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村井さんちの生活

 春休みが終わり、息子達は5年生へと進級した。あの幼かった2人がよくぞ成長してくれたと、喜びで震える私であった…はずなのに、いささかショックなできごとが続いたため、ここ数日は心が騒いでいる。きっと季節のせいもあるだろう。忙しすぎる日常に、疲れが溜まってきたのかもしれない。今年の春休みは本当にいろいろなことが起きたために、心がついていってくれない。発端は長男が筋トレをはじめたことだった。何を言っているのだと叱られそうだが、少し我慢して読んで欲しい。

 わが家の長男は、次男に比べて線が細く、大人しい男の子だ。とても素直だし、色白でやさしい顔立ちのうえに、真っ黒なストレートのオカッパ頭がトレードマークだった。しかし、1ヶ月ぐらい前だっただろうか、あの線の細い長男が、いきなり筋トレをはじめたのである。

 そもそも真面目な性格の彼は、ゆっくりとしたペースながら、黙々と、休むことなく筋トレをしていた。軽めのダンベルを父親に購入してもらい、私のエアロバイクに跨がり、庭で縄跳びの練習に明け暮れた。気づくと、ブルース・リーやシルベスタ・スタローンの映画を好んで見るようになり「ロッキーってかっこいい」と言うようになった。そろそろ生卵を一気飲みするのではないかと心配になりはじめた矢先、今度は「髪を切る」と宣言した。それも「すごく短く切る」と言うのだ。

 なにせ、もう5年生だ。いつまでもオカッパでいるのにも無理はある。しかし、長男が「この髪型にしたい」と持ってくる写真はすべて、オカッパとは程遠い、あまりにもお兄さんの雰囲気のものだった。本人が望んでいるのだから、それでいいのだとわかってはいても、私の中の、大人しくて可愛らしい長男のイメージからはかけ離れてしまう。それでもやはり、本人の気持ちを無視することはできず、ついでに次男も引き連れて、私がお世話になっている美容院へ行ってきた。

 受付で私を担当してくれている美容師さんに、「短くしたいみたいなんですよ」と言うと、「え! いいの?」とびっくり。そりゃそうだ。艶々のオカッパを刈り上げたいというのだから。私が長男に再度確認すると、「うん! 短くする!」と満面の笑み。ああ、もうどうにでもなれ。泣いても私は知らないぞと待合室のソファに腰掛けた。しかし、なんだか怖くて長男が髪を切られている様子を見ることができない。すると、頼んでもいないのに、横に座る次男がいちいち実況しはじめた。

「アーッ! はさみが入りましたぁ! これは、これは短いですッ!」
「おーっとぉ、バリカンです! バリカンの登場です! 刈り上げだ、刈り上げのはじまりだあ!」

 私は怖くて見ることはできなかったが、次男の実況で長男がとても喜んでいることだけはわかった。「うわあ、これはすごい変化や。別人やなあ」という次男の言葉のすぐ後に、「すごーい!」という声が続いた。あまりの変身ぶりに、ほかの美容師さんやお客さんが長男に声をかけてくれたようだった。

 待合室に戻ってきた長男は、見違えるような男の子になっていた。今、流行りのツーブロックだと説明してくれる美容師さんの言葉が、遠くから聞こえてくるようだった。とにかく、私にとっては驚きの変身だったのだけれど、長男はニコニコと上機嫌で、「すごくかっこよくなった」と、うれしそうだった。あまりのことに呆然としていた私は、次男が美容師さんに「俺はオカッパのままでお願いします。そうやなあ、2センチぐらい短めのオカッパで」と注文している声に、「2センチって微妙過ぎるだろ」と思いつつも、声に出すことさえできなかった。

 次男が2センチ短いオカッパに整えてもらっている間、横に座る長男に話しかけていた。「すごく短くなったね。かっこいいよ。でも本当に長男くんなの? なんだか別人みたいね」と言うと、長男は「ボクやで。前と同じ、ボクや」と答えた。「前からこの髪型にしたかったの?」と聞くと、「ううん、5年生からするって決めててん」と言った。そうか、そうだったのね。

 家で犬と留守番していた夫に「かっこよくなったなあ!」と言われた長男は、ますますご機嫌で鏡の前を離れない。そんな姿を見つめる私の気持ちを察してか、次男が「ま、ええやないの。ボクはまだオカッパやし」と言って、私の肩をぽんと叩いた。オカッパにこだわりはないんだよ、ただ、長男君が成長したなあって思ってね、ただ、それだけなんだ。

 夜中にふと目を覚まして長男を見ると、やっぱり別人のようでまだ慣れない。刈り上げられた襟足はまだ幼く、赤ちゃんだった頃を思い出してしまう。枕元に置かれたダンベルを見れば、彼が強くなろうとしていることはわかる。それだったら、精一杯応援してあげようと思う。オカッパ頭を少し傾けながら、ダイニングテーブルで静かに宿題をする長男の姿が大好きだったけれど、彼も成長しているのだ。当然のことなのだ。さようなら、オカッパ頭の長男くん。

 その長男の横に寝る次男は、シングルの布団からはみ出しそうな勢いである。この次男にも、実は春休みの間に大きな変化が訪れた。私にとっては、長男の変化も次男の変化も大きな衝撃で、心乱れる日々が続いた。先輩の男児ママ達からは、「そんなのまだ序の口だ」という声が聞こえてきそうだけれど、育児のスピード感は想像以上に加速してきている。ついていけるだろうかと、不安になる。

 2月にわが家の一員となった子犬のハリー号も、順調に成長し続けている。つい先日まで、柔らかくて真っ白だったお腹の周りには、今となっては毛がびっしりと生え揃い、成犬になるまで待ったなしの状態だ。子犬というよりは子馬のように、全身が筋肉の塊である。

 なんだかなあ。みんなもうちょっとゆっくり成長してくれてもいいのにね。母は寂しくて仕方がないよ。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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