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ジェーン・スー×村井理子「介護のホンネ」

2025年11月19日

ジェーン・スー×村井理子「介護のホンネ」

第2回 介護が「女らしさ」の落とし前?

著者: ジェーン・スー , 村井理子

「介護未満」の80代父を「ビジネスライクに」サポートするジェーン・スーさん。6年にわたって「義父母の介護」に奔走している村井理子さん。家族構成は大きく違うけれど、それぞれの経験を『介護未満の父に起きたこと』『義父母の介護』(ともに新潮新書)としてまとめたふたりが、介護に求められる女らしさへの違和感から現代の介護システムの問題、自身の老後の不安までを本音で語ります。

【第1回】介護と家族の境界線(11月12日配信)

【第2回】介護が「女らしさ」の落とし前?(11月19日配信)

【第3回】介護の苦労を浄化するための方法(11月26日配信)

【第4回】私たちは「老後」をどう生きるか(12月3日配信)

構成=山野井春絵

(2025年8月29日、新潮社クラブにて)

第1回 介護と家族の境界線)はこちらへ

ケアする能力がプリセットされた女性たち

村井 私は19歳のときに実父を亡くしています。だから「自分の父親っていうのがよくわかんないんだよね」と夫に言うと、「いるじゃないですか、サブちゃん(義父)が」って夫が言うんですよ。もうめちゃくちゃ腹が立つ。はあ?全然知らないおっさんだけど!?みたいな。

スー “嫁”とか“妻”とか“母”とか、生まれもった性別によって「だってそうじゃん」みたいに平然とケアの役割を割り当てられるの、本当に解せない。腕をブンブン振り回したくなるぐらい。

村井 担当の介護従事者の方も、必ず私に電話をかけてきます。夫の携帯にはかかってこない。それはそうですよ、私と話をしたほうが早いから。今日も東京行きの新幹線に乗っているときに、ケアマネさんから電話がかかってきました。ケアマネさんとは女性同士で年齢も近いし、7年の付き合いにもなるとツーカーです。

スー 男性はこうして何もしなくていい感じになっていくんですよね。

村井 だから、私が我が家に「娘がいたら」と書いたのは、その裏返しだと思っていただいていいんです。女の子だからって役割を押しつけるわけでもないし、みんなの橋渡しを期待するわけでもない。そうではなく、役に立たないなら男はいらん!と思って。

スー それはうっすら行間から感じました(笑)。介護を男性が担うのは大変だろうなと思いつつも、なんでしょうね…。それまで経験したことがなく、突然介護的なものが始まったにもかかわらず、自分がある程度対応できてしまうことにすごくモヤモヤしますね。介護に必要な能力のようなものがプリセットされた状態で、自分が大人に仕上がったことが、本当に憎い。

村井 すごくよくわかる。 私も介護が始まったとき、ケアマネさんに「村井さんみたいに、こんなに早く反応してくれる人ほんと初めて」と言われて、ものすごく悲しくなったんです。いや、全然そんなふうでありたくなかったなと思って。次に何をやったらいいのかとか、それまで経験したことがないのに、すぐにできてしまう。体が自然と動いちゃうみたいな。

スー 私も『介護未満の父に起きたこと』の感想で、「ここまではできないわ」みたいなコメントが書いてあるとすごく悲しくなるんです。私だって、やりたくてしているわけじゃないですよ。ただ、村井さんの『義父母の介護』で救いなのは、後半になっていくと旦那さんにだんだんと当事者意識が芽生えてくることですね。

村井 はい。今はずいぶん変わりました。でもね、義理の母が施設に行くということが決まったとき、夫の顔を見たら、なんかね30歳ぐらい老けてた(笑)。あんなにうちひしがれた顔を見たのは初めてでした。

スー え、なぜですか?

