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村井さんちの生活

2025年9月16日 村井さんちの生活

義母、ついにグループホームに入居する

著者: 村井理子

 緊急で動画を回しています。前回の「村井さんちの生活」では、「義母の入居はたぶん八月末になるだろう」とお伝えしていた。実際は、九月六日に無事、認知症特化型グループホームへの入居が完了した。私のライフはゼロだ。

 八月末から九月上旬にスケジュールがずれ込んだ理由は、施設でコロナのクラスターが発生したからだった。その隔離期間も終了し、コロナ陽性だった入居者のみなさんも回復され、元気になられたということで、ついに、義母の入居する日がやってきたというわけだ。あ〜、なんという長い道のり…。

 当日は、悩みに悩んだが、義父も連れて行くことにした。義父には何度となく、施設の外観や個室の状況、施設全体の雰囲気を伝えていたのだが、本当に理解してくれたかどうか、いまいち手応えがなかった。義父からすれば、デイサービスもショートステイもグループホームも、何がなんだかわからないだろうが、漠然と「敵」認定している場所であり、その誤解を解くことに関しては、私はすっかり諦めている。それでも、長年連れ添ってきた夫婦二人がこれから何十年かぶりに別々の暮らしをスタートさせるその日、義父だけを家に置き去りにして、義母だけ施設に連れて行くのは気の毒な気がしたのだ。

 「イチかバチかの賭けだな」と夫と言いつつも、義父母を車に乗せて施設へ向かった。義父は「おお、きれいな山やなあ〜。こんなに山奥なのか〜」と明るく、まさか旅行に行くと勘違いしているのでは? と私を不安にさせた。義母は夫が気を利かせて車内で流していた義母が好きな曲に合わせて、楽しそうに歌っていた。気分は上々という感じだ。

 そして、とうとう、施設に到着した。義父に「ほら、とても素敵な場所でしょう? 自然も多いし、建物も和風で風情があるではないですか!」と話しかけると、「ほんまやなあ、ええなあ」と上機嫌だ。義母は一度面談で施設に来たことはあったが、もうその記憶は無いため、不思議そうな顔をしていたが、素直に私たちについてきてくれた。玄関に辿りつくと、職員さんたちが待っていた。私はすかさず「今日は義父も連れてきました。やっぱり見てもらったほうがいいと思って」と施設長さんに伝えた。施設長さんには、義父がちょっと厄介でということは事前に説明してあったのだ。

 まずは義父母を義母の居室に移動させ、私と夫は車に積み込んでいた義母の荷物を下ろして搬入した。衣類、少しの家具、寝具などだ。義父母は大きなサッシの窓から見える見事な田園風景を二人で眺めていた。義父が、いいねえ、素敵やなあと言っていることに安心した私は、「気に入ってくれました? ここがお義母さんのお部屋なんですよ。いいところでしょう?」と言った。すると義父は「ワシの部屋はどこになる?」と答えた。

 ん? ワシの部屋? どゆこと?

 「ワシの部屋はないですよ。ワシはここには泊まりませんから…」と、私が震える声で答えると、義父は完全に困惑した顔になった。「お義母さんは泊まるのか?」と義父が聞くので、「ま、まあ、泊まるというか、住むっていうか…」と私は答えた。義父は完全に混乱したようで、「母さんは家には戻らないのか!?」と言い出した。私と夫は顔を見合わせ、心のなかで「撤退」を決断、「お義父さん、さあ、帰りましょう。お義母さんは施設のみなさんにお任せします。私たちは他に買わなくちゃいけないものがたくさんありますので」と言い、施設のみなさんと目配せをしまくると、ものすごい勢いで義父をむりやり引っぱって、施設を後にした。去り際、心配になって義母を見ると、すでにダイニングルームのテレビの前に陣取って、他の入居者さんと談笑していた。さすがだ。

 義父は車のなかで地獄の雰囲気を漂わせはじめた。「今日、まさかお母さんが泊まるとは思っていなかった」と言い出す。泊まるっていうか、何かない限り戻って来ることはあまりないのだが…と言いたかったが我慢した。話を聞いていると、どうも、ショートステイと勘違いしていたようだった。やっぱりそうだったか。そうなんじゃないかなとは思っていたんだよ。

 結局、その日は義父を実家に残し、私たちは茶碗やコップなど、足りないものを購入して再度、義母の滞在している施設に戻った。部屋をきれいに整え、思い出の写真や義母の好きな本、二人がけソファなどを設置して、義母が安心して過ごすことができるような工夫をした。もうこれで大丈夫だなと、夫と顔を見合わせたとき、すでに午後四時。義母は私に「理子ちゃん、あなた、忙しいのでしょう? 私はここにいますので、お買い物をして気をつけて帰ってね。それでは」と言い、手を振って、居室から出て、リビングダイニングへと真っ直ぐ向かって行った。すでに施設に慣れたような様子だった。いままで週に五日というハードスケジュールでデイサービスに通ってもらうことに対して、申し訳ないという気持ちもあったが、そのハードスケジュールの結果がこれであれば、なんて素晴らしいことなのだろうと思った(こんなことを書くのは本意ではないのだが、入居した後も問題が起きる可能性があるのは重々承知している。退去しなければならない可能性がゼロではないこともわかっている。でもこうやって書かないとDMがたくさん来てしまうため、念のために記しておく)。

 翌日、施設に電話して義母の様子を聞くと、「まったく問題ありません。今、カラオケをされています」ということだった。義父の様子を見に行くと、「どうして生きていけばいいのか」と泣いていた。とにかく、連日の介護サービスをお願いし、デイサービスにも可能な限り通ってもらうことになるとは思う。

 夫に「お義母さん、ようやくいろいろなことから解放されて、これから自由に生きられるんじゃないの?」と言うと、「そうだな」と言っていた。

 さて、これからの義父母の介護だが、義母の入居が完了したため、次は義父の入居先を捜すことになる。まだまだ先は長い。最近義父が必死になって集めている墓地の折り込みチラシも私をじわじわと追いつめているし、実家のことなど問題は山積だ。まだ先は長いぞ…そんな気持ちである。とにかく、義母が楽しく過ごしてくれていることがうれしい。あの人はやっぱり凄い人だった。

義父母の介護

2024/07/18発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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