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小さい午餐

2020年4月17日 小さい午餐

ディストピア、ブリトーとビーフンとピザ

著者: 小山田浩子

  4月、子供がしばらくずっと家にいることとなった。それはいい。とてもいい。いま子供に集団生活をさせるのは不安だ。広島もどんどん新型コロナウイルスの感染者が増えている。まだまだ増えるだろう。私は在宅仕事だ。子供はかわいい。1日は長い。夫婦で相談しタブレット端末を買うことにしたが、最長2ヶ月待ちと言われまだ届いていない。私はスマホにいくつか子供向けアプリをダウンロードした。
 このエッセイではあれを食べたこういう店に行ったという話を毎月書いているが、そもそも外で昼を食べるのは私にとってハレというか特別というか、普段は家でほぼ毎日同内容の昼食を摂っている。きな粉青汁シェイクとでも呼ぶべき濃度と粘度のある飲みもの、作り方は簡単、青汁のおまけについてきた450ml容量のプラスチックシェイカーに約200mlの牛乳を入れ、大さじ1杯か2杯の粉末青汁(大麦若葉のもの)、きなこ大さじ山盛り2から3、すりごま大さじ1を入れる。粉類を先に入れてから牛乳を注ぐとシェイカーの底に貼りついたりするのでこの順序がよい。蓋をして振るとくすんだ緑色のどろどろになる。シェイカーの蓋を外し、少量の水道水を蓋に注いで蓋についたどろどろをゆすいでシェイカーに戻してから縁いっぱい豆乳を注ぐ。豆乳は、おからを取り除かず大豆を丸ごと潰したと書いてあるやつで、普通の豆乳よりとろとろつるつるしている。シェイカーを揺すって全体をなじませる。時間が経つと粉類が沈殿するのですぐ飲む。2年前くらいから、昨日の残りカレーを食べねばとか今日はどうしても辛いスパゲティが食べたいカップ焼きそばが食べたいとかいうのがない日は毎昼これだ。1人の昼に手のこんだ料理をするのは面倒くさい、でも簡単にできる1人昼食はどうしても炭水化物に偏りやすくたんぱく質やらビタミン的なものが摂りにくいしその辺りを追求していると手間だけでなく食費もかかる、そして、そんなようなことを考えてああ今日は昼になに食べようもう鯖缶残ってないし等とぐずぐずしているうち時間が経ちお腹が空きすぎて逆になにも食べたくなくなった結果変な時間にお菓子をたくさん食べてしまったりすることがあってよくないという経緯で開発した。牛乳豆乳きな粉からたんぱく質が、青汁粉末とすりごまからは各種ビタミンミネラルが摂れ、なおかつ繊維も豊富だ。味も決してまずくはない。すごくおいしくもないがきな粉とすりごまの香ばしさほの甘さがある。大麦若葉青汁は苦くなくドラッグストアで安く買え炭水化物ランチで心配な塩分もほぼゼロ、なにより作り始めから食器洗い完了まで5分かからない。難点は飲んだ直後は膨満感を感じるほどお腹がいっぱいになるのに腹持ち悪く4時半くらいにお腹が空いてしまうことと、毎日飲んでいるとなんだか悲しいような寂しいような気持ちになってなぜかディストピアという単語が浮かんでくるところだ。多分、お前の今日の労働に見合った栄養はこれで十分だ、とお上から支給される最低限飲める程度に調味されているが嗜好性は低い人工栄養シェイク、みたいなものをイメージしてしまうからだと思う。
 1人のときはどんなにそれがディストピアでもその楽さに勝てなかったのだが、子供が家にいるとそうはいかない。いくら栄養があっても子供にディストピアを飲ませるわけにはいかないし、飲ませようとしても嫌がられるだろう。育ち盛りにはもっとカロリーも油分も必要、それで、子供には焼きそばなりチャーハンなりうどんなり作るのだが、そうなると、温かい料理を作りながら自分はディストピアを飲むという状況が悲しくて子供と同じものを食べることになる。本当は白いご飯とおかずと味噌汁、みたいなものを食べさせるのがいいのだろうが、それだとなんだか1日中料理をしているようなことになってしまう。料理は好きだが、子供向きの料理を作るのには自分のための料理、あるいは自分と夫のための料理を作るのとは全く違う緊張感がある。菓子パンとかラーメンとか、子供が喜ぶ手軽な食べ物はいくらでもあるが、大人が自分の意思と覚悟で食べるならまだしも子供に連日食べさせるのは抵抗がある。塩気も油分も心配だしやっぱりたんぱく質やら野菜やらが足らず、それらを補おうと卵や野菜を載っけたり混ぜたりすると大概苦情が出る。栄養バランスが整った給食がなく3食私が作ったものを食べているいま、普段よりも免疫とか抵抗力とかが気になりもするいま、しかし一方、友達とも遊べず体も思い切り動かせない子供にとって食事がいつも以上に楽しみでもあるべきいま、これも食べろ残すなよく噛めなどとくどくど言いたくもない。ネットで、簡単にできるブリトーというのの作り方を見つけたので作った。