村井 わからないですけど、やっぱり母親への強い愛情でしょうか。

スー ええーっ! 私だったら「なんでそんな顔しているの!」って問い詰めちゃうかも。だって、新しい生活を迎えるうえで大変なのはお母さん自身で、施設に入れば家族は安心して暮らせるわけでしょう。自分の妻にかかる負担も減るのだからって、私なら超怒ってしまいそう。

村井 でも、この介護生活の中で、ひとつだけ助かっていることがあるんです。夫は介護について行き詰まったり、何かものすごい悩みを抱えたりすると、外に出て行ってくれるんですよ。自転車でビワイチ(琵琶湖一周)行ったり、バイクで一日中どこかへ行ったりする。7〜8時間ぐらいかな、それなりに自分で考えて、次のステップに進もうと決意してくる。それが、私にとってはありがたいんです。

スー …普通に生活しながらやってよ!(笑)。だって、私たち女性はそうするじゃないですか。どこかへ8時間も出かけないでしょう。常にマルチタスクじゃないですか。

村井 確かに(笑)。私がたぶん甘いですね。…うん。いや、そう。たぶん、舐められているんだと思う、わが家の男たち全員に。

スー 「やってくれる人」だと思われているんでしょうか。こういうのって下手したら、「好きだからやっている」とさえ思う人もいますからね。そんなわけないだろう! 村井さんも8時間ビワイチに出かけた方がいいですよ。だけど、やっぱり村井さんは優しいんですよ。あれだけ嫌なことをされたお義母さんとの関係も、介護が始まってからは「シスターフッド」に変わったと書いていらしたじゃないですか。

村井 結婚してから長い間すごく険悪な関係で、とにかく怖い人でしたね。でも、その人が本当にひどい状態になったとき、「ザマーミロ」とはちょっと言えなかった。

スー 少しわかる気がするんです。たぶん、お義父さんがああいう人じゃなかったら、「ザマーミロ」という気持ちもまだ少しあったかもしれない。結局、お義母さんもシステムに組み込まれてこうなっているんだというのが見えちゃうと、そうは思えなくなる。夫であるお義父さんが献身的に妻の介護をして、それでもお義母さんが横柄な態度を取っていたとしたら、「やっぱり嫌な人」と思ったかもしれない。でも、認知症が進んでいるのに、横でまだ靴下を履かさせてる人がいるとなると、それは「ザマーミロ」にはなりませんよね。

村井 だから『義父母の介護』にも書きましたが、義父にとって、義理の母が認知症になった悲しみの理由は、「以前と同じような完璧な主婦ではなくなった」ということ。洗濯ができないとか、茶碗を洗えないとか。今に至っても、義父は義母をすごい責めてますね。

スー もう、私が代わりに滋賀に帰りますよ! お義父さんを捕まえて、説教したい。

村井 こんなにかわいそうなことがあるのかって思っちゃったんです。義母は、まさか自分が認知症になるなんて絶対ない、と思っていたでしょうね。それくらい聡明でプライドが高く、とにかく賢い人だったんですよ。その人が見事に崩れてしまって…。本人がそうなる未来を知っていたら、きっとすごく悲しんだと思う。そんな義母を義父が叱責するようなことが、やっぱり私は許せなかった。義父は、義母が施設に入ることも最後まで渋っていました。でも、義母は薄着で外を徘徊するようになってしまい、こうなるとやっぱり女性としての尊厳がね。

スー お義母さん、本当にたくましい方だったのですね。

村井 町内会とかを全部牛耳っているような、有名な「バッド・ビッチ」「ボス・ビッチ」でした(笑)。だから近所の奥さんたちは、今、ざわついているんです。手作りのお菓子を持って、交代で見に来ています。壁には自分らの電話番号を貼ったりしてね。あんなに元気だった義母の今の状態に興味が尽きないのでしょう。だからこそ、早く施設に入れてあげなきゃいけないと思いましたね。

