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お坊さんらしく、ない。

2021年9月13日 お坊さんらしく、ない。

五、親しき仲にもポリティクス

著者: 南直哉

 別に募集しているわけではないのだが、私は自分と話をしてみたいと言う人とは、基本的に会うことにしている。今はウイルス禍で中止しているが、それ以前には月に23回くらいは面談していた。

 始めたと言うか、始まったのは永平寺の修行僧時代である。古参和尚になった頃から、「困ったときの直哉さん」などと言われて、「宇宙から地球滅亡の通信が来ました……」と夜中の2時に電話してくる若者とか、「ヒマラヤ山中で修行した結果、命の水を作る霊力を身につけたので、この寺の住職に差し上げたい」と叫んで、受付に坐りこむ白装束の赤ハチマキ男などの相手をしていた。

 そのうち、「普通の」人とも話をすることになったのだが、それはそれで簡単ではなかった。

 境内を流れる水深30センチの永平寺川に「飛び込んで」、自殺しようとしたズブ濡れ男と、午後の5時から翌朝の5時まで話をしたこともある。

 ある時には、「この話は君に聞いてもらったほうがいいだろう」と、役付きの老師に頼まれて出て行ったら、妙齢の慎み深そうな女性がいた。

 大人が両手で持つくらいの段ボール箱を持っていて、別室に連れて行って開けてみたら、般若心経の写経がびっしり詰まっている。

「こんなに……、すごいですね」

と言うと、彼女は涙ぐんだ。

「夫が浮気ばかりするんです……。なんとか止めてくれるように、仏様にお願いしたくて……」

 当時30になるかならないかの修行僧に回すような話か!

 その後も、「困ったときの直哉さん」の出番はなくならない。で、私は永平寺を出るときに決めた。

 師匠がいつか言っていた。

「坊さんなんだから、一文の得にもならないが、他人の役に立つことを一つくらいやるんだな」

 よし、自分は「困ったときの直哉さん」をこれからも続けよう。

 というわけで、かれこれ30年近く様々な人の話を聞いてきたが、その間につくづくと思ったのは、人が死にたくなるほど苦しくなるとすれば、それは人間関係がこじれた時だ、ということである。

 病気や貧困なども自死を招きかねない重大な要因だろうが、それが直接の原因と言うより、病と貧しさをめぐる人間関係の葛藤や断絶、そこから生じる当事者の孤立のほうが、ずっと深刻なのだ。

 その人間関係も様々だが、中でもここ最近特に問題だと思うのが、「家族」である。

「家族が一番大切」と言う人は多いし、「家族の絆が頼り」と言うのも、もっともだと思う。  

 しかし、だからこそ、そこにバグが起こるとダメージも大きい。とりわけ、幼い頃から親子関係に歪みがあると、子供にその影響は甚大で、生涯に及ぶ場合がある。

 今の家族は少人数で完結している。つまり、親子34人くらいの人数で、隣近所と付き合いも薄い。もちろん、家族以外のしがらみから自由だし、家の中の関係は濃密になるから、そのほうが居心地の良い面も、多々あるだろう。

 だが、その中にいったん不具合が起こると、人間関係が小さいが故に逃げ場所が無く、深刻化しやすい。昔のように、家族が「ムラ」「向こう三軒両隣」のような共同体の中に包摂されていれば、「しがらみ」はあれども、それは同時に「お互いさま」の関係であり、家族の危機に「おせっかい」と称される適当な介入があったりして、案外「丸く収まる」こともあった。つまり、家族が自己完結し過ぎず、そこそこ開かれていたので、決定的な行き詰まりを回避する余地があったのである。

