シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

安田菜津紀の写真日記

近づくと甘い香りに包まれる菜の花畑。木村さんたちの願いが、その命、一輪一輪に込められている。

 抜けるような青空だった。駆け抜ける風が微かに汐の香りを帯びている。波音が近い。時々木々の彼方から、穏やかな鳥たちのさえずりに交じって、短く鋭い鳴き声がこだまする。キジたちが山を練り歩いているのだろう。小さな自然のささやきが交わり合うこの地には、人間の気配がすっぽりと抜け落ちていた。

 福島県大熊町。2011年、東日本大震災が、この街のその後を大きく変えていた。地震、津波、そしてこの街にある福島第一原発の事故。いまだ住人たちでさえ、立ち入れる日数、時間を厳しく制限されている。

 残された家々、畑の中の瓦礫、それを覆う草木が、6年の月日を物語っていた。潮騒を目下に望む、木村紀夫さんのご自宅跡地に静かに手を合わせた。紀夫さんが自ら探し続けた娘の汐凪ちゃんは、昨年12月にようやく見つかったばかりだった。当時は小学校1年生。あの時、捜索が十分になされていれば、すぐに重機が入れられる環境があれば…。尽きることのない家族の無念を思った。

 時折「節目」という言葉がメディアから流れる。けれどもそれは、誰にとっての「節目」なのだろうか。心の内に流れる時間はそれぞれに違う。一人ひとりの心のあり様を、外からはめ込んだ「節目」という言葉で置き去りにしてしまってはいないだろうか。そっと耳を澄まさなければならないものを、また心に刻む。

捜索の中で見つかった遺品。持ち主の分からない服や小物たち。
君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

安田菜津紀

2016/04/22発売

シリアからの残酷な映像ばかりが注目される中、その陰に隠れて見過ごされている難民たちの日常を現地取材。彼らのささやかな声に耳を澄まし、「置き去りにされた悲しみ」に寄り添いながら、その苦悩と希望を撮り、綴って伝える渾身のルポ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

安田菜津紀

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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