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考える四季

2014年1月4日 考える四季

世界は法則に支配されている(のだろうか?)

著者: 須藤靖

 私はかなり天文学に近い領域ではあるものの、一応、物理学の研究を生業としている。大げさに言えば「この世界の根底を流れている真理にいささかでも近づくこと」を目標として生きているわけだ。

 すでにこの時点で、哲学的性癖をお持ちの方々から、お前の言う真理とは何か、そんなものが本当に存在するのか、といった類いの無闇に難解な質問が浴びせかけられそうな悪い予感がする。もう少し弱気に「自然界を支配している物理法則を探るとともに、その帰結としての物質世界の振る舞いを理解する」あたりにとどめておくのが賢明かもしれない。

 さて、自然科学、なかでも、物理学は方法論が極めて明確である。端折ってまとめるならば、

1 現象を可能な限り細かい基本要素に分割する。

2 その個々の要素が従う単純な原理を探り当てる。

3 その原理に従う要素の振る舞いを組み合わせて複雑な現象を再構築し、観測・実験事実が再現できるか検証する。

4 3が失敗すれば、より単純な要素へ分割するべく1へ戻るか、2で得られた原理の妥当性を再検証し修正した上で再度3へ進む。

5 3が成功すれば、より複雑・多様な現象にそれを応用し予言する事で、得られた原理の普遍性を追究すべく1へ戻る。

 といった感じであろうか。重要なのは、3で成功・失敗によらず、上記の方法論は無限ループとなっている点だ。つまり、科学はある終着点に到達すればおしまいというわけではなく、常により普遍性をもとめて止まない果てしない営みなのである。因果な商売と言っても良い。

 上述のまとめはやや抽象的なので、実際に自然科学研究の経験がある人以外にはあまりピンとこないかもしれない。そこで、例えば太陽系の惑星の運行を例として具体的に説明してみたい(必ずしも実際の科学史に準拠しているわけではない)。

1 水金地火木土の六つの惑星の個々の運動を可能なかぎり正確に観測する。

2 それらをとりあえず、中心の太陽とそれぞれの惑星の間に働く重力だけ(つまり、惑星同士の重力を無視する)で説明できるような重力のモデルを探す。その結果、いわゆる逆二乗則―太陽と惑星の間に働く重力は、それらの質量の積に比例し距離の二乗に反比例する―が(作業仮説として)提案される。

3 得られた重力の逆二乗則を、太陽と惑星間だけでなく、惑星同士にも成り立つと仮定して、観測されている惑星の運動がすべてうまく説明できるか検証する。

4 観測と理論予測のずれを説明するため、より外側に別の惑星が存在するとの仮説をたて、それが予言する場所に実際に惑星が存在するか検証する(海王星は、天王星の軌道予測からのずれをもとにこのように発見された)。

5 重力の逆二乗則は極めて広範に適用できる優れた法則ではあるが、より根源的な物理学的意味を追究する過程で、それをさらに普遍化した一般相対論が提案される。その結果、単純な重力の逆二乗則だけでは説明できない謎とされていた水星の近日点移動が見事に説明された。かくして、一般相対論は重力の逆二乗則よりさらに根源的・普遍的な理論(原理)として認められるようになる。

 この一般相対論とて決して最終的な「厳密に正しい理論」とは考えられていない。従来直接検証がなされていなかった、一ミリメートル以下のスケールでの実験や、逆に太陽系をはるかに超えた宇宙スケールでの観測を通じて、さらなる検証が継続中であり、より普遍的な理論の模索が継続中である。

 実際には、すべての科学研究が、常にこのような明確なプログラムのもとに進行しているわけではない。研究者の誤解、実験の間違い、コミュニティー全体の偏見や思い込み、哲学的・政治的な研究者間の力関係、などのため、直線的ではなく、蛇行や寄り道することも多い。にもかかわらず、十分長い時間スケールでみれば、科学は基本的にはこのような明確な方法論にしたがって進歩してきたし、今後もそうであろう。

