修行道場というのは、毎日、毎月、毎年、することが決まっている上に、何をするにも作法や手順まで定まっていて、ほぼ完全な「ルーティンライフ」の日々である。
すると、そのルーティンを外れるような出来事が起こると、非常に目立つし、それ以上に、ある意味「退屈な」毎日を過ごす修行僧にとって、格好の話題であり、「娯楽」になるのである。
たとえば、我々が坐禅堂でとる正式な食事は、水も漏らさぬ厳格な作法に基づいていて、さらに完璧な沈黙と静寂が要求される。入門当初、タクアンを音無しで噛めと命令された時には、本当に仰天したものである。
そこで万が一にも箸でも落とそうものなら、これが箸を落とした音かと思うほどの派手な音が堂内に響き渡り、30分程度の食事が終わる前に、道場中に落とした者の名前と、落とした状況が知れ渡るのである。
ただ、この程度のハプニングなら気晴らしですむが、何年かに一度、想像を絶するような事件が起きる。
入門1年目の冬、私は参拝者の先祖供養を行うセクションに配属された。
そこには、法要を行う中心部の広間を取り囲んで、階段状に7、8段せり上がる、大きな位牌棚がいくつも設えられていた。その棚には、全国の檀家・信者から納められた、膨大な数の位牌が隙間なくビッシリ、祀られているのである。
その正月、初詣の人々が夜通しお参りするので、我々も徹夜で申し込まれた法要を行い、明け方にようやく人通りが途絶えた。やれやれ、では少し休憩しようかとなった頃、突然、
「た、大変だあ! 来てくれえっ!!」
位牌棚の方で、同僚の修行僧が絶叫した。
あまりの大声に、全員が休憩室を飛び出して駆け付けると、
「わっ!」
信じがたい光景であった。位牌棚の最下段の真ん中に、一升瓶が並んで2本、その間に発泡スチロールの箱が置かれていて、蓋がズレている。その上、位牌棚の中段あたりに我々が見たのは、なんと生きた伊勢エビだった!!(ご先祖へのお供えにしても、いくらなんでも……)
体長30センチ以上、巨大なハサミを持った伊勢エビが、そのハサミで左右の位牌をなぎ倒しながら、ジグザグに位牌棚をよじ登って行くのである。まるで特撮映画で、怪獣が高層ビル群をぶち壊すような光景だった。
あまりのことに皆ビックリし過ぎて声も出ない。そのうち、中の一人が小さい声で、
「おい、じきさい……」
私に何とかしろと言うのである。この時私は同僚の中で序列が首位だったので、たまたま責任者の古参和尚が外出していた手前、この珍事をどうするか、私が決めなくてはならなかったのだ。
とにかく、放置できない。すでにエビは最上段に向かい、ハサミが振られるたびに、バラバラと位牌は崩れ落ち、被害は拡大する一方である。私は意を決して、同僚に体を支えられながら手を伸ばし、この狼藉者を鷲掴みにした。
でかい! 持っているだけで手が痛い!
「どうする?」
横にいた同僚が言った。
「どうするって……」
「逃がすか?」
別の者が言った。
「逃がすって、どこへ? これ、外まで持って歩くのか?」
実は誰も逃がそうとは思っていないことは、すでに明白であった。しかし、ここは殺生どころか、肉食魚食ともに禁止、精進料理の道場である。
「刺身がうまいけどなあ……」
耐えかねたが如く、ついに声を漏らす者が出た。後ろから一声、
「おまえ、捌けるのか?」
「できない」
すると、最初に絶叫した修行僧が、
「どうする、じきさい……」
また私である!
しばしの沈黙の後、私は宣言した。
「こうなっては是非もない! 雑煮に入れて食おう!」
そこからは早かった。道場の厨房から運ばれてきた雑煮の餅を取り分けると、たちまちどこからか鍋が調達されてきて、その鍋を火鉢に載せ、全員が取り囲んだ。
そして、普段の法要では聞かないような、緊張感に満ちた、おそろしく声がそろった荘重な読経の中、ついに伊勢エビは成仏した?のである(一人分のエビの肉は少々だったが、スープは絶品であった)。
今も忘れがたいこの一件とその味は、驚くべきことに、当時ほとんど他の修行僧の話題にならなかった。あのルーティンの毎日に突如として伊勢エビである。センセーションを巻き起こす大ネタになると、私は思っていたのに、そうはならず、私のセクションのメンバー以外に知るところとなったのは、ごく少数だった。
セクションの面々が全員口の堅い者ぞろいだったわけではない。そうではなくて、思うに、あまりに日常から外れた、突拍子もない事が出来すると、修行僧も狼狽して沈黙し、結局「無かったこと」にするのである。ましてや、知られて後ろめたいことのある話なら、なおさらだ。
こういう事件は、しばらく時が経ち、「ほとぼりが冷めた」頃、たとえば修行を終えた後に、仲間が集まったような席で、大盛り上がりのネタになるのである。そうして、経験は修行僧時代のエピソードとして消化されていくのだ。
これはまあ、驚愕したにしても、所詮は笑い話である。
しかし、世には驚愕するだけではすまず、それを経験した人が大変なダメージを受ける事件、事故、災難がある。これはとても「無かったこと」にできないし、いつまでも「ほとぼりが冷める」時が来ない。
私たちは、あの驚愕を後に修行時代の思い出として語り、笑い話にして懐かしむことができた(もし食中毒でも起こしていたら、そう簡単に話題にして懐かしんだりできなかっただろう)。
これと比べるのは愚か極まりないが、あえて言えば、大きな災害、事故の被害者、理不尽な犯罪の被害者、そして遺族、この人たちの経験には、まず言葉が追いつかない。容易に語ることができない。そういう状態が長く続く。それが当たり前であろう。
だが、私は、そういう人たちと出会うと、いつも思う。その経験はいつか語られなければならないと。
いかに過酷な経験であろうとも、語ることによって意味を与え、誰かがそれを聞いて、また言葉を送り返す中で、ついには「私」という物語の一部として、その経験が織り込まれていく。それが、人が生きる上で必要なのだと、私は思うのだ。
伊勢エビから20年以上が過ぎて、あの時絶叫した同僚と偶然会うことがあった。
「あの時さあ、最後にオレが『どうする、じきさい』と言っただろう」
「ああ」
「オマエ、即座に雑煮にしようと言ったよな」
「仕方なかったもん。オレでなくても言っただろ、あの場面じゃ」
すると彼は真顔で、
「でも、オレ、あの時からずっと、オマエを尊敬してるんだ」
また驚愕、であった。
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南直哉
みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 南直哉
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みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。
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