2月13日と14日に行われた「第2回子ども音楽祭」は、パンフレットに書かれている「子どもたちによる子どもたちのための音楽祭」を名乗るにふさわしい堂々とした催しだった。前日の土曜日は相馬市の2つの高校による吹奏楽の演奏と、相馬子どもコーラスによる合唱を中心としたプログラム。そして、2日目の午後は、子どもオーケストラが主役を飾った。

 地元の高校生が名高い昭和39年の東京オリンピックファンファーレを奏でた後、いよいよオーケストラの演奏が始まる。バッハのブランデンブルグ協奏曲第3番だ。小さな子どもたちがヴァイオリンやチェロを構えて、バッハを演奏するその姿を見ているだけで涙腺がいくらか緩んでしまう。しかもこの中には、楽器を始めてまだ3年に満たない子も多く含まれているのだ。エル・システマの理念に基づき、家庭事情にかかわらず誰でも無償で子どもオーケストラに参加することができる。小学生のころからオーケストラというものに憧れていた私は、率直に彼らを羨ましく感じた。

 ステージの上で演奏しているメンバーを観察すると、年配者も数名混じっていることに気付く。その中で最年長の1人、ヴィオラの橋本顕一は長年読売日本交響楽団で活躍した相馬出身のプロの音楽家。後から知ったのだが、橋本は昭和32年頃、当時できたばかりの中村第一小学校器楽部のメンバーとして、全国大会グランプリの栄光を勝ち取った〝スター〟の1人だという。その橋本が今回久々に里帰りして、子どもオーケストラのヴィオラパートに参加した。現在のオケのメンバーの祖父母が橋本と同級生ということで、地元の多くの人びとにとって特別な出来事だったそうだ。

 同じくピッコロを吹いていた岡崎明義も、相馬市立桜丘小学校出身のプロのフルート奏者(エル・システマジャパンの吹奏楽の音楽監督でもある)。橋本より1学年上の岡崎は、同級生の孫3人がこの日のステージに立っていたそうだ。震災によってばらばらになりかけた地域社会の連帯が音楽を通してよみがえり、人びともまたその意味の大きさを実感している。それはやはりかけがえのないことだと思った。

 メインプログラムはベートーヴェンの交響曲第5番。《運命》の名で知られるかの有名な交響曲の演奏が始まった。相馬子どもオーケストラが交響曲の全曲演奏に取り組むのは今回が初めてらしい。しかも、彼らはこの曲を翌月ベルリン・フィルハーモニーで演奏することになっていた。「弦楽器を始めて3年足らずの子どもたちが取り組めるような作品ではない、無茶な!」と思う人がいてもおかしくないし、正直言うと、私も多少はそう感じていた。実際、「ジャジャジャジャーン」の冒頭部分は大きくずれた。ここの呼吸を合わせるのは、プロの音楽家でも高い集中力を必要とする。だが、曲が進むにつれて多少の乱れは気にならなくなった。それは浅岡洋平指揮のオーケストラの1人1人に気持ちが入っていたからということに尽きるかもしれない。相馬高校と相馬東高校の吹奏楽部のメンバーによる厚みのある管楽器セクションにも助けられ、歓喜のフィナーレが終わると、お客さんから熱い拍手が送られた。

総勢200人で奏でたヘンデルの〈ハレルヤ〉。
 

 最後は子どもコーラスと相馬合唱団エスポワールが加わって、モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスとヘンデルの《メサイア》より〈ハレルヤ〉。〈ハレルヤ〉では、ステージに乗り切れない地元のおじさん、おばさんたちが客席の前方に整列して力いっぱいのハーモニーを奏でる。総勢200人、年齢の幅は実に70歳。2回の休憩をはさむ約3時間半の長いコンサートだったが、相馬市民会館はハッピーな高揚感に包まれて公演の幕を閉じた。

 その晩は相馬の松川浦の旅館に泊まり、翌朝レンタカーで市内の沿岸部にある伝承鎮魂祈念館に向かった。実は前日もそこを目指したのだが、Googleマップの指している場所が明らかに間違っていて結局探し出せなかったのだ。旅館のおかみさんにそのことを話したら、「復興の変化のスピードに、ナビや地図が追いついていないことが多いのですよ」といくらか申し訳なさそうに行き方を教えてくれた。

相馬市伝承鎮魂祈念館(右)の横に建つ慰霊碑。
 

 海の目の前に建つ慰霊碑には震災で亡くなった相馬市民458人の名前が刻まれていた。時折り復旧作業の工事の音が聞こえる以外、周囲は静寂が支配していた。昨日のコンサートの熱狂と鎮魂の気持ちとが自然と重なり合う。相馬子どもオーケストラのメンバーに再会したのはその約1ヶ月後、相馬から8700キロ離れたドイツの首都ベルリンにおいてだった。(つづく)(撮影すべて著者)