第22回 義母が作る奇跡のお雑煮
著者: マキタスポーツ
書を捨てよ、メシを食おう――。有名店を食べ歩くのでもなく、かといって大衆酒場ばかりを飲み歩くのでもなく、たとえ他人に「悪食」と言われようとも、あくまで自分の舌に正直に。大事なのは私が「うまい」と思うかどうか。情報や流行に背を向けて、己の「食道」を追究する――これ即ち、土俗のグルメである。自称「食にスケベ」な芸人が、「美味しい能書き」を存分に垂れるメシ論。
料理と文脈
食べ物にも「文脈」がある。言わば、その料理が生まれた背景だ。元来、それはその土地の形状や土壌、また、気候だったりもするのだろう。そこで育まれた何かがあり、それを加工したり、なにやら固かったら叩いたり、なんだか脆弱そうだったら保存したり、その土地に根差した人間が何代もそれを受け継ぎながら続けていた営為――その末端的現象が「料理」だと思うのである。
そこには少しでも美味しくあろうという意志にもとづいたトライ&エラーがあり、それが即ち「伝統」というストーリーとなる。更新されることを前提としつつも、「これをもって完成とする」という額縁をあてたような暫定的結論もある。しかしそれが時に、バグのように、夷狄のような「外側」の存在の大胆な解釈によって覆され更新されてゆくものなのだ。
さて、私はこの「料理と文脈」について考える時に思う食べ物がある。それが義母の作る「雑煮」だ。彼女の作る雑煮を毎年のようにいただきながら、私は毎回深い感慨に浸るのである。
「お義母さん、文脈、無視してんなぁ……」と。
数ある症候群の中でも、私が好きな症候群は「カリフォルニアロール症候群」である。もちろんそんな言葉はない。しかし、無いものをあるかのように語るので聞いてほしい。要するに「自分たちの文化」だと思っているものが、「他所の文化」によって脅かされる瞬間のことを指す。この瞬間を感じるのが好きなのである。しかしだ、その現象の全てが好きかというと決してそんなこともなく、迷惑に思うこともままあるのが困る。
余談だが、「カリフォルニアから来た娘症候群」という言葉は本当にあって、これは「余命いくばくもない患者のもとに、今まで疎遠だった家族の一人がやってきて、急に治療法に口出しをし、それまでの方針が変わってしまう」ことを言うらしい。
これも、ある種の“文脈無視”を表すイデオムだから、なんともややこしいが、つまり「カリフォルニア」は良い時もあれば、嫌な時もあるということである。そう言えば、カリフォルニアのあるアメリカという国も文脈を無視して建国されたようなものだから、原点回帰と言えるかもしれない。
「文脈無視」な義母のお雑煮
大分横道に逸れた。義母の雑煮である。
この義母の雑煮がとにかくカリフォルニアロール症候群的で美味いのだ。いけない、食べ物のたとえを食べ物でしてしまったことで解りづらくなってしまった。カリフォルニアロールのことはまた後でなんとかするので、一旦忘れてほしい。とにかく、美味いのである。私は餅を大して好まないのだが、この時ばかりは「窒食」しながらガツガツといただく。
義母は福岡の博多出身。高校卒業後、舞台女優を目指し上京、その後、結婚を機に演劇活動を辞めて家庭に入る。亭主は板前、だからか大変料理には厳しい人。自分が作る手料理を何度もダメ出しされたようだ。しかしその亭主すらも、「これはお前が作るやつに限る」と降参させた料理が、件の「雑煮」だった。
この雑煮、博多風かというと違う。私も結婚当初その雑煮の美味さに度肝を抜かれ、「これが博多風なんですね!?」と問うたのだが違うらしかった。曰く「博多はアゴ(トビウオ)で取った出汁と鰤と丸餅だからね」。確かに、義母のそれに鰤は入ってはいるが、小松菜とかまぼこ、四角い餅という、絵面だけ見るとはっきり言って可愛げのない関東風の雑煮だった。
本来、博多では、「かつお菜」という地元のあぶら菜科の菜葉(野沢菜などと近縁種)が重要らしく、そこへ焼アゴで取った出汁を加えるとかなりの旨味を生むらしい。そこに花形にカットされた人参、大根、椎茸、鰤、丸餅とくる。そうなると関東風の「雑煮フォーミュラ」と比べて、ラグジュアリー感が高くなる。
一方、義母のそれは必要最小限といった趣である。しかし、味はゴージャスだ。なんせ濃厚でパンチがある。聞けば、鶏ガラと鰤、さらに昆布と干し椎茸で出汁を取るからだそう。
その頃、博多風など知らない私は「お義母さん、その鶏ガラも博多風なんですね!」と訊ねたところ……、
「違う。私が適当に入れてみただけ」
と言われた。そう、これこそがつまり、“文脈無視”な義母なのである。