「(義母の)女性としての尊厳を守りたかった」という村井さん

介護が「女らしさの落とし前」にされる恐怖

スー 男性による介護の記録でいうと、松浦晋也さんが自身の経験を書いた『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』(集英社文庫)という本がありますね。読むと、本当に大変だったのだろうなと思います。ただ、もう少し横のつながりのようなものがあれば、松浦さんも苦労しなくて済んだ部分があったかもしれないとも思います。松浦さんは違ったと思いますが、介護者にしても被介護者にしても、それまで家事を女性に任せて、ほとんど生活訓練をしないまま生きてこられた男性も多い。女性の方が介護に向いているとされるのは、「能力」ではなくて、女として「生まれた」からではないでしょうか。世間での扱われ方で、その能力が身についてしまっただけだと思うんですよ。それなのに最終的なタスクとして女が介護を背負わされがちになるのは、納得いかない。だから、どんどん鈍麻させていきたいですね。とにかく私は「先回りしない訓練」をしています。

村井 「女の子なんだから」とか、「女らしいね」とかね。

スー ある世代まで、あるべき女の人の姿とされてきたのは、賃金が発生する仕事に就くことではなくて、「家を整える」「家族をバックアップする」こと。ケア労働における“滅私”とも言えます。あとは感情労働のようなことをすると褒められる。子どもの頃からずっと女というだけで、「対立をしない」「戦わない」のが本来のあるべき姿とされ、自分でつかみ取る力を削がれてきた。いやいや身につけてきた処世術というか生存戦略が、結果的に「介護」に行き着く。そのこと自体が、憎らしい。

 だからといって具体的に憎む相手はいませんが、私はそれに「気づけない(・・・・・)」という方向に行きたかった。介護が、女の人生における最後の「女らしさの落とし前」だったり、「ツケを支払うポイント」だったりするのは嫌なんです。私はまだ本格的な介護をしたわけではありませんが、それでもやっぱり「女」をやってきちゃったことに対する「ツケ」みたいなものを払わされている気がどうしてもしてしまう。

村井 10年以上前に、うちの義母から「私はお父さん(村井さんの義父)の両親の介護をさせてもらえなかった。結婚したときは、すでに亡くなっていたから。それがすっごい悲しい。申し訳ない。理子ちゃんは(私たちの介護ができるから)よかったね」と言われて、びっくりしたことがあります。「介護させてもらえなかった。それが申し訳ない」って、「女は献身的であれ」というようにめちゃくちゃ訓練されている証拠じゃないですか。そこまで思うかと驚きました。

スー おっしゃる通り、訓練ですよね。「介護をしない自分は女として不足している」というような刷り込みを、徹底的に叩き込まれている。私の母は結婚するまで映画雑誌の編集者をしていましたが、結婚を機に辞めて、父親のサポートに回った。それからずっと、自分で稼ぐこと、自分の能力を活かす場所が家庭の外にはなかったんです。もちろん私のせいではありませんが、子どもがいなかったら、母にも全然違う人生があっただろうなとは思います。それを思うと、めちゃくちゃ胸が痛くなるんです。母は亡くなる直前、私に「仕事は絶対辞めちゃダメ」と言いました。この人がそう言うのならば、本当に辞めちゃダメなんだと24歳の私は思いました。あれは母の遺言で、「経済力をなくすと大変なことになるぞ」と伝えたかったのだと思うんです。

村井 うちの義母は、クラブのママでした。義父に店の経営を反対され、やむなく閉店したので、それをずっと私に言い続けていましたね。「私はどうしてもずっと店をやりたかった。辞めさせられたのが今でも悔しい」と。

「とにかく先回りしない訓練をしています」というジェーン・スーさん

「家族」というシステムへの警戒

スー  憎むべきは人ではなくシステムです。ただ、そのシステムみたいなものを、個人に完全に憑依させた形で顕在化するのが介護でもある。

村井 私は義母の介護をしているときに、なんでこれを自分の母にやってあげられなかったのかといつも悔しくなります。私が滋賀で母が静岡と、物理的な距離があったというだけの理由なのですが。母は病気になってすぐ亡くなってしまったので、できることは少なかったと思うのですが、今でもなんか納得いっていません。それなのに義父母の介護を「頑張れ」みたいなノリで普通に任せてくるうちの夫って、どうなの?という気持ちも、すごくあります。

