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小さい午餐

 お昼のお弁当を買いに行こうと子供を誘った。先月から引き続き、子供がずっと家にいる。仕事の都合で実家に預ける日も多いが今日は1日2人で家にいる予定だった。夫は仕事、電車通勤をやめ車通勤できるよう職場が取り計らってくれた。朝は子供番組を観る。時計が進むにつれ歌や寸劇主体の幼児番組から科学とか哲学とかの勉強っぽい番組になっていく、算数とかもある。意外な人が人形劇の声をしていたり(きゃりーさんもガッツさんもとても上手だ)、風刺が効いていたり、渋い俳優が荒唐無稽な設定を熱演していたりしてつい観てしまう。もちろん、即座にあるいはじわじわチャンネルを変えたくなることもあり録画しておいた番組を観たりもする。親子で好きなのは「あはれ!名作くん」と「スポンジ・ボブ」、とはいえ、大人より子供の方がテレビやDVDを観続けることに耐えられない。遊びたい、体を動かしたい、アパートなのであんまり部屋の中でぴょんぴょんして欲しくない、私自身も少しは動きたい、公園は遊具に触らない方がいい、となると散歩くらいしかないが子供はあまり好まない。公園に行って鬼ごっこをしたりするとこちらがへばってもまだまだまだと走り回り続けるのに、散歩となるとものの数分で疲れた帰りたいと言い出す。あそこに花が、うぐいすの声がなどという会話を楽しめというのも酷だろうし、1日中顔を合わせている母親が相手ならなおさらだ。古いデジカメを持たせてみたり、散歩用の花の図鑑を買ったり、わかれ道に来るたびにじゃんけんをして行き先を決めようだとか、しりとり、でもやっぱり疲れた帰る帰る帰る、もう私が、ねえ散歩、と言いかけた途端にいやだ! と返ってくる。
 それで、散歩ではなくお弁当を買いに、目的地があれば気分が変わるのではないか。ほどよい距離で、道中にアップダウンのあまりない場所、できたらご褒美的にちょっとおいしそうなもの…田舎なのでよりどりみどりとはいかないが徒歩でほどほどの場所の居酒屋が弁当を販売しているというのを見つけた。店内飲食自粛のため期間限定(終期は未定)で始めたというランチ弁当、ネットで見る限りそこそこ高級そうな店なのだが、お弁当は550円から、1000円2000円の高級弁当もあるがおすすめ筆頭に書かれているのはお肉のお弁当750円、自炊やコンビニと比べたら高いがたまのごちそうとしては妥当じゃなかろうか。よく晴れて風も心地よく、私の子供は肉が好きだ、好きな食べ物はと聞かれたら唐揚げと焼肉と答える。ねえねえお肉のお弁当買いに行かない?「んー、いいけど」よしいいね行こう行こう行こう、11時半のオープンに合わせ11時すぎに家を出た。
 しばらく歩いて子供が「こっち!」と道を曲がる。予定のルートを外れるが方向はまあ合っているので従う。住宅街の小さい川、小川というと詩情が強すぎるがドブと呼ぶのは気がひけて側溝というと即物的すぎる感じの流れぞいの道に出る。水は見下ろすくらい低いところを流れ、切り立った角度のコンクリ土手の隙間から草が吹き出しツルニチニチソウが紫の花を広げている。土手に突き出ている灰色のパイプに鳩が出入りしている。中で営巣しているのだろう。川底には水草だか藻だかがびっしり生えて浅い水になびいてところどころにゴミがひっかかっている。水は透明だ。両脇に私の肩くらいの高さの目の粗いフェンスがある。子供があっと言って指差した。水の底に四角いものが落ちている。カードだった。遠目に鮮やかな何かのキャラクターはポケモンかなにか、ゲームか収集を目的としたカードに見えた。水草にひっかかっているのかぴくりとも動かない。「おとしちゃったのかな」と子供が心配そうに言った。自分が大事なものを遥か下の水に落としたと想像したのだろう。このフェンスの高さを思うと、どっちかというと投げて捨てちゃったのかもしれないな、ダブりとかで、もしくはそもそもおまけかなんかのいらないちゃちなカードかもしれないしと思いながら、そうだねえと相槌を打つと「かわいそうだね」そうよねえ、落ちたらここ、拾えんもんねえ。「ねえあっちにもある」見れば少し川下にも同様のカードが、それも複数枚沈んでいる。石に引っかかっていたり長い水草に絡まっていたり、裏向きになっていたり、同シリーズの、やっぱりポケモン、子供は3枚、4枚と数えている。フェンスに沿って歩くと、水面の反射で見えなかったカードが次々現れた。「10枚、ええと…」ごめん、フェンスは菌がついてるかもだからできたら触らんようにしてくれる?「あっ」川が中州めいて少し膨らんだところに、さらに大量のカードが引っかかっていた。ざっと20枚30枚くらいはありそうな、表向き、裏向き、ダブりを投げ捨てたマナーの悪い子のイメージが浮かんでいたが、これだけの枚数、いらなくて捨てるにしたってゴミ箱に入れるだろう普通。