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考える四季

 二〇一三年、夏―。東京は市ヶ谷にある小さな出版社で編集者をしている私は、『いま、世界で読まれている105冊』という単行本の企画を動かそうとしていました。現状、日本の翻訳出版物は英米を中心に、フランス、ロシア、中国など、メジャーな言語圏の作品に偏っています。では、アラビア語やアフリカ諸言語ではどんな本が読まれているの? それが知りたくて、研究者、翻訳家、ジャーナリストなど、世界の言語に通じる皆さまに依頼し、日本語未翻訳の本を紹介する世界文学ガイドを編もうと考えたのです。

 きっかけは二〇一二年、ロンドン五輪の開会式でした。新宿歌舞伎町でのはしご酒から帰宅して、酔眼で各国選手団の入場を眺めていると、トルコ、トルクメニスタンに続きツバルがコールされました。晴れやかな笑顔で歩いて行く十名にも満たない選手団。規模も衣装もしょぼい。でも、それもいい。前回の北京大会では初出場だったのに、温暖化で沈む国としか紹介されなかったことが、切なく思い出されました。四年経ち、ツバルはいまも沈みません。米国やロシアのような大国の選手たちと等しく三名のアスリートが桧舞台に立とうとしている。これは私が身を置く書物、文学の世界にはない光景です。

 開会式の終盤でポール・マッカートニーが『ヘイ・ジュード』を熱唱し、観客の大合唱が被さったところでも思いました。歌舞音曲で、英国が世界に誇るコンテンツはビートルズです。ならば日本の場合は? ツバルは? きっといるはず。私の知らないツバルのポールが。では、映画には? そして文学には? これは企画になる。書物を舞台にした文学の祭典。文字を持ち、紙とペンと伝えたいこと、それに無限の想像力があれば、どこだって文学は生まれるのだから。 『いま、世界で―』はフラットになったと言われるこの世界を、書物、とりわけ文学という制限された窓から覗いてみようという試みです。それは今どきの「知」へのアプローチとは一見対照的な方法かもしれません。ゼロ年代以降、ネットの世界では、旬のネタにいち早くアクセスし、自分の言葉に変換し、還元できる器用な人が「知の巨人」のように崇められてきました。しかし本書では、もっと地味でも誠実なやり方で、ある土地や人、そして言語に、じっくり付き合ってきた専門家の視点を借りて世界を眺めてみたかった。

 原稿依頼に返信が届きはじめました。亀山郁夫先生、鼓直先生、若島正先生、池田信雄先生といった日本を代表する文学者が若手の研究者や翻訳家と肩を並べて本書にご寄稿くださることが嬉しく、執筆者を集めるために始めたツイッターでの呼びかけでは、思わぬ〝化学反応〟も起きました。アカウント名しか知らないネット上の友人が、本書についての私のツイートをまとめたページを立ち上げてくれたおかげです。そのページは多くの人に閲覧され、リツイートされ、リアルには出会うはずもなかった海外在住者にも届き、執筆に手を挙げてくださる方、執筆候補者を紹介してくださる方、企画を応援してくださる方が現れました。確かに世界は近くなったのです。

 また、北朝鮮、カザフスタン、エチオピア、ベリーズ、トリニダード・トバゴなど文学ではあまり知られていない国の原稿を整理しながら、気づいたこともあります。多くの原書がアマゾンのワンクリックでは手に入らないという現実。政治的事情で現地でもなかなか見かけないという本がありました。長年かけて築いた個人ルートを頼らなければ入手できないという本もありました。執筆者がそれぞれの人生で出合った“とっておき”にはドラマがあり、グーグルがいくら物知りでも、そういった一冊に容易にめぐり合うことなどできないのです。 「お世話になります。このたびは○○のような国にもお声掛けくださりありがとうございます」。国家元首の挨拶さながらのメール文ひとつ取り上げてみても、日本でマイナー言語を究める苦労や、矜持がびしばし伝わってくるのです。

 さて、肝心のツバルです。まず日本でツバルを研究している人がいるのか、というところからはじまるのですが、グルジア、ブータン、ウイグル自治区といった国(自治領)を研究している人がいたように、ツバルについても存在します。今回は文化人類学者・小林誠先生に依頼し、数週間。玉稿は南太平洋からではなく、足立区から届きました。

〈バイツプ島に伝わる歴史の中で、この負債についての物語だけは島民全員が知っている〉

 地味な冒頭の引用文が、すでにただならぬ物語を予感させていました。紹介いただいた『歓喜の日』という一冊は文学ではありません。史実です―。帝国主義時代、ツバルのバイツプ島民たちが参加した貿易会社がドイツ商人への負債を残して事業に行きづまる。何とかしなければ島が商人の手に渡ってしまう。窮地に立った島民はどう応じたのか?

〈島の人々はコプラと呼ばれるココナツの果実を乾燥させたものを必死につくり、負債を返済していく。島の人々全員で働くこと五年、ようやく一八八七年に負債をすべて返済し終える。(略)人々は負債を返済し終えた日を「歓喜の日」と呼び、いまでも毎年十一月に饗宴を催してそれを祝っている〉

 うひゃー! 百年のときを経た一九八七年、口承で伝えられてきた歴史が、とうとう文字で記録されたという事実。それがツバル語で書かれた、聖書以外の初めての本であるという事実。沈みかけている南太平洋の小国としか私たちが認識してこなかったツバルに、その住民なら皆が知っている物語があったなんて。

 この本を編んでわかったことがあります。世界は広く、私たちの視野は限られている。視界の外には豊穣な世界―事、物、人―があり、その存在を意識すると世界はもっと楽しくなるのです。

(「考える人」2014年春号掲載)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

伊皿子りり子
伊皿子りり子

1977年大阪市生まれ。編集者。都内の出版社テン・ブックスに勤務するかたわら、筆名で戯れ文を書いている。「毎日+スポニチTAP-i」にて、負け犬三十路女コラム『幸せになりたい』連載中。(雑誌掲載時のプロフィールです)


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