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ジェーン・スー×村井理子「介護のホンネ」

2025年11月26日

ジェーン・スー×村井理子「介護のホンネ」

第3回 介護の苦労を浄化するための方法

著者: ジェーン・スー , 村井理子

「介護未満」の80代父を「ビジネスライクに」サポートするジェーン・スーさん。6年にわたって「義父母の介護」に奔走している村井理子さん。家族構成は大きく違うけれど、それぞれの経験を『介護未満の父に起きたこと』『義父母の介護』(ともに新潮新書)としてまとめたふたりが、介護に求められる女らしさへの違和感から現代の介護システムの問題、自身の老後の不安までを本音で語ります。

【第1回】介護と家族の境界線(11月12日配信)

【第2回】介護が「女らしさ」の落とし前?(11月19日配信)

【第3回】介護の苦労を浄化するための方法(11月26日配信)

【第4回】私たちは「老後」をどう生きるか(12月3日配信)

構成=山野井春絵

(2025年8月29日、新潮社クラブにて)

第1回 介護と家族の境界線)はこちらへ

第2回 介護が「女らしさ」の落とし前?)はこちらへ

介護をテーマに「書く」ということ

村井 私が2024年に『義父母の介護』を出したときにも、「こんなに書いてしまって大丈夫ですか? 」と取材でよく聞かれました。むしろ全然書いていないんですよ。もっと書きたいことは山ほどあるんですよ、書けないけど(笑)。もう救われないことばっかりだから。自分の時間と経験を文章にして、それを読んでくださる人がいるから、書けることだけを書く。そしてそれをお金に換えている。それだけなんですよね。

スー その手段があって本当に良かったですよね。

村井 本当に。介護って、究極の無償労働でしょう。これだけやっても対価はゼロなので、やっぱり許せないですよ。腹が立つことばかり。だからせめて何かに換えないと。以前、編集者に「なぜそんなに義父母の介護について書くのですか?」と尋ねられて、「人間がどこまで壊れていくのか。それを全部見てみたい」と答えたんです。編集者はどん引きしていました(笑)。でも本当の気持ちです。それまで完璧だと思えた人が、突然認知症になり、どんどん崩れていく―それを間近で見ているわけです。こんなことを言うと意地悪な奴だと思われるかもしれないけど、こんなに執筆意欲を掻き立てられることはないですよ。とうとう義母は、バスマジックリンを飲んでしまったり、「異食」が始まってしまって…。人間はこうも変わっていってしまうのか、ということを見て、それを記録することがモチベーションでもあります。

スー 私にとって書くことは、「ガス抜きの開放弁」みたいなものです。親のことって、やっても、やっても、ガスが溜まっていくんですよ。それを読み物にして、世の中に発表することによって、シューッとガスが抜けていく。お金に換えているという面もありますが、それだけではない。もうひとつ、我ながら面白いなと思うのは、親のことだと「辛さ」が書きやすいんですよね、自分のことよりも。

村井 わかります、それ!

スー 自分だけのことを書くよりも、親との軋轢(あつれき)を書くほうが楽ですよね。『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)では、これまでの家族関係の棚卸しというか、自分の親ってこういう人だったんだということを直視しなければいけなかったのですが、ほとんどそれは「お焚き上げ」です。

生活力のない男が取り残されるとき

スー いろいろ言ってしまいましたが、最近は父も「いい子」にしています。何でそう思えるかというと、あまり会っていないから(笑)。会う頻度が多くなるとトラブルが増えるし、私も腹が立つ。ちょうど明日久しぶりに会いますけど、暑いのでお墓参りはしません。

村井 お墓といえば、最近、義父が比叡山延暦寺大霊園のパンフレットを集めているんですよ。比叡山の大霊園といえば、お墓界のフェラーリ。日本のトップ霊園。あんなところ、なかなか入れませんよ。そのパンフレットをたくさん集めて、洗濯ばさみで挟んで、私がよく座る席の横に置いてある。「何なのこれ?」って全部捨てましたけど(笑)。それまではおせちのパンフレットで、まだ夏なのに「おせち、おせち」とうるさかったのですが、お墓に変わりました。「もう長くないから。お父ちゃんもあと一日とか、今日か明日っていうところまで来た」って自分で言い始めました。

