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お坊さんらしく、ない。

2021年5月20日 お坊さんらしく、ない。

一、「老師」はつらいよ

著者: 南直哉

 お坊さんに呼びかけるとき、どう言ったらいいのかというのは、一般の人には結構悩むところらしい。
「どう言えばいいんですか? 和尚(おしょう)さんでいいんですか?」
 もちろんそれでよいのだが、いきなり見知らぬ僧侶に「和尚さん」と呼びかけてくる人は少ない。
 呼ばれる方も当惑することは多い。私が住職する寺のある地域は、多宗派の檀家が多いところで、最初の頃ご近所から「御前!」と呼ばれてびっくりした。寅さん映画じゃあるまいし。
上人(しょうにん)さん」という呼称もあるが、禅宗では使わない。宗派共通で無難なのは「ご住職」という言い方だが、いささか堅い上に、住職でない僧侶には使えない。その点、「和尚さん」はOKだ。
 適当な呼び方がどうしても思いつかない人からは、「先生」と言われることが多い。学校嫌いだった上、両親はじめ身内に教員がゴロゴロしていた私に、極めて聞き心地のよくない響きなのは仕方のないところである。
 住職にしか使えないのが難であるにしても、私は「方丈さん」と呼ばれることが好きだ。「方丈」は主に禅寺の住職がいる書斎・居室を意味する。私の檀家はそう呼んでくれる。一番ほっとする。
 あと、禅宗でよく使う敬称に「老師」がある。同じ禅宗でも、臨済宗系では「老師」の使い方は厳格で、それこそ高徳有力な指導者クラスにしか使わないようである。必ずしも年齢ばかりの話ではなくて、それにふさわしい力量があれば、比較的若い僧侶にも使われることがある。
 そこへ行くと、我が曹洞宗は少し緩めである。ある程度の歳になると、みんな「老師」付けで呼ばれ出す。私も40過ぎた辺りから若い者にそう呼ばれ始め、初めのうちは「この顔が老人に見えるか!」とキレていたが、さすがに齢60を過ぎては、是非もない。考えてみれば、私も修行僧のころ「老師」を乱発していた。
 我が宗で要注意なのが「禅師」なる言い方である。坐禅をする宗派の指導者だから「禅師」と呼ぶのは当たり前と思うかもしれないが、少なくとも私たちの場合、大本山の貫首(かんしゅ)(即ち最高指導者)か、貫首経験者にしか使えない。
 以前、永平寺にいたころ、当時の有名人が参拝にきて、私が坐禅の指導をしたら、その後、当人のホームページだったかブログに、「南禅師に坐禅の指導をしていただいた」と書かれて、仰天したことがある。下手をすれば「不敬罪」になりかねない。大慌てで訂正を申し入れたことは言うまでもない。
 それにしても、「地位が人を作る」と言うが、呼称もそういうところがある。それ相応の待遇に変わるのだ。

 私も「老師」と呼ばれるようになったころから、説教や講演で寺院に出向くと、出迎えに若い僧侶がいて、挨拶するなり「お荷物をこちらに!」などと元気よく手を出される。荷物も持てない歳でも体調でもないのだから、当然「結構です!」と固辞していたのだが、あるとき、修行僧仲間だった同輩から、こう言われた。
「直哉さんよ、これもこの若い衆の役目だぜ。仕事、取り上げるなよ」
 言われて、あァそうか、と思った。自分も若い時にはそうだった。大きな法要などが計画されれば、係りの割り振りで、誰がどの「老師」の世話役になるのか決められる。その上での話だから、当日役目を役目としてこなせないと、調子が狂う。
 ということをその時飲み込んで、最近は手を出されたら、素直に渡すようにしている。ただ、待遇の違いはそればかりではなく、通される部屋とか、わざわざ挨拶に来る人とかも、「一兵卒」時代とは違う。食べ物飲み物もそうだ。
 ならば、「老師」の待遇にふさわしい振る舞いを求められているわけだろうし、こちらにはそれに応える責任もある……という流れで、次第に「呼称が人を作る」こともあるわけだ。
 かくして、いつしか地位や敬称に遜色ない態度や行動ができるようになると、それを人は「板に付いてきた」と言うわけだろう。
 実を言うと、私はこれがダメなのである。どんな立場にあっても、いかなる役割についても、どこかに違和感が残って、板に付かない。「老師」らしくならない。
 以前、何かと私を贔屓にしてくれる老師が、
「南君も、もう少しそれらしい振る舞いが身に付けば、ずっと先にいけるのに」と言ってくれた。が、そこに居合わせた私の上司が、
「そうなったら、南君は南くんじゃなくなるから、それは不幸だよ」と即答した。それは私の実感でもあった。

 考えてみれば昔からだ。学生のときは学生らしくない、会社員のときは会社員らしくない。ついに坊さんになったら、それでも坊さんらしくない。
 逆もある。出家した後、いろいろな人から言われた。君は新聞記者になればよかった、証券会社に向いている、暗に立候補を誘われたこともある。
 つまり、私はどこにいても、何をしてもズレているのだろう。ただ、もう私はそれに馴れた。悲観するような歳でもなくなった。さらにいえば、このズレや違和感はあってもよいし、むしろ持っていたほうがよいのではないかと、最近は思う。
 板に付いてしまったら、もう動けまい。違和感なく満足してしまえば、足腰は重くなるだろう。そう思うと、ズレの感覚は何かの可能性を予告するものかもしれない。
 思えば、地位や敬称の意味や、それが要求する態度や振る舞いを規定するのは、安定した社会集団の秩序だろう。「社長」という役職の意味、「老師」などの尊称のランクを決めるのは、それを設定する集団における秩序体系である。
 ならば、この集団が解体するなり、変化すれば、「板」が壊れて「付く」どころの話ではなくなる。すると、往々にして人は「浮足立つ」ことになり、不安に駆られて行動が拙劣になりかねない。
 常にズレている人間は、要するにどこにいても「ここが居場所」という気がしない。どこであろうが「仮住まい」にしか思えない。いつも浮足立っているから、「落ち着いて」浮足立っている。
 我田引水もよいところだが、この疫病の時代には、こういう生き方も悪くないのではないか。できること/できないこと、してよいこと/いけないことの境目が変転する昨今、案外柔軟に身を処せて、さほど動揺もしないのは、いままで一度も板に付くことが無かったからかもしれない。

 昔中国で、高い木の枝の上で坐禅を続ける老師がいた。通りかかった人が見上げて、
「ずいぶん危ないところで坐禅してますなあ」と言うと、老師曰く、
「そうかな。自分には歩いているアンタのほうが、ずっと危なく見えるがね」
 この老師は、木の上が平気になったから、下を歩いている人間の足取りの危うさが見えるのではないだろう。そうではなくて、木の上の危うさがつくづく身に染みているから、下を歩く人間の平気さ加減が恐ろしいのだ。
 木の上に登る必要は毛頭ないが、道を歩くばかりか、板に付き過ぎて坐りこむのも、実は危ないのではないか。この先の我が身と人々の行く末を思うと、私は解消しない自分の「ズレ」を少々いとおしく思う今日この頃である。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。

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