義父母が二人ともグループホームに入居して、一カ月が経過しようとしている。私たち夫婦の負担は明らかに軽くなり、義父母のために使う時間も減り、仕事の途中で急にデイサービスに呼び出されて、病院に担ぎ込むなんてこともなくなった。最初の数週間はあまりの解放感に舞い上がっていたが、そのうち疲れを感じるようになり、夫婦揃って寝込んだりした。考えてみれば、六年超に及ぶ介護生活で、週末を完全に週末として過ごすことができていなかった。義父母の介護を仕事と捉えるとしたら、私たち夫婦は週休一日、あるいは週休ゼロ日という生活を、結構長く経験していたのだ。書いているだけで疲れてきた。
しかし私が最も疲労を感じたのは、やはり義父への対応だった。義母はいいのだ。でも、やっぱり義父が(苦手)。湿度の高いコミュニケーションを求める義父と私の相性はある意味最悪で、私は常にストレスに晒されていた。夫も同じで、義父の義母に対する謎の束縛や、クレーマー気質に夫は常に苛つかされていたと思う。夫の義父に対する当たりは日増しに強くなり、このままでは危険なのかもしれないと思ったこともある。私だって人のことを言えるような状態ではなく、義父には辛辣な言葉を投げかけてしまったことが五万回ぐらいある。しかし、それもこれもすべて、今となっては過去の話だ。お義父さん、今までごめんね。私にはもう、わだかまりなんてなにもないよ。
介護に肉体的疲労を感じなくなったこと、時間を奪われなくなったことで、確かに私は楽になった。でもやはり、人生はうまいことばかりが起きるわけじゃなくて、次々届く請求書に戦々恐々とする日々が始まっている。
正直に書こう。高い。こんなことを書きたくはないのだが、やはり介護も決め手は「金」なのだ。わかっていたことだが、自分の老後が激しく不安になってきた。
義父は二十四時間介護でぴっかぴかのお爺ちゃんになった。大きな総合病院が経営するグループホームなので、施設もぴかぴかだが、サービスもぴかぴかだ(いや、ギラギラレベルかもしれない)。今まで彼が通い詰めていた内科、整形外科、眼科、歯科には、一切通院しなくてよくなった。すべて、病院から医師がやってきて、グループホーム内で受診が完了する。薬の管理もすべて薬剤師さんが行うため、義父は口を開けるだけでよい。ごはんも美味しくて、全部食べているそうだ。おやつも一日二回もらえるし、気が向いたら隣接するデイサービスに行って、さくっとトレーニングもできるらしい。そりゃあ、元気になるわ! よかったじゃん、お義父さん。うれしいね、高いけど!
サービスの質を見れば明らかだが、グループホームの利用料は特養に比べて高額だ。しかしケアマネさん曰く、最近は特養も料金があがりつつあるとのこと。そうなのかと思って調べてみたら、確かに特養だってなかなかの金額だ! 両親が揃って施設に入るとなると、月額で大卒初任給ぐらいかかるのではないだろうか。両親が持っていた貯蓄や年金をすべて投入したとして、かなり苦しいのではないだろうか。
わが家も当然のように、家計は火の車と言っていい。いつまで続くか、完全なチキンレースがスタートしている。こんなことは考えたくないのだが、この先どれぐらいこの支払いが続くのか、ちらっと考えたりして、いつもはあまり進まない仕事が格段に進んだりしている。仕事が進むのは悪いことではないが、自分の老後資金のことを考えると鬱だ。
入居から二カ月程度経過した義母だが、突然の環境の変化が原因か、残念ながら認知症の症状は進んだように思える。在宅していた頃がぎりぎりの状態だったとも言える。入居直前は、自宅のトイレの場所がわからなくなっていたので、在宅介護の限界に達していたことは確かだ。ちょうどいいタイミングだったとは確信しつつも、会うたびに痩せ、ぼんやりとしている義母を見ると、辛い。義母の住むグループホームは義父のグループホームに比べたら格段に静かで、ゆっくりとした時間が流れている。職員さんも優しく、穏やかで、義母は今の生活を気に入っているらしい。そんな義母を見ていたら、ここに入居できてよかったねと心から思える。先日夫が義母に、「ここは好きか?」と聞いたら、「好きやで」と答えたらしい。「僕に気を遣ってそんなことを言っているんじゃないの?」と聞き返すと、「そんなことはないよ」と義母は答えたらしい。泣ける。最高に泣ける。私たちに任せてよ、お義母さん。なにもかも心配せずに、なんにもしなくていい人生を楽しんでください……という気持ちになる。仕事頑張らなくちゃという気持ちになる。
動きまわることを余儀なくされた介護生活が終わり、今度は支払いに四苦八苦する日々が始まった。もちろん、しばらくの間はどうにかなるけれど、数年後はどうかと問われれば、かなり厳しいと言わざるを得ない。そこでどのように対処していくか、この先も模索し続けることになるだろう。そして今私が最も頭を悩ませているのは、実家のメンテナンスである。田舎特有のデカすぎる家を、どうやって管理すればいいのか。自宅の庭の雑草も伸びきったままで冬を迎えようとしているのに、あの家をどうすれば……紙ゴミと衣類だけで数トンはありそうだ。先日紙をまとめる作業をしていたら、ダニに数カ所刺された。もうイヤ。義父の古い股引をゴミ袋に入れる時間があれば、翻訳作業をしたい。それでも、あのままにしておくことはできない。悩みは尽きない。ネタも尽きない。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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