むしろ、誰かに取り上げられて川に放り投げられた的なことなんじゃないだろうか…いやでもそんな邪悪ないじめっ子ならむしろ売るか自分のものにするのでは? 売るほど価値がない? 川上で何かあった? 言っても言っても片づけない子供に業を煮やした親が窓から投げ捨てたとか? 川の両側には家が並んでいる。新しい家もあれば昔から風の家もある。川はその先でさらに低い暗渠に落ち込み、もう先が見えなくなる。子供はいつまでもそこでカードを数えようとしているが重なり合っていて数えようがない…行こうか。「まだ」じゃあ、もう少しね。住宅街は意外なほどしんとしている。休園、休校、自粛、テレワーク、この辺りには子供がたくさん住んでいてもおかしくないし大人の在宅率だって普段より高いかもしれないのに、なんならあちこちの庭に三輪車や子供用自転車やフリスビーや縄跳びがあったりするのに、声も気配もなかった。連休前、いい季節だった。庭先にはツツジが咲き、柿の木はついこの前までの薄黄色のおずおずした芽吹きがあっという間に、言葉通りみるみるうちに葉を広げ厚みを増し色を濃く、しかし、真夏のあの黒いほど濃い緑ではない光を含み透かすような色、風に乗って藤かライラックかジャスミンかそういう甘い匂いがする。でも誰もいない。少し前のことになるが、私の住む土地に感染症のクラスターが出たという報道があった。近所というほど近所ではないがまあ、ニュースを見てひやっとする程度には見慣れた地名だった。クラスターとされる施設の名前が伝言ゲームのように広がり(のちに公式発表されたからデマではなかったのだが)、その施設の、全然別のところにある関連施設にまで苦情の電話が殺到したという…正直、こうやって子供を連れて散歩をしているだけでも、誰かから、突然、どうして子供なんか連れて出歩いているんだと怒鳴られるんじゃないかという恐怖を感じる。不要不急、自粛を要請、密を避け、なんと気持ちの悪い不正確な不誠実な言葉たちだろう。テイクアウトして飲食店を応援、売り上げが落ちてるお店はネットショッピングで支援、配送業はパンク寸前なのに補償はない、給食用の食材が余って大量破棄の危機、給食がなくなり満足に食べられない子供がいます、体調が少しでもおかしかったら外には出ないように、検査はよほど重症っぽくないと受けられません、経済は回したい、給付金は最小限かつ世帯主のところに、小さい布マスクすら地方にはまだ届かない。暑くなってきた。風が止み、日差しが強まり、ちょっとすでに真夏のような、うながすと素直に歩き出した。手をつなぐ。小さい飲食店に『コロナウイルス心配のため休みます』という張り紙がしてある。予防のためとか対策として休業とかいう張り紙は見たことがあるが、心配のためというのは初めて見たが実際心配だ。店を営業したってしなくたって感染するかもしれないししないかもしれないし、潰れるか非難されるか全ては個人の責任に帰着する、させられる。「あつい、つかれた」そうだね、もうちょっとだからね、お弁当買って帰って食べようね。「えー…じゃああそこのコンビニでおにぎりかいたい」目の前を指差す。えー、コンビニ? 美味しそうなお弁当だったよ、写真見たでしょ、お肉の、もうちょっとだから、行こうよ。「うー」せっかくここまで、来たんだし。なだめながら歩き出してでも、じゃあいいじゃんコンビニで、コンビニのおにぎりもお弁当もレトルトも別においしい、デザートだって買える、せっかくここまで来たんだしのせっかくは、私のエゴにかかっている。とはいえ、あと少し歩けば目的地なのだ。いいじゃん、いいじゃんと言って歩く。
 店は少し奥まっていて、グーグルマップ上はもう到着している風なのに見当たらなくて、路地を少しめぐった。ようやっと見つけた目的の店は思っていたより小さい間口で、暖簾も何もなく薄暗く一見閉まっているように見えたが近づくとテイクアウト営業中という札が出ていた。入ってお弁当を2つ頼むと少し座って待っていてくださいという。「いま予約の分してまして、すぐ終わりますんでね」よろしくお願いします、私は置いてあったアルコールで手を消毒し子供にもさせ指示された席に座り、スマホでゲームを起動して子供に手渡した。真昼なのに薄暗い店内は、明らかに夜、お酒と料理を楽しむ大人用のインテリアだった。重厚な客席テーブルに紙おしぼりと割り箸が広げてあり、そのわきに厨房から搬出された弁当のパックも積み上げられ一緒にビニール袋に詰められていく。男性が店に入ってきた。ワイシャツ姿、入るや否やオーと言って片手を上げ、厨房から出てきた男性店員さんもオーと応じた。「今日はわりぃねえ、ようけ頼んでから」「いいやァ、ありがたいばっかりで」店員さんは頭を下げた。「どうなァ?」「いやーァ」女性の店員さんがビニール袋をがさがさレジのところに移動させた。たくさんあるので往復した。