小麦粉主体の皮をフライパンで焼いて具を包む白い春巻きみたいな見た目の食べ物、日本だとコンビニ軽食でハムチーズ味みたいなやつを売っているが、中身は別になんでもいいらしい。ウインナとトマトソースとほうれん草などを入れた。本当に簡単にでき、皮は縁の乾いたところがぱりっと硬く、具に接しているあたりが程よく柔らかく弾力もある。子供も手に持って楽しい感じでよく食べた。私は一味唐辛子を振って辛くして食べた。調子に乗って2日後にも同じように作ったらなんの加減か前回のようにうまくできなくて皮がべちゃつき破れ中身がしたたりこぼれ、両手を汚した子供は3分の1ほどを皿に残し、その後また作ろうかと尋ねても「あ、大丈夫」と断られるようになった。1度作ってうまくできた料理を2度目3度目で失敗するというのがあるあるなのは私だけだろうか。春休みとか夏休みとかのようにゴールがきっかり決まっていないこの生活は、得がたい、もしかしていつか思い出したら宝物になっている可能性もあるのかもしれないけれどいまそんな余裕はない。「もしかしていつか思い出したら」という未来自体が一切合切ないのかもしれない怖さ、日々時々刻々と増えていくひどいニュース、子供と私の体力、勉強、遊び、仕事、感染症には天災めいたどうにもならない側面もあるが、いまのこの状況は人災でもあって、その一部を形成してきたのはかれこれ16年も有権者をやっている自分でもあるのだ。そう思うと悲しいし悔しい。ネットを見ても新聞を見てもテレビを見ても腹が立ち、目を逸らすのはよくないとも思いつつ子供番組ばかりつけているとやたらにパプリカが流れる。プロパガンダ、踊っている子供たちに罪はなかろうが、パプリカの次に違うバージョンのパプリカ(パプリカにもいろいろある。英語のやつとか手話のやつとか映像がアニメのやつとか各子供番組とコラボしているやつとかいつものメンバーが違う振りつけで歌うやつとか)が続いたりするとどうしてもうんざりする。夏までの我慢かと思ってたら1年延び、でも多分あと1年でももうだめで、なぜかパプリカ残響にポポポポーンというウサギなどのキャラクターのコマーシャルが空耳される。
 対面販売が難しくなり苦境に陥っている店の商品をネット通販で買って応援しようという声があり、それはそうだと思っていままで買ったことがないものを思い切って注文した後に物流も限界なのでいまはどうか不要なネット通販は遠慮して欲しいという声を聞いてそれもそうだと思う。どちらも正しい。裁縫好きな母が作ってくれた布マスクをつけて歩いていたら、軽い知り合いと偶然道で会い挨拶だけで行き違うかと思ったら「それいいですねえ」と振り絞るように言われ立ち止まった。え?「そのマスク…もう手に入らないし自分で作ってみようと思ったけど私不器用でうまくできなくて。子供預けるにもマスク必須で、もうどうしていいのかわからなくて」ああ。ええ。ええ。「ネットで縫わなくていいみたいな作り方も見つけて試したんですけど子供の顔に合わなくて」彼女はいわゆる使い捨てマスクをしているが「これ昨日も使ったやつで。大人はもう、消毒して使いまわしてるんですけど子供にはやっぱり」あー、でしたら、あの、これうちの母が作ってくれたんですがまだ使ってないやつが家にありますからお分けしましょうか。あれだったらお子さんの分だけでも。「いえそんな。悪いですそれは。うち子供3人いるしこれからまだまだ貴重になるかもしれないし。布マスクだって1年はもたないだろうし」布マスクだって1年はもたない。1年経ってもまだマスクが必要な状態が続いている可能性、1年経ってもまだマスクが手に入らない可能性、全然ある、というか、絶対手に入るようになっているよ大丈夫と思えないのはなんでなのか。彼女は薄く微笑んで「うちにも布はあるんです。ゴムも。私が縫えないだけで」いやでも。「いいんですすいません」あー。実際、もし私が彼女でも、そこまで親しくない相手に、それも文脈的にきょうだい3人分のマスクをもらうとなったら心理的に負担だろう。終わったら返してくれたらいいですよという話でもないし、あ、じゃあその布とゴムをお預かりしてうちの母が縫いますよという提案も頭をよぎったがそこまで親しいわけではない彼女とそういうやり取りをしようと思ったらどこかで待ち合わせをして材料を受け取って子供の顔の大まかなサイズとかも聞いて、それで親に頼んでできあがったらまた連絡をして待ち合わせという手順になる。子供を預けているのだとしたら彼女は外に出て働いているわけだし、お互いどのへんに住んでるかもよく知らないのだ。やっぱりそれは遠慮するよな…悶々と考えながらじゃああの、でももしいるってなったらいつでもあの、もごもご言いながら別れた。税金で送られてくるという世帯に2枚の布マスクでは彼女の家の子供たちだけが使うわけにすらいかない。