結婚とは文化交流であり、文化摩擦&衝突である。当事者なら解るだろう。どちらかが出れば、その出たところに摩擦は起き、やがて熱を帯びる。
これを私は「薄めた戦争状態」と言う。大抵のことは、デコとボコを合わせるように、どちらかが名誉ある撤退をしたり、これだけは譲れないとばかりにそこを死守したりすることでマダラ決着となる。
「家庭内食」には紛争は付き物で、特に旦那の方が料理人となると、そのパートナーの心労はいかばかりかと、義母には同情したくもなった。
きっと「亭主をギャフンと言わせよう」と考えたのが、その博多でもどこでもない雑煮に繋がったのだろう。それが彼女に「鶏ガラ」を選択させた。
「亡くなったお義父さんに料理で相当怒られたりした?」
ある時、義母に聞いてみた。
「うん、でもお父さんの料理、本当に美味しいからさぁ、敵わないよ〜」
「じゃ、あの雑煮を褒められて嬉しかったんじゃない?」
「うん! でも、毎回味付けは怒られてたよ」
確かに。義母の雑煮は美味いんだが、安定しないのである。一年に一回しか作らない料理だし、歳も取ってきている。おまけに厳しくQC(クオリティコントロール)する連れ合いも今はもういない。
でも、このムラのある味も私は好きだったりする。それは彼女の生来の明るい性格による。
義母はクヨクヨしない人だ。だからか、とんでもなく物騒な料理を思いつきでやる。冷蔵庫のクズ野菜と、クズパスタで作った「適当ミネストローネ」なんて最高だった。
「あれまた作ってよ」と言っても「え? 覚えてないよ、どうやって作ったっけ?」である。そういったもう二度と会えない一期一会みたいな料理が、彼女には山のようにある。そんな明るい人間が偶さか作るのがあの雑煮なのだ。
でも、そういう明るい人間でしか突破できないものがあるはず。
プロの料理人はストーリーを大事にする。すなわち伝統や基礎を重んじるだろう。その意味では保守である。一方、義母のような人間は、一瞬の空気感や表現、表出を大事にする。自分の持っているバックボーンと、相手の持っている気質や性質とを掛け合わせて新たな文脈を紡ぐのだ。拘らずに。
「奇跡のお雑煮」を継承
東京生まれ東京育ちのちょっと神経質な義父と、博多生まれで野心を持って上京したちょっと適当な義母。この二人の「文化衝突」からあの雑煮が生まれたことに私は感動する。だって、おかげでこの雑煮が我が家のスタンダードになったのだから。今度は私たち家族がこれを守る番だ。
義母の味付けは今年も不安定と予測されるので私がここに簡単にメモしておこう。
・鶏ガラと鰤(あらと身の両方)を用意する。
・鶏ガラと鰤を別々に一度お湯で湯がく(旨味が流出しない程度)。
・鶏ガラをオーブンで焼く(焦がさない程度)。
・余計な焦げをこそぎ落とした鶏ガラを、粗く砕いて鍋へ投入。
・湯がき、臭みを取った鰤のあら(身は別に取り分け後に入れる)を同じく鍋へ投入。
・そこに昆布と干し椎茸を加えて、水と酒で煮込む→中火にしてアク取り(が、脂は旨味なので取りすぎない方が良い)→弱火にして半減するぐらい煮込む。
・鶏ガラを取り出し、鰤のあらの余分を除去、出汁を濾す。
・出汁に、醤油、酒、みりんを入れて味を調える。
・別に焼いた鰤、餅、軽く湯がいた小松菜をお椀に盛り付け、完成出汁を投入する。お好みで柚子、ネギなどの薬味を入れる。
この雑煮をスタンダードなものとして食べ育ち、やがて我が子たちは巣立っていく。そしてまた違った文脈と衝突するのだろう。それも楽しみではある。
最後に義母に関するエピソードを。
下の息子が7歳にしてようやく一本目の歯が抜けた時。「おばあちゃん、僕、前歯が抜けたんだよ!」と報告すると、義母は「そうなの!? 実はおばあちゃんも前歯抜けてさぁ、そしたら下から次の歯が生えて来たんだよ!」と。
彼女は80歳を超えている。でもこれは本当の話で、調べるとごく稀にあることらしい。しかし、恐ろしいじゃないか、身体も「老婆」という“文脈”を無視している。
さらに。
義母を寿司屋に連れて行った時のこと。
「カリフォルニアロールは好き?」と聞いてみた。すると彼女は「好きじゃない。だってあれは寿司とは言えないもん」と。
寿司は「守る方」らしい。つくづく面白い人である。
*次回は、2月9日金曜日更新予定です。
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マキタスポーツ
1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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