父が旅好きだったせいもあって、小さい頃から地図を広げて眺めたり、時刻表を調べるのがなんとなく好きでした。少し大人の世界に近づくことができるようで、心ときめく感じもありました。
 ある時その父に、「日本のことを一番よく知っている人は誰か」と尋ねたことがあります。すると「宮本常一さんだと思うな」という答えが返ってきました。
 父がたまたま宮本さんその人を存じ上げていたこともあるのですが、「なぜか」と重ねて理由を聞きました。すると、「日本中を実際に自分の足で歩いて、たくさんの人に会い、じかに話を聞いている。ああいう人は他に見当たらないと思う。宮本さんはそれをまた書き残しているしね」といった答えを聞いたように記憶しています。いまから四十五年くらい前の話です。「あるく みる きく」ことがひとつの価値である、と教えられた最初だったかもしれません。
 いまや宮本常一さんは「旅する巨人」「歩く民俗学者」として、多くの人たちから改めて注目される存在となっています。彼が地球四周分に相当する十六万キロの行程を踏破したとか、旅に暮した日々が四千日を数え、泊った民家は千軒を超えているらしいとか、その「巨人」ぶりには驚くばかりです。その足跡や書き残された著作、そして各地で撮影した夥しい数の写真が、日本人全体にとっての貴重な財産であるという見方に異論を唱える人はいないだろうと思われます。
「私にとって旅は発見であった。私自身の発見であり、日本の発見であった。書物の中で得られないものを得た。歩いてみると、その印象は実にひろく深いものであり、体験はまた多くのことを反省させてくれる」(『私の日本地図』)
「旅に学ぶ」ことの深さを身をもって示したのが宮本さんだと言えるでしょう。

 旅はまた事件でもあります。どんなきっかけにせよ、旅には始まりがあり、終わりがあります。その間に起こる出来事は意外性や起伏の違いこそあれ、非日常的な事件の連なりに他なりません。したがってその過程を記録した旅行記は、読者をして旅という一連の事件を追体験させる「窓」のような役割を果たします。さらにその旅行記が優れた書き手を得、紀行文学と呼ぶに足る内実を備えた作品となれば、時系列的に、平板に書かれた事件の記録は、一転して奥行きを与えられた、豊かで迫真力に富んだ物語として読者の心をとらえて離しません。
 旅行者がどういう背景をもち、いかなる理由で、どこを旅し、何と出会い、どういう体験をしたか、そしてそれをどのように表現しているのか。読者は楽しみながらその世界を読み解くことで、知らず知らずのうちにそこから魂の滋養を吸収していきます。そういう至宝ともいうべき紀行文学の傑作が数多くこれまでには書かれてきています。

 旅はいまや誰もがどこへでも容易に行ける時代になりました。そのためにかえって旅への憧れがうすれ、日常生活の延長みたいな予定調和的な旅こそが理想の形であるかのような認識が広がっています。それもまたひとつのバリエーションには違いありませんが、旅自体は本来もっと大きな可能性を孕んだものではなかったでしょうか。
 みずからが身を置く日常生活とは異質な空間、異文化との出会い。
「ここではないどこか」への夢想と、そこを実際に「あるく みる きく」ことによって得る発見。
 そうした旅を実践できればそれに勝ることはありません。ただ、いつもそういう旅に参画することが不可能である以上、せめて古今東西の優れた紀行文学に触れることで、より自由に「想像力の旅」へ出かけてみてはいかがでしょうか。
 今回の特集では全体のナビゲーターを務めてくださった池澤夏樹さんをはじめ、寄稿家の方々から実に多種多様な面白い本を紹介していただきました。その中でも一番驚かされたのは、いきなり池澤さんのインタビューで語られたヘロドトスの『歴史』でした。えっ、あれは旅行記だったの? と意表を衝かれる思いでした。ところが、いざ読み始めてみるとこれが実に自由闊達で、面白い本だということにさらにビックリ!
 等々、他にもいろいろ新たな書物との出会いがあり、「旅」という窓から新鮮な風を頭に吹き込まれたような心地よさを味わいました。二〇一一年は、是非「紀行文学ツアー」を楽しんでいただければと願っております。