これまで伊藤博文をはじめとした政治家やマックス・ヴェーバーの国家論に興味があったので、女性というファクターは入りにくい。ところが、このたびの新著『大久保利通―「知」を結ぶ政治家』を執筆していた時、これはもしかしてジェンダーの観点を加味することができたのかもと思える瞬間があった。

 大久保とジェンダーとはこれまた面妖な取り合わせだろう。大久保といえば、マッチョな男性主義の権化のように思われる。彼は倒幕運動に強引な手腕を発揮し、策謀を施して王政復古のクーデタを牽引した。明治維新後も廃藩置県を断行し、征韓論政変で政敵を追い落とし、西南戦争では盟友だった西郷隆盛を非情にも死に追いやった。彼にまとわりつくのは、確固とした意志で自らの政治信念を貫徹する独裁的指導者のイメージである。

 しかし、史料を読みながら彼の生涯を丹念にたどっていくなかで、それとは異なる大久保の姿が浮かび上がってきた。そもそも、最近の研究では、大久保独裁とか大久保政権という枠組みに疑念が寄せられている。

 例えば、大久保の肝煎りで創設され、彼の権力の根城だった内務省であるが、そこでの政策立案の実態を綿密に考察してみれば、その多くはそこに集った能吏たちが自由かつ自発的に策を練った結果であり、大久保が強靭な指導力を発揮したということは認められない。内務省の政策には、井上(かおる)などが大蔵省で検討していたことの焼き直しも多く、大久保の独自性があったわけではない。総じて、内務省のなかで大久保は多分に神輿に担がれた存在だったというわけである。

 拙著もそのことを追認するものである。だが、だからといって、大久保は政治指導者として張子の虎だったというつもりはない。むしろ大久保は、別のかたちで明確にリーダーシップを発揮していたのだというのが、筆者の見立てである。

 この点で示唆的なのが、南アフリカの人種差別政策撤廃のために闘い、後に黒人として初めて同国の大統領になったネルソン・マンデラの言葉である。自伝のなかで彼は述べている。

 「羊飼いは群れの後ろにいて、賢い羊を先頭に行かせる。あとの羊たちはそれについていくが、全体の動きに目を配っているのは、後ろにいる羊飼いなのだ」
(ネルソン・マンデラ『自由への長い道』上巻、東江一紀訳/日本放送出版協会、1996年、42頁)

 大久保のリーダーとしてのあり方も、マンデラが言う羊飼いだったのではないか。いつもは羊たちの後ろにつき従い、導かれていく。しかし、その一番後ろから羊たちの向かう先を見据え、適宜行く先を修正する。また、有事の折は自分が前衛に立って対処する。

 そのような政治指導を女性的というのはやや短絡だろう。しかし、興味深いのは、大久保自身が為政者のあり方として、慈母のように民と接するべしと語っていることである。

 大久保畢生の大業として福島県の安積(あさか)開墾を中心とした東北振興がある。大久保はここに士族授産として秩禄処分で没落した士族を入植させて生業に就かせようとした。その意図を彼は次のように語っている。

 「自分もいわゆる慈母としての政治家の血脈と遺伝を受けた者である。今から二三十年を待ち、世の青年たちが実業に就き、興産に楽しむの日に至れば、みな天下の良民となるだろう。そうなれば、諸君らの諫言を受けることも無くなるだろう。(予も謂はゆる慈母政治家の血脈遺伝を受けたる者也。今より二三十年を待ち、世の青年壮者実業に就き、興産を楽むの日に至らば、皆造化の良臣僕となり、復足下等の諷諫を受けざるべし)」
(前島(ひそか)『夢平閑話』、同『鴻爪痕』所収、36頁)

 大久保は時代にリストラされたかつての武士たちを前にして、やむにやまれぬ思いで、慈母としての心をもって対処しようとしたのである。慈母を政治家の理想像のように掲げているのは注目に値する。もとよりそれはことの一面に過ぎない。前述の羊飼いのひそみに倣えば、通常は慈母のように後ろから羊たちに寄り添い、何かことがあった場合には厳父のような果断と辣腕で危機に処する。それこそが大久保の理想とした政治家像だったのではないか。彼について一書をものした今、筆者にとっての大久保とはそのような政治家となっている。

 性差にもとづく社会的役割を固定化させるのではなく、ふたつの性が分有すると思われている原理的価値を自らの内に同居させて両立させる。政治家としての召命を受けた者は、胆力と決断力のみならず、柔らかな情感と包容力をかねそなえているべきであろう。世間で言われてきたような「男らしさ」と「女らしさ」を背反したものとしてではなく、ひとつの人格のなかで融合し調和させたところに、リーダーのリーダーたる所以が求められるのではないか。

 寡黙で絵に描いたような厳父の趣だった大久保だが、家では子煩悩で特に唯一の女の子だった娘の芳子を溺愛していた。出勤する直前まで、書斎で彼女とキャッキャッと戯れていたという(佐々木克監修『大久保利通』講談社学術文庫、2004年、32頁)。

 大久保を男らしさから解き放った時に、彼の真価が見出せるように思われる。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

瀧井一博

1967年福岡県生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程を単位取得のうえ退学。博士(法学)。神戸商科大学商経学部助教授、兵庫県立大学経営学部教授などを経て、現在、国際日本文化研究センター教授。専門は国制史、比較法史。角川財団学芸賞、大佛次郎論壇賞(ともに2004)、サントリー学芸賞(2010)、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト賞(2015)受賞。主な著書に『伊藤博文』(中公新書)、『明治国家をつくった人びと』(講談社現代新書)、『渡邉洪基』(ミネルヴァ書房)他多数。


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