初対面の印象を、ある女性作家がこう語っていました。とある賞の選考委員の控室です。そこには十名ほどの男性と、その半数くらいの女性がいました。私も関係者として、実はその場に坐っていました。彼女はふと思ったそうです。「もしいま、ここで大地震が起きたとしたら、自分は間違いなくこの人を頼りにするだろうな」と。
 なるほど。男の目で見ても、答えはまさにその通りです。いざという時に駆け寄って指示を仰ぎたくなるような、そういう頼りがいのあるオーラを発している人物。それが、霊長類研究者の山極寿一さんなのです。つい専門領域になぞらえて、成熟したオスのゴリラを重ね合わせてしまいます。ゴリラの一群は銀色の背(シルバーバック)を持った威風堂々としたオスに率いられ、採食や営巣、移動、休息などを行います。実にカッコいい父であり、リーダーです。ひるがえって日本の父親はといえば……ますます存在感が希薄化しているのではないでしょうか。
 もっとも、かつてのような家父長的父親像を懐かしがるわけではありません。現に若き日の山極さんも、「お互いに重荷を背負って生きていく」ような家族は作りたくないと思っていました。家族とは互いの自由を奪う束縛ではないか。とすれば自分の存在を押し付け合うようなパートナーも子供も持ちたくない、と。その考えが変わったのは、アフリカに行ってゴリラと出会ってからだといいます。彼らの生態を見るうちに、「家族というのはいいもんだな」と思うようになりました。いったいゴリラの何が、山極さんを“転向”させたのでしょう。
 さらに人類の進化史を研究するにしたがって、人間本来の姿や心がはっきりと見えてきました。たとえば食事。サルの社会では、食物を囲んで仲良く食事する光景は決して見られません。逆に人間の食事は、古来、栄養の補給以外に、他者との関係維持や調整という機能が付与され、いい関係を作るために調理や食器やマナーにいたるまでさまざまな技術が考案されてきました。誰と、どこで、いつ、何を、どうやって食べるかによって、家族、そして共同体での共感能力や連帯能力を高めてきたのです。
 そうした人間本来の姿が文明社会の中で見失われつつあります。コミュニケーションの取り方にしても同様です。どうやらいまの私たちは、サル社会に似た個人主義の閉鎖的な世界を作ろうとしているのではないか。山極さんの危機感はそこにあります。そして彼ほど力強く、確信的に、いま家族の価値を説く人は他に見当たりません。そう考えて、京大総長就任直前にロングインタビューをお願いしました。

 檀ふみさんと酒井順子さんの「火宅の子」対談は、幸運なかたちで実現しました。父・檀一雄さんの小説『火宅の人』(新潮文庫)で知られるように、自由奔放な父親の振舞いで「火宅」に育った檀ふみさんと、母親の婚外恋愛が原因で「火宅」に育ったという酒井さん(これまで一度も語ったことがない話です)との、知的で率直な対話を聞きながら、むしろお二人の家族愛に打たれました。決して親を憎まず、「血」を嫌悪することもない、その愛情の源泉はなんだろう……。是非味読していただきたいと思います。
 その他、映画「そして父になる」の是枝裕和監督のエッセイや、ジェーン・スーさん、佐川光晴さんらの家族を語る言葉、里子五人を育てる肝っ玉母さんや、子育てする同性愛カップルの本音など、盛りだくさんな特集になりました。
 二〇一五年は戦後七十年の節目にあたります。この間に日本の家族を取り巻く状況は大きく変化しました。三世代が同居する大家族は激減して、核家族化が進み、いまや「単身世帯」という言葉が当り前のように流通しています。普段はバラバラに暮らしている家族が久々に集ったり、離れていてもお互いを意識するのが年末年始です。家族崩壊とか、暗い話題が多いいまだからこそ、家族を改めて考えたいと思います。
 ながらく連載していただいた大河内直彦さんの「新地球紀行」、永田和宏さんの「生命の内と外」が今号で終了します。宮沢章夫さんの「考えない」もいったん幕を引き、来号より装い新たにスタートします。