スー うちの父は、近所のメモリアルホールでお通夜から初七日までを全部済ませていいと言っています。それにしても、比叡山のお墓に入りたいって、すごいですね。

村井 それこそが、義父が私に嫌われる原因なんだと思います。自分が死んだ後のことまでも、コントロールしたがる。

スー お義父さんは気持ちにゆとりがあるんでしょうね、きっと。威厳のある父でいたいとか、そういう余地があると思っているから言えるんだろうな。

村井 この前もデイサービスで職員さんたちに「インターナショナルですね」と言われたらしく、すごい喜んじゃって。「わしもインターナショナルって言われてな、もう一日デイに行こうかなと思ってる」って(笑)。

スー チョロいな!(笑)

村井 義父は褒められるのが大好き。ケアマネさんはさすがそれをわかっているから、デイサービスの職員さんたちに「もともと料理人で、すごく活躍した人で…」とか、いろいろ話をしてくれたらしいんですよ。「いいぞ、もっと持ち上げろ、持ち上げろ!」と思っていたのですが、とどめが「インターナショナル」。これが義父の心に刺さったようで、「もう一日デイを増やしてもいい」と(笑)。

スー お義父さんがラッキーなのは、料理人だったことですよ。90歳を過ぎても自分で食事が作れるじゃないですか。

村井 そうそう。今でも、余裕で作ってますよ。

スー 高齢になっても男性が台所に立てるのは、本当に素晴らしいことだと思う。結局、性別でも何でもないんですよ。料理は女性にしかできないことじゃない。日々の訓練なんですよね。

村井 義父は、小学校を卒業してすぐ料理の世界に入ったんです。あの「料理の鉄人」道場六三郎さんとも一緒の厨房にいたこともあって、今でも「ロクさん」「サブちゃん」と呼び合う仲です(笑)。だから今でも、どうやって会話が成立しているのかわからないけど、電話でよく話をしているみたいです。

スー すごい人だったんですね。「料理ができる」イコール「生活力がある」ということでもありますから。生活を回していく上で何もできないお義父さんだったら、村井さんはもっと大変でしたね。

村井 でも、最近はあまり義父に会わないようにしているんです。実家に顔を出しても、5分ぐらいで帰っちゃうかな。あえてそうしています。会わない方が絶対にうまくいくし、本人もちょっとピリッとする。義父は、すぐ甘えてくるんですよ。「帰らんといてくれ」みたいな。とにかく湿度が高い。私にだけではなく、介護士さんにも同じで、「ギブアップ」ともう3回ぐらい担当が変わっています。

スー うちの父も、ヘルパーさんの年齢と性別を気にします。結局、若い女が好き。若いと言っても40代50代の方ですが。若すぎるのもダメ。仕事の能力だけでなく、愛想も求める。男性の家事代行サービスの方をお願いしたこともありましたが、結局合いませんでした。どこかでやっぱり、ヘルパーさんをケア労働者みたいに思っているんですよ。

村井 その勘違いは抜けないですよね。うちの義父もヘルパーさんのことをお手伝いさんだと思っていて、何回説明してもわかってくれない。

スー だから、うちは公的支援でお願いできるヘルパーさんを頼んでいないんです。要支援2だから、少しは公的サービスも使えるのですが、そうすると100パーセント、家政婦さん扱いをして、できないことを平気で頼んだり、怒ったりすることが目に見えていますから。だから満額自腹で払ってでも、家事代行業務もできるヘルパーさんにお願いしています。トラブルは回避したいので、もうじゃんじゃん課金。

「親のことって、やっても、やっても、ガスが溜まっていく」とジェーン・スーさん

男はなぜ介護で苦労するのか?

村井 介護をきっかけにした虐待トラブルや殺人事件は、ほとんどの場合、男性が起こしてしまうことが多いですよね。特に、母親を介護している息子が暴力を振るうというケースが多い。無理心中も。

スー そのパターンが多いですね。

村井 いわゆる介護殺人の7割以上が男性だと聞いたことがあります。介護というよりも、そもそもその前の手続きからして苦手。

スー 現実を直視できないということもあるのでしょうか。

村井 身近でもよく聞く話です。訪問診療のお医者さんが、お母さんの体にあざが多いことに気づいて、無理やりお母さんをショートサービスに入れたら、翌日にその息子が自殺してしまったとか。心中しようとお母さんを川辺に連れて行って死にきれなくて、刑務所に入った男性の事件もありましたね。本当は、ちゃんと動いている行政のシステムやサービスがあるのに、彼らはそこへ上手にリーチできないんですよ。全部自分で抱えてしまって、ヘルパーなしに自分が全部やるみたいな。もっと早く地域包括支援センターなどへ相談に行けば、いくらでも救いの手を差し伸べられたのに。そういうケースがすごく多いです。

