2024年7月16日
プロローグ――それは瓶ビールから始まった
著者: 村井理子
「考える人」の好評連載「村井さんちの生活」。近年は、認知症の義母と90歳の義父のケアに奔走する日々が中心になっていましたが、そのパートをまとめた新刊『義父母の介護』が7月18日に新潮新書より発売されます。
義母の認知症が8年前に始まり、義父も5年前に脳梗塞で倒れた。結婚以来そりが合わなかった姑と舅だが、「私がやらなければ!」と一念発起。仕事と家事を抱えながら、義父母のケアに奔走する日々が始まった――。しかし、急速に進行する認知症、介護サービスを拒絶する義父に翻弄され、やがて体力と気力は限界に。介護の最初の一歩から、高齢者を騙す悪徳業者との闘いまで、超リアルな介護奮闘記です。
発売を記念して、本書より「プロローグ――それは瓶ビールから始まった」を公開いたします。すべての始まりとなった8年前、義母に起きた異変とは?
義父母と私
私は琵琶湖畔に住む、翻訳家でエッセイストだ。夫、高校生の双子の息子と一緒に、田舎町で、平凡だけど慌ただしい日常を送っている。
翻訳家という仕事は繁忙期がまちまちで、急に忙しくなったと思ったら、全く仕事の依頼が来なくなったりもする。安定しているとはとても言えないので、常に危機感を抱きつつ営業活動に励んでいる。エッセイを書く仕事に関しては、ありがたいことにご依頼を頂く機会が増えている。忙しいと言えば、忙しい。それでも、毎日通勤しているわけでもなし、家で文章を書き、その合間に様々な家事をこなす私の日常は、周囲から見れば気楽と映るのかもしれない(実はそうでもない。それは本書を読み進めて頂ければわかる)。
こんな、特筆すべきことがあまりない平凡な生活を送っているつもりの私だけれど、そんな平凡な生活のなかに、ここ数年、「義理の両親の介護」が加わった。加わったというか、あちらから勝手に飛び込んできた。逃げようにも逃げられず、嫌だと言ってもどうしようもなく、なんとなくスタートして、そろそろ5年目に突入だ。
本書の主人公とも言える夫の両親に初めて会ったのは、結婚の2年ほど前のことだった。当時、義父は大きめのホテルで総料理長をしていた。義母は自宅で茶道教室を営み、10人以上の生徒を抱えていた。初めて会った時に確認されたのは、茶道教室を継ぐ気があるかどうかで、それが「結婚の条件」という点だ。特に義母には、念を押すように何度も言われた。継ぐ気はあるのか、なければ直ちに去れというわけだ。
それまでの人生でまったく縁のなかった茶道。そのうえ教室を継ぐなんて、考えただけで無理。私が長年身を置いていた、なんのしがらみもない自由な一人暮らしの世界からは遠すぎた。それに、義理の両親に自分の将来を決められるぐらいなら、死んだほうがマシだとまで考えていた。
それから紆余曲折あり、茶道教室を継ぐかどうかはのらりくらりと回答を避け続けた末、結局、28歳で結婚した。茶道の教室に関しては、ただひたすら、誤魔化して、逃げ続けた。義理の両親は、茶道については3年ほどで諦めてくれたが、次は出産を強く迫るという手段に出た。結局、義理の両親の意向とは関係なく結婚後7年で出産したが、その7年の間に義理の両親と私の関係は完全に冷え切ったものとなった。会ってもほとんど会話せず、電話がかかってきても居留守を使うことが多かった。
子どもたちが小学校低学年になった頃、私と義理の両親の関係が微妙に変化しはじめる。私は徐々に譲歩することを学んだし、義理の両親は私に対する押しつけを完全に諦めた。そして双方が年を取ることでパワーバランスが変わりはじめた。強烈だった義母は温和になり、私は精神面で強くなった。義母に何を言われても、納得出来なければ一切耳を傾けなかった。義父が何か高圧的なことを言えば、はっきりと「お義父さんはおかしい」と指摘した。義父も義母も、いつの間にか落ち着いた祖父母となっていった。私も、子どもが生まれてからはずいぶん性格がまるくなったと多くの人に言われた。
私と義理の両親との関係は、このように紆余曲折を経て穏やかなものになっていくだろうと、私はそう考えていた。まさか、夢にも、義母が認知症になってしまうとは考えていなかったのだ。こう考えるのは私だけではないはずだ。義母を知る人であれば、誰もが「まさかあの人が」と言うだろう。それほど、義母はしっかりとした人で、何から何までできる完璧な女性だった。
瓶ビール事件
今から思い返すと、すべての始まりは子どもが小学校4年生になった頃ではなかったか。2016年のあたりだ。当時76歳だった義母がいつものように、上機嫌で瓶ビールを数本持ってわが家に遊びにやってきた(夫の実家は車で約30分のところにある)。「はい、あなたにお土産!」と言いつつ義母がダイニングテーブルにドーンと置いた瓶ビールには、「不良」と書かれた紙が貼られていた(全ての瓶に)。
えっ? ビールが不良品なの? それともワシ? しばらく考えたが、にこにこと笑う義母からはなんの悪意も感じられなかった。
その晩帰宅した夫に、「不良」と書いた紙が貼り付けられたビール瓶を見せて、「これ、なんかおかしくない?」と聞いた。「何か事件が起きるかもしれない」というワクワク感で多少にやついていた私に夫はむっとしていた。そして、「べつにおかしくないんじゃない?」と答えた。
「おかしくないわけないじゃん! どう考えても、これはおかしい。何かがおかしいよ」
この瓶ビール事件が、今にして思えば、義理の両親の介護生活の前兆だったような気がしている。
(続きは本書でお楽しみください)
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
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