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考える四季

 人は何のために歴史を学ぶのか。当今は「愛国心を持つためだ!」と語気を強める方が少なからずいらっしゃるようだ。一方で「石田三成様のことを全て知りたい」「古文書を読めるようになりたい」など、趣味として歴史を学ぶ人も増えているそうだ。

 ただ、こういう人たちは良くも悪くも特殊で、もっと気軽に歴史を学ぶ人々が存在する。そして人数で言えば、ライトな「歴史好き」が圧倒的に多数派なのである。彼らは人生の教訓を学ぶために歴史に触れているらしい。

 巷には「戦国武将に学ぶ」的なビジネス本があふれている。今年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』に便乗した「黒田官兵衛の知略に学ぶビジネス処世術」といった企画も新聞・雑誌等に散見される。

 歴史小説から学ぼうとする人も多い。最近、現役政治家が「私たちの生き方にヒントをもたらす歴史本」をランキング形式で紹介している記事をインターネット上で見かけたが、上位は司馬遼太郎の小説で占められていた。人生のヒントを得るためにミステリ小説やSF小説を読む人はまずいないだろう。そんな説教臭い小説は私も読みたくない。しかし歴史小説においては、「勉強」目的の「意識が高い」読者が一定数存在するのである。

 私は歴史研究者の端くれとして、この種の「戦国武将から人生の指針を得る」式の読み物に若干の懸念を抱いている。判断ミスが死に直結した戦国武将の生き方が現代のビジネスマンの参考になるのかとか、戦国時代と現代とでは社会状況も価値観もまるで違うとか、そういう野暮なことを言いたいわけではない。それ以前に、「教訓」として紹介されている事例が「史実(歴史的事実)」でないことが多いのだ。

 たとえば「戦国武将の名言に学ぶ」という類の文章の種本として頻繁に用いられる文献に『名将言行録』がある。豊臣秀吉が飼っている猿を伊達政宗がこらしめたという有名な話も本書に収録されている。

 この書物は、幕末に尊皇攘夷の志士として活躍し、明治期には新政府に仕えた岡谷繁実が、戦国時代から江戸時代中期までの名将たちの言行を記したものである。繁実は本書の編纂にあたり膨大な史料を渉猟したが、軍記物等に見える逸話が実際にあった出来事なのか、それとも伝承や後世の創作なのか、といった検証を綿密に行っているわけではない。言い方は悪いが、面白そうな話を真偽問わず手当たり次第に集めた印象が強い。

 そのため日本史学界では、『名将言行録』の史料的価値は疑問視されていて、本書に基づいて戦国時代の研究を行っている人はまずいない(文学作品としての価値を否定するものではない、念のため)。要するに、ビジネス本が紹介する「戦国武将の名言・名エピソード」の大多数は、真実かどうか疑わしいのだ。

 漫画から人生哲学を学ぼうという書籍が出版される御時世なのだから、そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃないか、という意見があるかもしれない。だが、スラムダンクやワンピースがフィクションであることは誰もが知っている。良くできた物語と分かった上で、そこから人生訓を学んでいるのである。

 歴史に学ぶビジネス本の問題は、往々にして書き手も読み手も、フィクションを史実と誤解している点にある。勇敢で高潔な〝虚構の英雄〟をロールモデルに選ぶことは有害でさえある。歴史小説を読んで歴史を勉強した気になるぐらいなら、「歴史なんか勉強して何の意味があるわけ?」と思っていた方がまだマシだ。

 ところが困ったことに、社会的影響力がある〝大物〟に限って、史書をひもといたこともないくせに、「歴史」が大好きなのである。正確に言えば、天下国家を論じる際に、陳腐な自説を「歴史」によって飾ろうとするのだ。歴史上の人物の言行を引用したり、現状に類似した状況を過去から探したりした方が、何となく教養があるように見えるからだろう。