スー そこでなんだか、「なめらかに社会を進めるための弁」みたいな感じで女が使われている状況がありますね。

村井 男性は精神的なケアが苦手。怒りをコントロールできない人が多くて、親が弱っている状況に腹を立ててしまうんですよね。「なんでお母さん、こんなことができないんだよ!」と。

スー 先日対談したNPO法人「となりのかいご」代表の川内潤さんがおっしゃっていたのですが、会社でバリバリ働いている優秀な男性ほど、介護の現場では困難にぶち当たるそうなんです。目標を定め、その達成に向けて一生懸命働いて業績を上げた人が、そのスキームを介護の現場にも持ち込もうとする。そうして挫折していくそうです。もう本当になんで問題を直視できないんだろう? まったくわからない。

村井 ミイラになるまで親を放置してしまう男性って、その状況から逃げちゃうんでしょうね。死後の片付けって本当に大変なんです。私もうちの兄が死んで、その片付けで大変な思いをしましたから。

スー 村井さんは、ちゃんとやるじゃないですか。大変だったけど、逃げないじゃないですか。

村井 やりましたねえ…。

「介護は究極の無償労働」という村井さん。

赤ちゃんになって死んでいく

スー 将来的にお義父さんは、お義母さんと同じホームに入る予定ですか?

村井 あの人、チヤホヤされないとダメだからなあ。義父も要介護2なので、義母が入っている認知症対応のグループホームに入ることもできると言われました。ひとりで生活が立ち行かなくなったら、部屋は別々ですけど、夫婦で同じホームに入ることになるかもしれません(註 対談実施後の2025年10月に義父もホームへ入所)。

スー お義父さんにとってはそれが幸せかもしれませんね。でもホームに入ったら、料理作れなくなっちゃうじゃないですか。

村井 作れなくなっちゃうし、料理にケチつけそう。今でもデイ(サービス)の料理に文句を言うので困っています。

スー うちの父も食事にうるさいから、デイには行けないかもしれない。

村井 食事の不安はたしかにありますね。以前、とある作家さんが、「私、一番不安なのは、老後ひとりになることでもなくて、自分がエロい言葉を大声で言ったりすることです」とおっしゃっていました。レビー小体型認知症の症状のひとつに暴言があるのですが、性的な言葉を発してしまうこともあるらしく、それが怖いって。

スー え、もう、いいじゃん!(笑)

村井 確かに。だって、もう自分はわからないからいいですよね。

スー 病気だから、誰も真に受けないと思いますよ。私は認知症になりたいわけではないですが、50代になってなお、自分が「理性を外せない」ことにコンプレックスがあるんです。これまで理屈で自分を守って生きてきたから、理性を取っ払って、全開放!みたいなことができない。「それでは目をつぶって意識を宇宙に飛ばしてください」とか言われても、「宇宙ってどれぐらいの広さですか? 暗さは? 呼吸の感じは?」と詰めたくなっちゃう。

 でも、理性を外せないまま死んでいくのも、ちょっと自分としては悔しい気持ちもある。だからこの先も「あの人が好き! だからもう全部捨てる!」とかはたぶんない。衝動で動けないことが、自分を信頼するポイントであると同時に、つまらなくしている原因でもあると思っていて。話を聞いたり、本を読んだりするかぎりでは、認知症になると理性の(たが)が外れるというじゃないですか。もしかしてそれは「私が私になれる瞬間」でもあるんじゃないかなんて思ったりもします。

村井 うちの義母は「私が私に(・・・・)」なっていますよ! 完全に素の私になっています。ちょうど今、15歳くらいかな。

スー それはすごい。そう聞くと、不謹慎ですけど怖くなくなりますよね。最後の、人生の総仕上げになるのかもしれない。自意識があるから理性を捨てられないわけでしょう。それがなくなったとき、周りの人からは認知症だと思われているかもしれないけど、本人はとても生き生きとしているのかもしれない。どんどん意識が若返って、最終的に赤ちゃんになって死んでいくのだとしたら、それはそれで素晴らしい。

