義父がグループホームに入居した。義母とは別の施設だ。義母が入居してから、ちょうど一カ月後というタイミングでの入居で、私も夫も、二カ月連続でこのような状況になるとは夢にも思っておらず、とことんパワーを使うことになったが、今はとにかくやりきった気分で清々しい。あとは支払いのことだけが心配だが、それは一旦横に置き、何がどうなっていたのかを説明させてほしい。
義母がグループホームに入居してからというもの、義父はボロボロだった。施設の都合、こちらの都合、書類の都合、コロナのクラスター発生などで、義母の入居日が何度か変更され、その都度、義父には説明をしていたが、なにせ高齢の義父、すべてを理解しているかどうかは怪しいところだった。
施設からGOサインが出たところで、「それいけー!」とばかりに入居をしたため、義父にとってはあまりにも突然の義母との別れとなってしまったことが悔やまれた。あまりに大きな状況の変化に、義父は大いに戸惑った。夫の目を盗み、私に何度も「お母さんはいつ戻る?」と聞いた。夫の目を盗む理由は、そんなことを聞いていることがバレたら夫に「親父、しっかりしろ」と叱られるからなのだった。
「お義母さんはホームに入ったんだよ。だから、もう戻っては来ないんだ」と、あっさり言えたらどれだけ楽だったか。「いつ戻る?」と義父に聞かれるたび、私は口ごもった。「え〜と〜、戻るというか〜、ずっと宿泊というか〜」……これが悪かったのかもしれない。でも私には言えなかった、義母が戻ることはないだろう、なんて残酷なことは。
義父は私をすがるような目で見る。私は居心地が悪い。なんだか騙しているような気がする。そんなやりとりが増えて数日、義父がだんだんおかしくなってきた。夜、電話をかけてきては、「お母さんはいつ戻るんや? 今日はデイなのに、なんで帰ってこないんや」と聞くようになってしまった。私は震え上がった。どうしよう。義父、おかしなことを言い出したぞ。どうやって説明しよう。
私は受話器に向かって大声を張り上げて、「お義母さんは〜、グループホームに入ったんです〜。だから、夜もお泊まりなんです〜」と言うしかなかった。すると義父は決まって涙声になって、「それやったら、ワシは一人でどうしたらええねん?」と聞くのだった。こっちが聞きたいよ。ああもうイヤ。なんでこんな役回り?! と、ほとほと人生に疲れそうになった。そんなある日のこと、吉報が入った。義父が週三回通っているデイサービスの施設長から、併設するグループホームに空きが出たという連絡が入ったのだ。
「お義父さま、ずいぶん落ち込んでいらっしゃって、こちらのスタッフも心配しているんです。もしよかったら、考えてみられては……」という言葉に、私は飛び上がらんばかりに喜んだ。考えるもなにも、私と夫は血眼になって探していたのだ、義父が入所できる場所を。特別養護老人ホームは待機人数が多い上に、介護度が足りない。サ高住で義父が暮らせるとは思えない。サ高住にある、「基本的に自立した高齢者の明るい雰囲気」は、義父には皆無だからだ。それであればグループホームだが、市内のグループホームは軒並み満床状態のうえ、認知症だという診断書が必要になるので、主治医にその依頼をしなくてはならない(これが一番面倒くさい)。それでも、藁にもすがるような思いで、義母の入所する施設にお願いして、義父を待機リストに入れてもらったものの、「待機はすでに5名いらっしゃいます」という状況だった。
私はすぐさま夫にメールした。「別のグルホに空きが出た!!」とものすごい勢いで書いた。夫は「うおおおおおおお!!!!」と返してきた。親を介護施設に入居させる際の内容だとは思えないかもしれないが、私たちはそれだけ切羽詰まっていた。義父があまりにもギリギリの状態だったからだ。もう、一刻の猶予もなかった。
そこからは怒濤の書類集めだった。義父の主治医に診断書の作成を依頼し、ケアマネさんと話しあい、とにかく夫と二人で必死になって動いた。私たちが動きまくっている一方、義父はどんどん弱り、毎晩の号泣電話は止まらない。私も徐々に追いつめられた。まさに、河﨑秋子著『介護者D』主人公琴美の名台詞「無理無理無理無理」(素晴らしい作品なのでお勧め)状態になった私は、本気で悩んだ。主治医からの書類はなかなか出来上がってこない。グループホームからは「書類はどんな感じです?」という連絡が入る。そんな状況で私が諦めかけ、「同居」という禁断の二文字がチラついてきたある日、奇跡みたいに追い風が吹いて来たのよーーーー!
なぜかトントン拍子に書類が揃い、施設長からの入居OKのサインが出たのだ。さあ、あとは本人の説得である。でも、全てにおいて吹っ切れていた私はもう、悩まなかった。「お義父さん、このままではお義父さんが危ない。だから、施設にお世話になりましょう」……私の鬼気迫る表情に押された義父は、涙目でこくりと頷いた。
そして、あれよあれよという間に入居の日が来た。大量の荷物をプラスチックケースにドカドカ詰めている私に、義父が夫の目を盗んで聞きに来た。「今日から行くところは、お母さんと同じ施設なんやろ?」
ちがああああああああああああううううううう!
と思ったけれど、優しく諭す余裕は残されていた。「違うよ。お義母さんとは別の場所だけど、いつでも会いに行けるからね」 端から見たら、私はすごく怖かったのではないだろうか。まるでシマウマを狙うライオンみたいになっていたのではないだろうか。でも、とにかく義父は、不思議とすんなり承諾し、笑顔を見せつつ入居してくれた。施設長さんは明るく出迎えてくれ、「よくいらっしゃいました! 僕らも心配していたんです。よかったですね!」と言ってくれ、義父は少しほっとした表情を見せた。
とても悲しかったのは、長らくお世話になったケアマネさんやヘルパーさんとの別れだった。介護施設に入居してしまえば、そこで契約は終了となる。私はメールを書きまくり、電話をかけまくり、いろいろな人に感謝の言葉を伝えた。もう本当に怒濤の日々過ぎて感情がついていかない。でも、とにかく義父は安全な場所にいる。ちゃんと生活できている。その点については義母も同じだ。
考えが一切まとまらないが、とにかく私の義父母の介護は大きく進展した。入居後もいろいろな雑務があり大変ではあるが、それでも、ここで一旦は区切りがついたはずだ。
ちなみにこの原稿を書いている今日も様々な打ち合わせがあって、義父の入居するグループホームに行って来た。義父は相変わらずの様子で、朝から涙・涙だったそうだが、職員さんはすでに慣れたもので、明るく義父を励ましてくれていた。
義父の入居した施設は街の中心部にあり、人の出入りも多く、利用者も多い。職員さんも多く、活気がある。夜になれば夜景がきれいだし、明るい雰囲気がある。今まで寂しい夜を過ごしていたであろう義父も、いろいろな人に声をかけてもらって明るさを取り戻していくだろう。というか、取り戻してくれ、頼む。とにかく頑張ってくれ。私の願いはそれだけなんだよ!
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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