 しかし、今や時代は違うのだ。家族は内圧が高まり、しかも脆くなった。

 家族の問題について話を聞いているとき、難しいなと思うのは、「愛情」とか「思いやり」とか、感情に引っ張られた語りになりがちなことである。

 以前、ある中年女性と面会した。夫と離婚したいと言うのである。ところが、その理由が夫の暴力とか浮気などではなく、なんと自分自身の浮気なのである。

「何度もしてしまいました……。やめられないんです」

「で、相手から離婚を言い渡されたと」

「いえ、夫はその度に赦してくれるんです」

 わけがわからない。

「え? じゃ、なぜ離婚するんですか?」

「赦されるのが申し訳なさ過ぎて。夫の優しさが苦しいんです」

 どう考えても言っていることがおかしい。私はさらに3時間近くかけて話を聞いた。すると、事は根深かったのである。

 彼女は、極めて厳格で問答無用に家族を支配する父親の下で育った。しかも、彼女はその父親を「立派な人です」と、小さい頃から尊敬してきたと言うのである。

 実際に、厳格な支配、つまり「親の言いつけを守るなら」、手厚い保護があったそうである。

 彼女が高校の卒業を迎えるとき、自分は進学したかったのだが、「お前のことは自分が一番よくわかっている」父親に、「手に職をつける」ように言われて、父親の知人の美容院に就職させられた。

 そこで見習いかたがた、美容学校に通って一人前になったそうだが、実は仕事にどうしても馴染めず、一度実家に逃げ帰ったそうである。

 そのとき、父親は激怒して自ら娘を引き連れ、知人のところに詫びに出向き、今度無断で帰ってきたら親子の縁を切ると言い放ったそうである。

 その後、彼女は万事諦めて、美容師として勤めるのだが、結婚でまた父親と衝突する。恋仲になった男性との結婚を告げたところ、まるでけんもほろろに却下されたのである。

「そんなヤツと一緒になってうまくいくわけがない」と、相手にも会わずに話を一方的に打ち切ったというのだ。

 その父親が結婚させようと考えていたのが、遠縁にあたる今の夫だったのである。

 ここまで聞いて、ようやくわかった。彼女は「立派な父」の圧倒的な支配に幼い頃から苦しめられ続けて、実は心中深く無意識的な憎悪があるのだ。結婚相手を否定されたことは、決定的なトラウマになっただろう。

 だとすれば、父親にあてがわれた「優しく申し分のない夫」も、実は父親の支配の象徴以外の何ものでもない。繰り返される浮気は、彼女の父親への必死の反抗であり自己主張なのだ。同時に満たされなかった恋人への思いを代償する行為だったのだろう……ということを話してみたら、彼女は驚愕の表情で絶句し、次の瞬間、号泣した。

「私、父を恨んでいるんですか……」

「じゃないかと、思ったんです」

「私、どうしたら……」

「お父さん、ご存命ですか?」

「はい……」

「もう随分なお歳でしょう。昔のお父さんでもないはずです。難しいでしょうが、なんとか赦してあげられませんか? 離婚するより、御夫君にもう一度詫びて、優しく接することはできませんか?」

 家族の間に流れる感情は、とても大切だと私も思う。

 しかし、私が肝に銘じているのは、およそ大は国家から小は家族まで、人間関係のあるところ、必ず土台に力関係と利害関係があり、つまりはそこに、「ポリティクス(政治行為)」が働いているということである。

 おそらく介護の現場にはそれが如実に現れるだろうし、コロナ禍で「自粛」中の家庭にも、見て取れるかもしれない。

 家族の問題をあまりに感情に引き付けて解決しようとすると、おそらく問題が見えないまま行き詰まる。

 大切だと思うのは、一度感情を棚上げにして、家族に働くポリティクスを直視し、どこに不具合があるか考えることである。いわば、親しき仲にもポリティクスあり。

 事は家族に限らない。感情を切り離して人間関係を見る作業は、一人ではなかなか難しい。

 そのときは、あまり近すぎない、信用はできるが淡い付き合いの人に相談できれば、それがベストだろう。「かかりつけのお医者さん」ならぬ、「かかりつけのお坊さん」を見つけることを、私が勧めるゆえんである。まあ、坊さんでなくてもよいけれど。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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