「しんどいんかー」「イイヤネ、こがなことお客さんに言うちゃああれですけども、こがに昼に弁当作ったってね。ぜーんぜん儲からんですよ」「ほうねえ」「なんのために店、開けとるんかなと思う。ボランティアですかね」ボランティア。女性店員さんがレジを打ち始めた。ピッ、ピッ、キャッシュレス決済5%オフのポップが立ててあり隣に手書きでカード不可ともある。「仕入れ先がね。どっこも悲鳴上げとってから。肉が腐る腐る言うて。引き取り手がなァんじゃもん。それで、まあ、お互い様じゃしと思うてね、仕入れて、こうやって、まあ…でもまあ、儲かるか言うたら、そういう話じゃあないですよねもはや」「ほうよねえ」男性客が財布を出した。女性店員さんが値段を言う。ざっと20食くらい買っている計算だ。職場のみんな分とかだろう。「でも、ほんま、こがにようけ、助かります」「またね、自由にあれになったら、顔見に、飲みに、みなで、来るけェ」「いやほんまに。ほんまです」「乗り越えようでえー言われてものォ、うちも悲鳴よ、考えれんよ。どっこも同じよの」「持てますかね?」「車じゃけ」「じゃあ車まで」「後ろにね」男性について、男女の店員さんがビニール袋を下げて出た。しんとした黒っぽい店内で、子供の頬がスマホに照らされている。「みて」子供が触れると、画面の中の小さいブロックを積んで作ったような時計塔が飛び上がってバラバラになって落ちて元に戻った。面白いね、お母さんにもやらせて。「いいよ」音を消しているが多分、どんがらがっしゃんと効果音がついているのだろう。面白い面白い、あれ、でもこんな画面、今まであった? 「さわったらできたよ」見ると無料版だと遊べないはずの面になっている。ぎょっとしてスマホを受け取ったが、確かに遊べるようになっていて勝手に課金したような形跡もない。おそらく在宅を強いられている子供のために一時的に無料コンテンツを増やしてくれているのだろう。店員さんたちが店に入ってきて、一瞬、多分、私たちの存在を忘れていたのか驚いた顔でこちらを見た。
 弁当を受け取り帰っている途中、子供が「もうあるきたくない!」と言いだした。「つかれた!」疲れたね、がんばってるね。「あつい!」そうだねー、お茶飲む?「もういかない!」行かないじゃないよー帰りよるんよ、行かないことはできても帰らないことはできんのよ。「うごかない!」じゃあここで暮らすんね? 声が我ながら棘立った。住宅街、真横にちょうど空家と思しき家があり、崩れかけた塀にヘクソカズラが盛大に絡んでぺかぺか光っている。「いーやーだー」いやでもなんでも、帰らなきゃもっと暑くてしんどいことになるよ、ね、歩いたらすぐじゃけ帰ろう。「もういかないってば!」だからどこかに行こうとしてるんじゃない、帰ってるんだよ! 判断ミスだった、今日は昼時に歩くには暑すぎた、日差しが強すぎた、初めての店で迷ったせいで時間をロスしたし、川でカードを長いこと眺めて店でも待ったし、つまり子供はかなり空腹なはず、暗い店内でスマホを見ていて外に出たら暑さ眩しさが段違いに強く感じられ、路上には誰も歩いていない、車通りは普通にある、コンビニの駐車場に入ろうと小さい渋滞が出来ている。私が悪いのだ。私が、あそこで、じゃあコンビニおにぎりにしようねと答えてそうすればよかったのだ。というか無理に連れ出そうとしなければよかった。運動なんて、別に、なんというか、幼い子供なんて生きてるだけで基礎代謝の塊だ。外を歩きたかったのは自分、気分転換したかったのは自分、弁当を買いたかったのは自分、怒ってはいけない、いやもう怒ってしまった、ごめん本当にごめん、頬が赤いのは泣きそうなのか暑すぎるせいなのか、じゃあ、あの信号のとこまで抱っこしようか、「だっこはべつにしてほしくない、あついから」そうかー…じゃあ、歩こうか。「いやだ」そうかー…タクシーに乗ってしまうか、いや、それも感染症予防的にはどうなんだ、というかそもそもこんな田舎、タクシーなんて呼ばなきゃ来ないし呼んでも多分しばらく来ない。
 帰宅して食べた弁当の肉は柔らかく米も大量、総じておいしかった。値段を考えても大当たりといっていいが、食べながら当然どうにも気まずかった。おいしかったね、今日はごめんね。「そう」あ、野菜も食べてね。子供が横目でこちらを見、肉を1口食べてフンという顔をした。

庭

小山田浩子

2018/03/31発売

それぞれに無限の輝きを放つ、15の小さな場所。芥川賞受賞後初著書となる作品集。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小山田浩子

1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『』『小島』『パイプの中のかえる』など。

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