 けれども彼らのスピーチの元ネタは、たいてい歴史小説やお手軽な自己啓発本なので、そこで披瀝される歴史観は通俗的なものにならざるを得ない。一般のビジネスマンが作り話を鵜呑みにしても、自分一人が道を誤るだけだが、政治家や財界人や文化人が俗説に立脚して発言したら、日本全体が道を誤りかねない。

 太平洋戦争開戦直前、聯合艦隊司令長官の山本五十六は、海軍大臣の嶋田繁太郎に書簡を送っている。山本はその中で「艦隊担当者としては到底尋常一様の作戦にては見込み立たず。 結局、桶狭間とひよどり越と川中島とを併せ行ふの已むを得ざる羽目に追込まれる次第に御座候」と述べ、博打的として海軍内で反対意見が強かった真珠湾攻撃作戦への同意を嶋田に求めている。

 周知のように山本五十六は、日米の戦力差から日本に勝算なしと捉え、戦争回避を望んでいた。だが日米関係の悪化にともない、国策の転換は困難と考えるようになり、開戦劈頭、航空兵力によって米海軍の本営に斬り込むという真珠湾作戦にのめりこんでいった。その際、奇襲作戦の成功例として思い浮かべたのが、桶狭間・一ノ谷・川中島であった。

 だが今では、これらの合戦に関する評価は大転換している。まず桶狭間合戦である。軍事史家の藤本正行氏によれば、桶狭間合戦で織田信長が今川勢の先鋒を迂回して今川義元の本陣に奇襲をかけて撃破したという逸話は、江戸初期の儒学者・小瀬甫庵の創作であるという。

 甫庵が『信長記』(一般に『甫庵信長記』という)を執筆するにあたって参考にしたのは、織田信長に仕えていた太田牛一が著述した信長の一代記『信長公記』である。ところが藤本氏が『信長公記』を丁寧に読み解いたところ、信長が「狙うは義元の首一つ」とばかりに奇襲をかけたという記述は全く存在しないことが判明した。信長は偶然発見した義元本隊を敵の先鋒と勘違いし、正面攻撃を行っている。織田軍主力の突撃を予期していなかった今川軍は混乱をきたし、退却中に義元は討ち取られた。これを甫庵が劇的な奇襲戦に作り替えたのだ。

 源義経が鵯越とよばれる峻険な崖を馬で駆け下りて一ノ谷の平氏本陣を奇襲したという「鵯越の逆落とし」も、軍記物語『平家物語』が生み出した虚像である。近年の中世文学研究に従えば、現実の鵯越は一ノ谷と離れており、また険しい崖でもない。鵯越を通ったのは、源義経ではなく多田行綱だという。行綱が奮戦したのは事実のようだが、それが源氏方の決定的勝因とは言えない。

 第四次川中島合戦において、上杉謙信が自ら武田信玄の本陣に斬り込みをかけたという話も、『甲陽軍鑑』など軍記物にしか見えず、信憑性に欠ける。結局、三つの合戦で、戦力の劣る側が敵本営に斬り込んで一挙に勝敗を決するという奇襲作戦が敢行された事実はないのだ。だが華々しい奇襲が小説や講談で喧伝される中で、人々はそれを史実と誤認した。そして日本軍もその例外ではなかった。

 俗に「歴史にifはない」と言うが、桶狭間も一ノ谷も川中島も巧妙な奇襲戦ではないと仮に山本五十六が知っていたとしたら、対米開戦に賛成しただろうか。真珠湾奇襲は見かけの戦果とは裏腹に、アメリカ国民の士気を奪うという目的を果たせず、かえって彼らを結束させてしまった。偽りの史実からは間違った教訓しか導けない。それこそが、私たちが歴史から学ぶべき教訓ではないだろうか。

(「考える人」2014年夏号掲載)

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

呉座勇一

ござ・ゆういち 1980年、東京都生まれ。歴史学者。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。主な著書に、『応仁の乱』(中公新書)、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)、『日本中世への招待』(朝日新書)など。

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