仙台駅で借りたレンタカーは、仙台平野を南下しながら常磐自動車道を快調にひた走る。ナビの目的地は相馬市民会館に設定していた。そろそろ平野が終わりに近づいたそのとき、ナビは山元インターで降りるよう指示を出してきた。「おかしいな。相馬まではまだしばらくあるはずだが」と思いつつも走り続けると、ナビの画面から突然高速道路の線が消えた。一瞬だったが、現実にはない道路を空間移動しているような奇妙な気分に襲われた。震災後、通行止めとなっていた山元IC~相馬IC間が開通したのは2014年末、その後全線が開通してからまだ丸1年と経っていなかったのである。
相馬まで来ることになるとは、2週間前まで思いも寄らなかった。ドイツで暮らす私が一時帰国するのに合わせて、エル・システマジャパンの代表を務める菊川穣と初めてコンタクトを取った際、「2月13日と14日に相馬で子ども音楽祭が開かれます。相馬子どもオーケストラを理解してもらうには最善の機会なので、よかったら聴きに来ませんか?」と誘いを受けたのだった。東京からの距離感がわからずに判断しかねていたのだが、ちょうどその頃北海道まで陸路で旅行する計画を立てていた私は、いくつかの旅程を変更すれば14日の相馬での公演を聴いてからそのまま北上できることがわかった。3月のドイツ公演を前に、子どもたちがどういう街で、どういう人たちに囲まれて音楽を作っているのか、私としてもぜひ見ておきたかった。
福島県相馬市。現在の人口は3万8000人ほど。中村藩6万石の城下町として古くから栄えた歴史ある街だ。相馬市民会館は予想と違い瓦屋根を持つ和風造りの建物だった。震災後の2013年に再建されたものだという。開演30分前、真新しいホールの中に入ると、子どもたちの父兄らで賑わい始めていた。少し前まで沿岸部の寂しい場所を車でうろうろしていた私は、こうして人が集う文化の場の存在をありがたく思うのだった。
数日前に東京で初めて会った菊川とロビーで再会すると、私を舞台裏へ連れて行ってくれた。「後藤さーん、後藤さんを知らない?」。会う人に聞いて回る菊川の後ろを歩きながら、本番直前で慌ただしい舞台裏の様子を垣間みる。小さな子どもたちはきゃっきゃとはしゃいでいて、あまり緊張している感じではなさそうだ。
舞台裏をほぼ1周したところで、にこにこと笑みを浮かべて子どもたちを見守る後藤賢二の姿があった。相馬に来たらぜひ会いたい人だった。ロビーの椅子に腰掛けて、しばらく話を聞く。
「相馬の楽器屋で営業、そして楽器のメンテナンスと修理に携わってきました。田舎の楽器屋なので全般の仕事をやらないといけないんです。私が入社した昭和30年代初頭、相馬市立中村第一小学校に弦楽合奏の器楽部ができました。素晴らしい先生がいまして、昭和32年、33年、36年と立て続けに全国大会の金賞を取ったんです。それが相馬の弦の原点で、当時は毎日のように修理のために出かけていました。同じ市内の中村第一中学校の先生も素晴らしく、アベックで全国大会で第1位になったこともあります。それがあったからこそ、相馬でエル・システマができたのだと思いますね」
福島県が昔から弦楽合奏の盛んな地域だったことは菊川から聞いていたが、この相馬にも1950年代から弦の伝統があったことに改めて驚かされた。後藤はその歩みを最初から知る数少ない1人でもあった。
後藤が相馬市の教育委員会から呼ばれたのは、2012年3月のこと。子どもオーケストラを作るに当たって、音楽の指導者と共に、楽器を修理できる人が必要になる。子どもが弦楽器を扱うと、使い方に慣れていなかったり時に乱暴に扱ったりで、どうしても壊れることがあるからだ。そこで、管楽器だけでなく弦楽器の修理もできる貴重な存在の後藤に白羽の矢が立った。相馬に子どもオーケストラを作るのは自らの夢でもあった後藤は、楽器管理の仕事を快諾。同年4月、設立されたばかりのエル・システマジャパンは、中村第一小学校の器楽部へヴァイオリンの専門家を派遣し、楽器の購入や修繕の支援を始めた。すでにある音楽環境の土台を生かすことから活動を開始していったわけである。弦楽器の指導は、後藤と旧知の仲で隣の南相馬市でヴァイオリン教師を営んでいた須藤亜佐子に任された。
「この仕事を始めてもう50年以上になるんですが、定年退職後もなかなかやめられなくて……」と語る70代も半ばの後藤だが、「ずっと楽器屋をやってきまして、最後にこういういい仕事ができたというのは、私にとって最高ですねえ」と満面の笑みを見せる。この笑顔を見るだけでも、相馬にやって来た甲斐があったと思う。