 世の中の科学哲学者の多くは、上記の(私を含む多くの科学者が共有している)ナイーブな科学観に強く反論するかもしれない。しかしそれは、科学を正しく理解していない、少数の例外的事例に過度に注目している、科学の進歩をとらえる時間スケールが短い、のいずれかに過ぎないと考える。しかし、ここでそのような論争を吹っかけて、時間を浪費するのは今回の意図ではない。上記のような(健全な)科学観を多くの科学者が安心して共有しているのはなぜか、を紹介したいだけなのだ。

 私の答えは「法則の普遍性」に支えられた「現象の再現可能性」である。平たく言えば、いつでもどこでも誰とでも。世界のどこでだれがいつ実験しようと、条件さえ同じなら必ず同じ結果が保証されているからである。科学者にとってこれはあまりにも自明な前提であり、それを疑うなど夢にも思わない。しかし、それの厳密な正しさを疑い始めるときりがないのもまた確かである。

 私自身は決して「再現可能性」を疑っているわけではない。にもかかわらず、科学のさらなる厳密化に突き進むならば、やがてはその大前提たる再現可能性がどの精度まで保証されているのかを同時に問う必要が出てくるのは不可避だと思う。その結果、「いつでもどこでも誰とでも」が厳密に成り立っていることが分かったとすれば、それ自身が極めて驚くべきもっとも根源的法則(摂理)だと思うのだ。

 二〇一二年にヨーロッパの粒子加速器を用いた実験でヒッグス粒子が発見され、翌年十月にその理論モデル提唱者二名のノーベル物理学賞受賞が発表された。同じ実験を今後どこで行おうが、ヒッグス粒子の発見はもちろん、その質量の値も(測定誤差範囲内で)完全に一致するはずだ。

 一方、歴史や人間の行動など、自然科学以外のほとんどの出来事には、明らかな「再現可能性」は全く見当たらない。これは本質的に再現不能なのか、あるいは単に自然科学で行うよう「完全に同じ条件のもとで」という制約を満たし得ないからだけなのか。私にはわからない。

 ただし、百―千年スケールではなく、百三十八億年におよぶ宇宙進化を取り扱う天文学では、この「再現可能性」を検証しようとする野心的な研究も行われている。電磁気力の強さを決める基本電荷eの値が数十億年程度以前には、現在の値より〇・一%程度だけ小さかったのではないかと主張する観測グループも存在する(厳密には、eではなく微細構造定数という値を測定したもの。また、この結果を受け入れている研究者はほとんどいないことも注意しておく)。

 しかし万が一、定数が定数でない事が確定したとすれば、その時間変化をも記述する、より上の階層の物理法則が提案されるはずである。そのより高い視点の法則から世界を眺め直せば、やはり「再現可能性」は復活するのかもしれない。

 科学がエンドレスな営みであると同時に、我々は、そしてこの世界は(自然)法則の呪縛から決して逃れる事ができない運命なのか。そもそも法則は本当に存在するのか、するならば一体どこにあるのか。実に不思議であると同時に、科学者としては不謹慎かもしれないが、いささか薄気味悪い念を禁じ得ないのもまた正直なところである。

(「考える人」2014年冬号掲載)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

須藤靖

1958年、高知県安芸市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同大学院理学系研究科博士課程修了。同研究科物理学専攻教授。著書に『一般相対論入門』『もうひとつの一般相対論入門』『ものの大きさ自然の階層・宇宙の階層』『解析力学・量子論』などの専門書に加え、第一回「いける本大賞」を受賞した『人生一般ニ相対論』や『三日月とクロワッサン 宇宙物理学者の天文学的人生論』『主役はダーク 宇宙究極の謎に迫る』など軽妙なエッセイが好評を博している。(雑誌掲載時のプロフィールです)


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