スー 自分がやれよ!(笑)。

村井 そう! ありがとうございます(笑)。

スー その「頑張れ」も、同じ話じゃないですか。お義父さんが自分の妻を所有している感覚と。自分の親の世話をさせることに対しての申し訳なさよりも、「頑張れ」が先に出てくるのは、所有の概念があるからではないでしょうか。うーん…私はやっぱり家族というシステムに対しての警戒が、今また強くなっていることを感じています。

村井 すごいわかります。あの「家族」というまとまりの意味というか、本当にそんなにいいことばっかりなの?って。

スー 私も自分が男で、産む側でなければ、「結婚したい」とか「子どもはいっぱい欲しいですよね」とか平気で言っていたと思う。「頑張って稼ぐぞ!」とかも。でも女という属性である以上は、どうしても「家族」というものを警戒してしまうんです。

村井 もう常に仕事が山積み。そして、その状態がデフォルトですからね。

介護が明らかにする家族の問題

スー 介護未満の父に起きたこと』の取材で、「よくそんなにビジネスライクに、ドライにできますね」とか、「見習いたいですけど、私にはできないと思います」とか、何回も言われました。でも、私からすると、目の前で家が燃えているのに火を消さないって何?という感じです。私がやらなきゃどうにもならない。情緒のようなものに引っ張られてしまっては、消火が遅れるのは明らかじゃないですか。「火を消さなきゃいけないから、消火器持っただけなんだけど、私は!」という。

村井 むちゃくちゃ現実的に考えますよね。

スー ただ、それもこれまでに「猶予のない親子関係」をやってきたからできるという自覚はあります。「大好きな、尊敬している、とっても面白い、まったく信用できないお父さん」が存在すると、そこに情緒が入り込む隙はないんですよ。逆に余裕があると、情緒から入っちゃう。火を消す前に、悲しんだり、嘆いたりしてしまう。特に母が亡くなってからは、自分でどうにかしないと本当にまずいことになるのを、父との関係性の中で気付かされることばかりだったので、結果的にこうなったのだと思います。

村井 私も父を早くに亡くし、母とも疎遠なまま30歳まできちゃったので、そういう状況も関係しているのかもしれないですね。仕事も先回りしてやっちゃうし。

スー 先ほども言いましたが、村井さんと私の共通点は、「基本的に身近な人をあんまり信用してない」というところだと思います。それが周りにはドライにも映るだろうし、効率的だなんて言われることもある。お互い「信用してないからやらない」じゃなくて、「信用してないから自分でやる(・・・・・・・・・・・・・)」パターンの人だと思う。ふたりともそれだけのエネルギーはあるタイプですし。信用していないことに対して、そんなにネガティブに捉えてないというか。何か家族内で事件が起きても、シリアスにとらえすぎないで、ふざけて面白くするところもある。やっぱり情緒を挟んでる隙間がないんですよ。逆に、感情に振りまわされている人に対しては、いいなあ、余裕があって!と思っちゃう。

村井 そういう情緒を挟む余裕のある家族って、幸せそうで、うらやましいですよね。私なんか、気がついたら実の父は死んでたし、みたいな感じだから。

スー 介護という問題に直面すると、自分の家族が抱えている問題が自ずと明らかになります。その意味では、それまでは特に問題のなかった平和でまん丸な家族のほうが、きついかもしれない。そこで初めて問題に向き合う方が、免疫がないだけに対応するのが大変だと思う。うちは、どこに穴が開いているか、いつでも丸わかりだったので、何か起これば、すぐに「あの穴ふさげ!」と対処しやすい。

村井 確かに大変だけど、ひとりで思い切って動き回れるという点では、いいですよね。例えば、金は出さないくせに口を出す兄弟姉妹や親戚がいたら、腹立って仕方ないかもしれない。自分ひとりの判断でいろいろ進めることができるのはいいかもしれない。(第2回おわり)

 

*第3回はこちらから

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ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

村井理子

むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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