中村第一小学校の器楽部を対象に始まったエル・システマジャパンの活動は、やがて市内のほかの小学校へと拡大し、2013年4月には中学生の弦楽器経験者も継続して練習ができるようにと「週末弦楽器教室」が約30人で始まった。同年8月からは、希望するすべての子どもが参加できるよう市内全域に活動が広がり、いまや合唱とオーケストラを含めて参加者は約150人におよぶ。地元での発表の場だけでなく、2015年3月には、サントリーホールでロサンゼルス・ユース・オーケストラと共演して、エル・システマ出身の天才指揮者グスターボ・ドゥダメルとの公開リハーサルが実現するなど、当初は誰もが予想していなかったような展開を見せていたのだった。
「この4年間を振り返ってみて、後藤さんが特に印象に残っていることは何ですか」と聞くと、即座にこんな答えが返ってきた。
「やっぱり、子どもの能力というのはすごいなと思いましたね。土台を作ってあげると、子どもはどんどん伸びてくるんです。今回もベートーヴェンの5番をやれるまでになって……。だからやっぱり子どもにはそれにふさわしい場所を与えなければと思いました。音楽監督の浅岡洋平先生のモットーが『とにかく楽しく』で、それがいいんですね。子どもは『練習しなさい!』と言われるばかりだと嫌がりますから」
練習は水曜日と土日に行われる。水曜は自主練習の場。週末は習熟度に応じてのグループレッスンだ。休日の練習に、毎回どのぐらいの子どもたちが参加するのだろう。
「休日でも皆さんよく来ますね。お母さん方もえらいと思う。小さい子どもたちなので、送り迎えにはお母さん方の協力がないとできないのですが、こんなに熱心に取り組んでくれるとは思わなかったです。自分の時間も欲しいでしょうに毎週付いて来られる。だから、やめる子も少ないですし。今年からはひつじクラスというのを始めて、お母さん方にもヴァイオリンを使ってもらって一緒に練習をしているんです。そうすると親も子どもの苦労がわかる(笑)。でも、子どもの伸びの方が早いです。もう驚くほどに」
参加する子どもを見ると、小学生の割合が高いが、5歳から17歳までと幅広い。
「音楽というのは、年齢はあまり関係ないんですね。しゃべるのが不得意な子どもでも音楽は得意だったり。ここでは上の子が下の子の面倒を見るというエル・システマの理念が浸透しています。上の子が卒業して音大に入ったり大学でオケをやったりして、今度はその子たちの中から指導者として地元に戻ってきてくれる子が出たら理想的ですね。
震災からようやく5年経って、『ああ、ここまできたか』という思いとともに、『これを長続きさせないと』という気持ちもあるんですよね。これはもう終わりのない仕事です。でも、おかげさまで、エル・システマのことが最近は中央の方でもよく知られるようになり、手伝ってくれる人も増えてきました」
「来月はドイツでの公演ですね」と言うと、「素晴らしいことですねえ。まさかこういう機会が巡ってくるとは思いませんでした」と後藤は言う。残念ながら営業の仕事の決算期と重なるため、自身のドイツ行きは叶わなかったというが、日頃から愛情をもって子どもと楽器に接している後藤の思いを子どもたちはしっかりと感じ取っているはずだ。
そんなことを話しているうちに、開演のベルが鳴った。(撮影・表記以外すべて著者)
-
中村真人
フリーライター。1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『ベルリンガイドブック 「素顔のベルリン」増補改訂版』『街歩きのドイツ語』がある。ブログ「ベルリン中央駅」http://berlinhbf.com
この記事をシェアする
「エル・システマジャパン 震災5年 恩返しの旅 相馬からドイツへ」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 中村真人
-
フリーライター。1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『ベルリンガイドブック 「素顔のベルリン」増補改訂版』『街歩きのドイツ語』がある。ブログ「ベルリン中央駅」http://berlinhbf.com
連載一覧
ランキング
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら