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村井さんちの生活

2025年12月19日 村井さんちの生活

やっぱり私は所詮他人

著者: 村井理子

 義父母がそれぞれグループホームに入居して数か月経過し、私はすっかり介護から縁遠い人になってしまった…と、書きたいところだが、現実はそう甘くはない。施設から山のように届く書類の整理で疲労している。

  私は、親戚付き合いがとてもあっさりした家庭に育った。母方の親戚も、父方の親戚も優しくて良い人が多いが、だからといって幼少期から密接に関わり合いを持っていたかというとそうでもなく、両親も兄も他界してしまった今となっては、連絡はたまにメールで近況報告、会うのは数年に一回あるかないかという、究極にあっさりした関係にある。私の動向は、SNSのアカウントをチェックしているらしい。私は親戚のアカウントなんてひとつも知らないので、それはしていない。それでも、もちろん心は通い合っているわけで(少なくとも私はそう思っているわけで)、メールでのやりとりで十分、お互いの安否は把握できていると思っている。はっきり言って、大変、気楽な付き合いだ。

 しかし、夫の実家は勝手が違う。親戚との付き合いが濃厚だ。思い返してみれば、元気な頃の義母のマシンガントークの内容は半分が習い事、残りの半分は故郷に住む友人知人、そして親戚の動向だった。私はいい加減に聞き流していたが、正直言って、こう思っていた。

 「面倒くさ!」 

 そして今、この面倒くさいが大波のように押し寄せている。施設に入所した義父母のもとに、義父母側の親戚が面会に来るようになった。勘違いしないでほしい。それが嫌なわけではない。むしろ、来てくれて大変助かっている。というのも、義母はともかく、義父は心から喜んでいる。誰かとの関わり合いを何よりも望む義父だもの、親戚が遠路はるばる来てくれたらもう、嬉しくてたまらないのだ。そして、立ち会っている夫によると、号泣も止まらないらしい。私はそれを聞くだけで疲労したのだが、親戚のみなさんのリアクションは至って普通らしい。つまり、慣れている。義父の独特な距離感、高い湿度、号泣に慣れている。なんならそれが当たり前なのだ。親戚ってそういう感じなんだ! と、私にとっては驚くことばかりだ。

  私はもうほとんど義父母の面会にも行かなくなったが、夫は足繁く通っていて、先日はこれからについて親戚と話をしたらしい。ようやく息子らしいことをしているではないかと私は感心したのだが、ひとつだけ気になることがあった。それは、夫と義父母の親戚が、「もう義母と義父を会わせないほうがいいのでは」と考えているらしいことだった。会わせない? あんなに仲がよかった夫婦なのに!?

  義父は義母がグループホームに入居して以降、2度、義母とは会っている。これから先も、元気なうちに可能な限り二人を会わせるのだろうと、私は勝手に想像していたし、二人にやってあげられる数少ないことのひとつだと思っていたのだが、夫も、親戚も、義母の少しやつれた姿を見た義父がショックを受けて体調を崩すのではないかと心配し、「もう会わせない方がよい」と判断しているらしい。私は正直、こう思った。そんなに繊細じゃないよ、あの爺さんは!

  しかし夫は言う。「親父はかなりショックを受けると思うし、お袋だって、親父が来てもわからないだろうし、会わせない方がいいと思う。親戚も、『こういう場合は、田舎では、会わせないぞ』と言ってたし」。どんな田舎よ、それ

  私からすると、子世代とか親戚が、夫婦二人の関係性を左右してしまっていいのだろうか、二人のこれからを引き裂くようなことがあっていいのだろうかと思うのだが、そういう方針らしい。私はそれを聞いてからも、夫に何度も「会わせないっていうのはどうなんだろう。せめて本人の意向を確認したら?」としつこく聞いていたのだが、夫も頑固なので、多少、態度は軟化したが、思いは変わらない様子だ。

  このあたりは、やはり私は義理の娘なのだと思う。そして、あわよくば何か書いてやろうと虎視眈々と狙っている嫌らしい人間なのだと思う。私は、年老いた二人のドラマを無意識に期待している。しかし、実の息子や血の繋がった親戚は、まったく違う視点から二人の生活を考えている。今の状況でショックを与えたくないと、義父を思いやっているのだ。

  よりよく理解するために、「自分の両親だったらどうするだろう」と想像してみて、「会わせた後のメンタルケアが面倒だから、会わせないかも」という結論が出た。ようやく理解できたような気がする。これまで義父母の介護をするなかで、自分が「所詮他人だ」と思った瞬間は何度もあったが、このような微妙な意見の相違というのは、これから先も、むしろこの先は頻繁に起きてくるのではないかと予想している。その度に、いままで育ってきた、生きてきたバックグラウンドの差を意識していくはずだ。

  それにしても、自分の老後が激しく不安になってきた。私は自分の人生や選択を、誰かに管理されたくはない。子どもであっても、絶対に嫌だ。しかし、そんなことを言っていられるのか? 言っていられるほど、私は自我を保つことができているのだろうか?

  義父母の話題が出るたびに心が重くなるのは、二人の状況がこれからの自分と重なるから。少し気が早いのかもしれないが、自分の老後のために何かしはじめようと決めた。それが何なのか、今はまだ、はっきりとはわからないけれど。

義父母の介護

2024/07/18発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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