 カレー味の焼きビーフンというあまり見慣れない商品を売っていたので買った。焼きビーフンはおいしい。野菜をたくさん入れても薄味にならないのに、ちょっとぐらい具が少なくても塩辛くて閉口する感じがしない味つけ、たまに無性に食べたくなって続けて食べていたのに気づくと半年くらいご無沙汰になっていたりもして、だからこそ思いついたら本当に泣きたいほど食べたくなる。焼きビーフンは日持ちもする。こういうときは焼きビーフンだ。私は焼きビーフンを主食だと思っていたが、かつて作って夫に出して「ご飯は?」ときょとんとされたことがある。え? ご飯?「だってこれおかずでしょう?」いやでもこれ、お米の麺だよ…以来夫にはご飯もつけるようにして、カレー味なら余計にご飯に合うだろうが昼には夫は仕事でいない。夫は製造業の工場勤務で多分最後の最後まで休みにはならない。最後の最後でもならないかもしれない。時差出勤で早く家を出て早く帰る制度はあるものの、毎日電車に乗って通勤するのは変わらない。本当は休みになってほしい。でもそうなると商品の流通に関わるわけで、つまり人々の生活に関わるわけで、実際に感染症発生後に注文が増えている商品もあるらしく、だから自粛しろテレワークしろってそれが可能な仕事がどれだけあるかってなあ…子供がいたら仕事にならないとはいえ、私が完全在宅勤務可能なことを天に感謝すべきなのだ。いや、感謝すべきは天になのか。それにいつまで私の仕事があるか。焼きビーフンはフライパンに四角くまとまった乾燥ビーフンと肉野菜など好きな具を入れ、水を注いで蓋をして作る。カレー味は最後の蓋を外し水気を飛ばす工程で添付のカレー風味スパイスを振りかけて混ぜる仕様になっている。部屋中がカレーの匂いになる。インドカレーもスパイスカレーもおいしいけどこういう、カレーそのものではない、カレー味の匂いというのはやっぱりいいなあ、今日はキャベツともやしと玉ねぎと冷凍シーフードミックスを入れた。小エビと真っ白い四角いイカと剥きアサリ、子供がアサリを1つ食べてこれいやだというので箸で1つずつつまみ上げて自分の皿に移した。子供は麺とエビとイカはおいしいと言った。野菜も食べなねと言うとふむふむ頷いてまあ食べた。「おいしいよ」ね。これおいしいよね、お母さんも大好き。
 その翌昼はピザにした。前にまとめて生地を作って(子供も一緒にこねた)冷凍しておいたのを出してトマトソース、ウインナと玉ねぎとプチトマトとブロッコリを載せて焼いた。子供と私だと1枚では足りないが2枚焼くと冷凍生地の備蓄が減るしなと思って私は少し久々のディストピアにした。どうせ子供は丸1枚は食べられない。ピザを食べている子供にママのお昼はこれ、と縁いっぱいに緑の泡が浮いたシェイカーを見せた。「うえー」子供は舌を出して皿に落ちたウインナを指でつまんで生地に載せ直して食べた。シェイカーをくるくる回しながら素早く飲む。ディストピアを飲み始めたころ、もう日本は大概ディストピアだと思っていたがまさか本当にここまでこんなにディストピアになっているとは思っていなかったのだな私は、と思ってまた悔しくて悲しい。本当の本当のディストピアでは栄養のある飲みもの1杯すら支給されない。子供にそんなのを強いるのは嫌だ。嫌だというか無理だ。飲み終えて、水を飲んできな粉のざらつきを流す。子供が少し残したピザを食べた。冷めていてもおいしい。生地、トマト、ウインナ、玉ねぎ、ブロッコリ、いろんな味がする。冷凍庫にはもう1枚分、冷凍しておいたピザ生地がある。布マスクまもなく送付開始という報道を見た。やめてほしい。それが国政にであっても、意見がある場合はむしろ地元の与党議員にメールなりを送るといいと聞いてホームページを見てみたが、なぜかその議員のホームページのお問い合わせ欄を押すとリンク先がありませんという表示が出てきて、プロフィールとか後援会のご案内とかいう欄はちゃんとリンクが生きているのにお問い合わせだけがダメで、わざとじゃないかと思って腹が立った。わざとじゃなくても直した方がいい。電話をした。私は地元有権者であること、リンクがおかしいこと、税金での布マスクの送付はいらないので補償をしてほしいのですがと伝えるとスタッフが「私も正直あのマスクはですねえ、布のならいくらでも、縫えますしねえ」苦笑いの声に聞こえた。…ねえ、いやほんと、マスクいらないですよ。税金で。もっといい使い道がっていうか。補償とか。「ねえ。議員はいま東京におりますので伝えておきますけれども、布マスク、ねえ」よろしくお願いしますと言って切る。

庭

小山田浩子

2018/03/31発売

それぞれに無限の輝きを放つ、15の小さな場所。芥川賞受賞後初著書となる作品集。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小山田浩子

1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『』『小島』『パイプの中のかえる』など。

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