村井 感覚がどんどん若くなるみたいですね。義母も、中学生の頃の話ばかりしていました。聞いていると、楽しかったのだろうと思います。器械体操部だったから、「平均台で今日何回まわった」とか。ときどき「母さんどこ行ったんやろ? 理子ちゃん、母さんどこ行ったん?」と言うこともあります。「お姉ちゃんどこ行ったん? 最近けえへんわ。私がこんなに病気やのに、全然会いにけえへんやん。どしたん?」と不思議そうな顔をしています。

 でもそれも症状が出始めの頃で、最近は本当に静かになりました。お医者さんも「黙ったら終わりだと思ってください」と言っていました。以前のような義母の表情が、最近はなくなってきました。全然わからなくなっちゃうのも近いかもしれない。

スー 最後に少女になるのは、本人にしたら幸せなのかもしれないですね。しかし、そうなるとお義父さんが心配ですね。

村井 義父は、たぶん大暴れすると思う。そうなったら、義父にも施設に入ってもらうしかない。

男たちよ、現実を直視せよ!

スー お義母さんの話を聞いていると、ちょっと羨ましいです。意地悪もたくさんした人で、「ボス・ビッチ」だったかもしれないけど、根は明るくて溌剌(はつらつ)とした人だったんだろうなって。

村井 はい。頭の回転が速くて、冗談が面白かったですよ。上沼恵美子を意地悪にした感じかな。そのぐらいのトーク力がありました。義母はお茶の先生で、私にも教えようとしたのですが、私はずっと逃げ続けていました。それでも逃げ切れなくて、あるパーティに出席することになり、義母が私の着物を着付けたのですが、それが「左前(・・)」でした。着付けはプロ並のはずだから、間違えるわけがないんですよ。30人ぐらいの生徒さんたちの前で私に恥をかかせようと、わざとそうしたんです。唯一男の生徒さんが、「自分、やられてるで」ってこっそりと教えてくれたんです。

スー それ以外の女性は、全員わかっていて何も言わなかったんですね。

村井 そう。意地悪でしょう? 義母の認知症が進むと、お茶の生徒さんもひとり減り、ふたり減り…最後はひとりだけになりました。その生徒さんは20年くらい通っていた方だったのですが、「この2、3年、先生がおかしくて、みなさん辞められました。おそらく認知症だと思います。どうにかしてあげてください」と教えてくれたのです。それが義母が認知症になったことに気付く大きなきっかけでした。ああ、やっぱりそうか、と。

スー そして、『義父母の介護』の冒頭にあった「瓶ビール事件」(*註 村井さんの義母が瓶ビールに「不良」と書いた紙を貼って家に持って来た事件)につながるのですね。あのときに「これ、なんかおかしくない?」と聞いた村井さんに、「べつにおかしくないんじゃない?」と旦那さんは答えていましたよね。ふつうはもう飛び上がって、「どうしよう!」ってなるところなのに。

村井 でも実際は、顔面蒼白になってましたよ。

スー えっ! それでも大したことはないと思いたいってことですか?

村井 息子というのはそういう生き物ですよ。母親に対して。

スー 双子の息子さんたちには「現実を直視しろ! 大丈夫だろうって思うな!」って教えないとですね。

村井 (笑)。それ以外にも、あの頃はたくさん事件が起きました。義母はまだ運転していたから、慌てて免許返納するように説得しました。スーさんのお父さんも運転が好きだったんですよね。免許は返納されたんですか?

スー はい。車が本当に好きな人だから渋ると思ったのですが、そこはあっさり。車が家に3台あったときもありましたからね。破産寸前になって、それまでの家から出たときに免許を返納しました。私が勧めたわけではなく、自分から「いらない」と。父は、おいしいものが食べたいとか、いいものを着たいとか、そうした快楽への欲求は強いのですが、ステータスみたいなことに対しては、こだわりがないみたいです。

村井 比叡山の大霊園にこだわる義父とは違いますね。私は一緒に入りたくないから、お墓作りたくないです。永代供養でいい。お墓を作ったら、ずっと管理しなきゃいけないでしょう。これからの世代を考えると、ちょっとね。

スー うちは母の墓参りがあったことで、定期的に父と会う口実になりました。そのための場としては、お墓があって良かった。でも、自分が必要と思うかどうかは別の話ですよね。(第3回おわり)

 

*第4回(最終回)は、12月3日水曜日更新の予定です。

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ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

村井理子

むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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