イラク北部、クルド人自治区。地中から噴き出るガスから、煌々と炎がともり続けていた。
 

 毎年のように10月の末には、近づく父の命日のことをここに書かせてもらってきた。「節目」だけが大切なのではないと分かりつつも、年に一度は言葉にすることによって、呼吸を落ち着かせるように、自分自身の心の歩みをもう一度整えたいのかもしれない。
 恐らく中学時代、父と兄を亡くしていなければ、「家族とは?」という疑問に何とか答えを見出そうと、必死にもがくことはなかったかもしれない。もがかなければ、「他の国の同世代は家族のことをどう考えているのだろう?」と、今の私の原点となったカンボジアに渡航することもなかったはずだ。そしてカンボジアに行く機会がなければ、「伝えたい」という思いがこれほど強く芽生えることもなかっただろうと思う。そう考えると「今」というこの瞬間は、姿は見えないにしても、死者に生かされているのだ。
 父は、生い立ちから重々しいものを背負い続け、強く脆く、そしてその弱さを隠すため、結果的に身近な人を傷つけてしまう人だった。時折似た人を見かけると、語りかけたくなる。弱さを隠すことは決して悪いことではない。だからいつか、人を傷つける以外の方法でそれができるといいですね、と。

東京で見上げた月が、笑いかけてきた気がした。だからいつでも、笑い返せるように。