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エル・システマジャパン 震災5年  恩返しの旅 相馬からドイツへ

 3月9日、ベルリン・フィルハーモニーでの記者会見の場で、ペーター・ハウバーはこう切り出した。

 「昨年の6月か7月だったでしょうか、エル・システマジャパン代表の菊川穣さんからこんな連絡が届きました。『子どもたちはもう十分に育った、ベルリンに行きたいと言っている。ベートーヴェンの《運命》を演奏したい』と。その後少し間があって、『できることならベルリン・フィルの人たちと一緒にやりたい』。私は一瞬息をのみ、心を打たれつつも、ちょっとクレイジーな要求だなと思いました。ヴァイオリンを手に取って3年足らずの子どもたちが、超一流のプロであるベルリン・フィルのメンバーと、ベートーヴェンでもっとも難しい曲の1つである交響曲第5番を演奏することなど、果たして可能なのだろうかと…」

 この話を横で聞いていたベルリン日独センター文化部長の河内彰子は、後で菊川に「ハウバーさん、真っ赤な“ウソ”をついておられましたね。“控えめな”日本人の私たちがいきなりあんなお願いをするわけありませんもの」と言ったという。もちろん笑いながらである。

 大部分が楽器を始めてまだ3年足らずという相馬の子どもたちが、なぜ世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーと共演することになったのか。

 そもそも相馬子どもオーケストラのドイツ公演のアイデアを最初に考えたのは上記の河内だった。2014年末、東日本大震災から5年の事業を考え始めていた河内は、ふと「あの相馬のオーケストラはあれからどうなっただろう」と思った。彼女は、その2年前にベルリンで行われたIPPNW(核戦争防止国際医師会議)のチャリティーコンサートを会場で聴いていた1人だった。「あのとき、菊川さんが『いつか子どもたちを連れてベルリンに来たい』という夢を語っていたことがずっと頭にありました」。大震災直後、日独センターに寄せられた寄付金を同センターが相馬市内の中学校吹奏楽部の楽器購入のために贈るという縁も生まれていた。2015年4月末、河内は菊川とコンタクトを取り始めた。

 河内らが働きかけたことにより、2016年3月11日の日独センター、そして13日のライプツィヒのトーマス教会での公演がまず決まった。その時点では15人ぐらいの規模での演奏を考えていた。菊川は「せっかくベルリン・フィルとのご縁があるから、その前後で何かできないか」と思い、ハウバーに相談をした。河内と菊川がイメージしていたのはフィルハーモニーのロビーで毎週行われる無料のランチコンサートのようなものだったが、ハウバーからの返事は「3月10日のフィルハーモニーの室内楽ホールが空いていたからもう押さえてしまった」。菊川はあっけにとられた。2012年のIPPNWのチャリティーコンサートのときと同じだ。

ベルリン・フィルハーモニー室内楽ホール。©FESJ/2016/Mariko Tagashira

 菊川と話しながら、こんな経緯を聞く。

 「音楽監督の浅岡先生と相談し、じゃあぜひベートーヴェンの《運命》をやりましょうという話になり、ハウバー博士に再度相談。何しろシンフォニーを全曲演奏するのも初めてです。子どもたちだけではさすがに難しいから、ベルリン・フィルのメンバーに加わってもらって何かできないかと。でもその時点では一体何が生まれるのか想像もつかなかった。ベートーヴェンの練習を始めたのは昨年10月です。ベルリンの話があるから背伸びをしてがんばろうということになったものの、さすがにこれは無理なんじゃないかとおっしゃる先生もいました」

 これほどの大舞台が用意されたら、子どもたちが一丸となって猛練習する様を思い浮かべるが、エル・システマは部活動ではない。練習は基本的に週1回のみ。彼らは猛烈にやってきたわけではない。しかも、管楽器を担当する高校生は吹奏楽部のメンバーなので、合同練習が始まったのは1月末になってからだという。「合宿のようなものもなかったのですか?」と聞くと、「この演奏旅行が最初の“合宿”ですね。今日(3月9日)が初日です」と菊川は笑って言う。

 ドイツでの演奏プランは風船のように膨らんでゆき、国際交流基金の援助を得て、最終的にドイツに来ることになった子どもたちは37人。23人が弦楽器担当、そして管楽器を演奏する14人は相馬市内の高校の吹奏楽部のメンバーである。

3月8日、ベルリンに到着した相馬の子どもたち。©FESJ/2016/Mariko Tagashira

 その間にハウバーはベルリン・フィルのメンバーに声をかけた。タイミングの悪いことに、ベルリン・フィルはイースター音楽祭に出演する関係で、ほとんどの団員はベルリンを不在にする時期だった。にもかかわらず、第1コンサートマスターのダニエル・スタブラヴァを始めとして、ベルリン・フィルの名手たちが手を上げてくれた。さらにベルリン・フィルのアカデミー生、ベルリンのほかのプロのオーケストラにまで輪が広がり、約20人の一流のプロ奏者が、相馬の子どもたちと無償で共演してくれることになったのだ。

 《運命》の指揮を務めることになったスタンリー・ドッズは、ベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者。近年は指揮者としても活躍している人だ。彼はこの日の記者会見でこう述べている。

 「この公演が実現するまでに、さまざまな出会いや密な交流がありました。日本とベルリン・フィルとは、長年の交流により、相互に評価・尊敬し合う友情関係ができています。そしてもう1つはハウバー博士との関係です。ベルリン・フィルはハウバー博士らが主催するIPPNWコンサートに長年にわたって出演しており、私としても博士との協力関係に何らかの形で報いたい、自分が提供できる時間とエネルギーをここで使っていただきたいという気持ちがありました」

 ベルリン・フィルの団員からこれだけの信頼を得ているペーター・ハウバーとは一体どういう人物なのだろう。一見、有能な音楽マネージャーを想像してしまうが、ハウバーの本業は小児科医である。彼の謎に迫るべく、子どもたちが室内楽ホールでリハーサルを行っている間、話を聞かせてもらうことになった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

中村真人

フリーライター。1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『ベルリンガイドブック 「素顔のベルリン」増補改訂版』『街歩きのドイツ語』がある。ブログ「ベルリン中央駅」http://berlinhbf.com

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